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咎の国  作者: オ・ノーレ
4/7

二章③

携帯で書いた都合上、おかしな切れ方になっています。章毎に切れているという事で。

二章はこれで終わりです。


その収穫に満足し、京介は帰ることにした。雨もすっかり上がり湿気を纏った空気が京介を向かい入れる。

まだ日が落ちるには早いようで雨上がりの空は薄い水色をしていた。明日はよく晴れるだろう。そんな事を思いながら、京介は宿舎へと向かった。


次の日正午、京介は詰め所を訪れた。相変わらず首には昨日手に入れたネックレスがひんやりとその存在をアピールしている。


美野里には昨日の内に明日は来ないでいいと言われていた。理由は定かではないが、きっとアルバムを覗いた事に何か問題があるのだろう。事故と言えば事故なのだが中身を覗いた罪が消える訳ではない。


詰め所の二階には適応者の情報を管理する部署がある。収容所に何人の人間がいるのか、彼らが何を要求したのかなど、事細かに記載された資料を監視員は見ることが出来る。だがそんな事をする監視員はほとんどいない。知った所で特に意味はないからだ。京介自身、資料を請求するのはこれが初めてだった。

受付窓口は三つあったが、そのどれにも人はいない。机にうっすらと埃がかかっていて日頃からあまり使われていないのがよく分かる。


「おはようございます。今日は、どのような、ご用件でしょうか?」


受付嬢は柔らかで無機質な声で問い掛けた。相手に好印象を抱かせるような表情を浮かべる。だがそれは作られた表情のように思えた。

それもそのはずで彼女は人間ではなく機械であった。事務処理ロボット。A-KI試作機。呼び方は色々あるが京介は親しみを込めてアキちゃんと呼んでいる。そこら中にいるのでみんな同じ名前であるが京介の頭の中ではアキちゃん(詰め所)となっている。アキちゃんはAIを搭載し言語処理に長けているが、処理速度の問題で単語が途切れ途切れになるのが玉に瑕だ。


「適応者の資料が欲しいんだけど」


受付窓口の机に手を置きながら京介はアキちゃんに話しかける。


「はい、適応者、の方の、登録、ID、を教えてください」


「ID?そんなのいるんだ」


「ID、が、分からなければ、収監、前の、戸籍名、でも、大丈夫です」


京介が困った表情を浮かべるとアキちゃんはそれを読み取る。気の利く受付嬢だ。将来はきっとよいお嫁さんになるだろう。人間だったなら。


「ああ、そっちなら。ミノリって名前。漢字は分からん」


京介が詰め所を訪れた理由は美野里について調べるためだった。京介は彼女ことはあまり知らない。暇な日を使って調べてみようと思った。監視員にはそれが許される。辞めたいと日頃から訴えている京介だが、こういう時は素直に役立つと思う。


「ミノリ、さん、ですね。検索、します。しばらくお待ち下さい」


定型句になるとやたら饒舌になるアキちゃんはふと目をつむった。寝ているわけではない。彼女はデスクの下にあるハードディスクと直接繋がっていて、今は検索モードに入っているのだ。

目を見開いたままやられると何となく不気味だろうなと思っているとアキちゃんは目を見開いた。その間数秒。仕事が早い。


「現在、収容所、で、生活する、一万三千六十四、の内、ミノリ、という、戸籍名、を、持っていた、数は、一、でした。戸籍名、三枝美野里。こちらでよろしいでしょうか?」


検索にヒットしたのは一人。よくある名前だから数人いると思っていたが、運良く数がしぼれた。


「三枝美野里ね。じゃあその人の資料をちょうだい」


「しばらくお待ち下さい」


京介の言葉に反応し、アキちゃんは受付窓口から少し離れ、プリンターから吐き出されるA4用紙を掴み、その用紙より一回り大きい封筒に紙の束を差し込んだ。無駄な動きはないが、やはり人が行う動きとは少し違うと京介は思った。改良が進めばもっと人に近づくのだろうか、いずれ人間との見分けがつかなくなるほどに。


