二章①
携帯で書いた都合上、おかしな切れ方になっています。
「なあ、そこのあんた」
取りあえずという感じに京介は通りすがりの男に声をかける。声をかけられた男は面倒くさそうな顔をした後に立ち止まり、何?と苛立ちを含んだ声で問いかけた。だが京介のスーツの胸につけられたネームプレートを見るやいなや男は慌てて何でしょうか?と丁寧な口調に変わり京介の顔色を窺うように見つめた。
「いやあんたさ。ここから出たくない?」
「は?」
京介の言葉に耳を疑ったような男の短い声が響く。
「ここから出られるなら出たい?って聞いてるの」
訳が分からないといった様子で男は唖然と立ち尽くす。だがしばらくして自分に問いかけているのが監視員だということを思い出し男は慌てて話し出した。
「……出たい、とは思いませんね。ここの暮らしは快適ですし、もう一度社会に出て暮らそうなんて考えられません。も、もちろんこの生活が送れるのは政府と監視員のおかげです。本当に感謝しています!」
他の監視員もしくはあの所長が聞けば得意気に笑い声を上げるのだが京介は違った。変わりに京介の不満げな顔を見た男はひぃっとだらしない声を上げた。
「……分かった。もう行ってくれ」
京介がそう言うと男は足早に走り去って行った。あの男を連れてこいつは外に出たいと言っていたという手もあったが、所長を騙し通せるとは思わなかった。
「なあ、そこのあんた」
今度は小柄でいかにも気の弱そうな女に京介は声をかけた。彼女ならいけるのでは?京介は考える。
「……な、なんでしょうか?
か細い声で女は呟いた。
「あんたさここから出たくない?」
「い、いえ」
小さい声で、だけどはっきりと女は出たくないと言った。
「本当に?」
即答された苛立ちと諦められない気持ちから強めの口調で再び女に問いかける。それでも女は怯えながらも懸命に首を横に振った。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
何に謝っているのかも分からずに女は頭を下げる。ここにきて京介は自分の浅はかさに気づく。これではどう見ても脅迫である。四方八方から刺す侮蔑の視線を感じ京介は慌てて女性を解放した。
「……これはもしかすると」
所長の嫌みったらしい笑い顔を思い出しながら京介は空を見上げた。今の自分の顔もこの空と同じくらいに青白いのだろうと思いながら、京介は深く溜め息をついた。
――――――――――――――――――
少し塗装の剥げたベンチに腰掛け京介はまたアンニュイな溜め息を漏らす。あれから3時間、キャッチセールス地味だ行為を繰り返したが収穫はゼロであった。誰一人として外に出たがる者はいなかった。考えてもみれば当然なのだろう。今更社会に戻った所でまともな生活が送れるはずがない。
「所長も人が悪いね。これじゃ一生出れないじゃん」
首筋を伝う汗を拭いながら京介はペットボトルの飲み口に口をつける。中から流れ出る冷たい水で喉を潤しながら京介は今後のことを考える。
もう脅迫でもいいから2人連れてこようかな、などと考えもしたが得策ではないと言える。
仮にその2人が社会復帰を認められて人権を取り戻した時、報復として脅迫の罪で訴えられる可能性がある。それでは意味がない。京介自身が適応者になってしまえば、外に出るチャンスは2度と訪れないだろう。
「豊かな暮らし、出たくない。か……」
手に持っていたペットボトルがパキッと乾いた音を立てた。京介が慌てて力を緩め形を直すと反動で中の水が跳ね上がる。
ベンチの下の舗装された道の上に落ちた水滴は地面に飲み込まれるように消えていった。
京介はそれをじっと眺めた後、ベンチにもたれかかった。
「……こんな狭い世界じゃ、飲み込まれても仕方ないのかな」
収容所は四方10kmを囲んで作られている。それを京介は箱庭と呼んでいる。小さな箱の中に作られた自由な庭園は、理想通りに形を変えることができる。それとよく似ていると京介は思う。彼らは箱庭の住人として、知らず知らずの内に世界の思うがままに動かされている。いや、実は気づいているのかもしれない。自分達が政府の思い通りの思考をしているのを彼らは知っているのかもしれない。そして、それで構わないと思っているのだろう。幸せに暮らせるのならと。
「こんな所で何してるんですか?」
