捧ぐ想いが導く幸せ
新婚生活は僕の不用意な行動で終わりを告げ最愛の妻を一人この世に残してしまった僕は何とか妻に生き延びて貰って幸せになるよう望んだ。
新婚生活なんてあってないようなものだった。
熟練技術者として軍需工廠で働いていた僕らのような人間に徴兵指示書が回って来ている時点でこの戦争に勝ち目が無いことなんて誰の目にも明白だった。気の狂った戦争指導部以外は学童疎開している初等部の子供たちでさえ理解していたくらいだ。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、あなたさま」
「…………ごめんな、里奈。とうとう僕にも、来たよ」
「え……」
その日は夜遅くまで2人で語り合い、肌を重ねて愛し合って、気が付いたらうっすらと夜明けの気配が漂い始めていたのだから、相当に時間を忘れてしまうほど意識を重ねていたのだろう。
僕たちは戦闘技術なんて全く持ち合わせていない根っからの技術屋だ。もう既に海外の領土なんて全て失って、我が皇国の近海を敵の機動艦隊が我が物顔で遊弋していて、本土直衛の精鋭、皇国近衛海軍の全艦隊がすでに海の底へ眠っているような状態だ。だから配備されるのは恐らく皇都防空任務に掻き集められた皇国に残る全ての航空機が集結している近衛航空大隊基地の整備兵あたりに徴兵されるのだろうと踏んでいた。
結論から言えば僕の予想はほぼ、99%当たっていた。唯一の予想外だったのは……。
「うぁぁぁぁぁぁっっっ!?そんな、そんなっっっっどうして、あなたさまぁぁぁぁぁっっ!!」
「どうして、どうしてなのですかっっっあなたさまぁぁぁぁぁ!!」
着任早々に敵の航空部隊による空襲を受け、あわてて付近の防空壕へ駆け込もうとしていたら、敵の攻撃が集中している滑走路の近くを小さな女の子が泣きながら逃げ惑っているのを発見してしまった事だろうか。
そしてその女の子が最愛の妻、里奈に似ていたのも判断を鈍らせたのだろう。
そのまま壕に飛び込んでいれば助かっていたのに僕は反転しその女の子を抱え上げ、再び壕へと走りだし女の子を壕へ投げ込んだと同時に僕はその意識を失った。
敵の戦闘機に機銃掃射を浴びてほぼ即死だった。次に僕が自分を取り戻した時、僕は自分の遺体の上でただ、ただ漂っていた。僕が文字通り命を懸けて救った女の子はと言うとかすり傷もなく無事で、どうやら基地司令官の孫娘だったらしく、僕の遺体は丁寧に包まれて棺桶に収納されて僕の二階級特進とともに航空基地にて防空任務に当たっていた海軍陸戦隊隊員達の手により直に担がれて愛する里奈の待つ家へと運ばれていった。
幸せの最中から突然、不幸のどん底に突き落とされた里奈が自分の遺体が納められた軍の棺桶にしがみつき声を抑える事無く号泣しているその姿は漂う僕にとっても最悪な光景で、絶望の淵に沈んでしまったような気分でもう何も考えることすら出来ない状態に陥り、ただただ呆然と悲しみに泣き叫ぶ里奈を見つめていた。
その夜、泣き疲れて、それでも僕の身体から離れようとはしない里奈の枕元に僕は何とか立つことが出来た。
『里奈……。本当に、ごめんな……』
「…………ぅ。あなた、さま……?」
『里奈を遺して死んでしまうなんて……。ごめんよ、里奈』
「……あなたさま……。けれども小さな命をお救いになられたのでしょう?」
『ああ。小さい頃の里奈に似ていて、どうしても……見捨てられなかったんだ』
「そうですか……。この後あなたさまはこの家のお墓ではなく、安園神社にある国家慰霊施設に英霊として慰撫されることになるそうなの。……私が死んでも一緒になれないの……」
『頼むよ、死ぬなんて言わないでくれよ。里奈。生きて幸せを見付けてくれ』
「そんな……」
『頼むよ……僕の、僕だけが愛する、僕だけの里奈が幸せになって欲しいんだ』
「うぅぅ……そんな言い方されたら……何も言えないじゃない。ずるいわよぅ……ぅぅ」
『お願いだ…………』