「お待たせしました。こちらが、資料、になります」


窓口の下の隙間からアキちゃんは封筒を滑らせるように押し出した。


「ありがとう」


京介はそれを受け取りその場で中身を開けた。宿舎に帰ってから見てもよいのだが、他に順番を待っている人もいないので迷惑をかける心配はない。


封筒の中には片面刷りの用紙が数枚入っていた。あまり数は多くない。それは彼女の価値まで少ないと言っているような気がしてしまう。用紙数枚で簡単に表示出来るような薄っぺらい人間、とでも言っているようなのだ。


用紙の一枚を手に取り目を通す。内容は収容所内での個人を表すID、彼女の戸籍と法律が適応された日時などだ。


「……俺よりも二つ下だったのか」


美野里が収容所に入れられたのは五年前だった。当時はまだ学生の身分だったらしい。


二枚目は家族構成や大まかな年表のような物だった。四人暮らし、父『隆文』、母『呼子』、長男『夏紀』、長女『美野里』と確かに表記してある。


京介は昨日の美野里の姿がどうしても忘れられなかった。アルバムを見られて嫌がるのはよく分かる。自分だけの思い出を勝手に見られたくない気持ちは理解出来る。ただ美野里が浮かべた悲しげな表情が忘れられなかった。それを解決する事で美野里が外に出たいと思うのなら京介は尽力を尽くそうと考えている。


だがその心配は無用だったようだと京介は思った。実際美野里には四人家族で夏紀という兄もいる。京介が危惧していた事は何もない。


そう思って京介は三枚目を手に取った。きっと逸る気持ちから余計な心配をしてしまったのだろうと考えを打ち切り、京介は三枚目に目を通す。


そして京介の表情が固まった。後ろで固定された柔和な笑顔を浮かべる受付嬢のように凝り固まった感情のない表情を浮かべていた。


だがそれも一時で京介は用紙に一通り目を通すと他の用紙の上に重ね、机の上で紙の束をトントンとまとめて封筒に入れた。


「なあ、アキちゃん。ちょっと調べて欲しい事があるんだけど」


受付嬢は断る言葉を知らないかのように京介の要求を聞き入れる。心のどこかで京介はアキちゃんに断って欲しかったのかもしれない。これから京介がそれを知る事で起こることは、きっと悲しい結末しか待っていないのだと分かっていたから。


