ブラスバンド
ご無沙汰しております。まずこのエッセイの順不同を申し訳ありません。話しが青年のシーンを読んで次は少年だったりと前後しております。そのお見苦しい点は今後もご勘弁ください。
さてはまじは中学生になりました。一体どんな人物になったのでしょうか。よろしければ読んでください。
小学校卒業後
小学校を卒業して友だちとブランコ争いで交通事故にあった。
幸いももの打撲ですみ、ブラスバンド部にも通い、春休みもラスト一日になった。
いまの中学は長髪だけど、当時は坊主頭にしなければならなかった。これが嫌でラスト一日に床屋で刈った。小学時代は短髪のスポーツ刈りだったので坊主になってもそんなに変わりはないだろう、と思っていたらまったく変な顔になった。
頭の地肌が白くて耳がでかくなるし、団子鼻は目立つし、なんともいえぬゲス顔になった。そうだ、まさにアニメのはまじだった。
坊主頭が似るから、さくらは中学時代の顔を描いたのかもしれない。
家に帰れば母、妹、義父に笑われた。長髪から坊主だ、どこの家庭もそうだと思う。唯一三つ下の弟だけは笑わなかった。なぜならけんかになるかもしれないからだ。ぼくは弟と仲がわるい。
よく人の金、大事なものを平気で盗むからだ。それで怒ったり、たたいたりとけんかが耐えなかった。弟を泣かしたとき、義父に怒られるパターンだったから、義父のいないときにけんかとなる。
そして入学式。
ぼくは小学時代、算数の成績は常に一だ。あまりのバカさ加減に、もしかしたら中学から特別学級じゃないかと本当に思っていた。なぜなら小学時代は普通のクラスなのに中学から特別学級になる話しを友人から聞いていたからだ。
そして真新しい制服と帽子を着て母と入学式に。制服はカラーをするので首元がきつく、とてもきゅうくつな感じで海兵隊の制服みたいだ。
中学は自宅の裏にあり、小学校よりかなり近い。歩いて十分ほどだったので、もし登校拒否でもすればすぐ先生が迎えに来るだろう。
でも戸川先生級の暴力教師でなければ、そんなことはもうしない。
後々、友だち関係がいろいろと大変になるからだ。
中学へ着くと下駄箱の横に掲示板があった。じっくりと見たときほっとした。『一年一組十三番 浜崎憲孝……』。よかったと思ったのを覚えている。それもトップの一組だ。特別学級の八、九組よりだいぶ離れていた。別に一がトップというわけではないが、そのときは単純にそう思ってしまった。
そしてクラスに入り、知らない生徒や同じ小学校の知っている顔があったりと、ともにクラスメートとしてやっていくことになった。
さくらはいないが、野口はいた。さくらとは一年生だけ違い、二、三年生はまた一緒になる。
そして部活を正式に吹奏楽部へ入部。ぼくはブラスバンドのほうがいいやすく、そう呼んでいる。
でもトロンボーンとはいかずホルンになったが。
ブラスバンド
春休みに入って友人ワタにいわれブラスバンドに入った。そして彼と同じホルンをやることになった。思い描いていたトロンボーンとはいかなかったが、やるという目標が出来た。
春休みはホルンの担当の先輩ではなく、トロンボーンの二年になる先輩から腹筋をやってみろといわれ、つらかったが百回やった。
「おー、なかなか素質あるな」
その先輩はそういった。一体なんの素質なのか、そのときはわからなかった。
あとでワタに聞くと、腹筋を鍛えて呼吸を長く続けるようにすれば音が伸びるらしい。あまり意味がわからなかったが、息を吸って楽器を鳴らせる。腹筋で呼吸を長引かせるということらしい。
それで初めは腹筋や腹式呼吸の練習をしていた。そして正式に入部し、パートと楽器が与えられた。それはホルンの四番パートだ。
一番から四番がホルン。一番が三年の女子Sさん、二番がワタ、三番が二年女子のKさんだ。ぼくは要領がわからなかった。
なぜ二番がワタか理由を聞くと、
「どのパートも一番と三番が旋律で、二番、四番が副旋律だよ」
そういうが、まったくのちんぷんかんぷんだ。そんなむずかしい言葉をいわないでくれといいたかった。
楽譜を読めないことを隠してのブラスバンドだ。いつ本題である曲の練習に入るのか、少しドキドキしながらの部活だ。
そしてぼくはいよいよ楽譜が読めないのに、楽器の練習に入るのだった。
まずマウスピースのみのバジングから始まった。もちろんトロンボーンを吹いていたので、すぐ出来るはず。だがホルンのマウスピースは金管楽器では最小。トロンボーンのマウスピースが四センチとすればホルンは二センチ以下だ。どれほど小さいと思ったことか。
