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弱くて詰みセーブ ~綾瀬花絵TrueEnd any% Glitchless~  作者: 小宮地千々


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【0:000:00:00】

「――、――!」

 さあ、と雨の音を背景に俺の名前を叫ぶ声が聞こえる。

 どう考えても音量バランスがおかしい。

 なんで雨音よりすぐ直近で叫んでいる彼女の声のほうが聞こえづらいのか、と人間の脳の不思議について考える。

 現状はそんな逃避をしたくなるくらい痛くて熱くて、そして矛盾するようだが寒かった。

 くわえてとんでもなく体がだるくて重い。

 どうしてかといえばすべての原因である腹の――、あっ、無理。

 自分の腹から包丁が生えている光景が恐ろしすぎて、黒い柄が見えたところで視線を下げるのをやめた。

 アスファルトの上であおむけになった俺の顔を晩秋の冷たい雨が容赦なく叩く。

 にじむ視界の隅に、顔をおさえ肩を震わせる元カノの姿があった。

 ちゃんと救急車に住所伝えてくれたかな、あの錯乱っぷりではあんまり期待できそうにない気もする。

 でも自分で電話をかける体力はなかった。

 と言うかスマホを探す気力もない。

 ただ助けが間に合うことを信じて、腹に当てた右手で気持ちばかりの止血をしておくだけ。

 そうしながらゆっくりと慎重に、なんとか呼吸を繰り返す。

 ちょっとでも油断して息を吸うと腹に激痛が走るのだ。

 泣きそう、泣いた。

 ずび、と鼻をすする。

(――なんでかなあ)

 どうしてこんなことになってしまったんだろうか。

 なにが悪かったかと言えば、まぁ俺()悪かったのだとは思う。

 喧嘩して喧嘩してよりを戻して、喧嘩して喧嘩してまたよりを戻して。

 どんどん過激になっていくお互いに気づきながらも、止められなかった。

 好きだから、本当に好きだったから(・・・・・・・)

 もうとっくに破綻していた関係なのにちゃんと諦めきれなかった。

 言ってはいけないことを何度か言って、それはだめだろってことを何度かされて、好きだった分だけ嫌いになった。

 そしてそれはきっと彼女も同じなんだろう。

「――! ――!」

 ぱっと思い出せる元カノの顔は今みたいに泣いているか、怒っているかだ。

 俺はこの子の笑顔が好きだったはずなのに。

 それを、何より大事に思っていたはずなのに。

 もうそれ(・・)は、俺のどこにも残っていない。懐かしくさえ思えない。

 なによりもその事実が悲しかった。

(しんどいなぁ)

 そう思いながらゆっくりと左手を上げる。

 ひぎ、と変な声が出るくらい腹が痛んで俺はまた泣いた。

 そうしてこれを振り払われても泣くな、と思いつつ元カノの頬に手を伸ばす。

 なんでそうしたのか、はっきりとはわからない。

 冷たくなっていく自分の体がなんだか他人の物みたいで、誰かの体温を感じて安心したかったのかもしれない。

 指先が彼女の腕に触れる。

 けれど期待していた熱はそこにはなかった。

 傘もささずに雨の中にいた元カノの体は、俺と同じくらいに冷え切っていたから。

 びくり、と大きく一度震えた彼女はこわごわと俺の手をつかむと自分の頬に導いて、その上からそっと冷たい手を重ねた。

 そうしてまた、泣きだす。

「ううっ、ううっ、う~~~~……っ!」

 はぁ、と息が漏れた。

 目を開けているのがおっくうになってきてまぶたを閉じる。

 それでまた彼女の声が大きくなった気がした。

「――! ――!!」

 泣いている、ギャン泣きしながら俺の名前を呼んでいる。

 自分の口元がゆがむのがわかった。

 いっつもそう、いつもそうだ。

「やだぁ、やだぁ、やだやだやだ……っ、ねえ、やだって言ってんのにぃ、なんでぇ……!」

 はっきりと聞き取れた言葉に、苦笑いを浮かべる、

 本当にいっつも通りだ。

 わがままばっかり、要求ばっかり、なにかをしてくれたときは押し付けがましくて、そんなところをかわいいといつまでも思っていられたら良かったのに。

「……あの、さ」

 そうやって泣くくらいならさぁ。

 っていうかそもそもさぁ。

 いくらなんでもさぁ――

「刺すことは、なくない……?」

 しかも腹を。死ぬじゃん。死ぬと思うよ?

