三年四組その三
トイレ篭城
「おはようございます」
と、目覚ましが戸川先生だった。ぼくは慌てて起きた。夜中に寝たため早起きに失敗した。
すでに義父はいないし、母は台所で朝食の準備をして、幼稚園の弟はテレビをのんびり見ている。
母がぶつぶついいながら『早く着替えなさい』という。風呂も入っていなかったのでパンツは同じだし、体操着も洗ってない。
「早くしなさい」
先生は覗き込んだ。その顔はいつもの鬼顔ではない。母がいるのでまったく違った性格を作っている偽者の戸川だった。
ぼくは着替えながら思った。また学校へ行けば、教壇に立たされ、昨日はどこにいたかを尋問される。そしてみんなの笑いものとなり、鬼の戸川からピンタを張られ、最後に『いまからプールだ』というに違いない。この繰り返しだ。このパターンを逃れるには脱走しかない。それか……。
「トイレに行く」
と母にいい、入った。ぼくはこれでまぬがれたのだ。
「浜崎、早くしろよ」
と先生はのんきにいっていた。でもぼくがなかなか出て来ないことでわかったのだろう。
「なにやってるんだ!」
と怒りっぽくなった。正体が母にばれればいいと思った。もっと怒れ、と。
だが母は『昨夜もトイレに隠れまして……』と話している。ぼくはだれを信じていいのかわからなくなった。それで三十分はいただろう。
「憲孝、先生は帰ったから出なさい」
というが、信じなかった。戸川の家来に母もなったかもしれない。もう三十分入っていた。
「出なさい、トイレに行きたくてもれるでしょ」
そういうので仕方なく鍵を開けた。母はトイレに素早く入っていく。まわりを見るが先生はいなかったのでため息をはいた。
いまのうちに家を出ることにした。すでに八時を過ぎている。
ちょうど朝の会だ。先生はトイレに隠れたこと生徒へ報告しているのかもしれなかった。土曜の一時間目は体育だ。自習にはしないと思うけれど、いつ車で迎えに来るかわからなかった。
カバンを先生が持って来なかった。ということは学校だ。でも手ぶらで楽だしたまにはいい。
とにかくこれからの居場所はないか探そうと思う。お墓は人が来ないけど、幽霊がうろうろしているかもしれないので、気味がわるかった。
ドカン、神社、公園も全部ばれているのでどこがいいか。小さな川を越すと駐車場がある。そこには自家用車や二、三台のトラックがとまっている。一番古そうな青の二トントラックがあり、これは毎日乗っていないと思った。タイヤの空気が減っているし、ホイールが錆びていた。そんなに大きくない。うろうろと何度も素通りして、ドアを引っ張ると開いた。
『おっ』と、まさか開くとは思わなかった。でもすぐ閉めた。それは居場所が決まったからだ。もしトラックの持ち主に見つかった場合、鍵を掛けられそうだから。
ほかのトラックはタイヤもパンクしていないし、きれい過ぎるので乗っていそうだった。
だれかが見ているかもしれない。このころから警戒心が強くなっていた。ぼく一度そこから離れ、辺りを一周してトラックにそっと乗った。土曜は半日だから昼前に出るつもりだ。次の隠れる練習にもなる。助手席にうずくまれば見えなくなった。それと運転席の座るところと助手席が繋がっていて、寝ればベッドのようにもなった。これはいい、このときばかりはにやりとしていた。
それにここは家から十分くらいで、朝早く出たときにも近い。
身をかがめたり寝ていれば一日いられそうだ。いまの自分にとってまさにホテルみたいだった。ただ見つからなければの話しだが。来週からこのトラックに来ることになるので、よろしくと思って外へ出た。家に帰ると弟と病院に行くと書いてある紙があった。お腹が大きくなっていたので、そろそろ生まれるのかもしれない。台所のテーブルにはソーメンが作ってあったので食べることにした。学校へ行かなくてもこのようにご飯を作ってくれる母だ。なにか手伝いでもしないといけないと感じていた。
日曜は堂々と休める。そしてワタと遊ぶのだ。
月曜になるとシオピンが迎えに来た。戸川先生にいわれて来たのはわかっていた。シオピンは気弱な生徒なので、ぼくは安心した。
当時『レインボーマン』が始まった。それは七時二十分から五十分までだった。家から学校まで三十分。全部見たら遅刻は決定する。
「はまじ、早くしてくれ」
「シオピン、レインボーマン見ようよ」
「なにいってるんだ、見たら遅刻じゃんか。それに連れてこないとおれが戸川に怒られる」
家来と自分でいったようなもんだ。
