高校中退
T学園を辞める
部活はカニエイがしつこく誘う空手部に入った。この部活に凶暴な先輩がいたのをあとからカニエイはわかり後悔していた。ぼくは誘ったカニエイを責めていたが、入った自分もわるく思った。
部活はというと、腕立て伏せではない拳立て伏せを毎日やらされた。人指し指、中指の拳で腕立てと同じことをやる。初めは痛かったが、これがだんだん慣れてくる。空手家たちはこうやって鍛え、板や瓦を割るのかと納得した。スクワットやうさぎ跳びはたまらなくつらかった。
空手は戦う組手だけと思ったら、形という対戦しない見せ物がある。戦うのが性に合わないぼくは、組手より形に力を入れていた。
そして東部の高校で大会もあり、ぼくは下手なので出場出来なかった。このころには誘ったカニエイは辞めていた。
学校部活と毎日八時ごろの帰宅だった。土曜の午後はほぼなく、夜は道場へ向かわないとならなかった。この道場は大人も来るためたまたま対戦したとき、腹に思いっきり突きを食らい苦しかった。
日曜は他校へ練習に行くことがよくあった。なるべく組手対戦をしないよう後ろのほうにいた。
夏休みには道場で一週間も合宿があった。これには参った。なぜなら毎日行うオ〇ニーが出来なくなるではないか。どうせT高校だし女には持てないと、はなっから思ったので、せめてそれだけはやりたい。一週間も出来ないとなにも楽しみがない。
合宿二日前に自動販売機でエロ漫画本を買った。それは確実に抜けるエロ漫画雑誌。そして一日三回は行為を行い、前日は四回もやってしまう。さすがひりひりしている。でも一週間出来ないので、それくらいはやっておく必要があった。
合宿は朝早く海岸で練習、次に道場練習。午後はほぼ自由時間だった。先輩もうるさくなかったので、近くのプールや海で泳いだりした。夕飯後、夜の道場は一般人と混ざって練習する。
そして三日目の早朝、竿がなかなかおさまらない。もうすぐ起きなければ早朝練習がある。困り果てたぼくは道着に着替えると、便所が空いたすきに急いで入った。ちなみに竿は上向きにして道着の帯で縛りつけたのでばれずにすんだ。そして女の裸の想像でシコシコすればすっきりとした。合宿前にあれだけ行ったのに元気だ。これでは午後の自由時間に抜いておかないと翌朝も危ない。
この日から午後はシコシコタイムになった。ほかの部員はどうしていたのだろうか。やはり道場にあるトイレと思うが、昼に長く入るのはぼくだけだった気がする。朝は忙しいしそこが疑問だった。
意外と合宿は楽に感じた。なぜなら通学移動がないせいだ。ただシコシコには気を使った。
夏休みは道場を終えて大会も負けた。その後は休みとなった。
これにはうれしく、昨年ニモネニと稲取にタクシーで行くとき発見した河口の海へカニエイと行き、岸の波とたわむれて遊んだ。
気象のことはなにもわからない。ここの海はいつでも波があるのかもしれない。なぜなら岸の西側ではサーフィンもしているからだ。
そして休みも開けて学校と部活に戻る。
このころ厳しさには慣れたが、ここであと二年半も通うのがだんだんとバカらしくなった。学校部活は休まずここまで皆勤だ。
やはり定時制やもっとレベルの低い高校へ入っていれば、長髪だし気楽だったのではないか。
十月になるとそれはさらに強まった。それでも学校と部活は続けている。自転車で通学していると髪の長い女子高生を追い抜いた。
いい香りがする。一発でT高校とばれる紺色の制服と制帽。背に薄ら笑いが突き刺さると勝手に思う。遠くからでもわかるカッコわるい制服とわかるのだから。
十日を過ぎたころ嫌悪感がマックスに達した。それはクラスでいじめられたり部活で突かれたりというわけではなく、この学校へこの先通うのが嫌だということ。それなら早く辞めてしまえと感じた。
