番組撮影
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五月下旬、ちびまる子ランドの店長から電話がかかって来た。もしかしたら、コロナが落ち着いた頃のサイン会の依頼かな。そう思っていた。そのころは、まる子ランドは七月中旬のオープンへ向けての改装中だった。
話しを聞くと、なんと所さんの番組のロケへの出演依頼だった。
最初は市役所の観光課に話がいったようで、ぼくの電話番号はわからないため、ちびまる子ちゃんランドの関係者へとなった。店長ならぼくの連絡先を知っている。番組出演では、ちょっと空振りだ。リニューアルでのサイン会ならそれでもやる気はある。さくらプロダクションにもいいだろう。番組ロケでは顔を出さないとならない。
そうなると、だれそれがユーチューブなどの動画発信もしそうだ。
過去からしてそうだった。出演協力なので正直ギャランティーはない。店長へ出たくないことをほのめかした。すると、えー、だった。
さくらが亡くなった時、自分が積極的だった。ありがとうの会の時のフジテレビの取材も出た。その後の取材も受けた。
そんなことがあったので、ずいぶんネガティブになったと思われたかもしれない。
さくらが亡くなった当初は同級生ということ、ぼくをアニメに使ったこと、同じクラスが長く、さくらから観察されていたことなどが入り交じり取材などを受けた。それに背中を押されていた。
後から考えると、多くのクラスメートがいるのに、なぜぼくだと。たしかに変な意味目立っていた。小学校の三年四組時代は、戸川先生に殺されると思い脱走した。その後は三年時代を消そうと、面白い人間になる努力をした。その段階をさくらに観察されていた。彼女から、はまじをわたしの脳にインプットしたよ、とでもささやいているかのようだった。
原点に思えば、新たな本も出せてすべてはさくらのおかげである。
そう思い店長へオッケーした。
その後、番組のADさんからの電話で詳細が分かった。「所さんのお届けモノです!」というTBS系列の番組。たしか日曜に放送しているとわかった。ぼくはチラッと観ただけで、どんな番組かを知らない。所さんとは会えるわけではないので、ただのロケだろうと。
どうも追分ようかんでロケのようだ。それなら知っているのでいい。タレントさんも来るようだ。それはチャンカワイさん。ぼくはうる覚えでなんとなく知っている。ADさんからWエンジンと聞いたので、勝手に思っていたが、漫才協会に加入している方たちだろう。
Wモアモア、Wヤング、師匠はもういないけど、Wけんじという系譜だと。ぼくは演芸場にいたことがあり、Wモアモアを知っている。しかしそう思っていると、まったく系譜はない方だった。そういう師弟関係なら自分はなぜか燃えるというか好んでしまう。でもネット検索で違うことを知らされ気持ちは下がった。
なぜWを使ったのだろう。知らなかったのか、気づいたとき早々に改名すればいいのに。ぼくのように演芸場派はそう思いそうだ。
月日が流れ、ロケ日は六月中旬となった。だが追分ようかんがコロナのことで現場撮影が出来ないということになった。
急きょ、清水の港橋角にある「末廣」がロケ現場となった。なぜ急に追分ようかんは断ったのか疑問だ。ロケ日にようかん屋へよると奥さんはいなかった。ロケ現場が店だと、コロナ時期でなにかと噂になりかねない。それで断ったのかもしれない。ぼくが店主ならそう思いそうだが、ロケ辞退は早々に伝える。
「追分ようかん」がメインのはずではないのか。ぼくへどこかロケ先はないかと聞かれた。ディレクターさんらは困ったようだったが見つかってよかったなと。
撮影日、もちろん駿河区の自宅から清水まで自転車だ。早めに行って図書館に行くと資料整理で休館。エスパルスドリームプラザに行っても、まる子ランドは改装中である。それならドリプラの海岸でくつろいでいようかと。その日は暑かった。日陰のベンチは空いていない。海側にある建物の日陰で数十分過ごした。
二時ごろ集合だった。早めだが「末廣」へ向かった。そこは清水の次郎長さんが建てた宿を再現しているようだった。これは自分のブログへの記事になりそうだ。
自転車で入ると、次郎長の格好をした人が見ている。ぼくは頭を下げた。だが相手は下げない。あれっ、と思い入って行く。『いらっしゃいませ』の声。と同時に、入り口にいた次郎長さんはろう人形と気づく。
「あの、撮影の」
というと、
「はまじさん?」
返事をする。ぼくのことも話しは通っているようだ。
ここの写真はいいかと聞けばオッケーが出た。早々にブログの取材を始めた。
入口の次郎長さんや千羽鶴のような人形、畳の広い部屋などを撮影し、思ったことを書く。メガネを忘れたので、ろう人形とわからなかったのかもしれない。
昔、次郎長さんが建てた「末廣」をそのままを再現していた。
