三年四組その二
ワタとサボる
翌朝、ワタとは七時の待ち合わせだ。かばんを背負って玄関を出ると目を大きくしてしまった。カローラがあり、運転席には戸川が乗っていた。何時からいたのかわからないけれど、早くから待っていたのかもしれない。なんなんだこの執念は。
「浜崎、乗れ」
窓から顔を出すとそういった。ワタと待ち合わせているのに、どうすればいいのか。走るか、でも車だ。すぐに追いつく。あれこれ悩んで出た言葉が、
「歩いて行きます」
「ダメだ、乗れ、なぜこんな早く行く」
きょうもオレンジのTシャツだ。
「早起きしたので」
「ダメだ、乗ってけ」
ワタになんていえばいいのか。渋々、開いた助手席に乗った。
「本当はまたサボるつもりじゃなかったのか?」
戸川先生はぶつぶついってきたが黙っていた。これでは毎日来るのでは、そう思ったら先生が憎たらしくなってきた。
ハンドルを握る先生はラジオに合わせて鼻歌交じりだ。
車の時計は七時を過ぎている。ワタは来ないぼくを怒っているのかもしれない。一人でサボるのかはわからない。なぜなら時間的に学校へは遅刻しないからだ。
学校に着くと教室まで先生も一緒に同行する。逃げないようにというわけだ。ぼくの行動を知っているかのようにだった。
まだ七時過ぎだ。二人の男子がいてワタは来ていない。ぼくは席に着くと考えた。まだ歩道橋で一人立って待っているのだろうか。親友を裏切ってしまったという思いも出る。でも先生が車で待っているとはワタは知らないのだ。
朝の会の途中にワタが来た。先生に小声でなにか話し掛けた。
席に来る途中ぼくと目が合い、目を細めて口を少しとがらせていた。怒っている。早く休み時間になったら理由を話そうと思った。
一時間目が終わると、すぐにワタの席へ向かった。
「ごめん」
ワタは教科書をしまいながら口をとがらせている。
「なんで来ないんだよ」
戸川先生が教室を出た。これで話せる。
「戸川が車で待ってたんだ」
ワタの耳もとでいった。
「え、そうだったのか」
ぼくを見た。
「それで、ワタにわるくて」
「そういうことならわかったよ。逃げれないし」
ようやくにやけてくれた。
「六時五十分ごろ出たのにもういたんだ。何時から待ってたのかわからないよ」
「戸川はしつこいんだ。嫌なやつだ……」
ワタは八時過ぎまで待っていたという。同じ学校の生徒が次々と歩道橋を渡るので、階段に座っていた彼を不思議な目で見ていたらしい。同じ学年もいたときは靴のひもを結んでごまかしたといった。そんなことまでしたワタへまた『ごめん』とぼくはいっていた。戸川さえこなければ、一緒にサボって遊べたのに。
その日のプールをビート板といったはずだったが、泳げない四人だけ違った。顔をつけて目を開ける練習をしろといわれ、すみでやっていた。それもむりだ。ただ鼻から入らないだけましだった。でもいつ飛び込みをやれというのか、びくびくとしていた。
放課後の二十五メートルをワタとサボって一緒に帰った。戸川先生は見に来ないことを女子に聞いていた。それなのに生徒は忠実に守り泳ぐようだ。そんなことも考えているとバカらしくなった。
「ワタ、明日こそ休もう」
ぼくは横へ向けた。
「おお、明日こそサボろう。待ち合わせは歩道橋でいいけど、時間をどうするか?」
「きょうは七時前からいたし……」
サボるために早起きをしないとならないのがつらい。
「六時半はどう?」
「わかった、寝坊しないようにするよ」
と時間が決まった。
翌日、ぼくは六時に裏口から出た。戸川車もないし、これで大丈夫だ。義父が朝の身支度をしていて、トイレに入った瞬間を狙った。
十分後には着いてしまう。カバンを背負ってこんなに早く出たのは初めてだった。
