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1.あなたはだあれ?

 (わたし)はアリシア。今日で十六歳になるお姫様。


 ハーノイマン王国の、やんごとなき王家に生まれた、一人息子です。






 王宮の自室、壁に掛かる姿見の中に、可愛らしい少女の姿がありました。


 髪は薄い赤色。少し癖のついた毛先が触れる肩は細く、肌を晒した二の腕へ向けて柔らかな曲線を描いています。白と桃のドレスは姫の晴れ舞台にふさわしく仕立てられた見事な一品ですが、見た目の幼さから若干着られている感が否めません。この華奢な身体からすれば、小等部の学生と言い張ってもギリギリ通るでしょう。


 身長ですか。百五十センチで止まった三年前から測っておりませんとも、ええ。我ながら健やかによく食べてよく寝ていたと自負しているのですが、髪とお肌がつやつやになるばかりでロクな伸びしろがありませんでした。これも人体の神秘というものでしょうか。自分の身体で感じたくなかったですね。


 ふう、と一息。


 気を取り直して、再び鏡と向き合います。


 その場でクルリと身体を回してみます。爪先を立てて軽く一回転、ふわり広がるスカートを指先で摘み、慣れ親しんだ微笑みを浮かべればあら不思議。先程までのいたいけな幼さはどこへやら、気品に溢れた所作が花畑を舞う妖精を思わせます。どう頑張っても『美女』の領域には至らないのがこの容姿の限界ですね。まあ良いでしょう。


 ついでとばかりに、慣れ親しんだ国家の一節でも口ずさみます。開いた喉を震わせるメゾソプラノ。張らずとも不思議と良く通る声、紡がれる響きは天使が遣わす福音のように澄み渡ります。『天女』にはならないのですよね主に容姿のせいで。まあ仕方ないでしょう。


 自己採点、九十八点と言ったところでしょうか。完璧とは言えませんが、今日までの準備で多忙な中にもかかわらず、よくコンディションを保ちました。立場を考えれば当然の務めではありますが、自分くらい褒めてあげてもバチは当たらないでしょう。


 よし、と胸の前で両手を小さく握り、鏡に映る笑顔と向き合いまして、


「――相変わらずですけど、誰なんでしょうねコレ」


 今日も今日とて、女装した自分を、自分だと認識できませんでした。


 この可愛らしい少女は一体誰なのでしょうか。名前はアリシア・メル・ハーノイマン。この王国のお姫様。何やらとても満足そうな笑みで首を傾げた、幼い容姿ながらも気品を纏う、何の間違いもなく生まれはやんごとなきナニモノカ。鏡越しに向き合う瞳はどこか遠くの国の貴人でも眺めるようでいて、もはや完全に他人事。お前は誰だと口にすれば発狂しそう。


 すなわち、いつも通り。


『私』は、『アリシア』は今日も絶好調です。


「さて。今日の大舞台、しっかり務め上げませんと」


 改めて気合いを入れ直します。これから、国を挙げて私の生誕祭です。


 それに、と続く思考を途切れさせたのは、コンコンと扉を叩く控えめな音。


 はい、と返事をすれば、向こうから低い女性の声が返ります。


「カリンです。アリシア様、お迎えに上がりました」


 どうやら時間ぴったりだったようです。自室に人目はありませんが、常の習慣としてはしたなくないように、けれども待たせてしまわないように急いで歩き、扉の前に立ちます。


 大丈夫。今日も私、アリシア姫はイケております。多少精神がアレなことなど何の問題がありましょう。男が姫を騙るなどと、元より狂った真似を成しているのです。むしろ狂っていた方が好都合でしょうと、胸に右手を当て、一息に呼吸を整え、ゆっくりと扉を押し開き、


「――お待たせしました、カリン」


 は、と軽く頭を下げたのは、長身に黒赤の礼装を着込んだ女騎士です。私より頭一つ分も高い位置にあるそのかんばせは、身内の贔屓目無しに見ても端正でした。高く結い上げた長い黒髪に、切れ長の鋭い瞳。覗く黒目は思わず竦んでしまうような輝きを帯びて、線の細くも凛々しい輪郭は、失礼ながらどこぞの国の『王子』と言われても信じてしまうでしょう。ちょっと仏頂面で何を考えているのか分からないのが玉に瑕ですが「そのミステリアスさが良い」と侍女を始め姫仕えの女性たちには概ね好評です。女心はよく分かりませんね。問題発言でしょうか。口に出さなければ問題ありません。


 カリン・ニーデルフィア。


 私が幼い頃から仕えてくれている、三つ年上の近衛(このえ)騎士です。


「本日も、大変お綺麗です。アリシア様」

「ふふ、ありがとうございます。カリンも相変わらず凛々しいですね」


 恐縮です、とでも言うようにカリンはまた頭を下げます。その間に私は頬に手を当て、少し熱っぽく赤くなってしまったのをささっと誤魔化しました。ふむう、今さらこの程度で顔に出てしまうとは、緊張もあるのでしょうが私もまだまだです。


 やはり、こういうセリフをさらりと言えてしまうのがカリンの人気の所以(ゆえん)なのでしょうか。周りの侍女たちは頬を赤らめ手を当ててくねくねしています。一体、今のやり取りはどう受け止められたのでしょうか。とても気になりますが精神衛生上よろしくなさそうであまり聞きたくないですね。


 おっと、ちょうどいい感じに鬱が入ってきました。心が平常以下に落ち着いて内心スン……としていると、顔を上げたカリンが、少し目を見開いて肩を震わせました。


 あら珍しい。滅多にない女騎士の狼狽(ろうばい)に、軽く首を傾げます。


「いえ、その、アリシア様。……気迫が」

「あ、あらごめんなさい。ついうっかり」


 少々『圧』が漏れていたようです。侍女たちも一歩退いています。コレはいけません、身近とは言え民を不安にさせるなど王族失格。いくら何でも気を張り過ぎです。


「あのカリン様が、一瞬とはいえ怯むなんて……」

「ほら今日アレだし、アリシア様もさすがに?」

「や、やっぱりアリシア様、今もカリン様のコト!?」


 何か? と微笑んで首を傾げると、侍女たちは無表情に目を据わらせて直立しました。ふむ、さすがに王室勤め。鍛えられていますね。明日から給料を上げて牽制しましょうか。


「アリシア様、やはりお気が」

「大丈夫ですよカリン。王族の精神が不安定なのはいつものことです」


 よく気が付く近衛は不安顔ですが大丈夫。この王室、代々精神的に大丈夫でないことが多いので、側近始め皆も慣れたものです。……まあ今代姫の不調が、精神的どころか性的なアレから来ているなんて思いもしないでしょうけど。


 ……あら? 何やら急に色々と分からなくなってきました。私は、今、女で合っているのですよね。でも身体は男のはずで、精神的にはコレどっちなのでしょう。そもそもどうして姫の真似事などして、一体なぜこんなところに。


 ふと思い出してしまえば濁流のように堰を切って溢れる疑問疑問疑問。狂って混濁する意識がふわふわと私の正体を失わせて、ぐるり反転する視界に踏ん張りの利かない脚を滑らせて、


「アリシア様!」


 ぽす、と。


 宙に浮いた背中を、抱き留められました。





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