二章②
携帯で書いた都合上、おかしな切れ方になっています。章毎に切れているという事で。
美野里がスプーンを口に運んだのを見て京介も手元にあったスプーンを掴んだ。石の器に触れないようにして中身をかき混ぜる。どうしてこんな専門的な物を美野里が持っているのか疑問に思ったが、鼻をくすぐる匂いに誘われ思考を放棄した。
美野里の料理はおいしいかった。昔、同じ物を自分で作ったことがあったがその差は歴然としていた。
監視員専用の宿舎には食堂があるが大抵京介は自炊をしている。理由は特にないが、何事も完璧になってこその監視員という持論から京介は家事全般をそつなくこなすことができる。
特に料理には力を入れていたつもりだったが美野里の料理を前にその過信は脆くも崩れ去った。
「口にあわなかったかしら?」
感動と悔しさを含んだ複雑な表情を浮かべる京介を見て美野里は訝しげに問いかけた。
「いや、少し驚いただけだ。てっきり出前ばっかり取っているものかと」
マンションやアパートが建ち並ぶ住宅地に一軒家を建てさせる図太さを持つ美野里なら、値段の高い出前を毎日頼んで収容所の経済を困らせようとしていてもおかしくないと京介は思っていた。
「失礼ね。料理くらい自分でするわよ。それに出前ってカロリー高いのばかりだし、毎日頼んでたら今の3倍くらいの大きさになってるわ」
自分は孤高のダイエット戦士なのと美野里は口を尖らせて言う。確かに出前ばかり取っていては健康に悪い。彼女は背も高く服の上から見てもスタイルの良さが浮き出ているが、その影に並々ならぬ努力の存在があることを京介は知る。
「さあ、まだ1階しか終わってないんでしょ?早く食べて掃除しなさい」
美野里の催促を最後に食卓から会話は消えた。
京介はパチパチと音の鳴るビビンバを掬って口に運んぶ。やはりおいしい。幸せな気分に浸りながら昼食は20分ほどで終わりを迎えた。
――――――――――――――――――――――――
2階には3つの部屋がある。一つは美野里の部屋でもちろん入ることは許されない。二つ目は物置のような部屋で色々な物が詰まれていた。どれも長年使われていないようでうっすらと埃を纏っている。
「……暑い」
埃っぽい空気に嫌悪感を覚えながら京介は部屋に一つしかない窓を開けた。窓の先には空が広がっているのかなと覗いてみたが、そこにあるのは薄汚れたコンクリートの壁だけだった。
考えてみれば当然だった。マンションとマンションの間に挟まれるようにして建てられているのだから綺麗な景色など望めない。日照権的に問題ないのか?とも思ったが、美野里は陽の光を捨ててまで他の適応者と暮らすことを拒んだのだから仕方ないのだろうと割り切った。
「あいつって意外に体力ないんだな」
物置を掃除しないのは美野里に体力がないかららしい。一度手をつけたら最後までやり遂げるという真面目な性格故、彼女はこの部屋の掃除が出来ないと言っていた。
「これは……鷲○麻雀牌!なんでこんなものが」
「Eカードまでありやがる……限定じゃんけんのカードも!」
「……チェック。セット。オープン……。な、んだと…っ!い、インチキだ…っ!!何たる横暴…圧倒的横暴…っ!!」
京介は独り言が好きだった。元々一人暮らしの寂しさを紛らわすためにぶつぶつと呟いていたのが癖になってしまった。誰かに見られると酷く滑稽だが今物置部屋には京介しかいない。
「ククク……。残念だったな」
そう言って京介はカードを床に叩きつけた。ブワッと埃が舞い、それを吸い込んで深く咳き込んだ。
「……止めよう」
散らばったカードを片付け、京介は掃除を始めた。
物置部屋の掃除が終わり、京介はスーツの上に着た前掛けを外した。埃が付きやすいので美野里が京介に貸し出したのだ。監視員は常に正装に近い格好を義務付けられているのでスーツは脱げない。ジャケットにいたってはネームプレートが付いているので常時着用していなければならないので夏場は暑くて大変だ。