三枝美野里。


特別人権適応法適応理由


家族殺し。


――――――――――――――――――――――――



そして京介は美野里の家を訪れた。彼女の家に行くのはこれで五回目だ。友達の家に行く回数としてならまだまだ少ない。


カラッと晴れた空の下、京介は美野里が出てくるのを待っている。先ほどインターホンを押したのでもうすぐ出て来るだろう。


その間を利用して京介は言うべき事を頭の中で整理していた。

おそらくどうあっても彼女を傷つけてしまうのだろうから、せめて無闇に傷を広げない言葉を選ばなければならない。


「どちらさま?あら水上さんですか。どうしました?今日は仕事を頼んではいませんが」


ドアを開け、美野里は姿を現した。ムワッとした空気に少し顔をしかめながら京介の下に歩み寄る。


「今日はちょっと聞きたい事があってさ」


「何かしら?」


京介は思い切るように一息ついた後、少し声のトーンを落として言った。


「あの夏紀って人は何者なんだ?」


美野里の表情が一瞬強張ったように見えたが彼女はすぐにいつもの清楚な表情を作っていた。動揺を悟られたくないように京介には思えた。


「何者って、私の兄よ。それ以上でも以下でもないわ」


美野里の口調はぶっきらぼうな口調に戻っていた。


「いやさ、昨日開いた時間に詰め所に行ったんだわ。そこでお前の事を調べさせてもらったのよ」


「………プライバシーも何もあったものじゃないわね」


美野里は少し怒ったように口を尖らせた。だが怒りに震える様子もなく京介の次の言葉を待っている。


「監視員ですから」


「あなた辞めたいって言ってなかったかしら?」


「でもまだ監視員ですから。権力は使える時に使っておかないと」


まったくその通りだわ、と言って美野里は一度前髪をかき上げた。その行為の意味に確かなものはないが、京介には気持ちを切り替える為のもののように思えた。


「それで、その調書に私は何て書かれていたのかしら?」


「あまりいいものじゃなかったのは確かだ」


美野里はおどけたように首を傾げた。

そしてゆっくりと美野里を見据え京介は言う。


「あの夏紀はお前の本当の兄じゃない」


その言葉に美野里の表情に少し影がさしたような気がする。

戸惑いはあまり感じられない。宝探しで隠す側が、見つける側に宝を見つけられた時の、脱力感に似たような表情をしていた。


「この町に、三枝夏紀という人間はいなかった。三枝夏紀はもう―――」


「―――死んでいるわ」


京介がそれを言う前に美野里は呟いた。


「……私が殺したもの」


美野里が犯した罪は殺人だった。彼女は家族を殺した。それは彼女が十七歳の時らしい。おそらく地方局のニュースで流れるくらいには有名な事件だったのだろう。


「ねえ、今から昔話をしていいかしら?一人の馬鹿な娘の不器用な話」


京介は何も言わずに静かに頷いた。美野里は一言ありがとうと言って明日の方を向いた。


不思議な事に夏の暑さは感じなくなっていた。



一人の娘がいた。娘には家族がいて、幸せに暮らしていた。

父と母は優しかったし、頭の良かった兄の事も娘は尊敬していた。

それほど大きくない家で、四人仲良く日々を過ごしていた。それは娘にとってこの上ない幸せで手放したくないと思っていた。

だがその幸せはいつかなくなるのだと娘は心のどこかで理解していた。

両親はいずれ死ぬだろう。優秀な兄は遠くの大学に通って、家を出て行くのだろう。娘もいつか誰かを好きになって、家を出るのだと思っていた。


幸せは永遠ではない。娘は幼いながらも、そう感づいていた。


だがその幸せは娘が思っていたよりも早く終わりを迎えようとしていた。


父と母は頻繁に家をあけるようになった。二日三日帰ってこない時もよくあった。優秀な兄でなくとも、理解出来る事だった。

父と母にはそれぞれに浮気相手がいた。その頃になると二人は一緒に食事は疎か、顔を見合わせる事すらしなくなった。娘は理解した、もう幸せに暮らす事は出来ないのだと。


世の中には同じような家庭が沢山あるのを娘は知っていた。学校でクラスの友達の名字が変わっていたりするのも不思議な事ではない。

永遠の愛を誓い合ったにも関わらず、その愛は続かない。

ならばそれは永遠ではない。無限ではない。有限だ。いつか溶けてなくなる氷のようなもの。


ただ娘にはそれが許せなかった。壊れてしまうのが、消えてしまうのが許せなかった。他の誰が仕方がないと言っても、娘は納得しなかった。

残したいと思った。このままの形を保ったまま、永遠の愛として。


そして娘は父を殺した。驚き泣き叫ぶ母を殺した。そして二人の手を繋ぎ、箱に詰めた。これが娘なりの永遠の愛の形だった。


賢い兄は言った。

死んでしまっては、愛の言葉を交わせないと。言葉がないと、意志は衰退すると、天国でも二人は互いの愛を分かち合う事は出来ないのだと。一筋の涙を流しながら娘にそう言った。


そして娘は兄を殺した。抵抗はされなかった。


「―――これが私の全て。調書にも書いてないでしょ?だって言わなかったもの」


美野里は落ち着いていた。憑き物が落ちたようだった。


京介は黙り込んだままだった。彼女にかける言葉が見つからなかった。彼女の行った事は悪なのかもしれない。殺人は悪なのだらか当然だ。だが、殺人へと向かわせた美野里の家族への愛は悪なのだろうか。愛を求める事は悪い事なのだろうか。京介には分からなかった。


