三年四組その四
なぞのおばさん
ぼくは九月になっても学校には行かなかった。プールは入らなくていいし、理由はなかったけどずっと学校へ行かなかったことで、それが普通となっていた。
九月中旬の日曜、夕食は家族で外食に行こうとなった。
母はよそいきの格好をしなさいという。それは子供用のスーツみたいのだ。ぼくはそれが堅苦しくて嫌だったがむりに着せられた。そして静岡方面に向かった。どこで食べるのかと弟と予想をしたりする。『焼肉かな』、『エビフライかも』などと。
結構な距離を走ると一軒家の前でとまった。ぼくはもしやと直感が働いた。表札を見れば、『戸川』だった。
一気にテンションが下がり、まただまされた、と思った。
義父とバックミラーで目が合った。ぼくの下がった表情を読みとっていたのか。ざまーみろ、とでも思ったのか。
「行くぞ」
義父はそういう。母も弟も車を出たがぼくだけ残った。入りたくはなかった。なぜ先生の家に来たのか。相談所のことと関係あるのか。あれこれと考えたりした。プールはないけど、いままで行った行為がぼくを嫌悪させていた。
「早く出てきな、先生がごちそうしてくれるだって」
母がいったあと、先生が現れた。逃げたときのように抱えられて入りたくない。ぼくは渋々ドアを開けて玄関に向かう。
玄関を上がると、先生は偽の顔を向けて笑っている。ぼくはなにも話さなかった。キッチンへ入るとテーブルへは義父と先生が並び、ぼくと弟が並んで座った。母と先生の奥さんは別の小さなテーブルに腰掛けていた。そして顔の赤くなっている先生と食べ始めた。
味など覚えていない。ハンバーグやエビフライを想像していたのに、戸川家とはがっかりだった。こうなったら早く帰りたかった。奥さんが作ったシチューの話しなど耳に入らなかった。
テーブルにはリレー大会のウイスキーが載っている。浅黒い顔がそのビンで赤色に変えてしまったのがすぐわかった。
「みんな、浜崎のこと待っているぞ」
といったが、ぼくは信じられなかった。もうクラスメートはよそよそしくなっていたからだ。ぼくの友だちはワタだけだった。
先生はどうにかぼくを学校に戻したかった。会話でそう感じた。
むりやり食べ終わると先生はいう。
「もう、プールは入らなくていいし、放課後もやらなくていい。だから学校だけは来てくれ」
ここから早く立ち去りたいぼくは返事だけをする。
そして玄関で見送る先生だったが、いち早く車に乗った。
「……いい先生じゃんね」
帰りに義父がいった。仮面をかぶった先生だったが、以前のように本当にピンタなどしないのか。ここで少し戸惑いも出たりしていた。
翌日。
学校に行く振りをして、一学期に見つけたトラックに乗った。
そして身をかがめたり、寝たりしていた。だんだんとここも飽きてくる。散歩の気分で外に出た。近くに団地があって小さな公園もある。そこのブランコに乗って時間を潰していた。夏休みも終わり、ここで小学生がいるのも変だけど、このまま学校に行かなくなってしまうのか。ゆっくり揺られながらそう感じると悲しい気持ちにもなる。
買い物帰りのおばさんと目が合った。するとこっちに来るではないか。補導員ではないけどなんだろうか。目を合わせずに黙ることを決め込んだ。
「ぼく、ご飯食べていかない?」
まったく予想とは違うことを聞いてきた。ぼくはおばさんを改めて見る。母より若く見えた。二十後半から三十前半くらいだ。
目を見つめてしまった。それは優しい目をしていたからだ。
「ジュースもあるから」
と続けていった。このおばさんなら大丈夫と直感が働き、うなずいていた。
団地の四階まで上った。玄関は狭かったが、女性の靴が並んでいた。キッチンに入り、テーブルへ座った。昨夜は戸川家できょうは知らないおばさんの家だ。なんか不思議に感じた。部屋は二つあり一つは閉まっていた。
おばさんはすぐにオレンジジュースを出してくれた。のども渇いていたので夢中で飲んだ。なくなると入れてくれた。
そして卵焼きを作ったり、魚を焼いてテーブルに載せた。腹も減っていて疑いもなく食べていた。
「いただきました」
とお礼をいう。食事中はぼくの名前しか聞かなかった。『学校は?』など聞かなかったので、敵ではなくぼくの味方に違いない、とそう思った。そしておばさんの優しさはまだあった。
それはキッチンから見えるベランダの塀に茶わんが置いてある。
そこにご飯が盛ってあり、スズメが食べに来ていた。ぼくはそれを見ていたら、おばさんはとても優しい心の持ち主と感じた。
戸川先生のように仮面をかぶることはしないとも思った。
ぼくはスズメの米粒を食べるところを近くから見たくなり、近づいたらスズメが逃げてしまった。
「憲孝君、近くによると飛んでしまうから、部屋のなかで見ていたほうがいいわ」
ぼくは窓から離れると、スズメたちがよって来た。
「ほんとだ」
おばさんとスズメが食べているところを静かに見ていた。ふとおばさんがいった。
「わたしには子供がいないの」
と寂しそうな顔をした。そういえば部屋にはおもちゃが一つもない。玄関にも子供の靴はなかった。子供がいれば幼稚園くらいかもしれない。
ぼくはスズメたちを見ながらおばさんの子供だったらいいな、と思ったりもした。子供がいないとやっぱ寂しいものなのか、さっきの顔が気になったりもする。
それからぼくはテレビを部屋で見たりした。おばさんは食器を洗ったり洗濯物を入れて畳んだ。その間ぼくのことは名前以外なにも聞いてこなかった。三時になったので、