掃除用具を持ち部屋から出ると京介はふと立ち止まった。部屋は3つある。一つは美野里の部屋、二つ目は物置部屋。そしてもう一つ。京介はその部屋の前で立ち止まった。
「何があるんだ?」
美野里はこの部屋について詳しいことを話さなかった。ただそこは掃除しなくていいと一言言っただけだ。その時の美野里の顔はどこか悲しげな印象を受けた。
好奇心に駆られ、京介はそっとドアノブに手を伸ばした。鍵が掛かっていれば気持ちも収まったのだが、幸か不幸か鍵は掛かっておらず扉は独りでに部屋の中へと吸い込まれていった。
「やば……」
開けてから事の重大さに気がつき京介は開けた扉に手を伸ばす。そして偶然、部屋の中が視界に入ってしまった。
「っ……」
そこには、何が横たわっていた。正確には誰かが布団をかぶり寝ていたのだが、ぴくりとも動かないその様は死人を思い浮かばせる。
その人は横を向いていて顔は判断出来ないが、体格から男だと判断できる。病気なのかただ寝ているだけなのか分からなかったが京介の視線は男に釘付けになっていた。どこかそれが異常に感じて京介は部屋の中に入ろうとして
「何やってるの?」
後ろから聞こえてきた声に、ビクッと身を震わせた。
「い、いやこれはだな。偶然が重なって」
慌てて京介は言い訳を考える。だが美野里に現行犯を見られているので弁解の余地はなかった。
「悪い。どうしても気になって」
京介は美野里の顔色を窺った。きっと彼女は怒りに震えて声も出ない様子なのだろうと思いながら見上げた先にで
「まあいいわ。見るなと言われたら見たくなるわよね」
美野里はなんとも言えない複雑な顔をしていた。怒りでもなく悲しみでもなく戸惑いに似た表情を浮かべてただジッと京介が開けた部屋の中を見ていた。
「……なあ、あの人は誰なんだ?」
京介は思わず聞いてしまった。聞いてはならない事だと分かりながらも知りたかった。あれが何なのか。生きているのか死んでいるのか。
「………あれは、兄よ」
長い沈黙の後、美野里はポツリと呟いた。兄。そう言った美野里が何故か泣きそうな顔をしていたのを京介は見た。
「そっか、じゃあ俺片付けてくるな」
あまり深く関わらない方がいいと京介は判断する。家庭の事情は様々だ。へたに追及して彼女を困らせたくはない。そっとしておくのが一番だと京介は考えた。
京介が掃除用具を持って階段を下り始めた時
「…………兄さん」
寂しさそうに美野里が小さく呟いたのを京介は確かに聞いていた。
――――――――――――――――――――――――
一階に下りて箒や雑巾を片付けた後、同じく二階から下りてきた美野里から一杯のお茶を貰った。
昨日は貰えなかったお茶を京介は嬉しそうに飲み干す。喉を通過する冷たい衝動は今日一日の仕事を労ってくれているようだ。
「お疲れ様。意外と使えるわね」
ストレートな物言いに京介は苦笑いを浮かべる。監視員と適応者という関係は完全に崩壊していた。下剋上というやつだ。京介自信、その身分関係が気にいらなくて監視員を辞めたいという理由もあり美野里の態度は心地良いと感じている。
「この調子で働いてくれれば二年後くらいに考えてあげてもいいわ」
「……そいつは頑張らないとな」
二年という絶望的な長さに打ちひしがれる京介を見て、美野里は愉快に顔を歪めた。天性の性悪女めと心の中で毒づき京介は美野里に視線を戻す。
少し聞きたい事があった。
「そういえば、普段花梨は何してるんだ?昨日は偶然会ったけど会わない日も多いし」
「そんなの分からないわよ。あの子の保護者じゃあるまいし。家にいるか、学校にでも行ってるんじゃない?」
収容所にいる人間の7割は大人だが少なからず子供、つまり未成年者も存在する。少年法が意味をなくした今、例え中学生だろうが罪を犯せば即収容所行きだ。収容所で生まれた子供だっている。
子供が自分から申請したのか、どこかの教育熱心な大人が言ったのか分からないが、小中高と学校が建てられた。登校は自由。だが登校率はかなり高いらしい。同世代の友達と会いたいが為に学校に行く子供達は多いのだ。教師は色々で監視員もいれば適応者もいる。教師で適応者というのは大抵、外で生徒に危害を加えた為というのが多いので大丈夫かとも思ったが、上手く回せているらしい。
