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第九回

 最早誰も通り掛かる事の無い歩道を、大成は(そぞ)ろ歩いた。

 あの破滅的な戦争が起こる前までは国内有数の目抜き通りであった大通りには何の影姿も今や見当たらず、砕けたショーウィンドウの向こうで焼け焦げたマネキン人形が佇むばかりである。

 瓦礫を踏む己の足音以外で耳に届くのは蝉の声と、時折何処からか伝わる犬や猫の鳴き声ぐらいであった。

 最近は野犬の数が増えているらしいから表に出る時には気を付けろ、と上司に以前忠告された事があったのを大成は思い返した。(もっと)も、『施設』内で職務も私生活も完結している『墓守』達が、外の世界を出歩く事自体が極めて(まれ)ではあるのだが。

 食料が完全配給制となり、衣料品や薬剤などの生活物資も一般への流通は限られたものとなっている。終戦を機に諸外国との貿易も再開されはしたが、そこにもかつてのような華々しさや仰々しさは存在しなかった。『休眠期』の設定に伴う経済活動の縮小は、世界規模であらゆる物流を狭めていたからである。

 車も家電製品も最早以前のようには売れず、諸外国から食糧を買い込む事も出来ない。日本が輸出出来るのは人工冬眠の器材に用いる精密部品ぐらいのものであり、それらの原料及び各種燃料を他国から輸入してどうにか収支の均衡を保っているのが実情であった。

 『休眠期』との兼ね合いもあって船便の数は大幅に減らされ、何処の国もそれぞれが必要とする物資を最低限遣り取りするのみとなっていたのである。来客に提供する程の食糧の余裕などは何処の国にも存在せず、戦前の観光業は完全に成り立たなくなっており、港や空港は無愛想な船員や作業員が黙って往来を繰り返すだけの殺風景な場所と化していた。

 そして一事が万事の(たと)え通り、そうした倦怠感(あふ)れる経済活動は末端となる市民生活にもそのまま暗い影を落としたのである。

 未曾有の食糧危機に際し生活全般に大きな制限を科せられた人々は、当初こそ自らの置かれた境遇に対する憤りや、そこから生じた発奮により逆境を跳ね除けようと奮闘していたが、幾度かの眠りを経る内に誰もが次第に気力を衰えさせて行ったのだった。

 長期を休眠に当てる事による生活感及び現実感の喪失。

 限られた活動期間の中では遅々として進まぬ復興作業。

 その事実を有無を言わさず突き付けて来る崩れ掛けた街並み。

 そうしたどうしようもない現実を瞳に焼き付ける内に、時間感覚を欠落させる長い眠りから覚める度に、人々は喜怒哀楽を少しずつ落剥させて行った。分けても、食糧の絶対的な不足という誰にも打開出来ない苦境は人々から選択の自由を奪い、あらゆる意欲を虚ろなものへと変えて行ったのだった。

 我々はこれで『生きている』と言えるのか?

 未来を選ぶ事も変える事も叶わず、ただ細々と生き永らえる事にどれだけの値打ちがあるというのか。

 我々は種としては(すで)に滅びたも同然で、曖昧模糊とした夢を見続ける亡霊のようなものに過ぎないのではないだろうか。

 泰然自若として冷ややかにこちらを見下すように様相を変えぬ現状に疲弊した人々は、いつしか同じような感慨を抱くようになって行った。

 そもそもの発端が自分達の無益な行為に起因する事、畢竟(ひっきょう)するに、天災等の突発的理不尽に無理矢理巻き込まれたが故ではなく、現在の苦境の原因が全て自分達の意思決定に基づいた結果であるに過ぎない事実も、どうしようもない倦怠(けんたい)諦観(ていかん)を湧き上がらせる大きな要因となったのである。

 意欲は益々(ますます)乏しくなり、歳月の感覚すら鈍化して行き、身勝手な怒りを発散させようにもその糧となる物が何処にも無い。

 今更何をした所で一切が徒労に終わる。

 いや、こうして生き続ける事自体が、最早何の値打ちも無い事柄に過ぎぬのかも知れない。

 明確な希望の覗けぬ鉛色の雲が掛かった時代に、そこに生きる人々の心にもまた容易に晴れぬ分厚い雲が垂れ込めていたのだった。


 どれだけの時を経た末の事であったろうか。

 それが起こるべくして起こった事なのか、それともただの偶然に過ぎなかったのかは定かではない。だが彼がふと顔を上げた時、荒廃した街並みの片隅に、確かに『彼女』の姿は在ったのであった。

 即ち、白い衣装を身に(まと)った一人の少女の立ち姿が。

 大成が咄嗟の事に目を見張った先で、その少女もまた不意に出くわした見知らぬ人の姿に対して戸惑いと驚きとを(おもて)に表した。

 距離にすれば実に五メートルも隔ててはいないだろう。周囲に人音(ひとおと)は無く、絶えず鳴り響く蝉時雨を除いては頭上を時折通り過ぎる鳥の囀りが降って来るのみである。