不意に京介の青空が影へと変わる。少女は空を仰ぎ見る京介の視界を塞ぐようにのぞき込んた。
少女と目が合う。まだ幼さ残す少女の可憐な風貌に京介は天使を思い浮かべた。そしてすぐに彼女は天使などではないと分かる。羽や輪っかなどないし、何より京介は少女を知っていた。
「今日も元気そうで何よりだ。花梨」
京介は少女の名前を呼ぶ。花梨。それが少女の名だ。名字は知らない。花梨という名前も本当か分からないが彼女自身がそう言ったので京介はそう呼んでいる。
「はい、今日も元気溌剌の花梨さんです!」
少女特有の甘ったるい声と共に花梨はにんまりと笑顔を浮かべた。見ているだけで力を貰える、この笑顔が京介は好きだった。
「ところで、一体何をしてたんですか?」
「世知辛い世の中に嫌気がさしてた」
「ここより満足度の高い町はそうないと思いますけど……。まあ他の町に行ったことのない私が言うのもなんですが」
ベンチの真ん中を占拠している京介の右側に潜り込むように花梨は座る。そして京介の右腕に頭を預けるように空を見上げた。
「見つかりましたか?空が青い理由」
「いいや、わからん」
花梨は京介と会うと何時もそれについて問いかけた。
『空が青いのは太陽の光が空気中を進む際に、空気の分子に当った光の一部が四方八方に乱反射してしまう。この乱反射の大部分の光はそのまま地上まで届くが、問題はその散乱された一部の光にあり―――』
京介が知っている科学的見解を述べても。
『そんな科学的根拠は聞いてません。もっと別の私を納得させる答えをください』
と言って花梨は別の答えを見つけろと言う。まったく訳が分からない。京介はそう思いながらもしぶしぶ彼女の認める答えを探すことにした。未だ答えは見つからないが。
「だいたい空は青だけじゃないだろ。夕方には赤くなるし、灰色だってある。実は俺達が見てない間は緑色をしているかもしれない」
「世界中で誰一人として空を見ない瞬間なんてあるのでしょうか?」
「あるんじゃない?1人くらい見ててもそいつの妄言って事で片付けられるし」
「世知辛いですね……」
「ああ」
たった一つの真実は大多数の嘘偽りに飲み込まれる。そして真実を伝えようとした者ですら、大多数の嘘を認めてしまう。京介は思う。真実とは数で決まるのだと。
「あ、そうだ。花梨」
京介は思い出したように視線を花梨へと移した。花梨と会ったら言わなければならないことがあったと京介は言う。
「俺、ここ辞めることにした」
「はい?」
思いもよらぬ京介の突然の告白に花梨は目を丸くし驚きの声を上げた。
「なんつーかさ。嫌気がさしたっていうか、外に出たくなったというか。まあ色々あってここを去ることにしたんだ」
「……寂しくなりますね」
先ほどの明るい元気な表情は一転暗い影を落としたような表情へと変わる。花梨と京介は2年の付き合いがある。突然の別れに花梨は目に涙を浮かべた。
「いつ頃に出て行くのですか?」
「それがさあ、所長が認めてくれなくて、ここを出たければ外に出たがっている適応者を2人連れてこいだとさ」
「はあ……」
思わせぶりな発言をした京介に対し呆れたとばかりに花梨は相づちをうつ。
「だからさお前外に出てみないか?」
「えっ?」
京介には確信があった。花梨の外に対する憧れの強さを京介はよく知っている。彼女との最初の出会いは、まさにそれだった。
「……ごめんなさい」
だが京介の期待は裏切られる。京介の言葉に一瞬明るい表情を見せた花梨だったが、すぐに表情を曇らせ俯いてしまう。
「どうして?」
「……私が勝手に出て行くとお父さんとお母さんが心配します」
「……そっか」
花梨から両親の話を聞くのはこれが初めてだった。花梨は歳のわりにかなり大人びた雰囲気をしている。その理由は両親の不在にあるようだ。花梨はずっと両親の帰りを1人で待っているらしい。おそらく、生活できるように家政婦を寄越してもらっているのだろうが、それでも大部分は1人で暮らしているのだろう。
「だからごめんなさい。水上さんのお誘いは嬉しいですけど、私はまだここにいます」
「……ああ、気が向いたら何時でも言ってくれ」
あてにしていた花梨が駄目だと分かり京介のテンションは急激に落ちていった。花梨はそんな京介を申し訳なさそうに見つめる。
「水上さん、そう落ち込まないでください。私は駄目ですがまだ人は沢山います」