「学校か、そういや花梨の奴、妙に博識高いからな。勉強してんだな」
「あんなロリコンの巣に花梨ちゃんが通っていると思うと胸が締め付けられるわ。あなたちょっと学校まで行って見てきなさい」
「いや大丈夫だよ。少なくとも監視員がそういう事をすることは出来ない」
「本当に?平気でレ○プするイメージがあるんだけど」
「出来ないよ。絶対に」
美野里とたわいない話を続けた後、京介は美野里の家を後にした。明日も同時刻に来いと美野里は言っていた。
陽も暮れ始め、オレンジと白が埋め尽くす空を見ながら京介は監視員の宿舎へと向かう。歩きながら京介が考えることは一つだった。
あの部屋で見たものは何だったのだろう。
美野里は兄だと言っていた。それに対しては疑う余地はない。ただ何故寝ていたのか。病気なのか、ただ寝ているだけなのか、何故美野里はそれを隠そうとしたのか。兄と呼ぶのに抵抗があったような気もする。
家庭の事情に首を突っ込むのは良くないと分かりながらも、心のどこかで美野里が外に出たがらないのに関係しているのではないかと考えてしまう。何とか解決出来ないかと思う。あくまで自分の為に。
「明日聞いてみるかな」
美野里に聞けなくても花梨なら知っているかもしれない。そう考えて京介は空に注意を向けた。
空はもう青くはない。当然だ。今まで生きてきた中で夕方をすっ飛ばして夜になった事などない。当然のように空は色を変える。毎日多少の変化を加えて。
京介の夕焼け空は白が強いなと思いながら京介は宿舎へと足を早めた。白く濁った空は曖昧な京介の心情を現しているようで気にくわなかった。
――――――――――――――――――――――――
カチャカチャと食器がぶつかり合う独特の音と流れ出る水の音だけが虚しく部屋を包んでいる。
洗い物をしている女性の名前は三枝美野里という。戸籍のない彼女にとって名前は意味のないものだ。だが両親から貰った名前と家族の繋がりを表す名字は大好きだったので意味がないものとは思えない。監視員からは番号で呼ばれているのかもしれないが自分の名前は生涯一つだけだ。
「………はあ」
食器と水のデュエットにため息が加わり辛気くささがプラスされる。もちろん誰も聞いていないので陰鬱な気分を共有されることはない。
見られてしまった。美野里は小さな声で呟いた。部屋の掃除を頼んだからにはその危険性は必ず現れると分かってはいた。あまり釘をさしすぎると逆に怪しまれると思ったのが災いした。絶対に入るなと言っておくべきだったと後悔する。
あの監視員、水上京介はあれを見て何を思ったのだろう。気をつかったのか追及してくることはなかったが、確実に疑問には思っているだろう。隠さずに最初から伝えておけばと美野里はまた後悔した。
「何で明日も来てって言っちゃったんだろ」
その時の自分の思考が分からない。見られてしまったのだから二度と寄り付くなと言うべきだった。
だが何故か明日もと言ってしまった。彼にこれ以上知られるのは不利益でしかない。彼が監視員なら尚更だ。
彼なら自分の力になってくれるとでも思ったのだろうか。
彼は自分の要求を聞いてくれる。それは彼に目的があるからだ。それが無ければとっくに殺されているかもしれない。そう考えると恐怖で体が震えた。
だけど彼は他の監視員とはどこか違って見えた。自分に対して従属的だからというわけではなく、他の監視員とは自分の見方が違っていたような気がする。
「あいつって、何で監視員を辞めたがってるんだろ」
ふとそんな事を考えた。監視員はこの国でもエリートがつく職だ。同じ人間、(彼らはそうは思っていないのだろうが)、それらの上位に立ち絶対服従を強いる。貴族のような存在だ。
給料はいいのか分からないがこの町にいるかぎり生活に不自由はないだろう。
何故辞めたいと思う?何か外にやり残したことがあるのだろうか?