一目では、昔のお茶屋さんという感じだ。
ここなら取材にいいだろうと感じた。そうこう職員さんと話していると、ディレクターさんが現れた。ぼくと目が合うと察したようで、
「……本日はよろしくお願いします」
ぼくも頭を下げた。所さんはいない。
そしてチャンカワイさんが現れたので、こちらへも頭を下げた。
テレビで見たことはあり、たしかグルメ番組ではなかったか。
そしてディレクターと打ち合わせをした。
それはこうだ。追分ようかん食べているチャンさんにぼくが寄る。そしてそのようかん美味しいでしょ、などいう。そこでおかしいと思った。追分ようかん? やめたのではないのか。
「追分ようかんって、ようかん買ったの?」
ディレクターはうなずいた。追分ようかんは健在なのか。なんかやりにくい。ということは次郎長さんの「末廣」は場所だけ提供ということになる。やはり追分ようかんが断らなければよかった感じだ。
最近発売した本へ奥さんのことを載せたため、怒ったのだろうか。
そしてリハーサルもなく撮影が始まった。なんと七人ものクルーだ。カメラマンは二人もいる。過去の撮影を考えるとずいぶんと多い。タレントがいるだけでこうも違うのだろうか。
そして三十分ほどか、撮影はすべて終わった。インターネットなどに掲載されている、はまじのポーズまでやらされた。七月の中旬に放送するようだ。「所さんのお届けモノです!」ですって。
そしてクルーが帰った。だがぼくはいる。ここ廣末をみなさんへ知ってもらいたく、取材を続行する。なんといっても市の施設で入場無料ですから、行かない手はない。すぐ近くのエスパルスドリームプラザと一緒に行けばいいだろうと思う。
この宿、二階もあるというので上がった。すると、えーっと。数人のろう人形がいるではないか。これってお化け屋敷ではないけど、みんな騒ぐのではないか。聞いてみるとお客さんは、わーきゃー、と叫んでいるようです。無料でこれだけ楽しめるのならいい。
建物的に入りづらそうだけど、堂々と胸をはって入ればいい。
そして取材を終えて感じたことは、入りづらいのか、日曜でも数人来るだけ。これはもったいないので、港橋の角の末廣をよろしく。
金曜に撮影で日曜も「末廣」へ向かった。理由は、畳の部屋もあって、ここで自分の講演会を行ってもいいのではないかと。
もちろんお代はいらないし、聴く側も無料だ。前夜に直筆名刺を作ったので職員さんへ渡した。
七月下旬。そんな電話はまだかかって来ない。次郎長さんとまったく違うのもあるし、役所もダメダメと考えたのかもしれない。こちらからのアピールだ。自分でいうのも変だが、近年は母やさくら、友人の死で作文以外やる気は出なくなっている。こちらからのアピールはやる気があり貴重だ。それだけ末廣さんを気に入った。
そういえば静岡県防災センターへ行った時だ。その施設は無料というので取材に行った。だがコロナのせいで、予約して数人で回るシステムとなっていた。ぼくが入った時間では、すでに始まっていて、次は一時間ほど後だった。自由には入り見ることが出来る施設と思っていたのでがっかりした。コンビニで缶チューハイを飲んでブログを作っていた。結局一時間後に入った。名前を記入しトイレを借りて出た時、六十代ほどの男性がよって来た。
「浜崎さんですか」
なんとなく嫌悪感がする。
「そうです」
「あの、はまじさんですか」
やはり名前でばれた。男性は、
「びっくりしました……」
ロビーには十五人ほどの男女がいる。その職員と少し会話をすると、案内人から館内の回る手順が始まった。
終わった後も男性職員がよって来たので、さくらのことの話につき合った。その方は清水から通っていた。
なんだーとなり、即「末廣」のことを教えた。やはり入りづらいようで、まだ行ったことがないという。まったくそんなことはなく、対応はとてもいいことを伝えていた。ドリームプラザはだれでも行ったことがあるだろう。清水人でも「末廣」へ行ったことがない人は多そうだなーと。
その後、七月中頃のオンエアーを拝見した。
結構なカットだ。さくらのことや、卒業アルバムを持って来てくれというので、アニメちびまる子の実在人物のことを話したのに、わずか一分ほどで終わった。
新聞番組欄にも「ちびまる子ちゃんのモデル登場」などはどこにも書いていなかった。それで短かった気がする。それか年末辺りの特番で使うつもりなのだろうか。ブログの読者は物足りなさそうなコメントをしてきた。ぼくはあまり出演したくなかったので、あれでいい。だが特番でまた流せば、忘れたころの顔がばれそうだ。
これがさくらへの恩返し、はまじ業、という仕事なら仕方ないのだろうか。
チャンカワイさんは腰が低い方でした。早朝から動いて、その後も由比と沼津へロケでした。
エスパルスドリームプラザのすぐ近くにありますので、末廣へ行ってみてください。