「あの兄さん。夏紀兄さんは。四年前に知り合ったの」


京介は相づちを打つように頷いた。


「あの人は、出会った時から空っぽだった。心が壊れていたっていうのかしら。ともかく人ではなかったわ」


「当時は私も収容所で一人暮らしだっから寂しかったのね。まだ情緒不安定

ホームシックってやつかしら?帰る家はないのに、おかしな話」


美野里は恥ずかしがるように口元を曲げた。必要以上に大袈裟なアクションだった。

彼女は続ける。


「だから空っぽの容器に色のついた水を加えたの。兄の人格をあの人に植え付けた。二年かかったわ。毎日毎日、あなたはこんな人間だったのよと吹き込むの」


そうして彼に人格が出来た。美野里の兄、夏紀として彼は生まれ変わった。


「それがあの人の正体。どう?引いた?」


いや、と京介は短く相づちを打つ。信じがたい話だった。人格を作り出す事など可能性なのだろうか。


「それでもあなたは私を外に出していいと思うの?」


「………一つだけ、聞いて良いか?」


京介はジッと美野里を見つめる。


「罪を悔いているか?」


美野里は少し考えるように目をつむった。そしてゆっくりと目を開くと悠然と言い放った。


「人を殺した事は悔いているわ。でも私は家族を守ったと信じてる。その罪は私達が家族であったという事を証明してくれる大切な証」


「だから私は忘れない。私の罪は世界で一番美しい罪であった事を」


沈黙が流れた。京介は何も言わず、美野里もそれ以上何も言わなかった。


美野里は京介に背を向けて家に入ろうとした、これで京介が自分を訪ねる事は二度とないだろう。そう思っていた。


「―――やっぱり、お前は外に出るべきだ」


美野里の考えとは裏腹に、京介はそう言い放った。

訳が分からないと思った。自分が気狂いの殺人者であることは何よりも自分が分かっていた。そんな狂人を世に放つなんて馬鹿げている。


「冗談はよしてよ。何をどう考えたら私を社会復帰させようと思うわけ?」


馬鹿らしいと会話を一方的に打ち切って美野里は扉に手をかけた。扉が少し軋んだ音を立てて開くと、そこには夏紀の姿があった。

話を聞かれなかったか問いかけようと美野里声をあげようとして


「おかえり“優香”。外は暑かっただろ?中でも冷たいお茶でも飲もうか」


言葉を失った。


――――――――――――――――――――――――


安藤賢。適応理由殺人・過剰防衛。


二人組の強盗が押し入り家族三人を殺害。

安藤賢は自己防衛の為、所持していた金属バットで強盗の一人の頭部などを殴打。複数回の殴打により、強盗は死亡。逃げ出したもう一人の強盗を捕まえ、金属バットで頭部を殴打。重度の障害を負う。


逃げ出した強盗を追い掛けた事に、明確な殺意があったとして警察は安藤賢を逮捕。翌日収容所に移送。


尚、安藤賢は精神不安定状態にあり、精神病棟に受け入れを要請。


京介はA4用紙をそっと机の上に置いた。内容は適応者の資料。安藤賢。京介は夏紀と呼んでいた。

安藤賢という名前は夏紀から直接聞いて、アキちゃんに検索して貰った。その資料に京介は目を通していた。


昨日を境に三枝夏紀は安藤賢に戻った。本人がそう言っていたのだ。

美野里を安藤の妹である優香と認識していた。人格に変化は見られなかったが明らかに夏紀は美野里を別人として扱っていた。


ここ二日で起きた出来事を京介は頭の中でまとめていた。

美野里曰わく夏紀が生まれたのは二年前。安藤賢としての人格はまだあったらしく、週に二、三回ほどは安藤賢だったらしい。その時はずっと眠っていたという。京介が二日目に見た、横たわっていた人物は夏紀ではなく安藤賢だったようだ。そして昨夜、安藤賢と夏紀のポジションが入れ替わった。

