ペテン師の矜持、真実への糸口
酒場の空気は、張り詰めた弦のように緊張していた。黒崎渉を取り囲む男たちの目には、敵意と警戒心がありありと浮かんでいる。中でも、片目に眼帯をした初老の男――この場のリーダー格らしい――の短剣が、ランプの光を反射して不気味に揺らめいていた。
「お前たちが守ろうとしている『物語』とは何だ? そして、『忘れられた図書館』がなぜ禁断なんだ?」
黒崎は、あえて挑発的な口調で問いかけた。絶体絶命の状況ではあるが、ここで怯めば終わりだ。彼の「魂の嗅覚」は、眼帯の男の魂の奥にある、微かな「動揺」を捉えていた。それは、恐怖とは異なる、何かを隠そうとする者の焦りに似ていた。
「……小僧、命知らずにも程があるぞ」眼帯の男は低く唸った。「その図書館は、このアルカディア・イリュージョンの根幹に関わる、触れてはならん『聖域』であり、同時に『禁書庫』だ。そこにある『真実』は、我々ペテン師の存在意義すら揺るがしかねん代物だからだ」
「ペテン師の存在意義、か。つまり、君たちは嘘で塗り固められたこの街の秩序を守りたい、と。だが、その秩序が、誰かの意図によって歪められようとしているとしたら?」黒崎は、男の目を見据えて続けた。「俺が探しているのは、その図書館を蝕む『何か』の正体だ。それは、君たちにとっても無関係ではないはずだ」
黒崎の言葉に、男たちの間にわずかな動揺が走った。彼らは生粋の嘘つきだが、自分たちの「楽園」が脅かされることまでは望んでいないのかもしれない。
眼帯の男は、しばらく黒崎を睨みつけていたが、やがて短剣をゆっくりと下ろした。「……面白い。お前、ただの詮索好きじゃねえな。一体、何を知っている?」
「俺は、異世界転生局の者だ」黒崎は、あえて身分の一部を明かした。「最近、いくつかの異世界が不自然な形で『倒産』している。その原因を追っているうちに、『忘れられた図書館』に行き着いた」
「転生局……だと?」男の顔に驚きの色が浮かんだ。「あの役人どもが、こんな場末の酒場に何の用だ? いや、それよりも……異世界の『倒産』だと? まさか、あの噂は本当だったのか……」
男は何かを呟き、周囲の仲間たちと顔を見合わせた。彼らの間にも、不穏な噂が流れていたのかもしれない。
「噂とは何だ?」
「……最近、このアルカディア・イリュージョンでも、奇妙な『力の消失』が観測されているんだ。ほんの僅かだが、確実にこの街の『嘘の力』が弱まっている、と古参の連中は囁いている。まるで、どこか見えない場所で、街の魂が吸い取られているように……」
その言葉は、黒崎が追っている「魂の捕食者」の影を色濃く感じさせた。
「その『力の消失』と『忘れられた図書館』に、何か関係があると?」
眼帯の男は、深くため息をついた。「……ああ、大ありだ。あの図書館は、ただの書物の集まりじゃねえ。あれは、無数の『物語の原型』が眠る場所だ。そして、我々ペテン師は、その原型からインスピレーションを得て、新たな嘘を紡ぎ出している。もし、図書館がその機能を失えば、この街の『嘘』は枯渇し、アルカディア・イリュージョンはただの抜け殻になっちまう」
それは、黒崎にとって新たな情報だった。忘れられた図書館は、単なる記録庫ではなく、この嘘つきたちの楽園の創造力の源泉でもあったのだ。
「俺は、その図書館を救いたいわけじゃない。ただ、何が起きているのかを知りたいだけだ。そして、もしそこに『鍵』があるのなら、それを見つけたい」
「鍵……か」眼帯の男は、黒崎の目をじっと見つめた。「お前が探している『鍵』が、我々にとっても有益なものだと証明できるなら、協力してやらんこともない。だが、どうやってそれを証明する?」
黒崎は、一瞬黙考した。そして、確信を持って答えた。「俺には、嘘を見抜く力がある。そして、真実の価値を理解しているつもりだ。君たちが守りたいものが何であれ、その本質を見誤ることはない」
その言葉には、黒崎自身の矜持が込められていた。生前の人事部での失敗、そして転生局で数多の魂と向き合ってきた経験が、彼の言葉に重みを与えていた。
眼帯の男は、しばらく黒崎の顔を凝視していたが、やがてニヤリと笑った。「……面白い。お前のその目、気に入った。嘘つきの街で、真実を語る目だ。よかろう、一時休戦だ。俺はギル。この界隈じゃ、ちょっとは名の知れた情報屋兼……まあ、何でも屋だ」
ギルと名乗った男は、手を差し出してきた。黒崎も、その手をしっかりと握り返した。
「黒崎だ」
「で、黒崎。お前が探している『鍵』だが……心当たりがないわけじゃねえ。だが、そいつは厄介な場所に隠されている。そして、そこへ行くには、この街で最も信用ならないペテン師どもの『信頼』を勝ち取る必要がある」
ギルの言葉に、黒崎は眉をひそめた。「最も信用ならないペテン師の信頼、か。矛盾しているな」
「ああ、それがこの街のやり方でね」ギルは肩をすくめた。「だが、お前さんなら、あるいは……。まずは、一杯おごらせろや。長い夜になりそうだ」
酒場の緊張は解け、再び元の喧騒が戻ってきた。しかし、黒崎とギルの間には、奇妙な共犯関係のようなものが芽生え始めていた。
(ジョーカーの言っていた『道』とは、これのことか……)
嘘つきの楽園の奥深くへと続く道は、一筋縄ではいかないようだ。しかし、確かな手応えを感じ始めていた。真実への糸口は、このペテン師たちの矜持の中に隠されているのかもしれない。
その頃、異世界転生局の月読静は、自室のモニターでアルカディア・イリュージョンのエネルギー変動グラフを静かに見つめていた。そのグラフには、黒崎がギルと接触した瞬間、ほんの僅かだが、ポジティブなエネルギーの揺らぎが記録されていた。
「……始まりましたか」
月読は、誰に言うともなく呟き、ゆっくりと紅茶を一口飲んだ。彼女の瞳の奥には、依然として深い謎が隠されていた。