そう考えているとガタッという音と共に後ろから気配を感じた。
美野里は切り替えるように一息ついた後、無理やり笑顔を作り振り返る。
「おはようござます。兄さん」
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次の日美野里は豹変していた。まず遅刻していったにも関わらず暴言をはかなかった。ですます口調になっていた。仕草が女性らしかった。
わけが分からない。恐怖すらある。京介と別れた後、彼女にいったい何があったのだろうか。
家の中に招き入れられ京介は手持ち無沙汰に立ち尽くすだけだった。仕事は要求されていない。椅子に座る気にもなれず、テレビに映るよく分からないバラエティー番組をぼーと見つめていた。
「お茶が入りましたよ。水上さん」
仕事をしても頼んでもいないのに美野里から冷えたグラスを渡される。最初に出会った日の事を考えると有り得ない光景だ。美野里はにこにこと笑顔を絶やさず京介がお茶を飲むのをジッと見つめている。かなり不気味だと京介は思った。もしかして美野里はMPD(解離性同一性障害。つまり二重人格)なのではと疑ってしまう。
「ああ、いただきます」
京介はグラスを取り中身を一気に飲み干した。味など分かれはずはない。とにかく美野里の視線から逃れたかった。
お茶を飲み干すと美野里はすぐさま京介からグラスを回収し、キッチンへと消えていった。
京介は深くため息をする。事態が全く呑み込めない。
「やあ、こんにちは。水上君、でいいかな?」
自分を呼ぶ声に京介は振り返った。聞いた事のない声だ。美野里でもなければ花梨でもない。男の声色だと判断する。
「あ、はい。水上京介です」
男は京介より年上のようだった。思わず敬語が出る。昨日は見なかったが美野里の知り合いだろうかなどと思いながら男をまじまじと見つめるとあることに気付く。
会った事のなかったはずの男に京介は何故か見覚えがあった。昨日は町を歩いて色々な人とすれ違っているが道端で男を見かけた覚えはない。ならこの感覚は何だろうか。デジャヴという奴だろうか。少し違う気がする。
(あれ?この人って)
思い出したように京介は目を見開いた。男に会ったのは確かに昨日だった。場所はこの家。
目の前の男は二階の部屋にいた男だった。後ろ姿しか見ていないが体格や髪型から確かに昨日の男だと判断できる。
美野里の兄。それが男の正体だった。
やはり昨日は風邪で寝込んでいたのだろうと京介は納得しているとキッチンから美野里が姿を現した。
「あ、兄さん。あ、紹介しますね。水上さん。兄の夏紀です」
兄は夏紀と言うらしい。寝ていて分からなかったが美野里よりも背が低い。当然京介よりも背が低いわけで温和な印象を受ける。
「どうも、美野里の兄の夏紀です」
そう言って夏紀は手を前に出した。すぐに握手だと分かり京介は夏紀の手を握った。手は驚くほどに小さくほっそりとしていた。
夏紀も監視員という立場の京介に対して特別な態度をとることはなかった。昨晩美野里が説明したのだろう。忠実な僕がいると。
「美野里を悪漢から守ってくれたんだって?見ての通り美野里はか弱くてね。きっと悪漢に襲われたときも恐怖で動けなかったんだろう。勇気ある君の行動に兄から感謝の言葉を贈らせくれ」
「はい?」
何やら見に覚えのない善行が夏紀に擦り込まれていた。京介は思わず美野里に視線を向けた。
「本当に水上さんには感謝してるわ。私だけじゃどうにもならなかったもの」
美野里は笑顔で京介の善行を讃えていた。そして彼女と視線が合う。笑っているのに一切笑っていなかった。細めた目が語っている。合わせないと殺すと。
この時京介は理解する。美野里はMPDなどではない。何故かか弱い女性という皮を被っているが、彼女はいつもの彼女だった。
「そうだ。水上さん。これから買い物に行きたいんですけどご一緒してくださいません?まだ不安で、兄は見ての通りボディーガードには向いてませんので、水上さんがよろしければ………」
などと語尾を弱めて如何にも気の弱い人物をアピールする美野里だが、これは決定事項だと彼女の目は語っていた。有無を言わさぬ迫力に京介はただ無言で頷く事しか出来なかった。
舗装された道路を歩く。アスファルトは陽の光をふんだんに溜め込み、熱したフライパンのように空気を加熱している。その空気の中を歩く京介は吹き出る汗を拭いながら、隣を歩く美野里に目を向けた。
美野里は涼しそうなワンピースとレギンスというスタイルだった。京介とはあまりに対照的た。
彼女は無言で歩く。だが夏の暑さと足を叩くアスファルトで体力は削られ、ハァハァと荒い息づかいが聞こえる。