そしてカバンに普段の着替えを入れて無断欠席をした。途中まで同じ通学で、神社あるところで着替えた。そして逆方向の河口の海へ向かった。あそこならサーファーしかいないのでぶつぶついわれない。
それを二日続けたら、まずカニエイが夜来た。そして辞めるという事情を話した。
「まじで? なんでだよーおれが空手部辞めたからか?」
目の細い、いつも普段着が同じアシックスのジャージを着た彼はいう。
「そうじゃない、この先を考えたからだ。毎週ひょうきん族だって見れないし……」
そのころビートたけしが好きになり、『おれたちひょうきん族』は道場に通うため見れなかった。ビデオデッキもなかった。
「でも辞めなくてもいいじゃんか、いくらT高でも慣れただろう。バカにしてるおれでも辞めようとは思わない」
カニエイは散々バカにしたのに、このごろはそうでもなかった。
部活だけは辞めたし、学校は慣れればたいしたことなかったのだろう。
そして翌日も休むと先生や生徒からたくさん電話が掛かってきた。
真面目に通っていて突然と登校拒否だ。戸川先生とは違う。
クラスメートは『なにがあったの』、『宇宙人の小話し聞けねえじゃん』と。当時昼休みに小話しをして笑わしていた。例えば『血を帯びたドリンク』と怖そうに題名をいい、話しを即興で作り最後に『チオビタドリンク』と落ちをいう。そんな作り話しが当時は流行っていた。
そして母と義父もどうするのかと聞き出してきた。
「……辞める」
というと、小学時代とは違い怒らなかった。義父には仕事をするようにといわれただけだった。ぼくは少し気抜けした。なぜなら高校は私学だ。高い入学金を払うし授業料もある。中学みたいに安くはなかった。母はなにもいわなかった。
そして静岡から部員も来た。
「ハママン来いよ、みんな待ってるよ」
という。わざわざ遠くから自転車で来てくれたのは申し訳なかった。でも親の承諾もあったし、辞める決意を伝えた。
友だちもいて部活も真面目にやり、合宿や試合、道場にも行っていた生徒が突然の登校拒否は初めてだと担任は電話でいった。
ぼくは入る高校を間違った。またブラスバンドをやっていれば、それかお笑い研究部など新たな部活なら違った楽しみがあったかもしれなかった。
十二月の初め、母と久しぶりにT高校に向かった。頭髪は伸びたままだ。まさかセンター五厘はないだろうと思い、一応制服で向かった。廊下で空手部の先輩に会ってしまった。どうするのか聞いたので、辞める意思を伝えると軽くうなずくだけだった。
ひんやりとする校長室では歴代の校長の顔が並んでいる。久々に会った担任と校長へぼくは辞めることをはっきりいった。
「今後は義父の世話になって鉄工所の仕事をします……」
と伝えた。なんといっていいかわからないし、クラスの友だちには会わないでT高校を去った。
自宅に帰ると晴々した気持ちになった。なによりこれで髪を伸ばせるのがうれしかった。
翌日、ロッカーをとりに来いと担任から電話が掛かってきた。
そういえばロッカーも購入したのだった。というか、生徒は全員購入しないとならない。学習着と私物を入れてある。
そして義父の車で生徒に会わないよう日曜にとりに行った。廊下にあるからすぐに運べる。教室は鍵が掛かっているので入れないが窓越しでなかを見た。毎日掃除をするからきれいだ。ぼくの席はあったが、もうほかの生徒が座っているかもしれない。いすの背にあるぼくの番号『一三三九』が見えなかった。ロッカーを持つと一二カ月在籍した一三ホームルームを後にした。
せっかく母が受験料、入学金、授業料、制服代、学習着代、自転車代、空手着代、ロッカー代、その他もろもろがパーとなりました。後から考えると高校時代は相当なお金が掛かったと思います。バカだった…