「……あなたさま……わかりました。私なりの幸せでもよろしいのであれば、幸せを見つけるまで必ず、生き抜きます……」
『あぁ、君が幸せになれるなら……それが僕の一番嬉しい事だよ』
それから形ばかりのお葬式を終え僕の御霊とやらはしかるべき場所へと運ばれることになり愛する里奈とは離れ離れになってしまった。本来人はしかるべき時期がくれば上に上がるのだと親戚の坊さんに聞いたのではあるが全くその気配は微塵も感じられない。同じように辺りに漂う戦友たちの様子も似たようなもので、まあ、詰まる所未練が強すぎるということなのだろう。
戦争さえ終われば。里奈にも僕の代わりを努められる人間が現われる機会も増えるだろう。そうすれば僕も安心して上へと旅立てる。それまではここから里奈を見守りたい。
それから次第にぼくたちの仲間はどんどん増加して境内や社も騒然としてきた。疲れ切った見るも無惨な容姿の彼らは祖国に戻る途中で船が沈んだのだという。いよいよ以てこの国は降伏しか残されていないのだというのに……。せめて子供達だけでも無事に生き延びて欲しい。僕が助けたあの娘も。
やがて僕は外界と神域を区切る大鳥居まで喧騒から逃れるように静寂を求めて移動してふと奉納場を見やるとそこに佇む喪服を着た愛して止まない里奈の姿を見つけた。遺族がここに奉られた英霊のためにと用意された専用の奉納箱に里奈が納めた物を、名残惜しそうに立ち去った里奈を見送ってから視てみれば自分宛ての手紙のようだった。
それは僕に対する変わらぬ愛を誓う恋文のような近況を綴った手紙であった。やはり戦争が終わらなければ里奈は解放されないのだな、という僕の思いも強くなった。くそ、もう充分だろう。これ以上殺して何かになるというんだ。早く戦争を終わらせてくれ。
更に一週間後、ようやくぱたりと僕たちの仲間が用意された平穏の安らぎを得る地に眠る為の列が途絶えた。戦争が終わったのだろうか。それとも…………これは嵐の前の静けさとでも言うのだろうか。
戦争が終わったのであれば奉納箱に里奈からの便りが届いているかもしれない。そう僕は思い出しいつもの場所へ赴けば…………確かに里奈からの便りが奉納されていた。ただし、いつも以上の、たくさんの、悲しい顔つきをした、遺族の人たちによる奉納の為の行列と溢れかえるほどの便りの山と共に。
僕はとてつもなく厭な予感に襲われながら里奈からの便りを視る。
***
拝啓、あなたさまへ
お元気ですか。こちらは相変わらずの空模様です。
あなたさまがそちらに赴かれてから、かなりの月日が流れてしまいましたが、わたくしもあなたさまのお言いつけを心に秘めて心静かに過ごしております。変わったことも特にはなく……そうですね、あなたさまがこちらにいらっしゃった頃にはどんなに頑張ってもできなかったダイエットに成功してほっそりとした身体をようやく手に入れることができました。
そちらへ行かれた健一さんや健二さん。陣八さんはお元気ですか。こちらに便りの届かない方々はきっとどこかで頑張っているのだと思いますが……あなたさまのいつかいらっしゃる時の為にとわたくしがお守りしているお屋敷も、とうとうわたくし一人となってしまいました。こんな時代ですもの、皆さんも家族の元にいらっしゃった方が良いと思いましたの。
あなたさまがこちらにいらっしゃったらきっとそうなさると思いましたし。
ねぇ。覚えていらっしゃいますでしょうか。あなたさまとともに初めての旅行でもありました、婚儀のあとに訪れた温泉の宿を。静かで……安らぎを、あなたさまとの最初で最後の想い出の旅行でしたね。
そして不安に震えるわたくしをあなたさまはその大きな優しい心でゆっくりと包んでくださいました。
わたくしはあの日からいついかなる時もあなたさまにだけ、わたくしの愛を誓い一心に捧げて参りました。そしてそれは……あなたさまがそちらに赴かれた今でも想いに変わりはございません。
