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幼児期から小二時代

 ぼくは静岡県清水市に生まれた。いまは清水区だ。地獄の小三時代はあとで述べることにする。

 正直、バカで弱々しい男だった。覚えている範囲で話してみる。

 まず幼児期。

 最初からウンコでわるいけど、それがすぐ頭に浮かんだ。

幼児期はオシメをしているのでウンコはそこだったが、家の白い壁に向かってウンコをしていた。なぜかそこでないと出なかった。

 一度もらしたことがあって、母がいないときで実父が渋々風呂場で流しているときもあった。文句をぶつぶつといいながらも洗っていた。その後の酒はまずかったのかもしれない。

 祖父母の裏に住んでいて、幼稚園のときよくおばあちゃんの家に行く。そのとき絶対にトイレでウンコはしたくなかった。なぜなら和式の下はウンコがたくさん溜まっており、そこへ落ちたらウンコまみれになり死んでしまうと思っていたからだ。でも昔はそんな家が多くあったと思う。落ちた人はいるのだろうか。そういう場合、どうやって助けるのだろうかと疑問だ。子供と親が手をとり合って助けるだろう、その想像だけですごいシーンだ。そのあとは風呂場でシャワーだろうけど。

小学校から恵比寿町の長屋に住んだときの話し。

そこのトイレは和式のぼっとん便所というか、長く丸い筒があった。その下がぼっとんだ。紙やウンコが溜まれば上に重なり、お尻との距離が縮まってくる。そうなるとバキューム車を呼んで外から吸いとる。そんな便所だった。

 中学三年ころだったか、五千円の入ったサイフをそこへ落としてしまった。紙とウンコはそんなに溜まっておらず二メートルほど下だった。これには困り、だれもいない。

物置でせみや虫をとるたもがある。それを使うしかない。妹のたもは臭くなるが仕方なかった。そしてとり始めた。でもクッションとなってなかなかとれない。筒にはウンコがこびりついている。たもでそこを使わないと持ち上がらなかった。仕方なく始めた。

上げるたびに筒のウンコがたもにこびりつく。そしてとり上げたまま風呂場でサイフを洗うしかなかった。でも五千円札は濡らせない。だから水を少し出して手で洗った。嫌だったがやるしかなかった。

なんとか札は濡れずにとり出した。そこからはサイフをゴシゴシと洗った。そして妹が帰ってくると、『なんかウンコ臭い、お兄ちゃん漏らしたんじゃない?』といっていた。ぼくはたもを裏の製材置き場に隠したので、いつのまにかなくなったですむだろう。

 幼年期から離れたけど、ちょうど思い出したので書いてしまった。

 そしてウンコは終わって、幼稚園のとき前回書いたと思うが黒んぼ大会に出られなかった。色白だったので。そんなふうで弱々しかった。

 そして母が買った服が嫌いだった。女の子のような服でまさに色白で似合いそうだ。いまから考えれば女装の幼児バージョンだ。

その嫌なことをなぜか告げられなかった。前髪もパッツンとそろえられる。なぜいえなかったのかと、べつに威張る母ではなかった。

そのときは女王様に見えていたのもしれなかった。

 幼稚園のとき、母のサイフから千円を盗みプラモデルを買いに行くと、店のおじさんにほおをつねられた。『このお金、ぼくのではないでしょ』と。なぜわかったのかと、そのときはなぞだったが、いま考えればわかる。四歳くらいの幼児一人がコンビニで千円を出す姿を想像するとどうだろう。

 家の近くに犬小屋がある。そこの犬が子供を六匹産んだ。ぼくはとてもかわいい子犬を毎日見ていた。母犬は子犬が出るとすぐに軽くくわえてなかに入れてしまう。日々見ていると一緒に遊びたくなった。

 ある日の幼稚園の帰りに子犬が外にいた。母犬はというとほかの犬の世話を小屋のなかでしている。ぼくはチャンスと思ってとっさに持ち上げて走った。すると母犬がものすごい声で吠えていた。そのときは、ぼくの勝ちであっかんべーをした。

 そして二階に上げてタオルケットをかぶせたり遊んでいた。ただ夕方になると、小さい声で泣き出す。母犬に会いたいのだろうか。

ぼくはわるいことをしたと思っていなかった。ただ遊ぶだけで返すからだ。そして返しに行くと、母犬はぺろぺろとなめていた。けがはないかと確認をしているようだった。

 それからは、母犬がぼくを見ると、犬小屋から鼻だけ出し、ウーウーと唸り出す。幼児でもまったくバカなことをした。

 幼稚園のとき牛乳が嫌いになった。母乳で育ったと聞いたがまずく思った。それで給食のときは砂糖を入れてもらい飲んだ。それでもまずかった。ただ母がココアに牛乳で作ったり、イチゴを砂糖入りの牛乳で潰して食べるのは好きだった。

 幼稚園には昼寝があって、ぼくだけ寝ることが出来ない。それも苦手なこととして覚えている。

芋掘りの作文が書けなく出さなかったら、職員室に何時間もいて、そこで書かされていた。それでも書けなかったので、先生が質問して、そのときの状況を思い出し書いた。つまり作文は一人では出来なかった作業になる。小学校から書けたけれど、白紙に字を書くということはエッセイを出すまで苦手だった。物語を書くなど天界の技と思っていた。それがいまは書くのが好きになった。これは小三時代のプールは大嫌いだったが、いまは趣味になってサーフィンまでする。それと似ている。生きていればいつかは苦手なことが好きになる。それが人生とわかった。