ワタを待っていると笑いながら来た。
「やったな、まさかハマヤンが先に待ってるとはさ」
「うん、戸川がいると失敗するから六時に出たんだ」
ぼくは帽子をとって頭をかいた。
「すごい技だな」
ワタにほめられて照れ笑いをする。
そして二人は学校と正反対の道を歩き始めた。それは駅の方角だった。
カバンがじゃまで商店街の近くに神社があり、その裏へ隠した。
デパートや商店街は十時からだ。それまでそこにいていろいろ話しをしていた。ぼくらは小学三年生なのに学校を本気で辞めたい話しもした。
清水のデパートといえば、西友、花菱、丸井だ。そのうち丸井はおもちゃ売り場はないし、ぼくたちとしては面白くないので行かない。神社から近いことで西友へワタと向かった。
開店と同時に入ると店員がじろじろ見る。そんな早い時間、平日に子供同士でいることを怪しく思われた。
ぼくとワタはその視線から逃げるようにして売り場をさまよった。でもどこへ行っても見られていて、子供は背が低いし目立つ
のかとも思っていた。
おもちゃ売り場にいると女性店員が聞いてきたが、適当に『熱があって休んだ』と。熱があるならここに来ることが出来ないはず。もっといたかったけど、質問されたためその場を逃げるようにして屋上に向かった。ペット屋さんやゲームコーナーがある。
ペット屋には円形の策に子犬が何匹もいてかわいい。ワタもぼくと同じ犬好きだ。手を入れるとみんな近よってくる。
「ワタこいつすげーかわいいぞ」
「ほんとだ、いくらするのかな」
値段はどこにも書いてなかった。店員がいるけれど、聞けば休みの理由を聞かれるのでやめた。
子猫もいたけれどそこへは行かなかった。インコや文鳥もカゴに何匹もいる。オウムや九官鳥もいて、たくさん時間のあるぼくはじっくり観察していた。
ゲームコーナーでは、二十円、三十円のゲームをしただけ。二人合わせてもお金はろくになかった。
昼飯はぼくが家から持ってきたメロンパンを半分にしてワタと食べた。屋上で食べたメロンパンは格別においしく、家で食べているのとわけが違った。小学生は学校にいる。自由のぼくたちは英雄にも感じていた。
それからデパートを出て清水銀座商店街をうろうろする。夏になれば七夕や港祭りがあるところ。
三時になったので神社へ戻った。カバンはあった。ぼくは学校へ通いたくなかったので盗まれてもよかった。ワタもそういっていた。
時間は過ぎていく。帰らないとならないけれど帰りたくない。
怒られるのはわかっていた。これからどうしようと話し合うが行くあてはなかった。歩きっぱなしで疲れてもいた。お腹も空いていて、子供はやはり家に帰るしかない。朝のテンションとは違い、怒られる覚悟で途中からワタと別れた。
家に帰るとお腹の大きい母がいった。
「渡辺君とどこに行ってたのよ、何度も先生から電話あって、まったくろくなことしないんだから」
二人でいたことがばれていた。ぼくは黙っている。
母は、あんたが誘って一緒に休んだのかを聞いた。ぼくの行いがわるいため悪者にされていた。そう思われるのは当然だしぼくが誘ったのだった。
その日の夜、義父にまたピンタを張られた。ぼくはくやしくなって泣くしかなかった。
二度の脱走
次の日はサボれなく、義父の車で学校へ向かった。
教室に入るとクラスメートまで二人でサボったことを知っていて、『どこにいた?』、『すごいね、二人で』、『なにしてた?』と記者会見のように聞いてきた。だけどぼくはそれに答えるどころではなかった。いままでの経歴からすると、戸川先生の尋問がありそうだったから恐怖を感じとっていた。
どんなふうに怒られるのか、ピンタをされるのかと、それが頭にあってただうなずくだけだった。
