大忘年会
大忘年会
年の瀬になると一年の反省や憂さ晴らしとして、繁華街は忘年会でにぎわっている。この忘年会は会社関係の人たちだったり友人、知人だったりと様々である。
初めての忘年会は高校を辞めて鉄工所に勤めたとき。つまり十六歳になったばかりのころで未成年だ。すし屋の二階で行い、工場の人たちや職人たちから『飲め飲め若い衆』といいながらビールと日本酒を注いでくる。これでは死んでしまうと思い隅に逃げていた。
ぼくはまだ酒をそれほど飲んだことがなく、すぐに酔っ払って職人たちからの洗礼を受けた。このとき義父も来ている。義父は飲めない人だが、つきあいで来たのだろう。みんなからお酌されている。
『竹さん、飲んでよ』と、義父は結構人気があるのだと関心もした。
その場のムードはよかった。
そして義父は真っ赤な顔で八トラックのカラオケを、みんなにせがまれ歌いだす。ときおりぼくをチラチラと見ている。曲目は殿様キングスの『おんなの操』だ。この歌はよく風呂場から聞こえた。
そして初めての忘年会は終了。タクシーで義父と家に帰るころには、目が回りすぐに二人とも寝た。これが初忘年会だ。
これは普通の忘年会である。これからの話しはタイトルどおり『大忘年会』だ。
大忘年会といっても二人。得意のメンバーぼくとカニエイである。
舞台は東京のぼくのアパートであるトラオカ荘。それは十七歳の十二月三十一日に開催。つまり義父との翌年だった。カニエイはぼくとの手紙のやりとりで、東京の大忘年会に賛同していた。そして十二月三十一日にカニエイが来る。待ち合わせの四谷駅出入り口で、時間を合わせて待った。
彼が現れたときは驚愕した。T学園T高校のはずかしい制服を着て四谷駅改札口の前に現れたからだ。思わずプッと吹いた。
清水では仮装スタイルで清水アーケード街に現れ恐れ知らずだった。カニエイもやるなと、少しライバル意識を持った。
この制服は昔の海軍制服に似ていたことから『海軍』と呼んでいた。
その制服を四谷駅周辺で目撃していたことをぼくは思い出した。
それは学習院だ。そこの制服とT高校を比較すると完壁ではないが、人がすれ違えばチラッと見る。遠くからなら余裕でそのものだった。つまりカニエイは坊主頭だが、その辺の人が見れば優秀な学習院高校に見えるわけだ。
ちょうど夕方になり、弁当二個とウオッカの樹氷一本、コーラと菓子を買ってトラオカ荘に戻った。
そしてぼくとカニとの忘年会が始まった。お互いの近況など話しながら、氷のないグラスに樹氷を三分の一入れコーラで割って飲む。
一杯目はまずい。だが二杯、三杯と飲んでくと気分がよくなりテンションも上がってくる。バックミュージックには高中正義の曲が掛かっている。
未成年のぼくらは酒に弱くすぐ酔った。大晦日なので、その辺の神社へ行こうとなった。初詣でにはまだ早く、時間は夜十時。だがハイなので行った。すると小さい神社のわりには人がいて、縁起を担ぐ出店もあった。
巫女さんもいた。バイトで女子学生らしく、ぼくとカニエイは気を引こうとモノマネや変な顔をショーのようにやっていた。だが、まったく相手にされず、軽べつな目で見られていた。
その模様を近くにいた四人の男子学生が見ていたらしく、ぼくらをバカにしてきた。腹が立ったが四人ではかなわないので、捨てゼリフ『バカガクセイ!』といって神社を去った。
そしてトラオカ荘に帰るとき、歌を唄って歩いてた一人の老おじさんに遭遇した。ぼくらはおじさんに話し掛けてみた。
「おとうさん陽気でどこ行くの?」
と、カニエイがいったらおじさんは、
「いまから神社に行こうとしてました」
おじさんは酔っているが丁寧ないいかたで答えた。
「神社では学生が騒いでるからやめた方がいいですよ」
