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最後の加熱 葬式をすることになりました

私はIHヒーターの「葬式」をすることにした。


家庭用電化製品が壊れただけだ、と割り切ることはできなかった。私はIHヒーターに人間の魂が宿っていることを認め、そしていっしょに時を過ごしたのだ。葬式くらいしてやったって、いいじゃないか。


私は花を買ってきた。自分で花を買うのは中学生の頃の母の日以来だった。黄色いバラにした。白い花だとあまりにもお葬式っぽくなってしまってイヤだったし、魔王を討伐しに行くような王子様は、黄金の甲冑が好きだろうと思ったからだった。


IHヒーターの入った紙袋をテーブルに置き、蝋燭に火を付けた。そして私はワインを開けた。以前、スーパーで買った5本セットの特売赤ワインだ。特売だけど、おいしいワインだった。私はグラスを2つ用意し、ワインを注ぎ、一つをIHヒーターの前に置いた。けっこう早いペースで飲んで、だいぶ酔いが回ってきたところで、『フランス料理シェフの俺が、高貴な生まれのあいつを奴隷にするまで』の朗読を始めた。それがお祈りの代わりだった。


「タロウはゴロウの足を開いた。ゴロウはもう抵抗しようとはしなかった」

…………

……


私は読み進めたが、紙袋の中のIHヒーターは合いの手を入れてくれなかった。当り前だ。死んでいるものは語らない。当り前のことだが、それが悲しかった。


蝋燭の火が揺れて、黄色いバラの影が伸び縮みした。蝋燭はもうすぐ全部溶けてしまいそうだった。日が暮れ始めた。ワインが一本、空になった。私は床に転がった。そのままオナニーを始めたが、途中でやめた。


この前ワインを空にしたのはいつだったか。


そう考えて、平田拓海(たくみ)と飲みに行った時のことを思い出した。あの時、平田は「あんた、疲れて誰かに寄りかかりたいだけでしょ?そんなの恋じゃなくて依存。誰かに依存して、仕事で削られた心を癒そうとしてるだけ」と言ったのだった。


平田よ、あんたは正しい。今ならそれがわかる。


結婚してしまった営業職の先輩に私は依存していた。毎日の残業で疲れ果て、何も考えることができなくなっていた。何も判断したくなかった。こちらから動こうとせず、待っているだけだった。私は仕事に依存し、自分を殺していた。何かにしがみつかないとやっていられなかった。私はただ、疲れて彼に寄りかかっていただけだった。そんな関係は長続きはしない。


私に足りなかったのは「身を焦がすような恋」ではなかった。「生きている実感」だった。私は空っぽだった。IHヒーターが抜き取られた四角い空洞みたいに、私は空っぽだった。その空洞を、IHヒーターが満たしてくれた。BL小説を読み、料理をして、私は楽しかった。「生きている実感」を得た、と思った。でも違った。私は寄りかかる相手を変えただけだった。


吐き気が込み上げてきて、私はトイレで吐いた。便器の中の水が薄紫になった。胃酸のせいで喉や口の中が臭くて焼けるようだった。目に涙がにじんだ。


翌日の月曜日、私は就職してから初めてズル休みをした。ほんとうは忌引き休暇を取りたかったが、忌引き休暇申請書の「亡くなった人との間柄」に何と書けばいいのか、私にはわからなかった。カーテンを閉め切った部屋で、ずっとIHヒーターの前に座っていた。喉の奥の方がまだちょっと、ゲロ臭かった。水をいっぱい飲み、その分、いっぱいおしっこをした。


夕方、私は家の外に出た。外食しようと思ってあてもなくふらふらと歩き回ったが、まったく食欲がなかった。行ったことのない路地裏を歩いた。ある家の中から楽器の音が聞こえてきた。クラシックギターの音だった。ソルのエチュードだ。なつかしい。私も弾いたことがある。子どもの頃、夕暮れ時に感じたさみしさを急に思い出した。私は家に帰り、シャワーを浴びた。ここでオナニーした時のことを思い出した。涙が流れたが、シャワーが洗い流してくれた。


シャワーから出てタオルで髪を拭きながら部屋に入ると、暗い中、溶けた蝋燭と黄色いバラの花の横にIHヒーターがあった。私はIHヒーターの前にちゃんと座った。私は部屋の電気をつけた。


「オナニーの時にあんたの顔を思い浮かべてごめん」と私は言った。「あんたを救えなくてごめん。あんたが死にかけてることをもっとまじめに考えてやれなくてごめん。あんたに依存しててごめん。恋だと勘違いしててごめん。そしてありがとう。あんたと過ごせてほんとに楽しかった。あたしの中にもまだ燃えるものがあることに気づかせてくれてありがとう。あんたは消し炭だったあたしに火をつけてくれた。IHヒーターだけにね」


