ペテン師のレクイエム、そして鍵の在り処
局長室の重厚な扉をノックすると、中から閻魔大王の陽気な声が響いた。「おお、黒崎君、入りたまえ!」
室内は、その厳めしい肩書とは裏腹に、最新鋭のVRゲーム機や異世界の珍品らしきガラクタが雑然と置かれ、ある種の秘密基地のような様相を呈していた。閻魔局長は、巨大なモニターでどこかの異世界のプロサッカーリーグらしき試合を観戦しながら、黒崎に手招きした。
「やあ、待っていたよ。例の『伝説の詐欺師』なんだがね、これがまた一筋縄ではいかん魂でな。他の面談担当者は皆、煙に巻かれてしまってね。君の冷静な判断力と、あの『特殊な嗅覚』に期待しているのだよ」
閻魔局長は、意味ありげに黒崎の目を見た。彼が黒崎の「魂の未練や願望を感じ取る能力」に薄々気づいていることは、黒崎自身も承知していた。
「それで、その魂はどのような?」
「名は、ジョーカー。本名不詳、年齢不詳。生前は世界各国で数々の大規模詐欺事件を引き起こし、一度も捕まることなく大往生したらしい。魂の鑑定結果もまた、実にトリッキーでね。エネルギー量は平均的だが、変幻自在で捉えどころがない。まるで、無数の仮面を被っているかのようだ」
黒崎の眉が微かに動いた。厄介な相手であることは間違いない。
面談室で待っていた魂は、その言葉通り、まるで霞を掴むような印象だった。穏やかな老紳士のようにも、怜悧な青年のようにも見える。その魂の輪郭は常に揺らぎ、黒崎の「嗅覚」をもってしても、その本質を捉えるのが困難だった。
「初めまして、黒崎様。私のような者に、わざわざお時間を割いていただき恐縮です」
ジョーカーと名乗る魂は、丁寧な口調で頭を下げた。しかし、その瞳の奥には、全てを見透かすような、底知れない深みが宿っていた。
「ジョーカー様ですね。早速ですが、どのような異世界でのセカンドライフをご希望でしょうか? あなたのその類稀なる才能は、多くの世界で求められるかもしれませんが、同時に警戒もされるでしょう」
黒崎は単刀直入に切り出した。駆け引きは無意味だと直感したからだ。
ジョーカーは、ふふ、と含み笑いを漏らした。「才能、ですか。人聞きの悪い。私はただ、人々が望む『物語』を提供してきただけですよ。彼らが信じたいと願う嘘を、ほんの少し手助けしてきたに過ぎません」
その言葉は、奇妙な説得力を持っていた。黒崎は、彼の魂が放つ無数の仮面の下に、ほんの一瞬だけ、寂寥感のようなものを見た気がした。
「それで、あなたの望む『物語』とは、どのようなものでしょうか?」
「そうですね……」ジョーカーは、指を顎に当てて少し考える素振りを見せた。「もう、誰かを騙すのは少々飽きました。できれば、今度は私が『騙される』側になってみたいものですな。それも、とびきり壮大で、美しい嘘に」
その意外な言葉に、黒崎はわずかに目を見開いた。
「騙される側、ですか?」
「ええ。例えば、そうですね……」ジョーカーは、窓の外――と言っても、そこに見えるのは異世界転生局の無機質な廊下だが――に視線を向けた。「どこかに、誰にも知られず、ただ静かに真実を記録し続けている場所があるとする。しかし、その場所が、やがて世界の大きな嘘によって消し去られようとしている……。そんな物語の中で、真実を守るために奔走する愚直な誰かを、影からそっと手助けする。そんな役割も、悪くないかもしれませんね」
黒崎の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。忘れられた図書館。シオンの言葉。そして、ジョーカーのこの発言。これは偶然か? それとも……。
「……その『忘れられた図書館』のような場所に、何か心当たりでも?」黒崎は、平静を装いながら尋ねた。
ジョーカーは、にっこりと微笑んだ。「さあ、どうでしょう? ただの老人の戯言かもしれませんよ。しかし、もし本当にそのような場所があり、そこにある『記録』を読むための『鍵』が必要なのだとしたら……その鍵は、案外、最も意外な場所に隠されているものかもしれません。例えば、そう……『嘘つきの楽園』と呼ばれるような、欺瞞に満ちた場所にね」
「嘘つきの楽園……?」
「ええ。かつて私が愛した、ある異世界です。そこでは、嘘こそが真実であり、真実こそが最大の嘘。あらゆるペテン師や詐欺師たちが集い、互いの虚構を競い合う、奇妙で魅力的な場所でした。もし、あなたが『忘れられた図書館』の真実に辿り着きたいと本気で願うのなら、一度、その『嘘つきの楽園』を訪ねてみるといい。そこに、あなたの探している『鍵』の……あるいは、鍵へ至るための『道』のヒントが隠されているかもしれませんよ」
ジョーカーの魂の輪郭が、満足そうに微笑んだように見えた。彼の魂の奥にあった寂寥感が、ほんの少しだけ和らいだような気もした。
「……分かりました。参考にさせていただきます。それで、あなたの転生先ですが……」
「ああ、私のことはお気遣いなく。どこか、退屈しない場所であれば結構ですよ。もしかしたら、あなたのその『物語』の結末を、どこかで見届けることになるかもしれませんしね」
ジョーカーの魂は、そう言い残すと、ふわりと面談室から消えていった。まるで、最初からそこに存在しなかったかのように。
黒崎は、しばらくの間、その場に立ち尽くしていた。伝説の詐欺師は、最後の最後に、彼に最大の「ヒント」という名の置き土産を残していった。
『嘘つきの楽園』。そして、そこに隠された『鍵』。
シオンとの通信を妨害した存在。異世界を喰らう何者か。そして、鳳龍牙のような強大な魂の動向。全てが、複雑に絡み合い始めている。
黒崎は、閻魔局長にジョーカーの処遇について当たり障りのない報告を済ませた後、自分のデスクに戻り、すぐさま『嘘つきの楽園』に関する情報を検索し始めた。その異世界は、確かに存在した。ランクはD。しかし、その特殊性から、転生希望者は極めて少ない、要注意異世界としてリストアップされていた。
(ここに行くしかないのか……)
危険な賭けになることは間違いない。しかし、ジョーカーの言葉には、単なる戯言とは思えない確信が込められていた。そして、黒崎自身の直感もまた、そこに進むべき道があると告げていた。
彼の「魂の嗅覚」が、初めて、死者ではない、生きた世界の奥底に隠された「真実の匂い」を微かに捉え始めていた。