食事の話しだけど、幼稚園のときになにを食べていたのか思い出せない。一体料理の下手な母はなにを作ったのか。母は遠足にはいつも来なかったので、ぼくは先生といなくてはならないのが嫌だった。そんな写真もあった。そしていつのまにか父と離婚をして恵比寿町の長屋に越した。

小学校一年時代も弱々しかった。友人のカニエイとワタと遊ぶけど、自分からなにかをしようとはいわなかった。友だちに従っていた。

バカにすることに長けているカニエイは一年生からもそうだった。

昼休み、特別学級のクラスを観察しに行こうとぼくを誘う。ただそれに従った。彼とクラスをのぞくだけだ。カニエイはそのクラスの六年生の女子に、チューの顔、とあだ名をつけた。

なせそうかというと、普段は真顔だが、たまに唇をキスをするようなチューにするときがあった。それでそのまま『チューの顔』となった。

それからというものの、昼休みになると『チューの顔を見に行こう』という。それも毎日だ。ところが通っているとぼくも洗脳されて面白くなる。チューの顔になったときそれを見てぼくとカニエイは笑っていた。

ある日、家はどこだとチューの顔のあとをつけた。でも途中で彼女に尾行を気づかれ失敗したことがある。そして『なぜわたしについて来るの?』といわれた。それにはカニエイと驚いた。なぜならしっかりと話せるからだ。

「なんだ、チューの顔しゃべれるじゃん」

とカニエイはがっかりしていた。ぼくは特別学級の人の尾行はあまり好まなかった。でも彼と遊ぶとそういうことになり、家を知ればカニエイが何度も誘いそうなのもあった。

そして二回目のチューの顔を追い掛けた。するとこれにも驚いた。

なんと国道沿いのラーメン屋だった。

「へー、今度食べに来るか」

 とカニエイはいう。ぼくは従うしかないが、お金はない。一日お小遣いも三十円で、毎日二十円の仮面ライダースナックを買ってカードを集めている。三百円はするだろうしラーメンは食べたくなかった。

 結局そこのラーメン屋はぼくの家から近く、小二のときにぼくは母と行っただけ。チューの顔は手伝いをしていたので偉いなと思った。このことはカニエイに伝えなかった。たぶんがっかりするだろうから。

カニエイのターゲットになった者が真面目なことをしているとがっかりすることがわかったからだ。

 次はぼくがワタの家へ遊びに行くときだった。歩道橋を渡らないとならなく、渡って下りたとき、階段の裏側になにか動くものが見えた。猫かなと思った。

 恐るおそる近よると、毛布が厚くどう見ても人が寝ている。これには驚き走って逃げた。その話しをワタにして一緒に見に行ったらいなかった。

 翌日、カニエイに話すと当然『なにそれ、見に行こう』となる。

 そして二人で歩道橋の下に近よった。するとおばさんのような人が座ってこっちを見た。

「うわー」

 と、二人で声を上げて逃げた。

「なんだあれー、お化粧してたな、ハマヤンも見ただろ」

 たしかに唇が目立って赤かった。小二時代に『はまじ』のあだ名がついたが、カニエイとワタはハマヤンと呼ぶ。

「うん、変な化粧だった」

「おしゃれなこじきってことかな」

 と、カニエイはすでにバカにするモードでニヤニヤしていう。

「そうだよ」

「じゃ、おしゃこん、にしよう」

 ぼくはうなずいた。その日から毎日観察しに行った。でもいなかったりする。ある日はおしゃこんの住み家に侵入した。

 毛布や布団、バックがあった。なにが入っているか興味津々だった。恐るおそる開けると、はちみつがべたべたついている。

「なんだこれー」

 まったく意味がわからない。バックは物を入れるのに、はちみちでもなめていたのか。

 そして翌日もまた翌日も行くが、もう会えなかった。たぶんぼくらがそんなことをするので、どこかへ行ってしまったのだろう。あのころを思うととてもわるいことをした。おしゃこんさん、ごめんなさい。

 わるさはまだあった。

 小学一年のときにフィンガーファイブのアキラが好きになった。

男だが髪は長く鼻は高い。なんといっても大きなトンボメガネのサングラスを掛けていた。それがとうしても欲しくなった。商店街で買うにはお金がない。そうなると考えた。ひらめいたのは、ときどき車のなかにメガネが置いてあるではないか。そうしてサングラスを見つけるしかなかった。似ているサングラスが早くも見つかった。川沿いの白の車だ。ダッシュボードに置いてある茶色のサングラスがある。

 だれもいないときに車を開けるが鍵が掛かっている。

 日々その車を観察するしかなかった。カニエイは人間観察が好きだが、ぼくは物のほうに欲があった。

 一人で学校から帰るときはドアを引く。鍵が掛かってない日はいつだろうと。やがてその日はやって来た。開始から二カ月くらいだったと思う。ドアを引いたら開くではないか。

 うそ、と思えば開いたので辺りを見渡し、そのサングラスを手にした。そのときはとてもうれしく走って帰った。そして自宅で掛けたが、大きくてまったく似合わない。それはそうだ、大人のサングラスなのだから。あのときの白い車のかたへ、ごめんなさい。

 ぼくの二年生まではこんな感じで、バカなことをやっていた。

三年生が過酷なプールになることを、まったく知らず平穏無事に過ごしていたのだ。




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