とぼくがいう。おじさんは納得して『ほかの神社に行きましょうよ』とぼくらにいうではないか。すぐにうなずき、おじさんを真んなかにして肩を組み、西へ向かった。途中、トラオカ荘を通り越す。
おじさんは、だれかの演歌をしばらく歌っていた。
こっちの方向に神社あったかなと思っていたら、隣町の南元町に来ていた。老おじさんは、ここです、と会社の食堂のようなところへ三人で入った。神社ではなくぼくは、
「ここはおじさんの家なの?」
「そのようなもんです」
と答えた。そしておじさんは日本酒とつまみを持って現れた。ここで酒を飲みましょう、とおじさんがいう。
そして三人で乾杯する。
ぼくらは元々酔っ払っているのに、そのうえ酒を飲んだ。そして出身地の話しから始まり、おじさんの昔話しなどで盛り上がる。
なんたってタダで酒を飲んでいるため、おじさんを持ち上げていた。
おじさんから名刺をもらった。かなり酔っいたけれど、それを見たとき驚いた。おじさんの名刺には〇×□△石油会社代表取締役と書いてある。つまり社長だった。
ぼくらが飲んでるところは寮の食堂といい、家も隣接しているらしい。ぼくらは夜で酔っていたので、家の外観はまったくわからなかった。とても大きかっただろう。
時間もたちおじさんの話を聞いていれば、ぼくとカニエイに限界がきた。朝まで飲もうとのことだったが、眠くなり帰ることになった。
おじさんは最後に『静岡の竹さんと常さんに宜しくといってください』と、なんだかわけのわからないことをいっていた。ぼくらはフラフラでお礼をいい帰った。
元旦は昼すぎまで寝ていたのはいうまでもない。
これが二人で最初の大忘年会だった。なぜ二人のくせに大忘年会というと、必ず第三者が関わり、迷惑を掛けているからだ。
この大忘年会は毎年十二月三十一日に二人で行った。そのなかで印象深いことを思い出してみる。
清水に帰って何度か大忘年会を行った。パターンはこんなふうである。
ぼくかカニエイの家で酒を飲み、その年の反省や雑談をする。そしてハイになると自転車で居酒屋かカラオケに行く。夜十一時ごろから神社徘徊に行き年を越すというパターンだった。
神社徘徊は、近くの白髪神社からお神酒が飲めたり、人々が大勢いたりなにか面白い雰囲気になっていると最高になる。
ぼくとカニエイは初詣には興味がなく、ただ祭り気分を味わうことが大忘年会だ。
では白髪神社での出来事を述べる。ここは甘酒を配っていて、ぼくらは当然もらうと町内会のオヤジたちと雑談をして冗談をいった。
モノマネもすればウケなかった。内容は映画、少林寺、の形とゴルゴ松本の『命』、森進一、鶴田浩二、大橋巨泉など、だれでも出来るようなのだからダメだろう。
次は小芝神社へ向かった。初詣のお参りするところに手で振る綱へ大きな鈴がついていた。ハイなぼくらはその鈴を見ると振りたくなった。そして一人づつ思いっきり振った。その音はかなり大きく注目を浴びた。すると町内会のオヤジが迫って来た。
「お前ら、なに考えてるんだ、あんなに思いっきり振ることはない!」
とオヤジに怒られた。その場をハイのまま去ってほかの神社に向かうのだった。
ほかの年の大晦日。八幡神社という小さな神社での話し。
それは、ほかの神社に行った帰り、近くにあるというだけで期待もなくフラッと行っただけ。そうしたら案の定、町内会のオヤジが三人だけ。ぼくらは一軒家くらいの小さな八幡神社に入ってしまったため、お参りしたくないが、しなければならない雰囲気だったので十円でお参りをする。するとオヤジたちが、
「おー若い衆、お神酒を飲んでけ」
というのでもらった。ぼくらはお神酒を一気に飲んだら、オヤジたちが、
「若い衆、いい飲みっぷりだ、もう一杯飲め」
