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日没ぎりぎりで王都に舞い戻り、楽の音や笑い声、尽きせぬ祝いの音頭やかち合わされるジョッキの音がこぼれんばかりの大喧騒をくぐり抜ける。
王城では衛兵たちから目礼や会釈を受け、いくつもの区画を通ってようやくめざすフロアに辿り着いた。
昼の婚礼、披露宴。貴族たちの懇親会。大晩餐会の次は大舞踏会。
もう、何度目かの衣装替えを終えた、幸せな一対のふたりが彼らの懐刀を出迎える。
「ご苦労だった、キキョウ。よく間に合ったな」
「お陰さまで。人使いの荒い母には慣れっこですよ。殿下やアイリス様こ、そ……………………ッ!?!? 痛い! 何をなさるんです!」
パシン! と、小気味よい音とともに衝撃。痛みと驚きに前につんのめる。
どうやら、顔だけはにこにこと愛想の良い紅髪の王太子に後頭部を叩かれたらしい。一拍遅れで気づき、奮然と抗議した。
しかし。
「天誅だな。ぼうっとアイリスに見惚れるからだ」
ふっ、と笑ったサジェス――王太子殿下は、案の定まったく取り合わない。身長差はさほどない男ふたりが、一見にこやかに睨み合う。
キキョウは口元だけに笑みを刷き、じりりとサジェスににじり寄った。
「見てはいけませんか? アイリス様は、われわれ北都の民の大切な姫君です。そもそも、私は妃殿下付きの騎士として来たはず。それが、なぜこんなことに……?」
「残念だったな。アイリスには漏れなく弟のルピナスが付いてくる仕様になっている。なにしろ、城の大臣も警備隊長も唸るほど優秀な北公子息殿だ。お前はやることもなかろうと、哀れに思って拾ってやったのに……」
「殿下。さも、『可愛げがない』みたいな言い方をしないでくださいね。言っときますが、人使いが荒いのは殿下だって同じです」
「〜〜ああぁっ、もう! おふたりとも、そこまでです! 殿下も。キキョウ様が戻られたからとはしゃぎ過ぎですわ。キキョウ様、こんな日にもエヴァンス家のお仕事だなんて……。大変でしたね。お疲れ様でした」
「おっと」
「お言葉が染み入ります。アイリス様」
ついさっきまで角付合わせていた夫と馴染みの騎士の間に割って入ったアイリスは、困ったようにほほえむ。
彼女はそのまま二、三、会話を交わしたあと、血相を変えた髪結い係に連れていかれた。(※途中で抜けてきたらしい)
さらさらと衣擦れをさせて隣室に移るアイリスを見送ったあと、サジェスはがらりと顔つきを変えた。
「すまんな。夫人からは『家の用事』とだけ聞いている。どうだった?」
「健やかにお過ごしでした。商人に関しては“黒”でしたが、手は打ちました。詳細は……うん。今夜はあれですし、明日にでも紙面でまとめておきます」
「……堅物のお前が、言うようになったなぁ」
「お陰さまで」
何か、さっきもこんなことを言ったっけな、などと思いつつ、にこりと笑う。
その、いつも通り涼しげな騎士ぶりにサジェスは苦笑した。
――――――――
三年前、彼女が辺境での永久幽閉に処されなかったのは初犯が成人前であり、かつ自身も薬物に侵されていたためだ。
巫女院長の言うとおり、薬の影響を取り除いたあとの彼女の精神はボロボロだった。
当時、北方周辺の貴族たちはそれなりにごたついた。
ルシエラの『表の顔』の心酔者は存外に多く、商会関連者からは減刑の声が上がったせいでもある。
とはいえ、最終的には王の采配で片が着いた。
ゼローナ王国は、それだけ王の“力”が強い。
それでも、いずれ燻る火種はあろうかと警戒していた。今回はその初手だ。いったい、誰が彼女を引き抜こうとしたのか。
幸い、ルシエラ本人は強靭な高位貴族の矜持の持ち主であり、どんなに病んでいても『陛下の沙汰』と告げれば従順に膝を折ったものの。
あの頃といまと、内在的にどう違うのか。
回復しているかと問われれば、微妙だと答えるが――……
* * *
『恋とは、恐ろしいものですね、キキョウ様』
『はい?』
事件から約一年後。
みずからが起こした事件のショックから少しずつ立ち直ってきたらしいルシエラは、おだやかな回顧を口にするようになっていた。
あの日も外を散策していた。
ぽつり、ぽつりとこぼす言葉は、晴れているのに雨の滴のようで。
巫女長は母よりも母らしい、とか。
どのひとも裏表がないことに戸惑う、とか。
それでも、ちょうど恋人に裏切られて病んでしまった女性が巫女院に滞在した時期だったからか、いつもよりも多くを話した。巫女たちに明かせないことを話しているようだった。
『わたくしは、このような罰では足りないほどの愚行を犯しましたが。さらに愚かですのよ。殿下のお心が欲しかったことと、――あなたの大切な姫に毒を盛ったこと。ちっとも悔いていませんの』
『……』
いま思えば。
詰ってほしかったのか。
やさしすぎる空間のなかで、誰かに嫌悪の念を向けてほしかったのか。
つまるところ、怒らせたかったのか。
そのときは返せる言葉がなく、ただ、黙っていることしかできなかった。
* * *
(本当に。恋とは――ときに、怖いものだ。それは同意ですがね、ルシエラ殿)
壁際に佇み、顔見知りの男爵と歓談しつつホールを眺めていた。着飾った貴族のなか、誰よりも輝いて見える一対がいた。探すまでもなく。
「お似合いですね。うるわしい。我が国の希望です」
「まことに」
自然と口元が緩む寿ぎに、ふっとキキョウは、何かから解き放たれた気がした。同時に、何かを求める恋しさも。
「男爵。以前、話しておられた件ですが。まだ間に合いますか」
「へっ!? あ、ええ! もちろんです。ひとまずは我が家で預かっていますが」
「機会を作っていただけますか? 時間なら何とか。会ってみます」
「あ、ありがたい……! 喜んで!」
では早速、と、どこかに去ってしまう男爵に呆気に取られたが、胸のなかには未知数のきらめき。予兆が訪れた気がした。
その変化が喜ばしいものであるように。
「……ほんとうに、お祝い申し上げます。おふたりとも」
お幸せに、と、まぶしく見つめる。
――――この思いこそが、自分にとっての真実。
そうして後日、とある子爵家の四女が騎士を志願して、キキョウに文字通り泣きついて弟子入りしたのは王城では有名な話。
「勘弁してください」が口癖になりそうだと時々ぼやきつつ、本人は、ちょっと女難なのかもしれない。
キキョウ・エヴァンス伯爵子息の地道(※自称)で忙しい日々は、これからも続く。
了