「そうは言うけどさ、お前以外に外に出たがる奴なんているとは思わないぞ」
「いえ、私に心当たりがあります」
「……マジ?」
「はい、こんな世界糞くらいだとこの前言ってました。あの人なら外に出たいと言ってくれるはずです」
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花梨に連れられ足を運んだ先は収容所の北に位置する集合住宅地だった。マンションやアパートが並ぶその場所で花梨が目指したのは住宅地には珍しい一軒家だ。
「一軒家とは珍しいな」
収容所に入れられた適応者には住居が与えられるが、ほとんどがマンションやアパートの一室を与えられる。
なぜなら収容所の敷地は限られているからで、家はがり建てていてはすぐにスペースがなくなってしまうのだ。なのでより少ないスペースで多く住める、マンションやアパートを建てるのだ。
「ここの家主は変わり者ですから。他の人達と住みたくないってわざわざ家を要求したくらいです」
「監視員側はよく認めたな」
「申請すれば大抵の物が手には入るのがここですからね。でもみんな、ここが無くなるのを何よりも恐れているので必要以上に要求はしないんですよ」
「だから家主は変わっていると」
「性格的にもかなり破綻してますけどね」
そう言って花梨は一軒家のドアの上の方にについたインターホンを押した。家の中からこもった呼び出し音が3回連続で鳴り響いた後、パタパタと廊下を走る音が聞こえてくる。
「……どちらさま?」
ドアが開き家の住人が少し頭を出した。住人は女性で若かった。自分と同じくらい20代前半くらいだろうと京介は予想する。
女性は京介の顔を見て、次に左胸に付いたネームプレートを見た後、大きな溜め息をついた。その後、迷惑極まりないと言いたげに 京介に視線を向ける。
「……立ち退きはしないわよ。あんな奴らと生活を共にするなんてまっぴら御免」
女性は京介を立ち退きを迫りにきた監視員だと勘違いしているようで、あからさまに敵意を含んだ鋭い視線をぶつけてくる。
自分のこれからを決める大切な人物なので悪い印象を持たれまいとと真面目に正した恰好が逆に悪印象を与えてしまったことに京介は頭を垂れて落ち込んだ。
「違いますよ美野里さん。この人は監視員ですけど止めたがっている監視員ですから」
慌ててフォローに回る花梨。京介の背にすっぽりと収まるほど小柄な体を大きく揺らして美野里と呼ばれた女性にアピールする。
「なら何しに来たってのよ…ってあら花梨ちゃんじゃない。どうしてあなたが?」
花梨の存在に気づいた美野里は視線を下に向ける。
「今日は美野里さんに紹介したい人がいまして……まあ、もうファーストコンタクトは済ませてますけど」
「紹介したい人って、この監視員?」
花梨に視線を固定したまま、美野里は京介を指差した。
この様子から美野里は他の適応者とは違うのだと京介は判断する。
彼女は監視員である京介に対し敬意というか恐れを一切抱いていない。先ほど町の中央で適応者に声をかけた時の事を思いだす。監視員は適応者にとって恐怖の象徴であるのはこの2年で京介が学んだことの一つだ。適応者のほとんどは逆らうことの許されない監視員に対し恐怖し近づぎたがらない。
彼女が発しているのは恐怖ではなく敵意。あくまで対等として京介を見ているようだった。
「どうも、はじめまして水上京介でーす」
監視員らしくない飄々とした態度で京介は自己紹介をする。美野里は監視員が嫌いなようなので『らしくない』態度を心がけ挽回を図る。
「へぇあなたが……まあ、外は暑いし中に入って」
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美野里に招き入れられ京介と花梨は家の中へ入った。外装と同じで中もごく一般的な作りをしている。
リビングでは冷房がせわしなく冷えた風を送り、長らく外で夏の日差しに当てられていた京介は幸せそうに汗を拭った。
「なあ、花梨。お前あの人どどうやって知り合ったんだ?」
京介は小声で花梨に尋ねる。
「えーと3年前くらいですかね。夏の日差しに体をやられてふらふらしてたのを助けられたのが馴れ初めでした」
「馴れ初めって恋人みたいな言い方だな」
「それぐらい信頼していると捉えてください」
「因みに俺は?」
「知り合い以上、友達未満ですかね」