こんな事は今までなかったと美野里は言っていた。

兄さんが兄さんでなくなったと泣いていた。


「っよし」


座っていた椅子から京介は立ち上がった。まずは情報を集めよう。


――――――――――――――――――――――――


帰り道、京介は偶然花梨に出会った。彼女にも聞きたい事があったので途中まで一緒に帰る事になった。

夏は陽が沈むのが遅いので辺りはまだまだ明るく、空は明るい色彩に埋め尽くされている。

そういえば最近、花梨とよく会うのだが、空の青さについて聞かなくなった。気を使っているのだろうか。


「花梨は美野里の兄の事知ってたのか?」


知ってたとは夏紀が本当の兄ではないという事をさす。


「……はい」


一瞬息を呑んだ後、花梨は小さく頷いた。


「いつから?」


「美野里さんと出会って二週間くらいしてからでした。私が夏紀さんのいる部屋を覗いてしまって、それから美野里さんから事情を聞きました」


流れは大体京介と同じようだ。


「花梨はどう思った?」


京介の問いに花梨は少し考えるように視線を外した。


「………美野里さんは夏紀さんを本当のお兄さんのように思ってました。だったら、それでいいんだと思います。血は繋がってない家族だって家族なんです」


どこか自信なく花梨は呟いた。それは彼女が家族と言うものをよく知らないからなのだろう。


「水上さんはどう思ったんですか?」


京介は答えられなかった。自分よりも一回りほど小さな少女ですら、答えを見つけ出しているのに京介には明確な答えが出せなかった。

押し黙ったまましばらく空の色を眺めていると、隣を歩く花梨が呟いた。


「水上さんは美野里さんを外に出したいと思いますか?紹介したのは私ですけど、他にも外に出たがっている人は沢山いると思います。あの二人はそっとしておいてあげられませんか?」


頼み込むような花梨の視線に京介は正面から向き合えなかった。ただ夕焼け空に目を細くしながら空に放つように一言だけ答えた。


「それを決めるのは美野里だよ」


それは嘘だ。京介は自分の利益を一番に考えている。監視員を辞めたい。外に出たい。その一心で美野里に近づいたのだ。ただここにきて、分からなくなった。少し迷いが生じてしまった。


「なあ、花梨。咎人が罪を悔い改める時に一番大切な事は何だと思う?」


花梨に聞いてもどうしようもない事だと京介は分かっていた。何故なら花梨は咎人ではないから。


「うーん。……分かりません。二度としませんという心構えですか?」


京介はくすりと笑った。確かにそれも大切だ。花梨は小さいながらも持論をしっかりと持っていて立派だと思う。


「それもあるな。でも俺が思うに一番大切な事は」


罪を忘れない事だ。


京介はそう言って花梨の小さな頭に手を置いた。当然の事ながらその手は振り払われた。



――――――――――――――――――――――――



再び美野里の家を訪れた。

美野里は出掛けているらしく、玄関からは夏紀が顔を出した。京介としては好都合だった。


夏紀の部屋は薄暗かった。一度覗いた事はあったが、それほど注意深く見たわけではない。部屋には大凡家具と呼べる物はなく、ただ布団が敷いてあるだけだった。物凄く殺風景で、人の部屋とは思えない。たぶん寝るためにしか使われていないのだろう。少し部屋が可哀相に思えた。


「僕に用事なんて珍しいね。優香に聞かれてはまずい話かい?」


今も夏紀は美野里の事を優香と呼んでいた。優香というのは安藤賢の妹で、強盗事件の際に死んでいる。アキちゃんに貰った資料に書いてあった事だ。


「ええ、少しね」


京介はお茶を濁すように答える。部屋にはスペースだけはあるのだが京介は隅の方に腰を下ろした。狭い所の方が落ち着くからだ。


「何かな。僕が相談に乗れる事なんてあまりないけど。話すだけでも楽になれるかもしれないしね。遠慮なく言ってくれよ」


夏紀はそう言ってうっすらと笑みを浮かべた。人当たりのよい、善人の表情だった。


「はい、そうですね。ではお言葉に甘えて」


京介もそのつもりだった。遠慮や配慮の欠片もない、そんな話を夏紀にしようとしている。それがいい事なのかも定かではない。いや、むしろ悪い事だろう。京介が言わなければ誰も悲しまない。