しばらくするとワタも教室に入った。
「ワタっち親に怒られた」
黙ってうなずいた。
先生が来て朝の会が始まった。
「浜崎、渡辺前へ来い」
やはり尋問だ。
「おまえら二人でいただろ」
ぼくらはうなずいた。『学校なぜ休んだ』、『渡辺を誘ったのか』、『どこにいた』など質問が続いた。
ランドセルは神社へ置いたと話すが、西友へ行ったとはぼくとワタは口を合わせていないのにいわなかった。神社にずっといたことにした。そしてぼくの前に戸川が立ちピンタをした。ワタにもだった。ぼくは泣いてしまったが、ワタは泣いたのかわからなかった。それでおしまいと思ったら先生はこういった。
「二人ともいまからプールに来い!」
ぼくたちはピンタも張られ、これで罰を受けたと思う。それなのに……。
ぼくはワタに目で合図した。逃げようと。
ぼくとワタはぐすぐずとしている。そんなプールになんか入ってたまるかと。
「早くいけ!」
先生が声を上げた。
ぼくは次の瞬間、開けっ放しの後ろのドアから外へ走った。当時三年四組は一階で、すぐに外に出られる。上履きであるが裸で脱走したぼくだ。おかまいなしで走る。すぐに裏門で外に出た。
ワタも脱走したかと振り向くと、一人の生徒が追い掛けて来る。
それは戸川の家来のように見えた。その生徒はいつも先生に賛成しているやつで、ぼくは気にくわなかった。
そいつはぼくより足が数倍速いため、スーパーの前で捕まった。
そしてとっくみ合いとなり、顔をつねってはたたきあったりした。普段の恨みも込めてだったが、そいつのほうが素早いのだ。
ここでとっくみ合いをしていれば戸川がやってくる。早く逃げなければという思いだった。でもそいつがなかなか離さない。
そのとき後ろからぼくは持ち上げられた。だれだと思えば先生だった。
家来のせいだ、とそいつをずっとにらんでいた。そうしたら、あかんべー、をされより頭に来ていた。家来は戸川先生から表彰状をもらうかもしれない。抱えられながらまた涙が出て来た。なぜこんなに拷問をするのか、なぜ戸川先生のクラスになってしまったのか。先生に抱えられながら身体を左右振って暴れた。
「おとなしくしとけ」
正門の近くにお菓子屋がある。そこの人は朝、警察に似た制服を着て学校前の交通整理をしている。いまではそんなボランティアは多い。ただ当時はほんの少数で、その人はもしかしたら警察官とお菓子屋なのではないかと思っていた。
その前を通ったときぼくは、
「おまわりさん、おまわりさん、助けて! 助けて!」
死に物狂いで叫んだ。教室でぼくの拷問が待っているからだ。
でもお菓子屋の人は出て来なかった。不安は募る。このままプール場に行くのではないかと。
でも教室方向だった。当時給食室を工事していた。そのとき工事の作業の人たちがところどころで仕事をしている。
そこでぼくはふたたび叫んだ。
「工事のおじさん助けて、助けてー」
おじさんは笑っていた。ぼくはこれからひどいことをされるのになぜ笑う、と。学校に一クラスはある知恵遅れの生徒と思われたのかもしれない。
「なんでもありませんから」
と、戸川先生はいった。
そしてずっと抱えられていたが、教壇の前で解放された。
また尋問なのでぼくはうつむく。目を擦ったあとまわりを見た。
クラスメートが冷たい目でぼくを見ている。ワタは座っていて、がっかりした顔をしている。
「まったく浜崎には参った、正門のところで『おまわりさん助けて』だってよ。あんなところにいるわけがないだろ」
お菓子屋の人を警察官のようだったことを説明すると、クラスメートはどっと笑った。特に走ってきた家来は、バカにしたような目で笑った。ぼくは必死だったので、その笑いに悔しくなかった。ただ手が震えていて、これからなにをされるのかを恐ろしく思っていた。
