秋葉
秋葉の今日のやるべきこと。
と、いっても特に用事はない。
高校も辞めてしまって友だちに会う、くらいしかないのだ。
その友だちも元クラスメイトは少なく多くは近所の小学生だ。
小学生たちはその病気を知らず偏見もない。
だからつきあえる。
秋葉は俺の妹で2年前に若年性アルツハイマーと診断された。
最初は高校に通うと聞かなかった彼女だがイジメに耐えきれず中退した。
その頃から近所の公園で少年少女たちと遊ぶのが日課だ。
「秋葉、今日はこんなところだよ」
メモ書きを手渡し秋葉にたずねる。
秋葉は大きくはじけるように笑うと俺にお礼を言った。
「ありがとう兄さん。今日は春子ちゃんと遊んで昼前に帰ってくればいいのね」
彼女を受け入れてくれた数少ないクラスメイト。
ありがたくてその名前を聞いただけで胸が熱くなる。
「そうだな、クッキー焼いて迎えにきてくれるっていってたぞ」
「え、そうなの?うれしいなあ」
努めて平静を装いながら返事をする。
彼女にとって人生はあまりにも短い。
彼女の生はたとえ長くとも。
小学生と遊ぶ秋葉。
子供たちの人気者だ。
少し忘れっぽいけどもそれも茶目っ気で通っている。
はしゃぐ秋葉を見て考える。
しとやかな笑いを浮かべていた秋葉を変えたのは病気のせいなのだろうかと。
精一杯生を謳歌できるように彼女自身が変わったのだろうかと。
ベンチに座ってぼんやりと眺める俺に向かって秋葉が大きく手を振る。
痛々しいと考えるのは俺だけなのだろうか。
秋葉はよく物忘れをするようになった。
不安で仕方が無くて彼女について回る。
そして時々ぼんやりするようになった。
病気が進行しているのかもしれない。
いや、進行しているのだ。
確実に。
昨日の誕生パーティーのことも憶えていないらしい。
彼女を憂う人たちや今の俺たちを支えてくれる親類縁者が大勢集まった。
もう小学生たちは集まらない。
ロウソクを吹き消す段になって目線をさまよわせた秋葉。
「ほら、火を吹き消して」
彼女はそれを聞いて嬉しそうにふーっとケーキのロウソクを消した。
もう何もわかってないのかもしれない。
忍び泣きがあちこちで聞こえた。
小さな家を借りた。
マンションでは苦情というか奇異の目で耐えられなかった。
時々正気に返る秋葉もそれを感じているのだろう。
たまにコンビニまで手をつないでいく途中にぐすぐすと泣き出す何度目かの秋葉を見て決心した。
縁側で彼女はあやとりをしている。
何度も何度もタワーを作る。
タロットでタワーってのがあったな、などと考えながら夕食に腕をふるう。
ひとときでも彼女が笑ってくれるのならもうなんだってしよう。
そう考えて店には通えない彼女のために覚えた料理だ。
同じメニューでも飽きは来ないのでずいぶんと味があがるのは早かった。
他のメニューにしたって結局一緒だ。
不謹慎なことを考える俺自身が疲れているのかもしれない。
秋葉が家を空けることが多くなった。
徘徊だ。
不本意ながら彼女の服に大きく住所と名前の付いたアップリケを貼り付ける。
年頃の女の子には耐えられない服だな、などと考えて愕然とする。
彼女を、もう、病人としか見られなくなっている自分に。
家を空けている彼女を放り出して俺は夕刻まで泣き続けた。
夜になって警察が彼女を送りにきた。
抱きしめてやると彼女はあらがい、警官は目を伏せた。
知らない土地に越してきたためか彼女はよく怪我をして帰ってくるようになった。
まさかという思いが募る。
年頃の女の子で見目だってその無表情さを気にしなければ世の男どもの劣情を誘うだろう。
しかし彼女を追い回すと秋葉はそれを嫌い逃げ出してしまう。
それでも追いかけ回して数日。
彼女は河原で少年たちの石つぶての的になっていた。
俺も同人種だと思われていたのか。
安堵して彼女を追いかけ回す少年たちに容赦なく暴力をふるう。
久々に胸がすっとした気がする。
雨が降っていた。
俺は料理に飽きがきているがこれまでのツケだ。
レパートリーが少なく味気ない食事しか作れない。
ふと秋葉を呼ぶと返事がない。
あいつまた出て行ったなと、いらだちながらサンダル履きで彼女を捜しに出る。
彼女はすぐ見つかった。
近所の公園でぼんやりと空と自分を見ている。
いや、よく見るとアップリケをつけられた自分を不思議そうに見ている。
アップリケを伸ばしたり元に戻したり。
我に返り秋葉を呼ぶと秋葉の瞳に突如として理性の灯がともり俺の元へ飛び込んできた。
涙を流して俺たち兄弟は抱きしめあった。
多分これが最期だろう。
そんな予感を残して。
共に家に帰り料理に舌鼓を打ったあと俺たちは同じ布団で寝た。
子供の頃以来だ。
次の日目が覚めると案の定秋葉は寝小便をしていた。
水道の配管工が決まって数ヶ月、俺は秋葉に毎日弁当を作ってやった。
大学を中退した俺に出来る仕事なんてこんなもんだ。
それにしても秋葉の野郎は弁当を食やしない。
最初の頃は帰って怒鳴り散らし無理矢理口に突っ込んでいたものだが、今ではそういうものだと諦めて飯抜きにさせている。
ぼんやりと縁側に座る秋葉を横目に見ながら俺は今日も現場に向かう。
秋葉の整った顔に目を輝かせていた同僚にこいつを押しつけることは出来ないだろうか。