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基礎魔導原論 結び

むすび


 長き頁を、よくぞここまで歩いてきた。ここに、本書は筆を擱く。されど擱くにあたり、いま少しだけ、老いた一人の魔導士の、若き日の話に付き合うてもらいたい。ほかでもない、この私自身の話である。


 いまでこそ主任研究員などという仰々しき肩書きを負うてはいるが、半世紀のむかし、この王立第3魔導学園の門をくぐった日の私は、同期のうちで最も鈍い徒であった。第2章に記した魔力の自覚――あれに、私は人一倍苦しんだ。仲間たちが数週で灯杖を淡く光らせてゆくなか、私の握る杖は、幾月を経てもなお、暗いままであった。己のうちにあるはずの「もう一つの身体」が、どうしても掴めぬ。焦れば焦るほどに、光は遠のいた。ついには、自分には魔導の素養などはじめから無かったのだと思い定め、荷をまとめて学園を去ろうとした、あの冬の夜のことを、私はいまも忘れぬ。


 その私を引き止めたのは、ハンナ・ロ・ターレという、年老いた一人の教師であった。彼女は私を叱りも、慰めもしなかった。ただ私の隣に腰を下ろし、こう言った。「光を追うのを、おやめなさい。あなたは杖の先ばかりを見ている。見るべきは、そこではありません」と。そして、目を閉じ、ただ己の呼吸を、己の輪郭を感じよ、と諭した。光が点こうが点くまいが、そんなことは忘れてしまえ、と。


 その夜、私は人気のない修練場で、言われたとおり、ただ静かに座っていた。光のことは、努めて考えなかった。どれほどの刻が過ぎたろうか。ふと指先に、産毛の立つような、かすかな温もりを覚えた。目を開けると、杖の先が、淡く――まことに淡く、ひとつの息のように――灯っていた。私はその小さな光を前にして、童のように泣いた。半年をかけて、ようやく点した、たった一つの灯火であった。


 のちにハンナ師は、私にこう遺してくれた。「光を追う者の手は、いつまでも暗い。光は、足元を見続けた者の手のなかに、ひとりでに灯るのです」と。本書の各章の末に、私が幾度も「足元を見続けよ」と書き連ねたのは、けして借り物の格言ではない。あの冬の夜、半年の暗闇の果てに私自身が掴んだ、ただ一つの真実だからである。だからこそ、いまわずかでも己の魔力を感じられる汝は、あの夜の私よりも、すでにはるかに先にいる。汝のいる場所は、けして遅くも、低くもない。


 さて、別れの言葉に移ろう。序にも記したとおり、本書が網羅せしは、現代魔導のただ基礎のみである。基礎とは、これより先の道を歩むための足場であり、迷うたときに立ち戻る起点であって、けして道の果てではない。読み終えたいま、汝が手にしたのは地図ではない。一枚の、確かな足場である。海の広さを知るための、岸辺の一歩である。これより先に広がる悠久の魔導の海は、本書のいかなる頁にも描かれてはおらぬ。それは、汝みずから漕ぎ出して、はじめて目に映るものだからである。私があの暗い灯杖から始めたように、汝もまた、ここから始めればよいのである。


 ゆえに、別れにあたり、ただ一度だけ繰り返すことを許されよ。魔導はときに希望であり、ときに絶望である。真理を知りたいというその渇望は、汝を果てへと運ぶ最も強き力であると同時に、過ぎれば汝の身をも焼く毒となる。崩滅の日の灰を踏み越えて生き延びた我らが、先達と交わした最も重き誓い――魂に、生命に、万夜に、その一線を越えぬという誓いを、力を得るほどに深く胸へ刻め。魔導の道とは、光と闇の、そのはざまの淡いを歩むがごとき道である。正しき道も、人心ひとつで悪しき道へと転がり落ちる。願うのではなく、確かめながら進め。


 若き魔導の徒よ。本書の頁を閉じるそのとき、汝はひとつの門の前に立っている。ここまで読むことは、門に至る道であった。これより唱えることは、その門をくぐることである。私が同行できるのは、この敷居までである。先は、汝ひとりの道だ。


 灯をかかげよ。足元を見続けよ。そして、いつの日か、先達の誰ひとりとして到達しえなかった魔導の果てに、汝が立つことを――その日、汝の結ぶただ一語が、いまだ誰も言い当てえなかった世の理を、まるごと照らし出すことを――この老いた魔導士は、ハンナ師が私に願うてくれたように、強く、強く願い、祈るものである。


 道は、ここから始まる。


王国歴1685年 白霜の月 1の日 王立第3魔導学園 主任研究員 フレック・マーベック 筆を擱く


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