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第七回

 その内部に人を収めようと収めまいと、年間の(ほとん)どを静謐(せいひつ)で満たした『施設』が喧騒で満ち溢れる日、それは人工冬眠の開始と終了の日の二つであった。

 秋の終わりと共に日本に設けられた『活動期』も終わりを迎え、人々はまた地下の(ねぐら)へと戻って来たのであった。一時(いちどき)にではないにせよ首都圏の住民が相次いで押し寄せる中、人工冬眠用の『個室』が連なる区画には連日長蛇の列が出来ていた。

 この日もまた、大成は『個室』へと向かう人々の誘導に当たっていた。

 世帯(ごと)に整理券が配布され、住民達は地上の受付で各種検査を終えた後に一路地下へと向かう。永い眠りに向かう人の列はかつての休日に商店街を埋め尽くす雑踏と似た所もあったが、周囲に溢れ出る雰囲気には雲泥の差があった。

 自分の時を止める事、家族や身近な人々との生活を断ち切らねばならない事態を歓迎する者も少ないであろう。葬列とまでは行かぬものの、『個室』を目指す人々の足取りはお世辞にも軽いとは言えず、薄暗い通路に響く声も溌溂(はつらつ)としたものからは程遠かった。

 何が彼らの気を重くしているのかは、大成にも容易に察しが付いた。

 他に採るべき選択肢が存在しない。

 これが、この一点が、これから眠りに就く、就かざるを得ない人々の心と足取りを鈍重にしているのであった。

 『個室』の前まで辿り着いても、一同の足元に淀む空気に大した差異は生じなかった。

「ここでねんねするの?」

 爆ぜるような甲高い声が、その時、『個室』の間に撥ね返った。

 通路脇に立った大成が首を巡らせてみれば、何処かの家族が今正に『個室』へ入ろうとしている所であった。

 両親に手を引かれた小さな男の子が、父親を見上げて不思議そうに訊ねたのである。

 随分と幼い、物心付いてから然程経っていないであろう幼子は、恐らくは初めて意識するであろう人工冬眠用の『個室』をまじまじと見つめていた。

「そうだよ」

 その男の子へ向け、父親が首肯して見せる。

「この中で来年まで眠るんだ」

「どうして?」

 丸い頭を傾けて、子供は父へと訊ねた。

 何の他意も含まれていない、純然たる質問であった。

 父親は少し困った様子を覗かせて、我が子へと言い聞かせる。

「どうしてって、もうじき外では暮らせなくなるんだよ。電気も水も止まっちゃうんだ。食べる物も(なん)にも無くなっちゃうんだぞ。そんな中で生きてける訳が無いだろう?」

 今も不思議そうにこちらを仰ぐ幼子へと、父親はあやすように説明する。

「だから皆眠るんだ。皆が眠ってる間に食べ物を作ったり、外を綺麗にしてくれたりする人達がいる。そういう人達の邪魔にならないように皆で眠るんだ。目が覚めた時、また元気に暮らせますようにって」

「ふぅん……」

 父親の言葉を何処まで理解出来ているのか傍目には定かに出来なかったが、男の子がそれ以上の質問を遣す事は無かったのであった。

 その様子を、離れた場所から大成は静かに眺めていた。

 『防人』も『園丁』も『墓守』も、『休眠期』は自分達の職務で手一杯で街中(まちなか)の清掃すら覚束ない有様なのだが、眠りに入る時の人間とは(おおむ)ねこんな期待を抱くらしい。

 自分達が眠りに落ちている間に、周囲の状況がどうか少しでも改善されますように、と。

 無論、そんな都合の良い願望が叶う道理がある筈も無い事ぐらい誰もが察しているのだろうが、同時に、誰もが一縷(いちる)の望みを掛けて眠りに就くものでもあるらしい。

 その都度、虚しさと徒労に襲われる事が判り切っていても。

 崩れ掛けの街並みをその目に焼き付けた後に休眠に入り、そして永い眠りから覚めてすぐ目の当たりにするのが、全く代わり映えのしない壊れ掛けの日常風景であった時、皆は果たしてどのような感慨を抱くのだろうか。

 自分達が何かしなければ何も変わらない。

 しかし出来る事は極(わず)かしか無い。

 長い目で見れば全くの無駄に終わるかも知れない勤めを延々と繰り返す。

 閉ざされた輪の中で、ただひたすら走り続ける鼠の如くに。

 それでも定められた休眠に入るべく、それぞれに用意された『個室』へ向け続々と人が集まって来る。重い歩みを止める事も出来ず、まして(きびす)を返す事も叶わない。

 一切が義務によって隙間無く覆い尽くされた日常。

 それが『戦後』に紡がれる日々の全てであった。

「やだぁああ!」

 『個室』の並ぶ薄暗い通路に、甲高い叫びが響き渡った。

 大成が首を巡らせてみれば、先程見掛けた親子連れの子供が、宛がわれた『個室』の前で何やら泣き喚いている。

「やだ! こんな所に入るの()!」

 両親がどうにか(なだ)め落ち着かせようと試みる前で、先程の男の子は首を左右に振り回して泣き叫んだ。

 割と良く見掛ける光景を前にして、通路の離れた場所に立った大成は鼻息をついた。

 バイタルサインを個別にチェックし、各自の状態に合わせて内部の環境を調節しなければならない都合上、『個室』に収まるのは飽くまで一人ずつでなければならない。家で眠る時のように、家族で仲良く川の字にという訳には行かないのである。新生児や乳児には専用のベッドが用意されているが、二歳以上の幼児ともなれば大人と同じ『個室』で人工冬眠処理を受けねばならない。

 幼い子供を親と引き離して密室に押し込めるという行為自体は、非人道的と非難されれば正にその通りであろうが、収容者の安全を守る為にはどうしても曲げられない規則であった。

 開け放たれた『個室』の横、両親の間で尚もぐずり続ける男の子を、大成は責めるでもなく穏やかに凝視した。

 或いは、ああいう子供は感じた事を率直に口に出しているのかも知れない。大人のように理性や体裁を一々(かえり)みる事無く、直感から来る不安をありのままに吐き出しているだけなのかも知れなかった。

 あの『個室』に、いや、この『施設』全体に漂う『死』の(にお)いを感じ取って。

 周囲の大人達は何を言い出す事もせず、ただ己の『個室』へと吸い寄せられるように向かって行った。

 あたかも、(すで)に埋葬された己の墓碑を目指す影法師の如くに。


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