野望の器、禁断の選択
異世界『アビスティア深淵国』の倒産処理報告書を読み終えた黒崎渉の眉間には、深い皺が刻まれていた。月読静が指摘した通り、エネルギー消失のパターンはあまりにも不自然だった。まるで、熟練の外科医が精密な手術で腫瘍を摘出するように、世界の核となるエネルギーだけがごっそりと抜き取られている。
「黒崎主任、次の面談のお時間です」
内線からの事務的な声に、黒崎は思考を中断させられた。モニターに表示された予約者情報に目を落とす。
氏名:鳳 龍牙
享年:58歳
死因:急性心筋梗塞(ただし、背任容疑で逮捕直前の状況)
生前の職業:巨大IT企業『フェニックス・グループ』創業者兼元CEO
魂のエネルギー量:極めて高い(危険レベルに近接)
特記事項:強烈な支配欲、卓越したカリスマ性、目的のためには手段を選ばない非情さ。複数の魂魄鑑定で『魔王適性:Sクラス』と判定。
黒崎の口角が、皮肉な笑みでわずかに歪んだ。まさに「曰く付き」という言葉がぴったりの魂だ。自動ドアが開き、重厚な威圧感を放つ魂が姿を現した。生前の姿を色濃く残したその魂は、鋭い眼光で黒崎を射抜くように見据えている。
「君が、私の第二の人生を差配するという黒崎君かね? 時間は有限だ。手短に頼む」
鳳龍牙の声は、低く、自信に満ち溢れていた。まるで、ここが死後の世界の役所ではなく、彼が長年君臨してきた役員会議室であるかのように。
「鳳様ですね。黒崎です。早速ですが、どのような異世界をご希望でしょうか。あなたの魂のエネルギー量と特性を考慮しますと、多くの選択肢がございます。例えば、新興国家の指導者として世界統一を目指す、あるいは未開拓の魔法体系を確立し、新たな神として崇められる、といった道も…」
黒崎は、あえて彼が好みそうな選択肢を並べた。鳳の魂が、その言葉に呼応するように、より強い光と、同時に黒い影を放つのを感じ取る。
「つまらんな」鳳は一蹴した。「誰かから与えられた舞台で踊るつもりはない。私が望むのは、絶対的な力だ。既存の秩序を破壊し、私の意志で新たな世界を創造する。そう、言うなれば『魔王』のような存在になることだ」
その言葉に、黒崎の表情は変わらなかった。予想通りの反応だ。問題は、この強大なエネルギーと野心を持つ魂を、どの異世界に「就職」させるかだ。下手に野放しにすれば、あっという間に世界を滅ぼし、また一つ「倒産」案件が増えるだけだ。
「魔王、ですか。確かに、あなたほどの魂であれば、その資格は十分におありでしょう。しかし、ご存知の通り、魔王として転生するということは、その世界の勇者や勢力と敵対することを意味します。最悪の場合、あなたの『王国』は短期間で滅び、あなた自身も再び『死』を迎えることになりかねませんが」
「リスクは承知の上だ。むしろ、その程度の困難がなくては張り合いがない。問題は、どの世界が私の器に相応しいか、だ」
鳳の瞳の奥で、野望の炎が揺らめいている。黒崎は、彼の魂の奥底に、強烈な孤独と、生前には満たされなかった何かへの渇望のようなものも感じ取っていた。それは、単なる破壊衝動とは異なる、歪んでいるが純粋な創造への欲求にも似ていた。
「……一つ、提案がございます」黒崎は、タブレットを操作し、ある異世界の情報を表示した。「Bランク世界『ヴァルハザード』。ここは、複数の魔王が群雄割拠し、常に覇権を争っている戦乱の世界です。しかし、どの魔王も決め手に欠け、永きに渡り膠着状態が続いています」
「ほう、混沌の世界か。悪くない」鳳は興味深そうに顎を撫でた。
「この世界に、新たな『魔王候補』として転生していただきます。あなたの才覚であれば、既存の魔王たちを出し抜き、この世界を統一することも不可能ではないでしょう。ただし、一つだけ条件があります」
「条件だと?」鳳の目が鋭くなった。「私に指図するつもりか?」
「指図ではありません。これは、あなた自身のため、そして、我々斡旋課のリスク管理のための『契約』です」黒崎は冷静に続けた。「ヴァルハザードを統一した後、あなたは世界を『破壊』するのではなく、『統治』し、新たな秩序を築き上げること。もし、無意味な破壊や虐殺に走った場合、我々は強制的にあなたの魂を回収し、この『セカンドライフ』は終了となります」
これは黒崎にとって大きな賭けだった。鳳の強大な力を利用し、膠着した世界に変化をもたらす。しかし、その力が暴走すれば、取り返しのつかない事態になる。彼が感じ取った鳳の魂の奥にある「創造への欲求」に訴えかけるしか、制御の糸口はない。
鳳はしばし黙考した後、不敵な笑みを浮かべた。「面白い。つまり、私に『賢帝』となれと言うのだな。破壊の後の創造、か。悪くない余興だ。よかろう、その条件、呑もうではないか」
「契約成立ですね。では、転生準備に入ります。あなたの新たな人生が、実りあるものになることを願っておりますよ、鳳『魔王』陛下」
黒崎の最後の言葉に、鳳は満足げに頷き、その強大な魂はゲートの奥へと消えていった。一人残された面談室で、黒崎は額に滲んだ汗を密かに拭った。まるで猛獣使いのような緊張感を強いられる面談だった。
その時、彼のデスクの私用端末に、匿名のメッセージが届いた。暗号化されたそれは、異世界転生局のメインサーバーからはアクセスできない、特殊な経路で送られてきたものだった。
『黒崎渉様。あなたは気づき始めているはずだ。異世界の不自然な消失の裏にあるものに。深入りすれば危険が伴う。しかし、真実を知りたければ、次に『倒産』の兆候が見られる世界――コードF-087『忘れられた図書館』に注目せよ。そこには、最初の『鍵』がある』
差出人は不明。しかし、その文面には、月読静と同じような、何かを知る者の気配が漂っていた。
「忘れられた図書館……か」
黒崎は、局のデータベースでその異世界を検索した。Fランク。人も殆ど住んでおらず、ただ古今東西のあらゆる書物(その多くは異世界の住人には解読不能)が眠る、静寂の世界。エネルギー量も乏しく、何者かが狙う価値があるとは思えない。
しかし、あの警告メッセージ。そして、鳳龍牙という強大な魂を送り出した直後のこのタイミング。何かが繋がっているのか?
黒崎は、厄介なパズルのピースを一つ一つ拾い集めているような感覚に囚われていた。そして、そのパズルが完成した時、どのような絵が現れるのか、まだ彼には想像もつかなかった。ただ、それが決して明るい未来図ではないことだけは、漠然と予感していた。
彼の新たな「仕事」は、どうやら死者の魂を斡旋するだけでは済まなくなりそうだった。