そしてSさんのつきっきりの指導を受ける。小柄でショートヘヤー、丸い輪郭に垂れた目は愛きょうのある顔だった。
ぼくは耳デカ坊主の男子。小さいマウスピースは鳴ったり鳴らなかったりする。
「浜崎君、わたしの唇の形わかる?」
後々、はまじといい始める。
「はい」
「もっと唇を横に広がせて鳴らしなさい」
細めてもぼくの上唇が厚く、薄いSさんのようにはいかなかった。
何度も何度もバジングの繰り返しだった。ワタは余裕で吹いているのに、なかなか楽器を吹かせてくれなかった。
こんなSさんは結構厳しかったりする。あるときは、
「わたしの唇を触りなさい」
といってきた。当然、そんなことは出来なかった。
「いえ、それは、ちょっと……」
「固さがわからないでしょ!」
きつくいわれ、彼女はぼくの唇の辺りを触っていた。なんともいえなかった。後々わかるが、Sさんはとても後輩思いの人だった。
そして交通事故による足の痛みが引いたころ、バジングが出来るようになり楽器を持たせてくれた。ワタはすでに曲の練習をしている。
まず音階のポジションだ。ピストンではなく三つのロータリーだ。
Sさんは何度も教えてくれて入学して一カ月がたったころ、ようやく曲に入るという。
困った、楽譜が読めない。
まず『旧友』というマーチの曲を吹くことになった。
四小節をSさんがまず見本で吹く。そしてやってみてという。
ホルンは後打ちといって、ンタ、ンタ、ン、タカタッタ、ンタ、ンタ、ン、タカタッタ……というわりと楽なリズムばかりだった。
それでもSさんがまず吹いてくれるので、リズムはわかった。
次にぼくがやると音階が違うといってくる。
そもそもSさんは、ぼくが楽譜を読めると思っている。
ただ指のポジションを忘れているのではないかと。例えば三本あるロータリーで簡単にいえば『レ』と『ラ』が同じポジションになる。吹く威力(腹筋を使う)で音が変わる。
やがて日々、Sさんとワンツーマンでやっていると一曲目の『旧友』をそれでも吹けるようになった。やれば出来るのか、そう思ったりもした。そして毎夜楽譜の解読もする。
当時、幼稚園児の妹がオルガン教室に通っていた。オルガンの上にはドリル帳が何冊もあった。ぼくはぺらぺらとめくっていたらこれはいい、となった。なぜなら大きなおたまじゃくしの音符に階名が振ってあり、赤ペンで花〇が何個もある。これをやれば自然に覚えられるのでは、そう思ってドリルを毎夜やることにした。とにかく音符を一目見てなんの音階かわからないとならない。
それがブラスバンド部。妹はオルガンのポジションと階名をすでに覚えていて、ぼくより数十倍も上だった。
毎日、咲いた咲いたチューリップの花が、を片手で弾いていて、いつも義父がほめていた。
それからというもの、ブラスバンドのぼくがオルガン教室の妹に聞いたりし、日々楽譜と葛藤していた。
マーチの曲が出来たころ、顧問の先生が夏の大会である課題曲と自由曲を決めるという。それは四十五名いる部員の多数決だ。
ぼくといえば、なんでもよかった。ただ新しい曲では、また楽譜と葛藤しないとならない、それだけを思っていた。
そして決まった自由曲はなんとホルンが大活躍する『ジュビラント序曲』となった。なぜその曲になったかは、ほとんど顧問がやりたいのをまず述べてから多数決をとる。するとそうなるのだった。
このパターンは三年まで同じだった。
ここから過酷なホルンのパート練習に入る。
実はぼくの通う第八中学吹奏楽部は県レベルで、中部地区大会という富士川から島田までの地区大会を毎回突破しているらしい。
そんなことをなにも知らず入部した。
練習後は課題曲と自由曲の楽譜を持って帰ってもいた。なぜなら夜はほかの勉強は一切せず、自由曲の楽譜の解読をしていたからだ。
そして小さく階名を振る。
Sさんは、ぼくが楽譜を自宅に持って帰るのを知り、『すごい熱心だね、はまじ』といってくれた。楽器を吹かないのに、いまでいうイメージトレーニングをしているのかと思ったようだ。そのとき譜面に小さく階名をつけているとは絶対にいえなかった。
階名をつけ終わった。だがおたまじゃくしも八分音符や全音符、四分音符、三部音符という長さがある。これもまったくわからなかった。でも何日も同じ曲を練習すれば自然とわかるだろうと思っていた。ここが特訓でばれるのだった。
