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本来、キキョウの生家たるエヴァンス家は、北公ジェイド家を主筋と仰ぐ。情報収集や各種工作を生業とする一族だ。
それは、北都一帯が“アクアジェイル公国”と呼ばれた昔からのこと。キキョウ自身、唯一の忠誠はいまも北公家に捧げている。
それがなぜ、現状は王太子に仕えているのか。
それは……。
――――カチリ。
「っ」
不意に、みずからが鳴らした器の音で茫洋とした意識が戻る。
キキョウは数度瞬いた。その様子に、院長が首を傾げる。
「いかがなさいましたか? キキョウ様。やはり、お疲れなのでは。しばらく休んでいかれますか」
「いいえ。そこまでは……でも、そうですね。少しならば。ルシエラ殿?」
「はい」
キキョウは、いかにも『もののついで』を装って呼びかける。
ルシエラも、形だけ「何でございましょう」と尋ねた。
「折角ですので、こちらの茶葉に使われたハーブを見せていただけませんか? 庭を案内していただけると嬉しいのですが」
「庭、と申されますと。わたくしが作業をしておりました裏手になりますわね。宜しいのですか? 院長様」
「もちろんよ。お土産に、他にもいくらか見繕って差しあげなさい」
「わかりました」
粛々とルシエラが席を立つ。
連れ立つふたりに、窓際の院長は思い出したように声をかけた。
「――そうそう。お帰りの際は、もう一度こちらにお寄りください。それまでに、お母君への手紙をご用意しましょう」
* * *
裏手のハーブ園は、やはり裏口からが近道らしい。
ルシエラが先に立って外に出ると、日はやや傾いていた。それでも他の巫女たちが懸命に作業するさまが見受けられる。
ちらちらとこちらに視線を寄越すものもいるが、おおむね勤勉な女性たちである。不躾に話しかけたり、興味本位に近づくものはいない。
とはいえ、ある程度自然な話題を彼女らに提供するため、『かりそめの必然性』を演出しつつ、キキョウはおだやかな空気を心がけて問いかけた。
「突然すみません。率直に言いましょう。最近、貴女に接触をはかる商人がいると聞きました」
「お耳が早いのですね。ええ。会話をしたのは数度ですが」
「いつから?」
「いつ……? さあ。巫女院は、俗世と違って時の流れが緩やかですから」
「はぐらかさないで」
「あら」
流されたルシエラの水色の瞳に、ほんの少しだけ嗜虐的な光が踊る。
――ああ。
まだだ。まだ、この女性はどこかが欠けたままなのだと感じ取ったキキョウは、深々と吐息した。我慢強く次の言葉を待つ。
ルシエラは、ふいっと子供じみた仕草で視線を逸らした。
「……露草が咲き始める前でしょうか。ふたり組の若い男です。女性向けの雑貨をたっぷり持って参りました。最初は院長様も苦い顔をしておいででしたが、ご覧の通りここには年若い巫女もいますし、純粋に行儀見習いとして押し込められた令嬢もおります。還俗を前提とする彼女らに、世俗との接点を何も与えぬわけには参りませんから。それで、『月に一度なら』と許可を」
「なるほど。行商人の名は? 所属する商会はわかりますか」
ふるふる、とルシエラは頭を振った。
「名前は『キオ』『レッセ』と。ふたりで興した商いだと申しておりました」
「胡散臭いですね」
「同感です」
にこり、と笑う。
――傍目には伸びやかなハーブを選び、客人のために手折るうつくしい巫女。かたや、そんな彼女に思慮深いまなざしを注ぐ見目の良い青年騎士。
困ったように笑み交わすふたりは、遠目には充分秘めた想いを抱え合う禁断の関係に見えた。
それを証明するように、きゃあきゃあと賑わしい声が聞こえる。(※くどいようだが複数方向より)
やがて、そこそこの花束を片手に抱えたルシエラが踵を返す。
「ご所望のハーブは、これくらいが妥当かと。他には?」
「他……ですか」
物腰は柔らかに。口調のみをここまで冴え冴えと徹底させる女性はなかなかいない。
キキョウは今度こそ苦笑した。
「彼らは貴女に何と?」
ルシエラは。
まるで、ハーブの種類を答えるように口をひらいた。
「――『自由になりたくはないか』と。遠巻きに雑貨を見ていたときのことです。腕を掴まれて、やたらと親しげに耳打ちされましたわ」