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カニエイ

      カニエイ


 友人のカニエイとは話しのなかにたくさん出るので紹介しておく。小学一年生のとき同じクラスになった。兄がいて両親健在の家庭だった。

家も近く、犬を飼っているのがぼくにはプラスだった。

小学一、二年はワタとは別々に遊んでいた。帰りの遅い戸川先生クラスの小三時代から、あまり遊ばなくなる。カニエイは教室の外で待っているのだが、なかなか終わらないクラスだ。待ちくたびれて先に帰ってしまう。四年のときは自動車の車種を洗脳させようと、国道一号線へぼくを連れて行く。カニエイのその行動はまったく意味がわからない。ぼくと同じレベルの頭だが理解不能だった。

 縁石に二人は座った。そしてカニエイはセリカ、コスモス、コロナ、マークツー、など通った車をいっている。

「おい、車を覚えろよ」

 カニエイは不満気味でいった。

「なんでだ?」

「まずは日本の車を覚えたほうがいいぞ。スーパーカーが通るかもしれないから」

「ああ、そういうこと。サーキットの狼のプラモデルか」

 当時そのプラモデルが流行り、スーパーカーブームの前兆だった。

 それが覚えて正解。五年生でブーム到来した。国産車も知り尽くし、クラスメートから絶賛された。

 カニエイのクラスでは一歩先を走っていた。

 五、六年時代はほぼ遊ばなかった。中学一年も彼は野球部、ぼくはブラバン奮闘中で遊ばなかった。

 中二では横のクラスにいたカニエイ。

 そして中三になったら、猛接近してきた。当時、ぼくはババというあだ名だった。はまじ→ババジに変わり、ジャイアント馬場の物まねをするのもあって、略して『ババ』になったと思う。

 そんなカニエイ、帰りがけにぼくの家によるときがある。

 別に遊びに来たわけではない。ぼくの朝食である菓子パンを狙っている。それはカニエイの友人も連れて来る。ぼくは十一月まで部活があり、部活のないカニエイはぼくが何時に終わるか調べていたときもあった。菓子パンごときにそこまでやるやつだ。せこいとしかいいようがない。

 部活を引退すると、やつらは毎日やってきた。カニエイと声が重低音の友人だ。ちなみに重低音は当時買っていた週間漫画のジャンプを狙っている。

 上げないと大声で歌うのだ。それは作詞作曲カニエイが考えた歌でこんな歌詞である。

『ババかわいい、なんでそんなに、かわいいの、かな、バーバ、だってニモだから、だってイクヨだから、だってタケシマだから、だってマサアキだから、だってバカチイだから、だってケンゾウの息子だから、だってヨドガワマユゲだから……』と、ぼくの家族の名前などで意味不明なものまで。ぼくのどこがかわいいのかといいたい。この歌に重低音が加わり、近所迷惑もいいとこだ。パンとジャンプを上げれば帰るが、毎日あるわけではなかった。

まったくの疫病神がいたもんだ。

 この歌を当時小学生になった妹がすっかり覚えてしまい、夜突然歌いだす。それには母も笑い、かなりの恥ずかしさだった。

 カニエイとは、三十半ばまで遊ぶことになる。


      テスト


 中学へ入ると、いままでまったくやらなかった勉強がハードになった。

 小学校と中学では勉強する差がとてもある。その当時は仕方なくこなしていたけど、いまから考えると歴然としている。ぼくは塾には行かないし、宿題もやりたくない。でもまわりが自主的に塾へ通ったり宿題もやっている。小学生のときより生徒の質はまるで違った。

 宿題を忘れる生徒は決まっていた。最初はぼくもそのなかのひとりだった。小学校時代とは違い、やってこないと生徒の白い目も加わった。なんなんだこの目は、と思ったりする。それなので数学の宿題は仕方なくガイドを見てやった。ガイドとは、ドリルの回答ページのような、解説も載っている別売りの本だ。

 初めそんな本を知らないでいると横の女子が教えてくれた。姉がいるようで、その秘密がわかったらしい。それを聞き当然のようにぼくも買いに行った。むずかしい問題を考えても時間のムダである。それになんといっても楽譜の勉強中だった。