 ひどいよね。

 恨み言を口にして、俺は意識を手放した。

「やだ―――! やだぁぁ――――!!」

 さすがにこれが別れの言葉になるのはひどかったかな、なんて考えながら暗闇に落ちていく。


【Now Loading...】


「――え」

 そうして、俺はまた目を開けた。

 その奇跡としか思えない事実に感動を覚えたのは一瞬だった。

 目の前の現実は、そんな言葉ですら片付かない異常(・・)だったから。

「ねえ、ちょっと?」

 眼鏡で黒髪、三つ編みおさげ、文学少女のテンプレみたいな制服姿の元カノがそこにいる。

 泣いてはいない、怪訝そうな表情で俺の顔を覗きこんでいる。

 俺の体ももう冷たくはない、どこも痛くも熱くもない。

 雨だって降ってなかった、というか場所からしてもう違っていた。

 教室。

 高校時代の教室で、俺はどうやら自分の席に座っている。

 当時の姿をした彼女を目の前にして。

「――ハナちゃん?」

 こわごわと名前を呼ぶ。

 綾瀬(あやせ)花絵(はなえ)

 三回目以降は数えてないくらい別れと復縁を繰り返した元カノ。

 そして雨の日にバイト帰りの俺を待ち伏せして、用意していた包丁で腹を刺してきた計画的殺人(未遂?)犯。

 そんな彼女が、数年前の、好きだったころの姿で目の前にいる。

 驚きと恐怖とちょっとの怒りで頭の中はぐちゃぐちゃだ。

「は?」

 俺の困惑をよそに、ハナが怪訝そうな表情を一気に険しいものに変える。

「あのさ。あたしが名前で呼ばれるの嫌いだって知ってるよね?」

 ――ああ、地雷を踏んだ。

 彼女の両親がゴッホの「ひまわり」を見て思いついたという名前を、安直だしおばあちゃんみたいとハナは嫌っていた。

 付き合う前は――付き合ってからもしばらくは、名前で呼ばせてくれなかったくらいである。

 だからその抗議はもう二年は聞いていない、懐かしささえも覚えるような言葉だった。

「しかも『ちゃん』ってなに? キャラ違うじゃん。キモ」

「ごめん、アヤセ」

 容赦ない言葉よりも、思い出がじくりと胸に痛みを生む。

 責めるような表情がそれでもまだ優しいと思えてしまったから。

「ふん……で?」

「で、って……?」

「だから返事。あたし、『付き合ってもいいけど』って言ったんだけど?」

「あー……」

 あぁ、そうか。

 先ほどからのなんとなくの既視感は、なんてことなく単なる事実の再認だった。

 この時(・・・)の俺に、意を決しての告白なんてことはできなかった。

 だからムードも何も無視して、フラれてもダメージが少ない状況で、その上で冗談めかして、二重三重のみっともない自己防衛を講じた上で告白したのだった。

 それを、そんなみっともない俺をハナはちゃんと受け止めてくれた。

 冗談にしないで、本気でOKしてくれたのだ。

 幸せなはじまりの記憶。

 だけど、けれど、だからこそ。

「――ごめん。やっぱナシでもいい?」

 今の俺にそれを享受(きょうじゅ)する資格はないと思えて。

 あと忘れるにはあまりにも生々しいさっきまでの痛みを思い出して、腹を抑えながらへらりと笑って最悪の言葉を口にした。

「は? ……は!? はぁぁ!?」

 声を裏返してハナが目を吊り上げる。

 そう、彼女はわざと(・・・)地味な格好をしていたときでさえ、決して大人しい子ではなかった。

 だから怒るのも、次の行動も当然を越えた当然だった。

「――っ、この!」

「いっづっ!」

 バチィンと強烈な平手が俺の頬を襲う。

 五年の間でもそう味わったことのない痛みと衝撃に、俺は椅子から転げ落ちるように倒れて――


【Now Loading...】


「ねえ、ちょっと?」

 そうしてまた、怪訝そうな表情の綾瀬花絵が目の前にいた。

 俺は椅子に腰かけて彼女と向かいあっている。

「え――」

 まるで今の俺の告白キャンセルからの平手打ちコンボなどなかったみたいに、状況が巻き戻っている。

 演技ではない、ハナがやり直した振りをしているのではない。

 彼女は嘘が下手だった。そのくせ、結構ごまかしを試みるタイプだった。

 つまりこれは俺がビンタの衝撃で記憶を失って、ハナが仕切りなおしたなんてバカな小芝居じゃない。

 だとするといよいよ何がなんだかわからない。