「あなたは、三枝夏紀さんですね?」


だが京介はそれを許さない。誰かが不幸になったとしても。


「三枝……誰の事かな?僕の名字は安藤だよ」


夏紀は困った表情を浮かべ京介を見る。


「いや、この際安藤賢でもいいです。それ事態には何の意味もありませんから」


「どういう事かな?」


夏紀は少しだけ首を傾げた。少し緊張した面持ちで京介に問いかける。京介はすぅ、と息を吸い込んだ。決意するように。誰かを悲しませるのはこれで二回目だ。


「三枝夏紀も安藤賢も同じ人格ですから」


「………そっか」


夏紀の表情が曇る。やはり美野里と同じように、言い当てられた時の脱力感に似た表情をしていた。数秒俯いた後、夏紀はゆっくりと顔を上げ京介に問いかけた。


「どうして、そんな事を言うのかな?」


「昨日、病院まで行ってきたんです。あなたが入院していた病院に。そこの精神科医に聞いてきました。当時の安藤賢の様子と人為的に人格を作り出す事が出来るのかを」


結論から言って、人に人格を植え付ける事は出来ないらしい。特別な装置や環境があれば別だが、少なくとも収容所内ではそれは不可能だと精神科医は言っていた。

人格、精神は第三者が壊す事は出来ても、作り出す事は出来ない。人格を作るのは、あくまで本人だから。


「当時の安藤賢は確かに他者とのコミュニケーションをとれる状態ではなかったそうです。でも、精神が崩壊していたわけではなかったと言っていました」


「……うん、……うん」


力なく相づちを打つ夏紀を見て、罪悪感が沸き起こる。今すぐ冗談でしたと言ってあげるべきだ。そう思う心を理性で押さえつけた。


「あなたは最初から安藤賢だった。安藤賢で三枝夏紀として生きていた。これに間違いはありませんね?」


夏紀は数秒目を伏せて押し黙った。そして力なく、うんと言った。肯定。三枝夏紀は初めから存在せず、男は安藤賢だった。美野里の兄は死んでいて、二度と元には戻らない。



「……僕は家族を目の前で殺されたらしい。覚えてないんだ。その時の記憶は虚ろで僕が真面目に物を考える事が出来たのは、美野里の家に来たときだった」


小さな声で、夏紀は話し始めた。別の視点から見た、悲しい昔話を。


「僕が目覚めた時、美野里は兄の話をしていた。毎日毎日、絵本を読み聞かせるように兄との思い出を楽しそうに語っていたんだ」


「最初は何をしているのか分からなかった。幾日かたったある日、僕は漠然と理解した。彼女は兄を作ろうとしているんだと。彼女は僕が0だと思いこみ、空の器に兄を入れようとしていた。僕もそれを受け入れた。そして僕らの家族計画は始まった」


それから二年間。安藤賢は三枝夏紀として生きる為に美野里の話を聞き続けた。

美野里が兄を求めたように、安藤賢もまた、今は亡き妹を求めた。偽りの兄妹を演じる事で互いを扶助しあった。互いを騙し続け、二年で完成した兄妹は二年の時を共に過ごした。


「だったらどうして今になって、あいつを突き放すような事を」


円満だった擬似兄妹に亀裂を入れたのは夏紀だった。京介にはその理由が理解出来ない。


「君が現れたからだよ。君が彼女をここから出してあげようと思ったから。家族計画はいつかは終わらせなければならなかった。傷が浅い内に。でも終わらせられなかった。満足してしまった。この暮らしに。一度失った家族を人としての権利と引き換えに手に入れてしまったから」


「だから手遅れになる前に止めたかったと?」


「そのいい機会だと思った」


そんなもの、もうとっくに手遅れだと京介は思った。彼らと同じ。一度得た住処は彼らを離さない。彼らもそれを受け入れる。その過程で得たものを全て忘れて。京介はそれがたまらなく許せない。


