2.挑め、国家転覆案件
ハッと意識を戻せば、既にカリンの腕の中でした。力強い両手が背中と膝裏に添えられて私の身体をすっぽりと、ハイお姫様抱っこですねコレ。何を思う余裕もなく咄嗟に顔を上げれば、吐息さえ届きそうな間近に、私を慮って細められるカリンの黒く美しい瞳が。あらまつげがとても長い。やおら熱くなる顔に開いた口は何を言うべきかも定まらず、高鳴る鼓動が先とはまるで別の意味で私の正体を失わせて――。
……しかし視界の端、信じられないモノを見るように目を口を開いて絶句する侍女と、両手で覆った口の中で「きゃーっ」と嬌声を上げる侍女と、感情を失った無表情の後に鼻血を噴いて昏倒する侍女の姿に、頭は一気に冷静さを取り戻して緊急冷却が完了しました。
ええ、今ばかりは心の底から感謝していますとも。
明日から給金を一.五倍にしましょうね。
ニコリと微笑めば、侍女たちは即座に姿勢を正して無表情に直立しました。
「ありがとう、カリン。もう大丈夫です」
「いえ、差し出がましい真似をしました」
カリンの腕を降り、しかと自分の両足で立ちます。
胸に手を当て、呼吸を整え。
己が何者であるのかを、改めて心に定めて。
「……ごめんなさいね。あなたの主が、このような体たらくで」
そう、苦笑を浮かべれば、カリンの鉄面皮が、僅かに歪みました。
少しだけしわの寄った眉間は、まるで何かを堪えるように。ああ、本当に、一番の従者にまでこのような顔をさせて、一体何をしているのでしょうか。苦渋を噛み締める私の前で。
しかしカリンは、ただ膝をついて跪きました。
目を伏せ、僅かに顎を引いて。
「アリシア様は、未来永劫に、誇るべき『我が王』です」
そっと、上げられた顔。
真っ直ぐに、私を見据える瞳に。
呼吸が、止まりました。
「この思いは、貴女様にお仕えしたあの日より、一度たりとも変わりません。我が生涯、この身体、全てを剣として捧げると、誓いを違えたことはございません」
ゆえに。
「アリシア様が歩む王道を、阻むものあらば。何なりとお命じください。不肖このカリン・ニーデルフィア、万難を排し、何もかもを斬り捨てましょう。
それが、我が『騎士の誇り』なれば」
告げられた、言葉に。
……ああ、思い出しました。
それは、確か。
いつだったか伝えた私の願いに、あなたが返してくれた言葉で。
私は、一度だけ目を閉じて……開いて。
カリンを真っ直ぐに見つめて、そっと、小さな右手を差し伸べます。
「共に国のため、民のため。力を尽くしてくれますか」
「御意に」
僅かな逡巡さえも無く、大きな左手が、力強く重ねられました。
「今度は逆になってしまいましたね」と私の浮かべる苦笑に、カリンの「恐縮です」と僅かに口の端を緩ませたかんばせが向けられて、
「「「……ぐはっ」」」
視界の端で、侍女たちが吐血して昏倒しました。
微笑みを向けて彼女らが復帰する刹那に、私は改めて、心を決め込みます。
そう、全ては私が選んだ道。
嘘の性別、偽物の姫。
それが、何だと言うのでしょう。
国のため、民のため。何より、私に全てを捧ぐと誓ってくれた騎士のために、この偽りを、最後まで貫き通すと決めたのだから。
例えこの身に――王たる資格が無いとしても。
「では、行きましょう。カリン」
は、とまた頭を下げるカリンに踵を返し、私は静々と歩き出します。一歩一歩を軽やかに揺らぎなく、油断なく。侍女たちが腰を折って見送る中、カリンは一歩後ろを、大きな歩幅を小柄な私に合わせて歩みます。
「今日は私の生誕祭。決して失敗は許されません」
なにより。
「――私の、婚約者が決まるのですから」
私はハーノイマン王国の姫、アリシア・メル・ハーノイマン。
王家に生まれし一人息子にして、女帝の冠を戴き、国と民を導く者。
十六歳になる今日この日、成人の儀をもって、誰かのお嫁さんになります。
「本日のアリシア様には、女神ですら嫉妬するでしょう。畏れながら、歴代王妃にも類を見ない美しさに気高さかと。ハーノイマン王国は、永劫に安泰です」
「ふふ、お世辞は結構ですよカリン。もちろん、そう在るべく努力は惜しみませんが」
いつもの調子で軽く応えつつ、しかし私の頭は、一つの懸念で埋め尽くされていました。
……寝室で身バレしたら国家転覆案件かと思いますが、一体誰が責任取るのでしょうね?