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嘘つきたちのラビリンス

 ジョーカーとの面談から数日、黒崎渉は有給休暇を申請した。表向きの理由は「私用によるリフレッシュ」。しかし、彼の真の目的は、異世界Dランク『アルカディア・イリュージョン』――通称『嘘つきの楽園』への潜入調査だった。


「黒崎主任が有給休暇なんて、珍しいですね! ゆっくり休んできてください!」


 天野光希の屈託のない言葉に見送られながら、黒崎は内心で苦笑した。これから向かう先が「ゆっくり休める」場所とは到底思えなかったからだ。


『嘘つきの楽園』への転移ゲートは、局内でも特に厳重に管理された区画にあった。通常、職員が私的に異世界へ渡航することは固く禁じられている。黒崎は、閻魔局長に「極秘の魂魄適性調査」という名目で特別許可を取り付け、さらに月読静に「万が一の際の保険」として、非公式なルートでのサポートを依頼していた。


「……本当に、行かれるのですか?」転移ゲートの前で、月読は感情の読めない瞳で黒崎を見つめた。「あの場所は、真実を見極めること以上に、自分の正気すら保つのが難しいと言われていますわ」


「忠告、感謝する。だが、行かねばならない理由がある」黒崎は短く答えた。「もし、予定時刻を過ぎても俺からの連絡がなければ……あとは頼む」


「承知いたしました。あなたの『不在』が長引けば、それなりの『対処』をさせていただきます」月読はそう言うと、一枚の小さなチップを黒崎に手渡した。「緊急用の通信機です。気休めかもしれませんが、ないよりはマシでしょう」


 黒崎はチップを受け取り、頷いた。彼女の真意は読めないが、少なくとも敵ではないと信じたかった。


 ゲートが起動し、眩い光と共に黒崎の意識は異空間へと飛ばされた。次に目を開けた時、彼は雑多な喧騒と、甘くむせ返るような香りに包まれていた。目の前には、現実ではありえない色彩と形状の建物がひしめき合い、道行く人々は奇抜な衣装を身にまとい、誰もが胡散臭い笑みを浮かべている。ここが『嘘つきの楽園』、アルカディア・イリュージョンだ。


(……なるほど、これは骨が折れそうだ)


 黒崎は、あらかじめ用意しておいた、この世界に馴染むための地味だが特徴のない服装に着替え、フードを目深に被った。彼の目的は、『忘れられた図書館』の記録を読むための『鍵』、あるいはその手がかりを見つけ出すこと。ジョーカーの言葉を信じるならば、それはこの欺瞞に満ちた街のどこかに隠されているはずだ。


 街を歩き始めると、すぐに様々な誘惑や罠が彼を待ち受けていた。「絶対に儲かる投資話」「飲むだけで若返る秘薬」「あなたの運命を変える占い」。誰もが巧みな話術で黒崎に近づき、彼から何かを騙し取ろうとする。黒崎は、生前の人事部で培った人間観察眼と、この転生局で磨かれた「魂の嘘を見抜く嗅覚」を総動員し、それらを冷静にかわし続けた。


 しかし、この街の情報は、そのほとんどが嘘か誇張で塗り固められており、真実に辿り着くのは至難の業だった。何人かの情報屋らしき人物に接触を試みたが、得られたのは曖昧な噂話や、明らかに作り話と分かるガセネタばかり。


(ジョーカーの言っていた『鍵』とは、物理的な物なのか、それとも情報や人物なのか……)


 日が傾き始め、街が妖しげなネオンの光に包まれ始めた頃、黒崎はとある裏路地の酒場に立ち寄った。そこは、比較的落ち着いた雰囲気で、客たちも他の場所よりは「まとも」に見えた。カウンターに座り、当たり障りのない飲み物を注文する。


「見かけない顔だな、アンタ。この街に何の用だ?」


 隣に座っていた、片目に眼帯をした初老の男が、探るような視線で話しかけてきた。その男の魂には、長年この街で嘘と真実の狭間を渡り歩いてきたような、独特の擦れた匂いがした。


「探し物をしている」黒崎は簡潔に答えた。「古い『鍵』だ。どこか特別な場所に繋がるという」


 男はフンと鼻を鳴らした。「鍵、ねえ。この街で『鍵』を探すなんざ、砂漠で特定の一粒の砂を探すようなもんだ。どんな鍵か、もう少し詳しく言ってみな。あるいは、その鍵で開けたい『扉』の名前でもいい」


 黒崎は一瞬ためらったが、賭けに出ることにした。「……『忘れられた図書館』の扉だ」


 その言葉を聞いた瞬間、男の片目が鋭く光った。周囲の喧騒が、一瞬だけ遠のいたように感じられた。


「……忘れられた図書館、だと?」男の声のトーンが、明らかに変わった。「アンタ、一体何者だ? なぜ、あの禁断の場所の名を知っている?」


 酒場にいた他の客たちの視線も、じりじりと黒崎に集まり始めている。彼らの魂から発せられる警戒心と敵意が、肌を刺すように感じられた。どうやら、不用意な一言で、危険な蜂の巣を突いてしまったらしい。


「ただの通りすがりの詮索好きさ」黒崎は、内心の動揺を悟られまいと、平静を装って答えた。「その図書館に、何か知られたくない秘密でもあるのか?」


 男はゆっくりと立ち上がり、その手にはいつの間にか、鈍い光を放つ短剣が握られていた。他の客たちも、じりじりと黒崎を取り囲むように動き始める。


「この街には、触れてはならない『物語』がある。そして、『忘れられた図書館』は、その最たるものだ。アンタが何者かは知らんが、その名前を口にした以上、ただで帰すわけにはいかんな……!」


 絶体絶命。黒崎は、月読から渡された緊急用の通信チップを握りしめた。しかし、それを使うのは最後の手段だ。まずは、自力でこの状況を打開しなければならない。


 彼の「魂の嗅覚」が、この緊迫した状況の中で、ある一点に集中した。眼帯の男の魂の奥底に、ほんのわずかな「恐れ」と、そして「好奇心」の揺らめきを。


(こいつは、ただのチンピラじゃない。何かを知っている……そして、何かを試しているのかもしれない)


 黒崎は、ゆっくりと息を吸い込んだ。ここが、最初の正念場だ。

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