 場を濁らせるものが何も無い、澄んだ空気を(たた)えた廃墟の只中で、一対の人影は(しば)し黙して見つめ合っていた。

 それでもやがての末に、大成は(ようや)くにして邂逅(かいこう)を果たした相手へと呼び掛ける。

「やあ」

 何とも気軽な口調の、周囲の景観に対して場違いですらある挨拶が、白い服を纏った少女へと向けられた。

「どうも。いい天気だね。そっちも散歩中?」

 ありふれた呼び掛けの後を、蝉のけたたましい声が塗り潰した。

 大成はじっと相手を見つめた。

 変に及び腰であったり、妙に親しげであったりすれば向こうの警戒を招く恐れがある。ここは既知の間柄であるかのように、自然体で接した方が(かえ)って引かれずに済むのではないかと彼は考えたのであった。

 先方の与り知らぬ所とは言え、大成からすれば確かに既知ではあったのだから。

「この辺りは何も無いだろう? 俺も時々こうして外を歩き回ってるんだけども、結局広がってんのは石ころばかりだ。せめて花でも植えときゃいいものを、ほったらかしの酷い有様さ。この場所にはもう値打ちが無いから、今は構ってられないからって、たったそれだけの事で切り捨てられたんだ。今と昔の両方に蓋をするみたいに」

 『墓守』の青年が一人で言葉を紡ぐ向かいで、白昼を彷徨う亡霊の如き少女は何の素振りを覗かせる事もしなかった。表情に乏しい彼女の前で、大成は喋りながらも相手を注意深く観察した。

 前方からでははっきりと判らないが、髪は腰の辺りまで伸びているだろうか。背丈や体格から察するに、年の頃は十代の半ば程であると推察される。

 (あいつ)と大体同じぐらいか、と大成は双眸に別の光を過ぎらせた。

 それも束の間、彼は現に目の前に立つ名も知れぬ少女へ改めて意識を向ける。瓦礫の隙間から、それこそ砕けたビルの壁から今しがた生えて来たかのような錯覚すら抱かせる物言わぬ相手を、大成は双眸に収め続けた。

「あんたの姿、遠くから何度か見掛けた事があるよ。どうして一人でこんな所を出歩いてんの?」

 答えとなるべきものは、すぐには返って来なかった。

 (おおよ)そ予測していた反応に、大成も面持ちを些か固くする。

 人当たりがいい幽霊なんてのもそうはいないか、と青年は胸中で呟いた。

 然るに一方で、相手の面持ちや目付きに強い警戒や嫌悪の色は今の所浮かんではいない事を、彼は確認したのであった。一人きりで街を彷徨っている所からして、自分以外の人間を耐え難い不快感を生む不俱戴天の存在であるかのように見做しているのかも知れないと邪推もしたが、他者へ向けたそこまでの強い拒絶感は、現実に目の前に立つ少女からは滲み出ていなかった。

 ならばもう少し、まだもう少しは猶予と呼べるものが残されているのかも知れない。

 大成は今一度口を開く。

「俺はこの場所に来ると落ち着く……いや、別に落ち着きはしないかな。ただ何て言うか、何となく魅かれる時があるんだ。他所にいても、気にしないでいても、何となくここへ足が向く時があるんだよ」

 少女が、(かす)かに瞳を動かした。

 さながら夜空の奥深くに埋もれていた小さな星が、宵の深まるにつれてごく弱い瞬きを発するように。

 瓦礫だけを間に置いて、砕けた過去の断片の上で両者は尚も相対する。

 互いの名も知らぬ何者かへと、それぞれに眼差しを据えながら。

「昔を思い出して(つら)いってのも確かにあるんだけど、でも、それだけじゃないんだよな。壊れたものでも自分の一部って言うか、ずっと目を逸らし続ける事も出来ないんだよ。変な話だけど……」

 強調するでもない大成の言葉に、少女はやはり反応を遣す事はしなかった。

 『彼女』はただ目の前に立っている。

 それが全てであった。

 この少女が何故ここに居るのか、何を目的として人通りの絶えた街並みを徘徊しているのかは定かではないが、或いはこちらを何らかの『同類』だと(すで)に見做しているのだろうか。

 とまれ、この時の大成に叶う事は、ただ呼び掛ける事のみであった。

「俺はこの近くに住んでる園田って言うんだけど、あんたは?」

 数瞬の間があった。

「……なみこ……」

 少女がぽつりと発した言葉を耳に入れた途端、しかし大成は憮然として眉根を寄せた。

「おいおい、『何よ』って、何もそんな風に言う(こた)無いだろ?」

「南海子」

 先程よりも幾分強い口調で、少女は大成へと告げた。

 大成が一瞬だけきょとんとした面持ちを浮かべる。

 空を行く鳥の影が、両者の間をさっと通り過ぎた。

「……ああ、ナミコね……」

 そこで青年も面皮から(ようや)く余計な力を抜いたのであった。

「南海子、か……」

 夏の眩い日差しが、瓦礫散らばる砕けた街を白く染め上げる。

 その中で佇む二人の影を、朽ちた大地に刻み込むようにして。


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