IHヒーターは黙して語らなかった。


いつまでもメソメソしてはいられない。IHヒーターだって、そんな私を見たくないだろう。


私は平田拓海(たくみ)にLINEした。

「届いた。ありがとう。でも使う前に相手が死んでしまった」

「そうか。つらいな」

「詳しく聞かないんだ」

「話したいなら話を聞くが話したくないんだろ?」

「うん」

「私にできることはあるか?」

「だいじょうぶ」

「そうか」


余計なことを聞いてこないのはありがたかった。持つべきものはよき友人だ。


そして夜中までかけて部屋を掃除した。


翌日、私は出勤し、急に休んだことをみんなに謝って、陽菜ちゃんを夕食に誘った。そして音楽教室のことを教えてもらった。

「見学はただなんですよ」

「まじか」

陽菜ちゃんが見学に付き合ってくれることになった。


週末、陽菜ちゃんに連れられて私は駅前の音楽教室に行った。クラシックギターの教室がなかったので「ギターで弾き語り」という教室を選んで体験レッスンを受けた。アコギを持つのは初めてだったが「経験者でしょ?」と言われた。「小さい頃、クラシックギターをちょっとだけやってました」と言ったら、髪を茶色く染めた中年男性の先生は「じゃあすぐにうまくなるよ」と言った。私は入会金を払って入会した。ギターも買った。中古の少しいいギターだ。それからアパートでギターの練習ができるように段ボール製の組み立て式簡易防音室を買った。3か月レッスンに通ったら、ギター伴奏をしながら一曲歌えるようになった。アニソンだ。腐じゃないやつだ。私にだってそれくらいの良識はある。美男子しか出てこないアニメの主題歌なんだけどね。先生に「いい声してる」と言われた。「紅白に出れる声だ」と。


友だちもできた。みんなが「さっちゃん」と呼んでるので私も「さっちゃん」と呼んでいる。本名は知らない。びっくりするほどきれいな子だ。年はたぶん少し上だと思う。さっちゃんとはグループレッスンでいっしょになった。歌がうまいがギターは下手だった。私はレッスンの帰りにさっちゃんと飲みに行くようになった。さっちゃんの彼氏の「とおるくん」が飲みに合流することも多かった。とおるくんの本名も知らない。金髪のイケメンだ。家電量販店の下請けの電気店でクーラーの取り付けをやっている。

「IHヒーターの取り付けもできるの?」と私は言った。「壊れていて……」と言おうとしたが、ちょっと抵抗があって、言えなかった。

「できるっすよ」ととおるくんが言った。「ないんすか」

「うん」

「ないと不便でしょ」

「外食ばっかになっちゃうんだよね」

「とおるくん、やったげなよ」

「いいっすよ」

「ゆうかちゃん、こいつと二人きりがやだったらあたしがつきあうから」

みたいな会話があり、私は価〇ドットコムでとおるくんおすすめの機種を買い、設置してもらうことになった。


とおるくんとさっちゃんがうちに来る前日、私はIHヒーターを紙袋から出した。家電ゴミとして葬ってやるつもりだった。いつまでも手元に置いておいたら、成仏できないんじゃないかと思ったからだ。紙袋ごと紐で縛って出すつもりだったけど、その前にお別れをちゃんとしておこうと思った。

「明日、友だちが来るんだ」私はIHヒーターに手を置いて言った。「あたしみたいな腐女子崩れに友だちができるとは思ってなかったよ。あんたがあたしに火をつけてくれたおかげだね」


私はIHヒーターを抱きしめた。「大好きだったよ」そして加熱部の中心にキスをした。超断熱マスクなしの唇で。


私は唇を離した。


IHヒーターの赤いLEDが光っていた。


え?


LEDの光が強くなっていった。


「電源つないでないのに、なに光ってんだよ」と私は言った。涙が出て、うまく言えなかった。

(ありがとう)とIHヒーターが言った。(これでぼくは故郷に帰れる)

「死んだんじゃなかったのかよ……」

(君が読んでくれた小説は、ぼくの中に火をともしてくれた。君がぼくに注いでくれた想いのおかげで、その火は育っていった。発火状態になれたんだ)

「BLで生き返るとか、あほか。火をつけるのはあんたの役目だろ」

(ぼくたちは同じ時を過ごした。そしてお互いを温めあったんだ。ありがとう優佳。君のことは忘れないよ)

「魔王を倒したら報告に来いよ」

(わかった。時空を超え、かならず会いに来よう)

「がんばれ」

(君もね)


そして私の手の中でIHヒーターは光の粒子となり、消えていった。手の中に残っていたのは──


少しの温もりだった。


振り向くとギタースタンドにかけてあるギターが目に入った。

「そうだ、IHヒーターにも一曲聞かせてやればよかった。な、ギターくんよ」とギターに語りかけた。すると。


(この身体になって30年経つが、話しかけてくれたのは君が初めてだ)とギターが言った。


「えー……」と思ったけど、「なんだ、お前も転生者だったのか」と私は言った。

(驚かないのか)

「まあな。似た事例を知ってるんだ」

(そうか)

「それで、お前の前世は?」

(ぼくの前世は勇者だ。魔王討伐寸前だった)

「ほう。で、どうやったら元の世界に戻れるんだ。お前もキスしてほしいのか」

(いや違う)

「じゃ何だ」

(ライブだ)

「ライブだと?」

(そうだ。ぼくを弾きながら腐女子に捧げるBLソングを歌い、紅白に出場し、ライブ演奏してくれ。そうすればぼくは元の世界に戻れる)


BLソングで紅白て。


達成条件具体的すぎだろ。そんな無理ゲーねーわー。まあ、でもね。


「あたしの声は先生のお墨付きだ。いっちょ、やってみるか」

(よっしゃー)

「手始めにあんたにBL魂を仕込んでやる」


私はギターに向かってBL小説を朗読した。熱演しているうちにそれは魂の叫びとなり──歌になった。


そんなわけで、私は紅白を目指し始めた。信金職員と二足のわらじだ。そして私はやたらとモノに話しかけないようになった。だって、何が誰の生まれ変わりかわからないからね。


これを読んでるあなたの使ってるパソコンやキーボードも、魔王討伐寸前で死んだ勇者の生まれ変わりかもしれないよ。あんまり話しかけたりしない方が身のためだ。気を付けてね。


じゃ、この話はここでおしまいだ。いつの日か、紅白で会おう。ばいばい。

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