創世記の解読、魂の共鳴
アルカディア・イリュージョンの裏路地にある、ギルの隠れ家。黒崎渉とギルは、大賢者から託された『アルカディアの創世記』を前に、頭を抱えていた。翻訳鏡の力で文字は読めるものの、その内容は極めて難解で、抽象的な記述に満ちていたからだ。
「……『星々の涙が集う時、静寂の守り手は目覚め、失われし言葉が紡がれる』……だと? まるで詩じゃないか。これじゃあ、何の手がかりにもならんぞ」ギルは、うんざりしたように頭を掻いた。
黒崎も同感だった。しかし、諦めるわけにはいかない。『創世記』のどこかに、必ず『鍵』となる魂の手がかりが隠されているはずだ。彼は、転生局で数々の魂の「履歴書」や「魂魄プロファイル」を読み解いてきた経験を活かし、行間に隠された意味を探ろうと集中した。
(魂の波長……それは、単なるエネルギーの強さや特性だけではないはずだ。その魂が持つ、最も深い願いや、経験、そして『物語』そのものが関係しているのではないか……?)
黒崎は、かつて人事部で、適材適所を見極めるために、候補者の経歴だけでなく、その人物が持つ「ストーリー」や「価値観」を深く掘り下げていたことを思い出した。あの頃の経験が、今、ここで役立つかもしれない。
彼は、特に『鍵』となる魂の出現を示唆する記述に注目した。
『……世界が調和を失い、虚無の影が広がる時、遥か古の約束に従い、二つの流れ星が交わる。一つは、全てを記録する無限の記憶。もう一つは、全てを繋ぐ無垢なる絆。その交点にこそ、新たなる世界の扉を開く『鍵』は生まれる……』
「二つの流れ星……無限の記憶……無垢なる絆……」黒崎は、その言葉を何度も反芻した。「これは、何かの比喩表現か、それとも……」
その時、彼の脳裏に、ある二つの魂の姿が鮮明に浮かび上がった。
一人は、佐藤愛。あの看護師だった女性。彼女の魂は、純粋な献身性と、誰かを助けたいという「無垢なる絆」そのもののような輝きを放っていた。彼女が転生したシルヴァニアは、まさに『灰色の呪い』によって虚無の影が広がりつつある世界だ。
もう一人は……黒崎自身だった。彼は、自分の特殊能力――死者の魂が持つ「最も強い未練」や「潜在的な願望」を微かに感じ取ることができる力――を自覚していた。それは、ある意味で、魂の「記録」に触れる力と言えるかもしれない。そして、彼がこの転生局に来るきっかけとなった過労死と、それに伴う強烈な後悔や使命感は、彼の魂に深い「記憶」を刻み込んでいる。
(まさか……『鍵』とは、単独の魂ではなく、特定の魂同士の『共鳴』によって発現する現象なのではないか?)
その考えに至った瞬間、『創世記』の文字が、まるで応えるかのように淡い光を放ち始めた。そして、黒崎の胸の奥で、何か温かいものが脈打つのを感じた。それは、遠く離れた場所にいるはずの佐藤愛の魂と、微かに繋がったような不思議な感覚だった。
「……ギル、分かったかもしれない」黒崎は、興奮を抑えながら言った。「『鍵』とは、特定の魂が持つ資質と、もう一つの魂が持つ資質が、ある条件下で『共鳴』することで初めて機能する、二つで一つの存在なのかもしれない」
「共鳴……? おいおい、ますますファンタジーじみてきたな」ギルは眉をひそめたが、黒崎の真剣な表情と、『創世記』が放つ光を見て、何かを感じ取ったようだった。
「そして、その片割れは、おそらく俺が過去に斡旋した魂だ。シルヴァニアという世界にいる……」
黒崎は、月読から渡された緊急用の通信チップを取り出した。これを使えば、限定的ではあるが、転生局のシステムにアクセスし、佐藤愛の現在の状況を確認できるかもしれない。
一方、異世界転生局では、依然としてシステムダウンの混乱が続いていた。しかし、その裏で月読静は、冷静に自身の計画を進めていた。彼女は、黒崎が『創世記』の解読を進めていることを、彼に渡したチップを通じて把握していた。そして、彼女のモニターには、黒崎の魂と、シルヴァニアにいる佐藤愛の魂の間に、微弱ながらも明確な「魂のリンク」が形成されつつあることを示すグラフが表示されていた。
「……やはり、あなたの魂が触媒となりましたか、黒崎さん」月読は、予測通りというように呟いた。「『無限の記憶』を持つ者と、『無垢なる絆』を持つ者。創世記の記述は正しかったようですね」
彼女は、キーボードを操作し、転生局のシステム深層部に隠された、ある特殊なプロトコルを起動させた。それは『魂の共鳴増幅プロトコル』。かつて、局の創設者たちが、世界の危機に備えて極秘に開発したとされる、禁断の技術だった。
「あとは、『星々の涙が集う時』……そのトリガーが何になるか、ですね」
月読の視線は、もう一つのモニターに向けられていた。そこには、鳳龍牙が魔王として転生した異世界『ヴァルハザード』の最新状況が映し出されていた。彼は、黒崎との「契約」を破り、凄まじい勢いで世界を恐怖で支配しつつあった。そして、その影響は、ヴァルハザードだけでなく、隣接する異世界にも波及し始めていた。彼の暴走が、世界の「歪み」を加速させ、何らかのカタストロフを引き起こす可能性があった。
アルカディア・イリュージョンでは、黒崎が通信チップを使って、シルヴァニアの佐藤愛の状況を確認しようとしていた。彼女は、依然として『灰色の呪い』と戦い続けているが、その魂の輝きは以前よりも弱々しくなっているように感じられた。
(佐藤さん……!)
黒崎が彼女の魂に意識を集中した瞬間、彼の胸の奥の温かい脈動が、さらに強くなった。そして、『創世記』がひときわ強い光を放ち、新たな文字列が浮かび上がった。
『共鳴せし二つの魂よ。汝らの道は、虚無に閉ざされし『忘れられた図書館』へと続く。星々の涙が降り注ぐ時、図書館の門は開かれん。だが、心せよ。門の先には、深淵の捕食者が汝らを待ち受ける……』
「星々の涙……これは、何かの天体現象か、それとも……」
黒崎がそう呟いた時、隠れ家の窓の外が、一瞬、奇妙な光に包まれた。まるで、無数の流れ星が降り注いだかのような、幻想的でありながらも不吉な光景だった。
そして、黒崎の脳裏に、直接、声が響いてきた。それは、懐かしくも悲しい、佐藤愛の声だった。
『黒崎さん……助けて……シルヴァニアが……もう……』
彼女の魂が、限界に達しようとしている。そして、その悲痛な叫びが、『星々の涙』の正体であり、忘れられた図書館への門を開くための、最後のトリガーだったのだ。
「行くぞ、ギル! 『忘れられた図書館』へ!」
黒崎は、決然と立ち上がった。彼の魂は、佐藤愛の魂と確かに共鳴し、進むべき道を照らし出していた。その先には、世界の真実と、そして最大の危機が待ち受けていることを知りながら。