六月になれば入部二カ月となり、顧問も八月にある地区大会に向け激が飛び始めた。
「ホルンの音のハーモニーが違う感じだ……」
と、木管系や金管にも注文をどしどしいってくる。ホルンは当然自分のせいだ。合奏でやっているが、まだぼくの音符長さは理解不能だし、それにこのごろSさんとのワンツーマンがなくなった。
なぜなら一番のソロが多々あり、その練習に余念がなかった。
ここでパート練習のときワタの楽譜をのぞいたら衝撃が走った。
ハーモニーの箇所だ。音符がワタと同じ長さと思ったら、途中から違っているではないか。音階は違うが、四分音符など同じ長さと勝手に思っていた。それは彼が初心のときいった『……二番、四番が副旋律だよ……』と聞いていたから、それで同じ長さだと。
これではみんな独立ではないか。いきなりつらい曲をみんなが選んだものだ。小学時代に金管バンドだった、元トロンボーンはフルートに、元打楽器の生徒はオーボエやクラリネットに。ぼく以外の一年生はほぼ吹けている。そのプレッシャーがそのころ発生した。
いつまでたっても伸びない自分に悔しい。せっかく楽譜との葛藤も夜やっているというのに、なぜだろうと。
やはり金管バンドや合奏部出身者は楽譜をすべて読めている。
そこから初めて違う楽器になるため、リードやマウスピースの唇特訓と音階を理解すればすらすらいく。ワタもそうだ。
ぼくは泳げないときを思い出す。水を顔につけられないのに、飛び込みをやれということを。出来るわけがない。泳げないものがサーフボードを抱えて波に乗れるか。毎年予選も突破出来ない学校が、いきなり全国を目指すのに匹敵するのではないか。
ぼくのような生徒がブラスバンドにぞろぞろいたら、当然、笑って楽しい部活になっただろう。そして地区大会では毎度落ちる学校ではないか。ここは名誉ある学校だ。やはり重圧に負けずにがんばるしかない。そう思い夜は妹に楽譜解読の質問をしていた。
妹と解読していると、ドレミファソラシドが大体わかってきた。
ただシャープ、フラットが曲者だった。ト音記号というマークの横や上にそのシャープなどがある。線を右にたどる音符がシャープだったりする。まったくわけがわからない。
音符の長さも少しは理解するが、クレッシェンド、デクレシェンドなど用語も多々あって、本当の音楽は何年も掛けて勉強しないとならないのではないのか。
そんな用語も音楽の参考書を買って勉強するしかなかった。
音楽の先生は部活の顧問だ。態度もよくして授業を受けていた。
中間テスト勉強は英語以外一切やらず、音楽のことだけをやる毎日。英語は中学からやる授業だったので、なぜか身が入っていた。
単語テストなど高得点をとっていたので、自然とやる気が出ていたのかもしれない。
でも比率的には音楽の勉強が多い。なんといっても課題曲と自由曲の練習プラス、毎夜楽譜の解読だからだ。
部活では高等なことをやり、自宅では基本をやっている。どう考えても逆だ。基本の学校へ行き、自宅で恐るおそる楽器練習ならわかるのに。
やがて七月が過ぎて夏休みに入った。部活は毎日ある。夜も楽譜の勉強をやっている。とにかく一発で読めないとならない。
ただ課題曲はほぼ出来た。でも自由曲がどうしてもわからない箇所があった。
それはSさんとKさんのソロの箇所だった。ここのハーモニーだけがホルン二番とぼくの四番が個々の演奏となるからだ。ソロの副旋律というのか、全音符が多い。ワタもそうで二番とのハーモニーなのだが、よく途中から長さが変わる。そしてぼくが拍子に合わないのだ。
大会の近づく八月のある日、ホルンに激が飛んだ。
「どうしてもおかしい、ホルン二番と四番、やってみろ!」
顧問はそういう。部員の前で二人だけの演奏は初めてだ。
「違う、拍子と合っていない」
特にぼくのほうを見る。何度もやらされ、先輩たちにぼくの酷さがわかってしまった。
「ダメだ、ダメだ、もう一回……」
顧問は何度と要求してくる。部員はトイレに行ったりと休憩にもなった。ぼくは必死で吹いていると、Sさんと目が合った。垂れた目が釣り上がって見えた。手はグーを作りぼくに頑張れといった目だった。
何度もやらされ、やがて顧問がいったのは、
「ホルン四人、午後は特訓だ」
衝撃だった。その一言で、部員との合奏に戻った。
部活は一日のときもあったが、ほぼ午前中で終わる。それにホルンだけ特訓とは、楽譜が読めないことがバレそうだとすぐに感じた。