「な、なあ」
沈黙に耐えかねて京介は美野里に話しかけた。何でもいいからこの張り詰めた空気をどうにかしたかった。
「あ?」
たまらず京介は目を反らす。『は?』ではなく『あ?』だった。とにかくお怒りのようだった。
「何で私が働いてもないあんたにスマイル作ってお茶だすかって?仕方ないんだよ!兄さんの前だったからな!」
聞いてもいないのに美野里は説明を始めた。曰わく、兄には清楚キャラで通っているとか。
だから京介との出会いを捏造し兄に伝えた。悪漢に絡まれたとしても美野里なら逆に正座させて小一時間説教をするような気がするが、清楚キャラの美野里は怯える事しか出来ないようになっているらしい。
疑問が解けて京介は安心の表情を浮かべた。最初美野里に会った時はあまりのギャップに霊が乗り移ったかと思ったほどだ。
「じゃあ買い物も口実だったのか?」
「いえ、それは本当よ。あんたは荷物持ち」
「車とかないのか?確か申請出来たと思うけど」
「私が始めて乗った車は僅か三日で大破したわ。全く根性のない」
「根性論を機械に要求するなよ……」
今の美野里は昨日一昨日の美野里であることを確かめながら京介は会話する。清楚美野里は見事な猫被りだった。京介も始めて見た美野里がこれだったら間違いなく騙されていただろう。
「どこに買い物に行くんだ?」
「ジャースコよ」
「そんな大手スーパーがこんな所にもあるのか?」
ジャースコは全国に店舗を持つスーパーだ。最近イオーンなどと呼ばれてもいるが前者の名前の方が有名だ。
「あるわよ。他にもニドリとかジマムラとか、二年もここにいて一度も行った事なかったの?」
「自分はもっぱら東友派ですから。あとコンビニも。ローソソとか」
「それも全国チェーンじゃない」
意外と収容所で知らない場所が多い。確かに普段生活するのに必要な物や建物は歩いて10分ほどの場所にある。あとは『詰め所』くらいしか行かないので収容所の端の所は何があるのかあまり知らなかった。
「……本当に外と変わりないわ」
美野里はどこか遠い目をして呟いた。
外の世界、美野里は何時からここに居るのだろうと京介はふと考えた。長くこの町にいると外の暮らしを忘れてしまう。それも悪い所だけ。収容所は毒抜きされた世界と言ってもいい。彼女はまだ外の苦しい世界を覚えているのだろうか。
「お、あれみたいだな」
平らな道の先、小さく見えるが他の建物よりもあきらかに大きな建物が見える。あれがジャースコで間違いなくだろう。
「早く行きましょう。中は涼しいだろうから」
「ああ、そうだな」
冷房の利くオアシスを求め、2人の足に力が入る。ひとまずは水分補給だ。
――――――――――――――――――――――――
ジャースコの中はひどく涼しく感じた。スーツの下のYシャツは汗を吸い冷たい空気に当てられ冷湿布のように京介の体を冷やしていた。
脱水症状になりかねなかったので自動販売機からミネラルウォーターを貰い、休憩所のような場所で京介は体を休めている。そんな京介を気遣ってか美野里は一人で買い物に出かけ、京介はこの場所から動くなという指令を賜っていた。
15分くらいすると体も回復しやることがなくなる。京介は何気なく視線を泳がせる。ジャースコから人の気配は消えることはなく、行き交う人々は皆当たり前のように歩いている。京介と目が合うとすぐさま目を反らすが、刑務所があった時代では考えられない光景だ。
そんな中、京介の前を一組の家族が通り過ぎた。母親と父親に手をつながれ笑顔を浮かべながら歩く子供はこの収容所内で生まれたのだろう。父親と母親の両方が罪を犯した時、その子供はほとんどの場合外に残される。親戚や施設に預けられるのだ。
親に会えない子供の心情は京介には分からない。京介には外で暮らしている両親がいるし、ホームシックになる年齢でもない。だけどそれはとても辛い事なのだろうと思う。予測する事しか出来ないが両親と共に収容所に入る方がよいのかもしれないと思うほどに。
身近な存在だと花梨がそうだ。彼女に両親がいないのは最近になって知ったことだが、京介が知る前からも彼女は寂しい思いをしていたのではないだろうか。
それは可哀相だと京介は思った。今度調べてみようとも思う。花梨には美野里を紹介してくれた恩もある。お返しといってはおこがましいが、それくらいはしてあげるべきだろう。
残っていたミネラルウォーターを全て喉に流し込み、空のペットボトルをゴミ箱目掛けて投げる。ペットボトルは一度もバウンドすることなく水色のビニール袋の中に吸い込まれた。気付かれない程度にガッツポーズをとるとコツコツと床を叩く音が迫ってくるのに気付いた。