わたくしには、わたくしが、愛を捧げるべき方は。あなたさま以外にはおりません。
わたくしには、あなたさまと幼い頃に誓い合ったあの小さな約束からずっと……あなたさまだけなのです。わたくしが永久に誓いあった、純愛を、想いを、そして幸せを捧げられる事ができるのは……あなたさましか……………いないのです。
先ほど……皇軍大本営よりラジオによる放送が……ございました。
あなたさま。
…………この美しい自然に溢れたこの国は……滅ぶのだそうです。
…………数日後にはこの国を破壊し尽くすために畜生にも劣るような極悪非道な鬼たちがやってくるそうです。皇軍は最後まで誇りを持って徹底抗戦を宣言致しました。
子供から老人まで……皇国の臣民の最後の一人まで戦うのだと、それこそが皇国の臣民としての誇りを守る唯一の術だと…………。
あなたさま。
あの日、最後のお別れをいたしました際にあなたさまはわたくしが幸せになるまで生き抜いて欲しいと願われましたね。わたくしはあなたさまへの想いを胸に抱いたまま最後まで生きるつもりで本日まで生きてきました。
あなたさま。わたくしの愛する、たった一人の、生涯ずっと変わらぬ想いを、純愛を捧げるべきあなたさま。わたくしは…………あなたさまとともに長い時を歩み、共に笑い、悲しみ、悩み、そして想いを遂げることができて、ひとつになれて…………本当に幸せでございました。
願わくば……次の世があると言うのであれば……。
わたくしは、再びあなたさまにだけ、わたくしの永久の純愛を捧げたい。
そうおもうのです。
あなたさまのいらっしゃる安らかな平穏の庭へ……わたくしもまもなく参ります。
わたくしとあなたさまを育てて、引き合わせてくださったこの皇国へのささやかなご恩を数日後返したのちに…………あなたさまに会いにいってもよろしいでしょうか。
愛するわたくしのあなたさま。
わたくしに最後まで幸せを与えてくださって本当に、本当に……ありがとうございました。
次は安園の庭で……お会い致しましょう……。
あなたさまだけの里奈より
***
里奈からの手紙を読み終えた僕は……………何も。本当に何も……視ることも、考えることも、動くことすらも出来なかった。本当にショックだった。どうして。なぜ。
僕の里奈が、死んでしまう。あの、愛らしい、里奈が数日後には確実に死んでしまう。
この国が滅ぶという事もショックではあるけれど。それ以上に里奈が死ぬことの方が信じられない。
どうして里奈が死ななければいけないんだ。どうしてこんな結末になってしまうしかないのだ。
どうして。どうして。どうして。どうしてなんだ。
僕は里奈には生きていて欲しかった。生きていればこそいつかはきっと幸せになれると考えていた。
けれども里奈は違った。里奈は……僕に添い遂げるために死ぬ道を選んでしまった。
それが里奈にとっての幸せだと。そんなにも僕のことを…………。
僕は……。そんなにも愛してくれていた里奈を。
『……ごめんな、里奈。僕以外なんて最初から一度も考えもしなかった里奈に……僕は……』
『……本当に、ごめんな。僕以外の男を愛して生きていけなんて酷いことを言ってしまった僕を……』
『それでもまだ愛し続けてくれて。僕は……本当に恥ずかしい。そして本当に酷いことをしてしまった』
『里奈。僕はもう二度と君を僕以外の誰かになんて、しない。君の想いが僕にあるというのなら』
『……里奈。僕はもう君から絶対に離れたりしない。手放したりしない。これからこの先……』
『どんな結末、どんな未来が君と僕の前に待っていようとも……いつまでも一緒に……』
『安園の庭の一番前、入り口でこれから君のことを待つよ……』
『里奈……君と知り合えて、一つになれて、愛し合うことができて……僕は幸せだよ』
それぞれにそれぞれの想いがあるように自分の価値観が必ず相手にとっても最善かどうかなんてわからない。時にはそれが残酷な事を言っていることにすらも気付かず、ということもある。