「騙し続ける家族は、決して家族じゃない。僕らは戻らなければならないんだ。本来あるべき姿に」


「どうするんですか?」


京介はなるべく素っ気ない声で夏紀に問いかける。


「彼女に打ち明ける。全て紛い物だったんだと」


「壊れるかもしれませんよ。あいつは多分思ってる以上に弱いから」


「かもしれない。だけど彼女が外に出るためには、この関係を断たなければならないんだ。だって彼女は矛盾している。罪は忘れちゃいけないから」




夏紀の表情はいつになく真剣だった。矛盾している。確かにその通りだ。京介は自分の為に、自分が決めた境界線を無視しようとしていた。彼女はまだ外に出るべきではない。一つだけ、やり残している。


「君には彼女のケアを頼みたい。本来なら僕一人でやるつもりだったけど、ここまで知ったのなら手伝ってくれてもいいよね?それに君の利益にもなる」


「……分かりました」


京介は小さく頷いた。

もうすぐ美野里は帰ってくる。心の準備でもしておこうと思った。


――――――――――――――――――――――――


その晩夏紀は全てを打ち明けた。三枝夏紀という人格は存在しない事を、安藤賢が三枝夏紀のふりをしていた事を、全て打ち明けた。


美野里は家を飛び出した。彼女を探すのは京介の仕事だ。

どこに行ったのかまるで検討もつかないが、体力がない美野里だ。それほど遠くには行っていないだろうと前向きに考える。

すでに陽は沈み、暗闇の中にぽつぽつと等間隔の光が頼りなく地面を照らしている。

頬を撫でる風は生暖かく、羽虫は鬱陶しい。これで彼女と反対方向を走っていたらと考えると余計に指揮が下がる。だが京介は走る。こうなったのは半ば自分の責任だ。


運良く京介は美野里と同じ方向を走っていたらしく、道のりの先に彼女の小さな背中が見えた。とぼとぼと力無く暗がりを歩いていた。


「こんな時間にどこに行く気だ?」


美野里は俯いたまま頭を上げようとしなかった。その姿はまるで亡霊のようだ。


「兄さんも心配してるぞ」


京介は鎌を掛ける。相手を苛立たせるように。今はそれでいい。取り付く島さえ見つければ、活路を見いだせる。


ピタリと美野里は立ち止まった。俯いたまま、彼女の表情は窺えない。


「……気付いていたのよ」


震える声で美野里は呟いた。


「分かっていたの。兄さんを作り出せる筈がないのを。あれは紛い物で兄さんのふりをしているもの」


京介は少し驚いた。彼女が見栄を張って言っているわけではなさそうだった。美野里は知っていたと言った。最初から分かっていたと。ではあの時何故彼女は京介に兄を作ったなどと言ったのか。


「でもすがってしまったの。目の前にあった偽りの幸せに。それが本物だと信じ続けたの」


京介は理解した。美野里はあの瞬間まで夏紀を本当の兄だと見ていたのだ。偽物と知りながら本物だと言い聞かせ続けた。


何とも滑稽な話だ。

二人は嘘と知りながら、偽りの日常を得る為に互いを欺き続けた。真実の姿として見なかった。二人な中ではとっくに、いや最初からその幸福は存在しないと分かっていたのに。


滑稽だ。京介は思わず口に出してしまった。

滑稽で無様でそして何より美しい。

それでも、その虚構は一時は成立していた。妄想は現実となり仮初めだとしても幸せを手に入れていた。それを壊したのは他でもない京介自身だ。


だから京介は責任をとらなければならない。


「だけど、だけど兄さんがそれを終わらせてしまった」


夏紀が美野里の事を優香と呼んだ理由は分からない。美野里の気持ちを味わってみたかったのかもしれないし、彼女に日常の終わりをほのめかす為だったのかもしれない。


「もう私達は兄妹には戻れない」


堰を切ったように彼女の瞳から涙がこぼれ落ち地面を濡らした。嗚咽混じりのすすり泣く声が夜の闇の中に響く。


「また始めればいい」


今度は本物の兄妹として。


美野里は首を横に振る。


「何で夏紀がこの擬似兄妹を止めようと思ったか分かるか?」


美野里は首を横に振る。


「俺の所為なんだ。俺がお前を外に出ないかって誘ったから夏紀はそこを終着点にしたんだ」


「……あんたの所為じゃないわよ。いつか…壊れるものだった」


京介は首を静かに横に振る。


「それでも俺が早めたのは確かだ。もっと時間があっても良かったのかもしれない。夏紀は傷が浅い内なんて言ってたけど、もう十分な深さになってた。だったらもっと長い時間をかけて傷を埋めるように兄妹でいればよかったんだ」