「そろそろ帰る」
といったら、おばさんは、
「まだいてもいいのよ」
ちょっと寂しそうな表情をした。子供がなぜいないのだろうか。
帰りに玄関で、
「いつ来てもいいわよ」
といってくれた。
「え、なんで?」
と思わずいってしまった。
「いいのよ、いつでも待ってるから」
ぼくは軽く手を振って別れた。階段を下りながら、なんか不思議なおばさんだな、と。でもなにも聞いてこないし知り合えてよかった。一度トラックに戻ってカバンをとりに行き、恵比寿公園で少し時間を潰して帰った。母はあきらめたのか、なにもいってこなかった。昨日のシチューはむだだったのだ。
それからという日々は午前中はトラック、昼ごろになるとおばさんちでご飯、そしてスズメ鑑賞やテレビを見て三時半ごろに帰宅を繰り返した。
母が、
「あんた昼間はいつもどこにいるの?」
と聞いてきた。ぼくは答えなかった。おばさんちなど迷惑が掛かるし当然いえない。
「まさか人の家にいるんじゃないの?」
ぼくは顔が引きつってしまう。なぜそんなこというのか。近所のだれかが団地に入るところを目撃したのか。もしかしたらばれているのか。
「いないよ」
といっておく。おばさんのことは絶対に秘密だった。
ある日、ご飯を食べ終わるとおばさんから質問があった。
「憲孝君、なんで学校が嫌いなの?」
ぼくはドキッとした。いつもなにも聞いてこないのでぼくは気ままに通っていた。でもそろそろおかしいと思ってきたのかもしれない。おばさんなら信用出来るので、いままでの戸川先生のことやプール、脱走を話すことにした。
「……そんなことがあったの、つらい思いしたんだね。それなら行かないほうがいいと思う」
ぼくはうなずいた。やはりおばさんは理解してくれた。でも話しを続ける。
「でもね……三年生を終えないと四年生になれないと思うの。だからプールが終わったら仕方なく行くしかないかもよ。それにそんな先生では嫌いな生徒もいるでしょう。その子たちは通っていると思うけど、憲孝君もがんばって少し通えば、その嫌いな生徒たちも応援してくれると思うわよ」
ぼくは松島や冬田、野村が浮かんだ。そうだった、松島たちはぼくなんかより何日もプールに入っている。そして先生の拷問に耐えている。
「おばさん、ぼくはダメ人間かな」
「違うわ、いまだけ運がわるいの。だってほかのクラスにそんな先生はいないでしょ」
「うん」
「四組だけ、大変な思いしているんだから」
「そうだよ、ぼくのクラスだけ威張った先生なんだ」
「来年も同じかもしれないけど、憲孝君が脱走や児童相談所へ行ったし、少しは先生もおとなしくなった。それは憲孝君がそうしたのよ、だからクラスの生徒を少しは救ったのかもしれない。これはいいことをしたの」
「ぼくが?」
なぜおばさんはぼくの味方ばかりなのか、このときはわからなかった。でもいまはそうだったかもしれない、と思うときがある。
そして最後に小さな声でぽつりといった。
「友だちがいないことは、とても寂しいことなのよ」
ぼくもそうだと思った。そしておばさんとは、この話しが最後となってしまった。翌日からぼくはなぜか行くのをやめていた。
その代わり、プールが終わったころ、学校へ行くことを前向きに考えるようになっていた。
学校に行く
九月の終わりに義父、母と戸川先生の家に行った。連絡していなかったので先生はとても驚いていた。いつもなら戸川先生がぼくの自宅へ訪問なのに、自らやって来た。飛んで火にいる夏の虫とはこのことか。
ぼくは母へ学校に通うことを伝えたので、急きょの訪問だった。
夕方だったので顔も赤かった。
「浜崎はプールとおれのことを嫌いなことはわかっている。でも高校に行ったり大人になって泳げないと海やプールへ行けなく、楽しみが減るんだ。まだわからないかもしれんが……」
と先生はグラスをカラカラと鳴らせていた。
いまぼくの趣味はサーフィンと水泳だ。でもそのころはこんな趣味になるとはまったく思わなかった。人間とはすごい生物なのかもしれない。あれだけ鼻に入るのが苦手だったのに、台風大波も滑っている。地獄から天国に生還したとはこのことか。
シチューを食べる気でいたが、この日はジュースだけだった。
そして明日から学校へ行くことを約束して帰った。帰りの義父、母の機嫌はよく、家族でラーメンを食べたのだ。
翌日。
「しっかり行きなさいよ」
と母にいわれ、カバンを背負って家を出た。
六月中ごろから行ったり行かなかったりで、七月はほぼ通わず、夏休みを挟んで九月下旬までの長い夏休みだった。
生徒たちは、
「おっ、来た来た」
といっている。ワタには電話で話したので知っていたし、シオピンはまた目を丸めていた。
プールは今週で終わるし、先生は見学でいいといってくれた。
それはぼくだけで、松島たちはプールに入っていた。
プールの時間、見学していると、
「ずるいよ」
といわれたが、ここは彼らに、
「ごめん」
と、なぜか謝っていた。逃げなかっただけでも許してと思っていた。
学校へ通うということは集団生活だ。徐々に休んだ分のとり返しをしなければならない。それは友だち関係、勉強へのとり組み方、戸川先生との関係だ。もうこれからは自由気ままには出来ない。リレー大会のときのように、みんなと同調していかないとならなかった。いじめられるかもしれないが、乗り越えて行こうと思った。もう逃げないぞ。