昼を過ぎホルン以外の部員は帰った。ぼくはSさんとKさんへ特訓になったことを謝った。二人は笑って『がんばろ』といってくれた。家が近いので昼飯を食べに帰ればいいのだけれど、ワタと近くのスーパーでパンを買った。
そしてプールの脱走でウンコを踏み、洗い流した恵比寿公園のベンチに腰掛けた。ぼくはうつむき加減で食べだすと、あのことを話すか迷っていた。でもいましかない。
「……ワタごめん、おれのせいで午後も部活になって」
「仕方ない、ホルンの活躍する曲になったんだし、課題曲なら問題ない」
そういってくれたのでワタに伝える決心だ。
「おれ、楽譜が読めずにブラバンに入ったんだ……」
とうとう隠していたことを話した。パンがあまりのどを通らなくなった。
「そんなの大丈夫だよ。おれも金管バンドに入ったときはまったくわからなかった。でもやってるうちにみんなが教えてくれたし、すぐ覚えるよ」
ワタはどうもぼくが楽譜を読めないことを初めから知っていた雰囲気だ。
「そうかな、いつも家で楽譜を一発で読めるように勉強みたいことをやってるんだ」
ぼくはワタの顔色をうかがった。
「えー、そんなことやってるのか、ハマヤンすげーな」
にやけながらそういった。
「そんなすごくないよ、ワタが読めるからすごい」
ワタになんとなく励まされ、そしてずっと隠していたことを話せてすっきりした。コーヒー牛乳を飲みパンをかじるとだんだんとおいしくなってきた。
楽譜を読めないことをワタが知っていたとなると、当然Sさん、Kさんは知っているに違いない。
Sさんはリーダーだから厳しいときもあるが、小太りのKさんはさっぱりした性格で、人のことを気にしないタイプだ。やっぱり男ばかりのトロンボーンよりホルンに決めて正解だった。いまの曲は大変だけど、午後の特訓は乗り切れそうな気がした。なによりもワタに話せてよかった。
そして特訓が始まる時間だ。フルートメンバーが座る場所で行う。その前が指揮を振る顧問の定位置だからだ。ソロのパートを重点的にやるという。
ワタと部室へ入ったとき、Sさんたちがいなかった。急いでワタへソロの箇所の音符の長さを聞きたい。彼のところに譜面を持って、ここ何拍伸ばすのか、ここは? そして数字を入れた。それは階名より大きくだった。なぜなら各小節に番号を振ってあり、その下ならばれないしよく見えるから。
「ワタ、ありがとう」
といったとき、Sさんたちと顧問が一緒に来た。それは談笑しながらだった。これから特訓というのに、Sさんは顧問と楽しそうな会話をしている。なぜだと思ったが、もしかしたら顧問をおだてて厳しくしない作戦とも考えられる。この日までSさんと一緒に練習して、人とのコミュニケーションがとても上手なことがわかった。
ぼくへの心遣いなのかもしれないし、さすがリーダーだ。ワタは助かったなという目をぼくへ向けた。
そして特訓が始まった。
ぼくはワタに教わり数字を入れたせいで、徐々に音符の長さがわかるようになった。それに顧問から怒られるというより、よくやっている、と感心もされた。
一通り吹いて、間違えたところを一人ひとり吹き、ぼくの番がまわると当然間違える。そのとき顧問がいったのはこんな感じだった。
「浜崎は小学生のとき、部はなにをやっていたんだ?」
突然の質問に戸惑った。
「……えーと、マンガポスタークラブなどです」
なぜこんなこと聞くのか。
「音楽に携わったことはあったのか?」
「いえ、ないです……」
もしかしたら楽譜のことを聞くのか。
「小学時代、音楽の通信簿の成績はいくつだ?」
なぜこんなことを部員の前でいわないとならないのか。平均ではたぶん二と思う。でもそれをいうと、もしかするとブラバンをやめてくれというのかもしれない。ここは多めに、
「えーと、三だったと思います」
と、思い出す振りでうそをいった。
「そうか? まあ浜崎はこのグレードの高い曲をサボらず毎日部活に出ているから、そこは感心している。さあ、次だ……」
顧問は最初『三』の成績を疑った表情だ。でもそのあとに感心といってくれたので、自分も認められたのか程度に思ってしまった。
そして何度もソロ箇所を合わせていると、おかげで拍子が合うようになった。ついに先生のオッケーが出た。
それは三時間の特訓だったけど、このおかげで惑わずしっかりとハーモニーを吹け、少しはぼくにも自信がついたのだった。