スケートボード
スケートボード
実家に帰省した十六歳のある日、友人カニエイはスケートボード持ってぼくの家に現れた。
「おっ、すげーなーどうした、買った?」
と、ぼくは驚いていう。スケボーなどやったことがない。
するとカニエイは、
「兄貴のだ」
当時カニエイ兄はサーフィンをやっていて、スケボーは練習のために持っていた。それを兄貴に内緒で借りてきた。これはカニエイの得意技である。その後、兄のサーフボードも餌食になる。
そして早速、道路でやるが思うように出来ない。カニエイは何回か練習していたため乗れた。ぼくは初めてでなかなか乗れない。
それから数日カニエイとスケボーをやっていると、ぼくでも乗れるようになる。そんなころ、サーフィンもカニエイ兄のボード一枚で始めたのだ。
サーフィンをやりだすと当然はまる。ある日カニエイがスケボーを一週間ほど貸してくれたので、思いっきり練習した。足腰がかなり鍛えられ、筋肉痛も呼んだ。
夏が過ぎサーフィンはやめ、ぼくらはスケボーで日々を楽しむ。
練習の成果で、二人ともスケボーは上手になっている。いまの若者のように跳びはねる技はやらなかったので、それに比べればだいぶ下手だった。
それから一年後、帰省した際にスケボーをやりに行こうとぼくが誘った。
「カニエイ、スケボーをどこかいい道でやろう」
「おお、どこがいいかな? そうだ、県立図書館の坂道はどうだ?」
「おっ、あそこならいいな」
「じゃ、行こう」
と早速二人は自転車で、スケボーを籠に入れて県立図書館へ向かった。
二十分後着く。県立図書館につながる坂道は百メートルはある感じ。この日は日曜日で車も結構通っている。ぼくは、
「とても長い道で坂も急だが、大丈夫かな」
と弱気なことをいった。カニエイはそんなことお構いなしで早速、軽く乗りだした。
県立図書館がある頂上の方から乗りだすのではなく、下の方から乗る。カニエイが乗っていると、かなりのスピードがあった。ぼくも交代で乗りだす。初めはスピードがあったが、何回かやっていると慣れた。
徐々に上へ行く。頂上のある図書館からは急な勾配だし、そこからでは完全にムリだ。あそこからは危ないので目指すは七合目くらいのところ。
中間地点で乗ったがとてもスピードがあり、危険な感じをぼくとカニエイは捕らえた。だがU字型のスケボー台でやっている子供たちを見たことがあり、その子たちはこんなのでビビらないとぼくは感じていた。カニエイは、
「もっとスピードに慣れよう」
「そうだな」
と気合いが入った。
数回乗ってみると何度も足がぶれ出す。そのお陰で飛び降りてしまった。危ないときも数回あったが慣れようと練習した。
疲れたため一度休憩をとる。ジュースで一服だ。ぼくらは休んだせいで体力が回復した。そして一挙に七分目に行き、そこから見てみると長くて急勾配だ。ぼくは、
「やってみるか!」
かなりの気合いがあった。
「そうだな一回でもやろう」
となり、車も来ないのでぼくから乗りだした。
乗ったら最初はそんなにスピードはないが走っていると急にスピードが増した。技なんて関係なく、この直線を下まで降りることが使命だった。途中、側溝の鉄板もあり跳ねる。足が早くもぶれ出した。まだ乗ったことないが台風の大波に乗っているような感覚が沸いていた。かなり足元がぶれ出してたとき、『このままじゃ転ぶ!』と心で思った。その瞬間、
「ヨーシ、行くぞー!」
となぜか叫んだ。しかし下方に来た瞬間足ぶれも限界でバランスを失い、『あーっ!』と瞬時に大転倒した。そのまま狭い歩道に突っ込んだ。芝生に小さな樹が植えてありそこに当たった。それでガードされた感じ。だが背中を打っている。
遠くから『ババカワ、ババカワ!』と連呼する声が聞こえる。ちなみに『ババカワ』とはカニエイ限定のあだ名だ。
「ババカワ大丈夫か?」
と笑いながらいった。近くを通った車もブレーキを踏んでぼくを見下ろす。
「バカいてー、いてーやー」
と情けない声を出した。右腕と右足が痛く、服は擦り切れひじと右足に重度の擦り傷が多々あった。ゆっくり立ち上がったら、正常に歩けなかった。右足がビッコを引いている。やがて右足が震えてきた。
あまりのぼくの転倒にカニエイはやはり乗らなかった。しかも『ヨーシ、行くぞー!』がカニエイまで聞こえたらしい。その辺りから足元のふらつきがあったといった。
あのスピードでは必ず転ぶだろうと思っていたらしい。後ろからだが見た目はとてもカッコわるかったともいった。
あまりの足の痛さと震えで一挙にテンションが落ちた。この震えは恐怖だったということだろう。それを吹っ飛ばそうととしたかもしれなかった。
まるで小六時の交通事故のようだ。友だちと自転車で公園に向かっているとき、ぼくは早く着こうと近道をしたら出合い頭で車と接触した。そのとき右足がバンパーに当たって、痛みより恐怖での震えがあった。それに似ている。
その後やる気が起きなかった。カニエイはまだやる気があるようで、近くに緩くて人も車も通らない区画整理中のところがあった。
そこは絶好のスケボーポイントだった。カニエイは最初からここでやればいいなといっていたが、あとの祭りである。彼は一人楽しく乗っていて、少しぼくも乗ったがあまりの体が痛く、動きが鈍いし恐怖感が埋め込まれてしまい乗れなかった。そのため暗い心で家に帰った。消毒液がしみるのはいうまでもない。このときの傷あとは未だに残っている。勲章か?
その後も自分のスケボーを買ってたまに乗ったが、県立図書館では二度とやらなかった。近所の緩い坂や広い平道だけである。でもこの文章は静岡県立図書館で打っているのだ。
いまは四輪ではなく安定のない二輪のスケボーが主流ですね。もう絶対にやれません。年よりになってしまい、足腰にわるそうだし……。昨年なわとびを買ってやったら膝が痛くなりましたから。