「早かったな」
京介は思ったことを口にした。
「それほど混んでなかったから」
ぶっきらぼうに答える美野里はからからとカートを引きながら京介の座る椅子の前で止まった。
彼女の引くカートには膨れ上がったビニール袋が二つと下の段に十キロ米が積まれていた。遠慮の欠片もない買い物ぷりだと賞賛する。帰りは倒れるかもしれないなと軽く考えながら京介は小さくため息をついた。
「何を見てたの?ああ女ね。いやらしい。私にも色目つかってたのかしら?ちょっと近寄らないで、犯されるわ」
勝手に聞いて勝手に完結して勝手に引いた美野里はわざとらしく京介から距離をとる。
「ちげーよ。あの仲睦まじい家族をだな」
京介が指差すその先に先ほどとは違った家族があった。彼らも同じように幸せそうに歩いている。
「ふーん。………死ねばいいのに」
興味ないような相槌を打ちながら、京介にだけ聞こえるような声で美野里は呟いた。
「とことん歪んでるな……」
「気に入らないのよ。身の程知らずのあいつらが。だから私はあいつらと一つ屋根の下で暮らすなんて考えられないわ」
「何よ、幸せそうな笑顔浮かべて。あんたは本来幸せに暮らす権利なんてないでしょうが、適応者になったからって罪が消えるわけでもなし。へらへらと笑って、どうせもう自分のやった罪のことなんて覚えてないのよ」
絶対に聞こえない距離を取りながら美野里はぶつぶつと文句を言う。彼女は内弁慶的な性格のような気がする。京介に対してはとことん強気だが。
そんな美野里を呆然と見つめていると何か文句があるのかしら?と鬼のような形相で京介を睨みつけた。よく一人でそこまで盛り上がれるなと感心しながら京介はカートに置かれたビニール袋を持ち上げた。
割と軽いなという感想を抱きながらも下のお米をどうしようかと悩む。自転車でも持ってこればよかったと後悔しながら右手にビニール袋、左肩に十キロ米というワイルドなスタイルを選んだ。
「一つくらい持つわ」
「いや、今ビニール袋をとられるとバランス的にまずい」
頭を右に傾けながら京介は出口へと向かう。
自動ドアが開くとムワッとした空気が流れ込み京介は顔をしかめた。ジャースコで冷やした体はすぐに温まるだろう。
だが上目遣いに空を見上げると太陽は厚い雲に覆われいた。これで少しは気温が下がってくれることを祈る。
「うーん。明日は雨かな?」
適当に天気を予想しながら京介はコンクリートとアスファルトの道を踏みしめた。
――――――――――――――――――――――――
次の日は雨だった。
朝起きた時には空から際限なく落ちる水滴が夏の暑さごと色々なものを洗い流していた。昨日ほどの暑さではないが雨だと逆にじめじめするので不快指数的には変わらない。いや、洗濯物の乾き具合を考慮すると僅差で雨の日の不快指数の方が高かった。
「てるてるぼうずでも吊しておくべきだったかな」
雨は嫌いだが晴れなければ首を落とされるという過酷な運命を強いられたてるてるぼうずは割と好きだった。晴れれば賞賛の言葉を贈るし、雨が降れば肩を叩いてこんな日もあるさと励ますくらいだ。もちろん首を落とすなんてことはしない。
「この雨であいつの家に行かなきゃならないなんて。靴を投げるタイプの天気占いをしておくべきだった」
あれなら晴れが出る確率が高い。靴が表になる可能性がはるかに高いからだ。面積的な意味で。
京介はベッドの横に置かれたデジタル時計に目を向ける。8時30分。ちょうどいい時間だ。スーツのジャケットに腕を通しながら傘立てに立てられた傘を掴むと部屋から出る。今日は遅刻しないようにしようと京介は心の中で誓った。
宿舎から出ると雨の当たらない玄関付近で手持ち無沙汰に赤い傘をくるくると回す花梨を見つけた。普通なら監視員の宿舎に適応者は寄り付かない。花梨もそれを知っているのか監視員と目を合わさないように傘の先端を見ながら俯いていた。
「何やってんだ?」
ビクッと体を震わせた後、上目遣いで花梨は顔を上げる。そして相手が京介だと分かると、何だよお前かよといった表情を浮かべて安堵の息をついた。
「今日も美野里さんの家に行くんですよね?」
「うん、何時まで続くか」
「私も行きます。一緒に行きましょう」
ワンタッチオープン式の傘を開き花梨は濡れたアスファルトの地面に跳ねるように足をつけた。
どうしてわざわざ宿舎まで来たのか分からなかったが深くは考えず花梨の後を追った。
☆
赤と黒の二つの傘が並ぶ。
ぱらぱらと傘を叩く音と車のタイヤが水を巻き上げる音が響く。