ずっと、偽りの兄妹でいる事も選択の一つだ。むしろそれが最良の選択だ。誰も悲しまない。困るのは京介だけ。それも仲睦まじい兄妹の日常を掻き乱した罰にちょうどいい。


「だから夏紀を責めないでくれ。あいつが守りたかったのは偽物の兄妹の絆じゃなくて、本物の家族の愛だから」


それが美野里の矛盾だった。壊れかけた家族の愛を永遠のものにする為に美野里は自らの手で家族を殺した。純粋で不器用な方法で、決して正しくはなかったけれど、求めた愛だけは正しかった。


私の罪は世界で一番美しいと信じている。


その罪は美野里と家族を繋ぐ証だ。美野里が忘れないかぎり消える事はない。


だから夏紀の存在は矛盾していた。夏紀は二人もいらない。死んだ夏紀と生きた夏紀。生きた夏紀を見るという事は死んだ夏紀をなかった事にする事だ。

夏紀を殺したという罪を忘れるという事は家族を否定する事になる。生きた夏紀、安藤賢はそれに気がついた。京介ですら見落としていたのに。


「………そっか」


美野里は頭を上げた。泣きはらして赤くなった瞳と瞼を腕で拭う。


「やっぱり兄さんは賢いなあ……」


消え入りそうで、だけど力強く、美野里は泣き声混じりで呟いた。


「また最初から始めればいい」


「………うん」


「今度こそ本物の兄妹になれるさ」


血が繋がっていなくても、それは確かな事だ。人は一人では生きていけないと言う。その通りだ。人はどうしようもなく弱いから、誰かに依存しなければ生きられない。でも本質的に人は一人で他人を理解する事など出来やしない。複雑で混沌で一筋縄ではいかないのが人間だ。そんな彼らを人でないと言う奴らがいる。とんでもない。お前達こそが“人でなし”ではないか。


「……ねえ、お願いがあるんだけど」


何だ?と京介は答えた。

美野里は夜空を見上げる。山奥だけあって夜空には小さな星が瞬いていた。何光年も前から発した光が絶えず降り注ぐ。その日は星が綺麗だったと記憶しよう。


「私、外に出たい」


そう言って彼女は少し微笑んだ。


――――――――――――――――――――――――


こうして兄妹は新たな関係を歩み始めた。

きっと昨夜は涙の抱擁シーンが繰り広げられていたのだろうが、京介はそれを見る事なく帰路についた。それが一番カッコイいと思ったからだ。


一つの関係が終わり、もう一つの関係が始まった。失ったものは確かにあったけど、守れたものの存在を忘れてはいけない。実質京介は何もしていないのだがそんな事を考えていた。


「よう。元気にしてるか妹?」

道端で偶然(?)美野里に遭遇した。


「あら水上さん。まだいたの?さっさと出て行けばいいのに」


「それにはあと一人必要でね」


「早く見つけなさいよ。私が荷造りする意味がないじゃない?」


二人して笑い合った。何がおかしいのかは分からなかったが、とにかく笑いたかった。ただ爽快に昨日までの何かを笑い飛ばした。

美野里は外に出たいと言った。家族の墓参りに行きたいらしい。それからもう一度この町に帰ってくる。もう一人の家族の下に。それが彼女の計画だ。


「なあ咎人が罪を悔い改める時に大切な事ってなんだと思う?」


「結局、罪人のアイデンティティって犯した罪の事でしょう?その罪を忘れない事かしら?」


理想の答えだ。京介は自分と同じくらいの身長の美野里の頭に手を置いた。言わずもがな払いのけられた。ついでにグーで殴られた。






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