花梨はリビングに置かれたソファーに座る。シビアだなと呟いた後、京介も近くにあった椅子に腰かけた。
「ウーロン茶でよかったかしら」
お盆にグラスをのせ美野里はキッチンと思わしき場所から現れた。
「大丈夫です」
花梨は美野里からグラスを受け取るとごくごくと喉をならして一気にお茶を飲み干した。
美野里もお盆を机に置き表面に水滴が浮かぶいかにも冷たそうなお茶を飲むと花梨の反対側にあったもう一つのソファーに腰を落ち着けた。
「……あれ?俺のは?」
「は?て言うか何で私の家にいるのかしら?出て行ってくれない?」
美野里の汚い物を見るような視線が京介を刺す。
「いやいや、あんたが招き入れたんだろ」
「私が入れたかったのは花梨ちゃんだけよ。あなたは不法侵入ね。さっさと出て行かないと警察呼ぶわよ!」
「美野里さん、美野里さん。ここに警察はいません。近いものならあなたの目の前にいる人です」
「ここぞという時に役に立たないのよね。あの犬は。まあ花梨ちゃんの知り合いみたいだし、そこに存在するのだけは許しましょう」
これでもかなり譲歩しましたとばかりに美野里は言い放つ。彼女がここまで高圧的な態度を示すとは予想していなかった京介は困ったように頬を指でかく。
「それで、私に何か言いたいことがあるんじゃないの?」
美野里の言葉で本来の目的を思い出す。彼女には協力者になってもらわなければならないのだ。
「ああ、実はな―――」
「喋らないで。許可してないわよ」
「……」
京介は美野里に視線を向ける。涼しい顔を装っているが、頬が時折ピクピクと動いている。明らかに楽しんでいる証拠だ。
(この…女……)
頼み事をしたい京介は無闇に怒ることが出来ないと分かっていての行動だった。花梨が性格的に問題があると言っていたのを思い出す。全くその通りだ。京介は心の中で呟いた。
「美野里さん。ちゃんと話を聞いて上げてくださいよ。水上さんは他の人と違っていい人ですから」
「……仕方ないわね。言ってみなさい」
花梨に促され、京介に発言の許可が下りる。本当に出来た子だと京介は花梨を心の中でほめちぎった後、ふぅと一息つき美野里と向き合う。
「あんた、ここから出たくないか?」
「別に」
「……」
一蹴されてしまう。京介は何となく予想していた。きっと彼女はどんな事を言っても最初は断るのだろうと。
「ここに不満があるんだろ?」
「不満だらけだけど、だからと言って出て行く理由にはならないわ。暮らしは快適、働いても働かなくてもいい。欲しい物は大抵手に入れられる。こんな天国みたいな所他にないわ。外で汗水垂らして生きている奴らはきっとキ○ガイね」
「確かにな、でも外もいいぞ。世界は広いからな。いろんな場所に行ける」
「それも興味ない。てかどうして私を外に出そうとするの?外に出さないために豊かな生活を送らせてるんでしょ。まずあなたの目的を教えなさい」
美野里の言うことは最もだった。適応者を外に出したい監視員というのはいかにも怪しい。何か目的があると考えるのも当然だ。
「実は俺、監視員を辞めたいんだ」
「は?」
思ってもみなかった京介の言葉に美野里の驚きの声が響く。
「そんなの勝手に辞めなさいよ。お土産に適応者を持って帰ろうってわけ?」
「いや、昨日所長に辞めるたいって言ったら外に出たがる人を2人連れてこいって言われたんだ」
「なるほどね。中の情報を持つあなたを簡単に外に出したくないってわけね。それを私に」
納得したように頷くと美野里は腕を組んで何か考えはじめた。期待と不安で京介は拳を強く握った。彼女が駄目なら他のあてを探さなければなさない。というか見つかるのかも分からない。
「美野里さん。どうですか?」
花梨が美野里に問いかける。花梨の声を聞いてか美野里は目を開け京介に睨むような視線を向けた。
「いいわ。前向きに検討しましょう」
「……本当に?」
「ええ、まあまだ決めたわけじゃないけど」
放心状態になりかけた意識を無理やり引き戻すように京介は頬をつねる。どうやら夢ではないらしい。
「美野里さん。意外です」
花梨は何とも言えない表情を浮かべ京介と美野里を交互に見つめる。
「お、恩に着るぜ」
こんなに簡単でいいのか?と京介は不安になる。
だがまだ前向きに検討と言われたが可能性は十分にある。これから外の良さについてじっくりと擦り込むように教えてあげれば彼女も承諾してくれるはずだと京介はポジティブに考える。