「じゃ、シオピンも休もうぜ」
「なにいってる、はまじっちみたくピンタは嫌だよ、だから休まない」
といい、ゆっくりとテレビを見ているぼくから消え、一人で学校へ向かった。結局ぼくを説得出来なかった。シオピンはぼくとは違い真面目だ。怒られるのもわるく思うけれど、口で怒られるだけなら、ぼくではまったく問題なかった。
それからシオピンが毎日来るようになった。これでは彼が毎日怒られてしまう。結局レインボーマンをぼくは見ているからだ。
シオピンにも迷惑掛けないよう、早く家を出ればいいだろう。『浜崎はどうした?』と先生から聞かれた場合、『もう、いませんでした』とシオピンは答える。『また逃げたか』となり、シオピンを攻めないはずだ。
義父が六時半に仕事に行く。シオピンが七時二十分に来るからその間でいいだろうか。でも戸川先生が突然七時ごろ来ることもあるから、六時五十分ごろ家を出ればいいかもしれない。
児童相談所
それから学校へは行かなくなった。ある日、テレビを見ていると母がいった。
「市役所行くから来なさい」
母はだますときがある。
「学校なら行かない」
ぼくはこれが当然のようにいった。
「学校じゃないから着いて来なさい」
だましそうではなかったのでしたがった。
それは当時の市役所の四階にあった児童相談所だった。学校へ行っていない子の相談所かな程度に思っていた。戸川先生がそこへ行けと母にいったのか、それか母が相談したいために来たのか、どちらかはわからなかった。
入るとぼくは別の部屋で待たされた。すると頭のはげたおじさんが入ってきた。
「ぼく何年生?」
「三年」
小声でいい、なんとなく怪しく思っていた。
「名前はなに?」
「のりたか」
でも声は優しい感じだった。
「じゃ、ボーリングゲームしよう」
「えっ」
突然このおじさんはなにをいうのか。ワイシャツも着ているし子供と遊ぶ姿ではない。
『どうして学校に行かないのかな』、『学校で嫌なことがあったのかな?』、『いじめられたの?』などそんな質問でもされると思っていた。
そして棚からボーリングゲームを出した。そのときなぜ会社におもちゃがあるのか不思議に思った。いまから考えればそのような不登校の児童には優しくする施設でもあるのだ。
そして勝ったり負けたりと、おじさんとのゲームはとても楽しかった。この人はいい人だ、と思うようになった。
この楽しいとき、母はいなかった。別の部屋でだれかと相談でもしていたのだろう。
「明日もゲームしに来てよ」
うなずくと笑っていた。優しいはげのおじさんと約束をしたぼくは打ち解けていた。
翌日。
学校へ行かなくていいので余裕だ。だが早朝に先生がやって来た。そして連行される。
その日は尋問もないし、プールもなかった。ただ、
「児童相談所へは行くな」
といった。ということは、先生が行けといったのではなく、母が自身で向かったとわかった。やはりあんな優しいおじさんがいるところへ行けというわけがなかった。ぼくはいい返す。
「行くなといわれても母さんに連れてかれたんです」
先生の顔を見たり見なかったりしていた。いつ怒り出すかわからない。
「とにかく行くな、プールへ入らなくていいから学校へ来い」
なぜこんなにも変わったのか。ぼくが児童相談所へ行くと困ることになるのか。ぼくは戸川先生の家来には絶対になりたくなかった。それなら児童相談所へ通ってやろうと思ってもいた。
学校から帰ると、相談所から電話があったらしい。
「のりたか、きょう児童相談所から電話あってさ、なぜ来なかったといわれたわ。本当は相談所に行きたかったのにさ……」
「ぼくも相談所に行きたかった」
相談所へ行けば学校へ行くなというし、学校へ行けば先生に相談所へ行くなという。ぼくも母も困惑していたが、そのときのぼくは児童相談所がいいと思っていた。本当は学校に行くのが正当のはずだ。でもそのときははげたおじさんの優しさがとても印象深く、こんなおじさんなら毎日遊べると義父を比較していたのかもしれない。
次の日、シオピンが家の外から、
「浜崎君」
と呼んだ。ぼくはどうしようかと思った。すると母が、
「きょうは休むからね」
しばらく来なかったシオピンだ。ぼくが相談所に行かせないために戸川先生の指令を受けたのがわかる。
母にそんなことをいわれたシオピンは困っている顔だった。
連れて来ないと怒られる。だが母から休むといわれれば、仕方なく一人で向かうしかなかった。その後ろ姿はなにか重い石でも背負っているように前かがみで歩いて行った。