雨の日は会話が弾まない。まるで雨の雫で滲んでしまったかのように一言二言で会話が途切れる。
今は無言で美野里の家に向かっている。若干の気まずさを感じながらもどうしようもないと思い京介は黙々と足を進める。こういう日もたまにはいい。
ふと京介の視界に群れをなして向かってくるドラム缶のような物体が映った。丸っこい角のないフォルム。一目で見慣れた掃除ロボットだと分かった。
収容所には多数のロボットが存在する。掃除ロボットや受付ロボット。料理を作るロボットもいる。そしてそれら全てに高性能なAIが搭載されている。
これら高性能のロボットはこの国が国営で独自開発し、その技術をほぼ独占していた。ロボットは世界中に販売されていて、他国はそれを分解し構造を理解しようとする。だが未だに我が国の技術をトレースできた国はないらしい。噂では一人の天才科学者が従来と全く性質の異なるAIを作ったとかで、構造を把握することは不可能らしい。
そんな訳で市場を独占し莫大な利益をあげ、これまた莫大な金を消費する『適応者の保護』をなんとか続けられているのだ。
掃除ロボットは下についたローラーで地面を滑るように走っている。雨の日の方が汚れが浮き出て掃除しやすいのだろうかと考えていると、掃除ロボットはその体の中心部分につけられた赤外線センサーのような物で京介達を感知し道を開けるように二手に別れた。
「仕事熱心だね。頑張ってくれよ」
聞こえているのかは分からなかっただ、通り様に京介は労いの言葉を投げかけた。二股に別れたロボット達はまた一つに戻り曲がり角を曲がって行った。心なしか動きが早まったような気がした。
「あれ?もう一台来ますね」
赤い傘から小さな指を出しながら花梨は不思議そうに呟いた。前を向いてみると確かに群からはぐれた動物のような掃除ロボットが一台のろのろとこちらに向かってきていた。
ところどころに傷があり、年期が入っている。その掃除ロボットは京介の前でピタリと動きを止めた。
「故障でしょうか?」
花梨の言うとおり普通なら故障と思うだろう。だが京介は違った。この掃除ロボットには見覚えがある。
「花梨、ちょっと右にずれて」
「はい?」
「いいから」
京介に促され花梨は歩道の少し右側に移動した。同じく京介も花梨とは反対に左側にずれる。
すると止まっていた掃除ロボットは鳴き声に似た機械音をあげ京介と花梨の開けた道を通っり過ぎて行った。そのまま曲がり角で曲がり姿が見えなくなる。
「何なんですかあれ」
「あいつは道を譲らないと通してくれないんだ。俺の時だけかもしれないけど」
ロボットの方が自分より役立っているので文句は言えなかった。
9時を回る前に美野里の家に着く。その頃には雨も少し治まってきていた。相変わらず美野里は清楚モードだったが花梨は事情を知っていたのか驚いた様子を見せなかった。
あれを見てどう思う?と京介は花梨に聞いてみたが、どちらも美野里さんですと大人な意見を返された。
本来なら庭の草むしりをやらされるはずだったのだがあいにくの雨でその仕事はなしになった。
「思い出の品を漁りましょう」
ソファーに座りテレビに視線を向けたまま花梨はそう言った。
ちょうどテレビには骨董品などを鑑定して値段や価値をつける番組が流れている。
「水上さんがちょうどあの部屋を掃除したみたいですし、宝探しです」
目を輝かせ、花梨は言う。京介が美野里の方に目を向けるとちょうど彼女と視線が交わった。美野里は少し困ったような表情を浮かべている。見られたくない物でもあるのだろう。
「お、いいじゃないか。懐かしい物が出てくるかもしれないな。美野里もいいだろ?」
後ろからひょっこり現れた夏樹は花梨の意見に賛成のようだ。美野里は兄の言葉にまた困った表情を浮かべるが拒否はしなかった。
「いいのか?」
京介は小さな声で美野里に問いかける。
「………はい、構いませんよ。いらない物の整理にもなりますし」
まばたきよりも少し長い間目をつむった後、決心したように美野里は言う。
美野里がいいと言ったのだからそれでいいのだろう。京介は軽く考えてテレビのスイッチを切った。
二階の物置部屋は二日前に京介が掃除したので吸い込めば体を悪くするレベルの埃はない。だが部屋に置かれた本などは水拭き出来ないのでまだ少しうっすらと埃が残っている。
「流石に四人は狭いですね」
「意外と物が多いからね。棚に置かれてるだけまだスペースが確保出来てるよ。掃除してくれた水上君に感謝するよ」
最初の部屋の状態は置かれていた棚があまり機能していなかった。ただ無造作に、というか元あったものが下に落とされた状態で足の踏み場もないほどだ。それをちゃんと棚に戻すと驚くほどに片付けられた。