「いえ、礼には及ばないわ。だって」
そう言って美野里は椅子から立ち上がった。女性にしてはかなり高い背丈の美野里は未だ椅子に座り興奮覚めやらぬ京介を見下ろすようにして立ち
「ちゃんとこちらの要求を聞いてもらいますから」
今までで一番の笑顔を浮かべながら言い放った。
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「今何時か言ってみなさい」
路上と玄関の境で問い詰めるように美野里は京介のスーツの襟を掴んで上に持ち上げた。首下に繊維の独特のざらざら感が伝わり京介は不快に思いながらもそのままの体制を維持する。
「……10時37分です」
「私は9時に来なさいと言いました。私達を上から見下す監視員さんは時計の読み方も知らないのかしら?」
夏だってのに暑苦しい恰好しないでよ!と捨て台詞の後、京介の襟から手を離し家の方へと歩いていった。
「早く来なさい!こののろま!」
言ってから振り返る彼女はどこか生き生きしていて京介は力無くため息をついた後、美野里の後を追った。
召使いのようなものを美野里は京介に要求してきた。もちろん家政婦やホームヘルパーを呼んでこいと言うわけではなく、京介が召使い紛いになることを要求してきた。期間は無期限。何たる理不尽と京介は嘆いたが、今彼女を失えばお先真っ暗になってしまうのでしぶしぶ彼女の要求を受け入れた。
美野里に招き入れられ入った一軒家はやはりごく普通の一軒家だった。大して広くはない。4人家族が暮らすのにちょうどいいサイズだ。わざわざ建てさせたのだからもう少し豪華に作っても良いのではと思ったが、何か思い入れがあるのかもしれない。
「まずは掃除をしてもらいましょうか」
「もう少し休ませてくれないか?走ってきたがらすごく暑い」
「は?遅刻してきた分際でよくそんな口が聞けるわね。いったいどんな理由で遅刻してきたのかしら?言ってみなさい」
「……寝過ごした」
「ほらみなさい!あなたに何かを要求する権利はないわ。きりきり働きなさい」
そう言い残して美野里はリビングの隣の一室へと向かって行った。
消えた美野里から視線を外し前に戻すと、そこには掃除用具一式と計画表のような紙が置かれていた。京介は3枚ほど重なった計画表らしきものに目を通す。掃除する場所から掃除用具の使い方、洗剤の選び方まで細かく書かれたそれはマニュアルそのものだった。彼女はかなり几帳面なんだと京介は思う。
「……やりますか」
――――――――――――――――――――――――
「あら、きちんと出来てるじゃない。あれこれ文句言ってやろうと思ったけど残念ね」
窓のサッシに指をつたわせながらどこか不満気に美野里は呟いた。時刻は12時を回った所だ。遅刻したせいでまだ2階部分が残っているがなんとか1階の掃除は済ませることができた。
「お前が必ず文句を言うと分かってたからな。全力でやらせてもらった」
スーツについた埃を取りながら監視員は万能でなければ務まらないのだよと自信たっぷりに京介は語る。スーツで掃除というのはどこかシュールだが規則なので仕方がない。
「……ご苦労様。ご飯作ったから食べましょう」
美野里から出た労いの言葉に驚きながら、机に置かれた昼食を見て京介はさらに驚いた。てっきり埃でも食べてなさいくらい言ってくるだろうと予想していた京介は言葉を失い立ち尽くす。
「召使いにも食事くらいだすわよ」
そう言って顔を反らすと美野里は席についた。
ふと我に返った京介も美野里の反対側の席につく。
一人暮らし(?)だけあって美野里の料理は一見してよく出来ていると分かった。几帳面な彼女らしく盛り付けにまでこだわった料理に京介はゴクリと喉を鳴らした。
「でもビビンバだから結局崩れるよな」
熱せられた石がタレやらご飯を焼く音が響く。
「私は混ぜないわよ」
「いくら几帳面だからって、混ぜないと旨くないだろ?」
「大丈夫。スプーンの中でもう一つのビビンバを作るから」
美野里は少し大きめのスプーンにご飯を敷いた後、丁寧に具を少しずつ乗せる。彼女のスプーンの上には言葉通り、もう一つのビビンバが出来上がっていた。
「……すげーな」
口の中に入れば結局混ざるじゃんとも思ったが、うっとりとした様子でスプーンの上を眺める美野里には言えないかった。