虚言の塔、三つの試練
ギルと名乗った情報屋との間に奇妙な協力関係を結んだ黒崎渉は、彼の案内でアルカディア・イリュージョンのさらに奥深くへと足を踏み入れた。目指すは、ギル曰く「この街で最も信用ならないペテン師たちが集う場所」――通称『虚言の塔』だ。
「ここが『虚言の塔』だ」ギルは、天を突くようにそびえ立つ、歪んだ形状の塔を指差した。「塔の主は『大賢者』と自称する大嘘つきでな。奴の出す三つの試練をクリアした者だけが、塔の最上階への到達を許される。そして、お前が探している『鍵』に関する最も有力な情報は、そこにあると俺は睨んでいる」
「三つの試練、か。内容は?」
「そいつは、受けてみてのお楽しみだ。一つ言えるのは、力ずくじゃどうにもならんってことだ。必要なのは、洞察力、交渉術、そして……時には大胆な『嘘』もな」ギルはニヤリと笑った。
塔の内部は、まるで騙し絵のような複雑な構造になっていた。案内がなければ確実に迷うだろう。やがて二人は、円形の広間に出た。中央には玉座があり、そこには道化師のような派手な衣装をまとった、性別不詳の人物が座っていた。これが『大賢者』らしい。
「おやおや、珍しいお客さんだねえ。ギル、お前さんが連れてくるなんて、一体どんな風の吹き回しだい?」大賢者は、甲高い声で言った。その魂は、無数の嘘と真実が複雑に絡み合った、万華鏡のような輝きを放っていた。
「こいつは黒崎。アンタの試練を受けに来た。見どころのある奴だぜ」ギルは簡潔に紹介した。
大賢者は、興味深そうに黒崎を頭のてっぺんからつま先まで眺め回した。「ふぅん? 確かに、その目……なかなか面白いものを見せてくれそうだね。よろしい、試練を受けるがいい。最初の試練は『真実の天秤』だ」
大賢者が手を叩くと、広間の床から巨大な天秤が出現した。片方の皿には黒い石が、もう片方の皿には白い石が乗っており、釣り合っている。
「黒い石は『絶望的な真実』、白い石は『希望に満ちた嘘』を表す。お前さんは、この天秤を『真実』の方へ傾けなければならない。ただし、使えるのは『言葉』だけだ。さあ、どうする?」
黒崎は、しばらく天秤を見つめた。絶望的な真実と、希望に満ちた嘘。どちらも、人が生きていく上で必要なものだ。しかし、この試練の意図は何か?
(単純に、重い真実を語ればいいわけではないな……)
黒崎は、自身の経験と知識を総動員した。そして、静かに口を開いた。
「人は、希望なしには生きられない。しかし、偽りの希望にいつまでも浸っていては、いずれ破滅する。真の希望とは、絶望的な真実の底から見つけ出す一筋の光だ。だからこそ、我々はまず真実と向き合わねばならない。たとえそれがどれほど辛いものであっても、そこからしか本当の道は拓けないからだ」
黒崎の言葉が広間に響き渡ると、天秤がゆっくりと、しかし確実に黒い石の方へと傾き始めた。
大賢者は、パチパチと手を叩いた。「見事だねえ! 言葉の重みで、真実の価値を示したか。最初の試練はクリアだ。さて、二番目の試練は『沈黙の商人』だ」
次に現れたのは、ローブを深く被り、一切言葉を発しない商人の姿をした魂だった。商人の前には、三つの箱が並べられている。
「この三つの箱のうち、一つだけが『本物』で、残り二つは『偽物』だ。本物の中には、次の試練への手がかりが入っている。お前さんは、この沈黙の商人から、たった一つの質問で本物を見つけ出さなければならない。ただし、商人は『はい』か『いいえ』でしか答えない。そして、彼は必ず一度だけ『嘘』をつく」
古典的な論理パズルだ。しかし、相手は魂。表情も読めず、声のトーンからも判断できない。黒崎は思考を巡らせた。一度だけ嘘をつく相手から、確実に真実を引き出す質問……。
(もし、私がこの箱を指差して『あなたは、この箱が本物だと答えますか?』と尋ねたら……?)
黒崎は、中央の箱を指差して尋ねた。「あなたは、この箱が本物だと『いいえ』と答えますか?」
沈黙の商人は、しばらく固まっていたが、やがてゆっくりと首を横に振った(つまり「いいえ」)。
「……つまり、この箱が本物だということだな」黒崎は断言した。
大賢者は、再び感心したように頷いた。「お見事! パラドックスを利用して、嘘つきから真実を引き出したか。二番目の試練もクリアだ。さて、最後の試練は……『己の鏡』だ」
広間の奥に、巨大な鏡が出現した。しかし、そこに映し出されたのは、黒崎自身の姿ではなかった。そこにいたのは、生前の黒崎――大手企業の人事部で、過労とストレスに蝕まれ、冷徹な判断を下し続けていた頃の、疲弊しきった自分の姿だった。
「最後の試練は、お前さん自身との対峙だ。その鏡に映る『過去の自分』を、お前さんは受け入れ、そして乗り越えることができるかな? もし、過去の自分に打ち勝てなければ、お前さんは永遠にこの鏡の中に囚われることになるだろう」
鏡の中の黒崎が、嘲るように言った。「お前は何も変わっていない。結局、他人を駒のように扱い、自分の正義を押し付けているだけだ。あの時と同じように、また誰かを不幸にするぞ」
その言葉は、黒崎の心の最も深い傷を抉った。しかし、彼はもう、あの頃の自分ではない。異世界転生局で、数多の魂と出会い、彼らの願いや絶望に触れてきた。そして、今、彼は自分の意志で、この危険な場所に足を踏み入れている。
「確かに、俺は過去に過ちを犯した。そして、今も完璧な人間ではない。だが、それでも俺は、魂の行く末を見届けたい。彼らが少しでも良い『セカンドライフ』を送れるように、全力を尽くしたい。それが、今の俺の『真実』だ!」
黒崎が力強く言い放つと、鏡の中の過去の自分の姿が揺らぎ、やがて霧のように消え去った。鏡面には、今の黒崎の、決意に満ちた顔が映し出されていた。
「……ブラボー!」大賢者は立ち上がり、心からの拍手を送った。「素晴らしい! 己の弱さと向き合い、それを乗り越えたか! 黒崎、お前さんは三つの試練を全てクリアした! 約束通り、塔の最上階へ案内しよう。そこに、お前さんが求める『鍵』への手がかりがあるはずだ」
ギルもまた、安堵と称賛の入り混じった表情で黒崎に頷いた。
一方、異世界転生局の月読静は、自室で複数のモニターを監視していた。一つにはアルカディア・イリュージョンのエネルギーグラフ、もう一つには『虚言の塔』の内部構造図、そしてもう一つには、局のメインサーバーの深層部で蠢く、不審なデータパケットの流れが表示されていた。
彼女は、黒崎に渡した通信チップに、極小の追跡機能と環境データ収集機能を付加していた。それは、黒崎の安全確保という名目もあるが、それ以上に、彼が接触するであろう『何か』の情報を得るためのものだった。
「……『大賢者』の魂のパターン、興味深い。そして、あの塔のエネルギーフィールドも、通常の異世界法則とは異なる……」
月読は、冷静にデータを分析しながら、指先でキーボードを巧みに操作する。彼女の目的は、一体何なのか。彼女は、黒崎の行動を利用して、何を明らかにしようとしているのか。その謎は、まだ誰にも解き明かされていなかった。