プロローグ
「まったくやってられませんよね♪」
既存の世界の何処でもない空間。強いて言うなら無に新たに作り出した一時的な無属空間で、アプリコット=リュシケーは愉快そうに愚痴る。
肩の辺りまで適当に伸ばされた茶髪に大きな赤い瞳、白人系の色白の肌、高くもなく低くもない身長に筋の整った顔立ち。
しかし外見からは想像もつかないだろうが彼女は機械、れっきとした人外である。
彼女がいるのは灰色のコンクリート壁が剥き出しになった薄暗い部屋の中。何の装飾も見られないその部屋にある物と言えば、アプリコットの目の前に散らばる謎の機器の部品くらいである。
「貴女の他者への遠慮を度外視した気紛れはいつものことですけどね。直接他者を巻き込んでおいて自分は高みの見物っつーか神の視点っつーか、まったくいい性格してますね。見習いたい気分ですよ」
『アプリコットにだけは遠慮とか性格がどうとか言われたくないんだけど!?』
アプリコットが頭に被った旧式のイヤホンマイクから依頼者の声が耳に入った。そのコードの先はアプリコットの首筋から体内に入っている。
彼女の本質は最先端を大きく逸脱した性能を持つピコサイズの自律駆動機械の群体。機械の万能細胞を持つ彼女にとって、ありとあらゆる電子機器はそのほとんどが可能性のひとつでしかない。自分の細胞の役割分担と配列次第で再現することはほぼ朝飯前なのだ。
「っつーかこそこそ上から目線気取ってないでこっち来てくださいよ。万能性で言えばそっちの方が遥かに上でしょうに」
『いや、私が出るわけにはいかないから仕方なく頼んでるんだけど……。それにいちいちロジック考えなきゃいけないし』
「一部の方々は喜ぶと思いますよ?」
『口じゃなくて手動かして』
「ったく、二つの世界を一時的にでも繋げることがどれだけ面倒かわかってるでしょう。何でも“最先端技術”を言い訳に誤魔化せると思ってるエセSF作家じゃあるまいし、気の利いたことは言えないんですか? あ、エセF作家とかどうですかね?」
『相変わらずメタ発言に躊躇いがないね、アプリコットは……』
「機械だけに“メタる個性”とでも言いたいんですか? っつーかあれでしょう? 聖なる夜っつーやつですよね。どうせ“アルヴァレイ=クリスティアースの『奇跡』と合わせられないかな”とか思ったって程度のしょうもない話でしょう」
『ぅぐっ……』
アプリコットは会話の流れと作業の進行が悉く思惑通りに進むことに不信感を抱きつつ、無造作な手つきで無数の部片を組み立てていく。
「まぁ面白いからいいですけど。むしろ誘わなかったら怒ってましたね、くっふふ」
『じゃあ文句言わないでよ……』
「それとこれとは筋違い♪」
『……』
本来なら雑談しながらできるようなレベルの作業ではないのだが、摂理を逸脱した存在の手によって作り出された彼女には現世のまともな常識は通用しない。
「っつってもまさか貴女が協力してくれるとは思ってませんでしたよ。ねぇ――」
アプリコットはイヤホンマイクを構成するスフィアキューブに停止命令を出しながら背後の彼女に振り返る。
その時点でスフィアキューブはイヤホンマイクとしての機能を失い、ブツブツと文句を吐き続ける依頼者の声が消えた。
「――『ティーアの悪霊』」
ズンッ――。
文字通り瞬く間に空間を横切った高密度の空弾が重い衝撃を以てアプリコットを襲い、激痛と共に彼女を背後の壁まで吹き飛ばした。当然衝撃の全てをその身に受けたアプリコットは壁に走った蜘蛛の巣状のひび割れの中心部でガクンッと脱力し、重力という摂理に従い座り込むようにずり落ちた。
「アッハァ♪ 間違えないでよ人外。私は『ティーアの悪霊』じゃない方のルシフェル=スティルロッテなんだから♪」
ピコピコとアホ毛を揺らしながら、空中に残った魔法陣をかき消すように腕を振る少女。
燃えるような緋朱色の瞳と髪を持つ彼女は、かろうじて人の姿をしているもののその本質は『魔界の真理』。世界の根幹を為す摂理の一柱にして、全ての『魔法』を自由に掌握・操作・支配する能力を持つ。
「痛ー」
ガラ、と砕けた壁の破片が床に落ちて音を立て、アプリコットは何事もなかったかのように壁から背中を引き剥がす。
無数の粒子が自由に移動できる状態で集まっている彼女の身体は液体とほぼ同じ。物理ダメージはほぼ通らない。
「――っつったってそんなもんボクには見分けなんざつきませんよ。どっちでもいいやってのも本音ですが、いきなり致命傷級の攻撃をされるとか相変わらずにもほどがあるでしょう、この人外」
「アハッ♪ 滑稽だね~酷刑だね~。その致命傷ってお前が生身の人間だったらの話でしょ~? この人外」
ルシフェルはクスクスと笑いながら、たった今攻撃を加えたばかりのアプリコットにゆっくりと歩み寄り、助け起こそうとでもしているかのように手を差し出した。
「おっと、これは親切にどうも」
対するアプリコットも何の躊躇いもなくその手を掴んで立ち上がる。ルシフェルもそれ以上は何もせず、アプリコットが起き上がるのを確認して手を離した。
明らかに異常な光景、異常な遣り取りなのだが、二人に訊ねれば『このくらい普通でしょ?』と逆に訊き返されるだろう。
むしろ凶悪な性格と性能を誇る相棒に普段から辟易しているアプリコットには『まだ楽な方』とでも言われるかもしれない。
「ところで人外~」
二人が各々の作業に戻ってから五分。世界の外殻に風穴を開けるための魔法陣を床の上に展開していたルシフェルが、背後のアプリコットに声をかける。
「何ですか人外」
風穴を開けたちょうどのタイミングでその穴同士の接合作業を行うシークエンス・ロボットを組み立てていたアプリコットは、振り向かずにその声に応える。
「こんなめんどくさいことしなくても、超世界間召喚魔法で全員作業空間に呼んだ方が早いんじゃないの、って今さら空気読めないこと思っただけ~」
「そういえばそっちの方が色々楽でしたね。後片付けも要らないですし――」
そこまで笑いながらの遣り取りを交わした二人の作業はルシフェルの台詞の直後から硬直気味に停止していた。
「……」
「……」
薄暗い部屋の中、数秒間漂っていた気まずい空気は――
バキバキッ!(作りかけの魔法陣が張られた床が踏み砕かれる音)
ドグシャ!(作りかけのシークエンス・ロボットが一撃で砕け散る音)
二つの怪音と共に終わりを迎えた。