「……こうなるなら掃除なんて頼むんじゃなかった」
か細い声で美野里が呟くのを聞き流しながら、京介は近くにあった鷲巣麻雀牌を手の中で転がす。人の私物を漁るのはよくない事だと思う。彼女が嫌がっているのなら尚更だ。
とりあえず花梨が満足するのを待つ事にした。
「何でしょうこれ?黒い石みたいですね」
「黒曜石だね。ナイフ型に削られてる。価値があるようには見えないな」
「じゃあこれはどうでしょう?白い修道服みたいです。あっ、何か書いてありますね。……歩く教会?」
「シルク素材みたいだね。作りもいい。何でこんなとこにあるのか分からないけど、鑑定してもらえば高値がつくかも」
「私達にお金なんて必要ありませんけどね」
だったら最初から言うなよと京介は思った。思ったが口には出さない。
「……っと」
手の中で転がしていた牌が京介の手からこぼれ落ちた。牌は床を弾むように転がり棚の下に入ってしまう。
麻雀牌は一つでもなくすと遊べなくなる。特に透明な鷲巣麻雀牌は替えが利かない。
京介はしゃがむと棚の奥へと手を伸ばした。棚の手前の床は掃除されているが中央はまだ埃が溜まっていた。さらさらとした感触に不快感を覚えながら京介は手をさらに奥へと伸ばす。
手に何か固い物が当たる感触がした。もちろん麻雀牌にしては大きすぎる。偶然入り込んでしまったのだろう。掃除の時も見落としていた。京介は元の場所に戻すため、固い何かを掴み引き寄せた。
固い何かは本のようだった。ついでに麻雀牌も出てきた。
「アルバム、だなこれ」
本だと思ったが表紙がやたら厚いそれはアルバムのようだった。年号が書かれている。
開けて見てみようかと思う。だが彼女が物置探索を嫌がっていた(ように見えた)理由はこういった品を見られたくないからではないかとも思う。
ここにいるからには当然家族にも会えないのだろう。だったらその家族との思い出の品を自分が勝手に覗いてしまうのはよくない事だ。花梨もそういった物には手を出さず、骨董品的な物で遊んでいる。
京介は中が見えないようにアルバムを棚の一番上へと持って行った。目に付く場所に置いておけば美野里が処理しておくだろう。
「―――きゃっ」
突如棚が揺れた。反対側にいた美野里が何かに躓いてバランスを崩したようだ。棚に体を預け幸い転ぶことはなかった。だがその衝撃で棚に置かれていた物の一部がぱらぱらと落ちる。
その中には京介が置いたアルバムもあってゴンっと音を立てて床に転がった。
「やばっ」
慌てて拾おうとする京介の手が止まる。アルバムは落ちた衝撃で開いていた。中には幸せそうに笑う家族の写真があった。かなり昔の写真のようで、写真の美野里はあどけない子供の姿をしている。隣に美野里よりも少し背の高い少年。夏紀だろう。その左右を挟むように二人の大人が笑顔を浮かべていた。
普通の写真だ。何の変哲もない。だが京介はそれが不自然だと思ってしまった。確証はない。気のせいかもしれない。
京介は確かめるようにアルバムへと手を伸ばそうとして
「っだめ!!」
横から伸ばされた美野里の手に阻まれた。
「わ、悪い」
謝りながら京介は美野里の顔色を窺った。
彼女はアルバムを両手で抱いたまま立ち尽くしている。彼女は複雑な表情を浮かべてアルバムを棚を上に置いた。
「小さい頃の写真って恥ずかしから」
それには概ね同意だと京介は頷いた。
宝探しは終わり京介達はリビングへと戻ってきた。物置からはいらない物や今欲しい物などを持ってきた。その中に歴史的価値のありそうな物はなかったが花梨は満足そうだった。
「何か一つ欲しい物があったら持って帰ってもいいよ」
今までのお礼にと夏紀は机の上に置かれた雑貨を指差した。
花梨はその中から花の紋章がついたバングルを取った。ファッションアイテムとして使うのだろう。
「水上君も」
京介は積み上げられた雑貨を見つめる。正直欲しい物はない。だが何もいらないと言うのも好意を無碍にしているようで気が引ける。
「お、」
その中に異様な空気を放つそれはあった。
それはネックレスだった。何の変哲もない、角の取れた金属の板に銀色の鎖がはめられている。異様な空気が流れる物とは言い難いのだが、京介はそれに何故か注目してしまった。
「ん?そんなのでいいのかい?」
「あ、はい。けっこうカッコイいかも」
京介はネックレスを手に取り、触ってみる。よく見ると板には文字が彫り込まれていた。数字とアルファベットの混じった十個ほどの文字。その並びに思い当たる節はない。きっと適当か、製造日時が彫られているのだろう。