そして相談所に行けば、はげたおじさんと野球盤ゲームをやって過ごした。母はまた別の部屋で相談をしているみたいだった。
そして相談所通いは数日続いた。
ぼくの相談はわかるけど、もしかしたら戸川先生のことを話しているのかもしれない。なぜなら先生が行くなといったからだ。
でも母にプールのことを話したときは学校へ通へといっていた。
いまでは虐待が主立っていると思うが、当時の児童相談所とは学校へ行かない生徒を学校へ行かせるためにある施設ではなかったのか。これはどういうことかと、いまでもなぞだ。
一学期も終わりに近づくと戸川先生が夕方にやって来た。ぼくは恐るおそる久しぶりの先生を見た。
児童相談所へ行かないようにとお願いに来ていた。それでぼくは感じた。やはり先生のことを話していたのではないのか、と。
急に態度がおかしいし、プールへ入らなくていいといったことだ。以前ならピンタをしたあと『いまからプールだ、着替えろ!』と声を上げた。やはり先生にとって相談所はマイナスなのだろう。相談所から教育委員会に話すのかもしれない。
そして終業式に学校へ行った。一ヶ月振りに登校したぼくを物珍しそうに見てはと、よそよそしかった。先生はそれでもぼくが学校へ来たことに満足そうだった。翌日から夏休みだ。ずっと休んでいるぼくとは違うクラスメートの目は輝いていた。ぼくでも夏休みがあるのだ。
もしかしたら『いままで休んだ分来なさい』といわれたらどうしようと。たぶん行かないだろう。またトラックや相談所に行くと思ったからだ。
そして八月一日。ぼくの脱走や不登校、相談所通いと大変だったにもかかわらず、母はぶじに妹を産んでくれた。
全校登校日
八月二十一日は決まって登校日がある。なぜこの日に登校するのかわからないけど、いま考えると銀行振り込みのない時代だし、先生の給料日だったのではないか。
ぼくは近所の下級生のニシと『ヤングランド』へ行った。そこは清水に二つあるうち一つの遊園地だ。流れるプール、ジャンボ滑り台、ジェットコースター、メリーゴーランド、ゲームコーナーなどがある。給食費に五千円入っていた。それを使おうと思った。
ニシを誘った理由は、単純にサボりたいというからだ。
そして子供七百円を二人分払った。プールは無料だが、水着を持っていないので入らなかった。流れるプールなら入ることが出来た。きょうは子供がいない。ゲームコーナーの女性たちがぼくらを見てひそひそと話している。なにかしたわけではないのに。
「全校登校日に入ると休んだのがばれるのかな」
二年生のニシに向ける。
「そうかも。でも夏休みだしいいじゃんね」
ぼくもそう思った。そしてジェットコースターは低学年では乗れないことがわかった。メリーゴーランドは乗った。でもたいして面白くなかった。
売店でホットドックを買って食べていたら、
「ぼくたち、きょうは登校日だよね」
ぼくとニシは学校指定の横断バックを持っている。そんなバックを持ち遊園地にはだれも来ない。それでばれている。というか、ワタと西友に行ったときもそうだが、子供は監視されているのだ。
「……」
ぼくはお金を払ったのに捕まるのか。
「ちょっとこっちに来てね」
二人のおばさんにぼくらは捕まった。
事務所のようなところへ連れて行かれ質問をしてきた。どこの学校、何年生、家の住所など。ぼくは黙っていたがニシが全部話してしまった。
名前と何年何組は横断バックに書いてありばれていた。そこから学校へ電話したのか、住所と電話番号もばれてしまった。するとぼくは涙を流していた。黙っていたかったのに、全部ばれたことがくやしくなっていた。
売店の裏にある店員の休憩所にいてといわれた。そこにいると従業員がジュースを飲みに来たり、たばこを吸ったりしている。
「なんだ、ぼうずっち学校行かなかったからここにいるのか」
ラーメンのようなパーマの男がそういった。ぼくはうなずく。
「学校の日に遊園地に来ちゃダメだぞ、補導されるから」
そういうことだったのか。日曜や休みならいいが、遊び場には必ず補導員が巡回に来ることも教えてくれた。それを考えると西友はよく補導されなかったと思う。たまたまだったのかもしれない。その男性からサボった場合に行ってはいけない場所を教えてもらい、ぼくはためになった。
そしてニシの母と妹を抱いたぼくの母がそろって迎えに来た。
唯一戸川先生ではないのが救いだった。
ただ給食費のお金を使ったことで、夜には義父の長い説教が待っていた。