「後ろで着替えろ」
という。ワタにも告げていた。二発目のピンタはなかったが、まだプールに入れるのかと思い気が遠くなった。それに後ろの戸も鍵を閉めてあった。
ぼくは一度席に行き、水着バックをとると後ろへ行く。
工事現場へ助けを求めたことも話したので、生徒はさらに笑っている。
「しくじったな」
ひそひそとワタがいう。
「あの家来のせいだ、あいつが来なければ成功だった」
「プール入るのか?」
「もうダメだ。殺されれば幽霊になって戸川と家来を呪ってやる」
家来の後ろ姿を、歯を食いしばって見た。
「まだチャンスだ。あそこの鍵開けて逃げろ」
「そんなこと出来ない」
「大丈夫だ、裸で脱走しただろ」
ワタが首を縦に振った。体操着をまだ脱いでいない。腰にタオルを巻いただけ。
「よし」
といい、タオルを落とし戸に走った。そして鍵を開けて外に出た。
「先生、ぼく追い……」
離れたせいで家来の声は聞こえなくなった。
ぼくはさっきと逆に走った。同じでは五十メートルほど走り振り向くと、だれもいなかった。
「ふぅー、よかった」
とつぶやいた。でも油断すると車で来るかもしれない。遠くに逃げようとゆっくり走った。一日に二度脱出したのだ。もう学校を辞めさしてくれればいいと思ったが不安にもなる。
自分はダメ人間になってしまったのではないか。泳げないほかの生徒はしっかりとプールの授業を受けている。鼻から入っても水を飲んでも学校をサボらない。放課後は足を着いて泳いでいるだろう。なのに、ぼくだけ逃げていた。臆病者の負け犬ではないか。
ワタだってぼくように逃げていない。地球でたった一人の自分がとても情けないやつと思ってしまった。
人があまり来ないところはどこだと歩きながら考えていた。
そのとき墓が見えた。墓なら水はあるしトイレもあって、それほど人が来ないはず。そしてその墓の一番隅へ行き、木陰の石に腰掛けた。
薄っすら線香の匂いがするだけで人はいない。ときおりスズメが墓の周りを飛んでいる。自由でいいな、と思っていた。
眠くなっていたので膝にうずくまった。
その日はなかなか家に入れなかった。情けないし、また義父に怒られるのも嫌だった。義父の車の影に隠れていた。ずっと外にいて腹も減って疲れていた。
八時ごろ、母と義父が懐中電灯を持って出て来た。ぼくの捜索とわかった。
一応こんな自分でも心配をしている。でも後で必ず怒られる。
いま出ていけば捜索せずにすむだろうげど、ぼくは先延ばしにしたかった。
そして自宅へ入ると弟だけいた。
「どうなってる?」
すると幼稚園の弟は先生が来たこと、母がとても怒っていることを伝えた。それならまた出ようかと思った。でも暗いしやめることにした。とにかく腹が減って、その辺の菓子パン、とうもろこしを食べ、麦茶をがぶがぶ飲んだ。食べ終わると、
「親が帰ってくるからトイレに隠れるからな」
テレビを見ている弟にいうと、関係ないという顔でうなずいた。
「どこいったんだろうな」
と義父の声がトイレまで聞こえた。そして長々歩いて小便も出したくなったのだろう。
義父がトイレに入ってきた。
「あれ、開かないや、もしや憲孝いるのか?」
ぼくは黙っていた。
「おい、トイレに入りたいんだから出てきなさい。大をしているわけじゃないだろ」
それでも黙っていた。義父はぼやきながら出ていく。次は母の説得だったが出なかった。当時の長屋のトイレは水洗ではない。
当然臭いけれど、いま出たらピンタがあると思った。そしてテレビの音もやんだころ出た。〇時を過ぎてみんな寝ていた。ぼくもそのまま布団に入りもぐった。