 混乱している、大混乱していた。

 もしかして、死に際に幻覚でも見てるんだろうか。

 いっそそうであってくれた方が楽な気がする。

「ハ……アヤセ」

 だけど自分の体の熱が、鼻をくすぐる彼女の匂いが、これを現実っぽいんだよなと思わせた。

「なに?」

「俺、ちょっと混乱してる。だからタイム。いい?」

 考えを整理するためになんとか時間を稼ごうとする。

「え? ええー? いいけどぉ……なに、なんで?」

 とても困惑しながらもハナはOKしてくれた。

 気は強いけど押しの弱いところもある彼女には正直にお願いするのが一番なのだ。

(死に戻り? いやいくらなんでもハナの平手打ち一発で死ぬほど虚弱じゃない)

 じゃあ今起きているのはループものみたいな現象ってこと?

 いやいや、それこそなんで? だ。

 もちろんあのまま死にたかったわけじゃない。

 でもそんなにハナとやり直したいと思っていたのかといえばそうとも思えない。

 実際に、さっき自然と告白キャンセルに至ったのが、悲しいけれど今の俺の正直な気持ちの発露だと思っている。

 当たり前だ。

 愛憎入り混じる元カノ相手とは言え、どこの世界に自分を包丁で刺した相手と最初からやり直したいと思うんだ?

 だから全然、意味が分からない。

 さっきは五年以上、今度はわずか数分の巻き戻り。

 しかもどうやらもう一人の当事者と思えるハナにはそれが起きているという記憶がない。

 こういう場合、俺起点のループということになる。そのはずだ。

 まぁこんなSFみたいな現象に論理的な説明がつくとは思えないけど、さておく。

 しかしループしても状況的には全く助かってない。嬉しくない。

 いや、だから死なせてくれとも言わないけどさ。

「…………まだ?」

 文句を言ってもしょうがないのもわかっているけど――と、建設的でない考えを巡らせていると、ハナが不穏な気配を発し始めたのでいったんそれを打ち切った。

「……あのさ。俺、いま告白したよね?」

 おそるおそると事実を確認する。

 なにせ記憶が連続したまま巻き戻されているのだ、この瞬間より以前のことは俺にとっては数年前の記憶にあたった。

「されたけど? それっぽい(・・・・・)ことを」

 皮肉っぽい返しをされるほどグダグダだったのだろうけど、単純に自分が何を言ったかなんて思い出せない。

 もちろん、その気持ちだって連続するはずがなかった。

「なに、あたしの返事に文句ある? それとも聞こえなかった?」

 ハナからすれば俺は告白してきたのに、了承してやったとたんに不審な行動をとりはじめた謎の存在である。

 からかっていると思われても仕方ない。

 すでに半ギレにも見える彼女の表情は当たり前オブ当たり前だ。

 でもそこに実はほんの少し、おびえが混じっているのにも気づいていた。

 それがちゃんとわかるようになったのはいつだっただろう。

 確かに言えるのはそのときには俺たちはもうきっと手遅れだったと言うことだけ。

「あ、いや、ありがと。うん、すっげーうれしい」

 だからか、言葉は乾いてしまっていた。

「全っ然、そう見えないんだけど」

「はは……なんか現実味がなくってさ、逆に。逆にね?」

 これは本心からの言葉に、不満が全部無くなったわけではなさそうだけれど、それでもハナは表情に混じっていたおびえのトゲをひっこめた。

「ふうん」

 チクリと胸が痛む。

 それはハナは嘘や冗談じゃないことを望んでいることのあらわれだ。

 だってのについ先ほどに口にしたはずのしょぼい告白の、そのほんの十分の一の気持ちでさえ今の俺の中には残ってない。

「じゃあ、その。よろしく、アヤセ」

「――うん」

 なんとも締まらない俺の言葉に、ちょっと頬を膨らませながらハナが頷く。

 目元には小さな喜びがあった。

 それに気づかなきゃ、よかった。

 かつては反応があることに、それこそ彼女以上に喜んでいたのに今はほとんど気持ちは波立たない。

 まるでまだ包丁が刺さったままでいるような痛みに俺は心で泣いた。

二話は本日十二時に投稿します。

以降は不定期更新です。

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