というではないか。それなのでまた一気に飲んだ。ぼくとカニエイはハイのハイになり、モノマネをやってみせた。するともう二杯飲ましてくれ、落ちのない即興漫才をフラフラでやった。あまりウケないが、ハイでやる気が気に入られたみたいだ。
そして酔いながらも酒の礼をいい、来年も来るからといって帰った。
翌年の十二月三十一日、夜六時ごろからぼくの家で大忘年会がスタートした。ハイになってくると、外へ行きたくなる。焼酎がなくなったのを皮切りに、自転車へ乗り出した。目指すは八幡神社。
昨年より早く来てみると、ずいぶんと人もいて盛り上がっている。
大きなテーブルがあり、その上には酒やつまみが載り、町内会のオヤジ衆数十人が飲んでいた。
昨年とのギャップがあり、ぼくとカニエイは驚いた。そしてぼくらは去年のオヤジたちの前へ現れたら、
「オー、去年の若い衆よく来たな」
といってくれ、歓迎してくれた。同じ町内ではないのに、オヤジたちはぼくらをテーブルで飲み食いさせてくれた。
今回はずいぶんとテンション高いなと、カニエイと話しながら飲んだ。よく見るとお参りするところにデンデン太鼓が置いてある。
当然ぼくとカニは目をつけた。
神社の境内に入ったところには、ダルマが大中小とたくさん置いてあった。オヤジらにダルマが沢山あるじゃん。と聞いたら、一回百円のクジで大中小のダルマがもらえるとのこと。
ぼくらはすぐダルマのところへ行きクジをやった。ぼくは小のダルマだった。小といっても百円では大きくお得だった。ついでにデンデン太鼓を二回鳴らした。少しまわりが笑った。
カニエイもクジをやると小をゲット。デンデン太鼓をドンドコドンドコ叩いた。ぼくは爆笑した。
このダルマのクジを、一人五回もやっていた。カニエイは一回、中ダルマを当てた。そのときは喜び太鼓を思いっきり叩き過ぎて、まわりが引いた感じがした。ぼくはそんな雰囲気をウケていた。
そして夜中の十二時になり年も明け、町内会の飲み会も終了した。
カニエイと五個のダルマを抱え退散した。
家に帰るには時間はまだ早い。年に一回の出来事なので、もっと羽目をを外すことにする。
ダルマを持ちつつ、秋葉神社へ移動。ここの神社は地元では名のあるとこだ。巫女さんやお坊さんがいて、いかにも初詣でという雰囲気の場所だ。
カニエイと一升ビンのお神酒が置いてあるのを見つけ、二杯ずつ飲みハイを保った。面白いことはなにもなく帰ろうとしたら、あの一升ビンのお神酒がまだ半分はあった。カニエイと目を合わせた。
ぼくは一升ビンを持つと威勢よくラッパ飲みをする。もう限界のくせにそんな行動だ。
彼もラッパをし、一杯一杯な表情でよろけていた。
こんな感じで大忘年会を終わらせ、それぞれ家に帰った。当然、一月一日は大変な二日酔い。ぼくは前日の行動を、二日酔いなのに思い出し笑いをし、自分をダサイと思った。
この大忘年会は二〇〇〇年以降行ってないので、たまに思い出すことがある。そのときはうっすら笑みを浮かべてしまう。やはり未だにダサイかもしれない。
二〇〇二年の十二月三十一日は何年振りかにお酒を飲まなかった。
なぜかというとその当時、郵便配達のアルバイトをしていたため、元旦に年賀状配達の仕事があったからだ。元旦は仕事から帰って来ると、すぐ焼酎を飲んでいたのはいうまでもない。もう自分は五十歳。いつか体を壊すことになるだろうが、東京から始まった大忘年会はとても楽しく思い出深いので、またいつか開催するのではと思っている。
かなりご迷惑をかけた話でした。
お酒に飲まれている自分です。それはいまもかわりありません。が、飲む量が減ったと思います。浴びるほど飲むのは、もう出来そうもないです。若いときだけですかね~。