 ブラスバンド部に入らなかったら、そんな苦労をしなくていいのだが、小六でトロンボーンにあこがれたのが運命になった。

 学校では中間テスト、期末テストがあった。中一のとき、なんだそれ、とうんざりした。こんなテストばかりあれば、学校授業+ブラバン+宿題+楽譜解読+テスト勉強と勉強ばかりである。

 ぼくではこのスケジュールはむりと思い、重要な宿題+楽譜解読だけにした。

 そうなるとテストのときは問題が出てもほぼでたらめだ。英語は授業を集中で聞いていたので少しはわかった。あとはダメだ。

 一教科は五十点満点。合計二百五十点となる。ぼくはというと英語だけ二十八点。国語十二点、数学四点、社会十三点、理科十一点、計六十八点とこんな感じだった。中間は最初だし、こんなもんでいいだろうと気楽に考えて、点数も隠さず堂々と見せていた。ところが横の女子は、後ろの女子とぼくの点数をこそこそと笑っている。

 ぼくは堂々と見せているのに、横の女子は返ったテストの点数のところだけ折り曲げている。

 なんだこいつら、と思っていた。だけどまわりを見るとそんな雰囲気でまったく小学校時代とは違う。というか、ぼくだけそんな感覚だったのかもしれない。

 中間を終えてもすぐに期末がある。ホルンの自由曲の練習に入り、このときも余計に勉強どころではなかった。

 結果期末も英語二十四点、国語十一点、数学六点、社会十点、理科七点と合計五十八点だ。前回より落ちている。クラスメートは自分の点数を見せないし話さない。一体みんなは何点だろうと思ったりもした。もしかしたらぼくはクラスで一番バカかもしれない。クラスの違うワタなら見せてくれるのではないか。でも部活へ行くと曲の大変な練習があって、テストのことなどすぐに忘れてしまう。

 中一のときタカオという友だちが出来たが話題にも出せなかった。

 なぜならタカオは漢字テストを九十八点、百点のときもある。なぜそんなすごいのかと聞くと、『漢字の勉強は繰り返しやるだけだから楽だよ』という。たしかにそうかもしれないれど、ぼくには楽譜解読が毎日ありそんな暇はない。

 そのころ中間、期末以外に漢字、単語テストが余分にあった。

 そんなにやってはいられないため、漢字は毎度三十点くらいで、再テスト。単語はそれでも七十点を毎度クリアしていた。ここだけは堂々見せられる。それと期末テストの成績がわるいと夏休みに補習があるというのではないか。当然ぼくは補習組だ。再テストがあるならふで箱にカンペを作るつもりだったが、そうではなかった。

 ただ部活のレギュラーか重要なポジションなら、顧問の許可のような委任状をもらい担任へ提出すれば。補習へ出なくていい。

 ぼくは四番ホルンで当然レギュラーだ。それにはほっとした。だけど自由曲はほっとしなかった。

 でも補習組=頭のわるい、を顧問にばれることになる。それも嫌なことだけど、楽譜が読めないのをばれるよりはいい。仕方なく職員室へ行き、顧問に頭を下げて委任状を書いてもらった。

 そのとき『渡辺も来たし、ホルンだけだぞ、補習なんて……』とぶつぶついっていた。このとき、なんとワタも書いたのかと気持ちが楽になった。ブラバンで補習組はぼくだけと思っていたからだ。部活に行ったとき、ワタは補習のことをなにも聞いてこなかった。

このまま黙ったままでいいことにする。

 一年時代はそんな具合でテスト勉強をやらなかった。二年になれば楽譜解読がなくなったので、ほんの少しはやっていた。テスト期間中は部活も少しだ。でも嫌な勉強をするのも身に入らない。

 そうなるとニモネニとゲームセンターに行ってしまう。

 ということで三年もそうなる。でも中一のようなクラスではなくなっており、バカ、普通、エリートと顔を見るだけでわかるようになっていた。志望校を書く東海テストという大きなテストで、数学で二点をとってしまい、これには担任も切れた。『こんな点数じゃ、高校いけないぞ』と。やはりぼくはバカだった。


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