懐かしき友の導き
不思議な夢を見た。あたりは薄暗く、どこまでも荒涼とした荒野が続いている。昔は直ぐ側に研究都市ミドガルゾルムがあったが、大幻晶王国の大爆撃は、イデアルクラウスの唯一価値の残る部分のうち、叢雲城と現世の天国以外、全てを焼き払ってしまった。恨みは既に風化して久しい。……いや、薄情な私には、元々恨みらしい感情は伴っていなかった、という方が正しいのかも知れない。
私の心の中の寂寥を、そのまま表したような、何処までも続く荒野の中、どう考えても不自然な形で、懐かしい建物だけが、傷一つない形で残っている。ラフィングブレイスの研究室。我が唯一の友、技能者ラフィングブレイスの根城。特に必要がない限り、友は絶対にそこから出ようとはしなかった。単純な出不精という訳ではない。友は、外に出て誰かと向き合うのが怖かったのだ。あの寂しがり屋は、飄々とした態度で己が心を鎧っていた。あの女が本心で付き合うことが出来たのは、全面服従の制約を掛けられている私だけだ。
研究室の扉の前に着いたので、ノックをしてみる。最近では本当に習慣がなく、この前勇者に怒られていなければ、そのまま入って友に怒られていただろう。矢鱈と媚びた声で、「いやぁん、エッチぃ☆ けだものー。ばーかばーか」などと、状況の如何に依らず言うのだ。どう考えても言いたいだけだ。何度も経験しているので、良く覚えている。思い出に浸っていると、中から懐かしい声が響いた。
「んん、殊勝にも扉をノックをしてから入ろうだなんて、これは我が助手グレンゼルムの来訪ではないな。何者だー、名を名乗れー。あるいは飯寄越せー。ご飯まだー?」
「グレンゼルムだ。飯はない。息災か?」
友のことだ。どうせ全部分かっているだろうし、だからこその発言に違いない。アレは、他者の気配には非常に敏感だ。そして、こんな間抜けな発言は、私相手にしかしない。もし仮に間違えた日には、その日はもう部屋の隅でじっとしているだけの、ただの置物になるだろう。対外的には非常に気位が高いのだ。そして、私が知る限り、友はそんなミスはしたことがなかった。
「知ってるよ。飯はいらん。まったく、グゥは本当に可愛気がないなぁ。そんなんじゃ、女のコにはモテないんだぞー。僕くらいしか相手しないんだからなー? お前みたいな朴念仁はさあ」
「そうだろうな。入っていいか?」
「だーめ。今日は入れない。……フリじゃないぞ? 僕とお前の仲だ。こんなことに命令を使いたくはないが、どうしても入りたいなら、命令してでも入らせない。お前を殺してでもだ」
随分と頑なだ。入ることは出来ない、ということで間違いない。友は、こんなに分かりやすく望みを言うことは殆どなかった。
「了承した。入らなければ、話すのは構わんのだろう?」
「ありがと。もちろん話すのはいい。僕も久々に話したかった。……しかし、お前は相変わらず聞き分けが良過ぎる。久々なんだからさー、ラフィたんの超絶魅力的なお顔を一目見てみたいな☆ とか無いわけ? それはそれでムカつくー。ぶーぶー」
「見たくないことはない。むしろ、見られるなら見ておきたい。だが、他ならないお前自身が見せたがっていないのは分かる。故に見ない」
それだけだ。超絶魅力的どうこうはどうでもいいが、久しい顔を一目見たかったのは、隠すこともない事実だ。だが、無理ならそれを尊重する。友は、少し震えた声で小さく言った。
「……ごめんね。確かに、君はそういうやつだった。察しの通り、僕はもうお前には顔を見せたくない。見られないなら、教えてもいいだろう。僕の超絶魅力的な美貌は失われてしまった。……今更、幻滅なんてされたくない。僕の顔は記憶の中に留めておいて」
私の友、ラフィングブレイスは大爆撃で死んだ。研究室だけは守られていた、などと都合のいいことはない。無事だったのは叢雲城と、たまたま用事があって叢雲城にいた私だけだ。他は例外なく死んだ。どれだけそれを望んでも、過去が変わることはない。
友は、沈んだ空気を振り払うように、いつもの調子で言った。
「……さて、しんみりしてても仕方ない。では夢の本当の目的の方に移ろうか。これは導きの祝福だ。道半ばを征くものに指標を与える、正しきものの切実な願いの結実。間違っても、昔死んだ友達に逢うのが目的ではない。当たり前だが、現世に連れ帰るなど不可能だ」
未練はない。出来れば良い、とは確かに思う。だが、そんなことは有り得ない。その上で、逢えたことは純粋に喜ばしいと思う。
「よろしい。要するに、お前にとって、征くべき道を導くのは僕だった。光栄だね。……知っているとは思うが、お前は『魔王』なんて存在じゃない。あくまでもそう呼ばれているだけの、ただの武人だ。お前自身が散々自称しているそれは、受け入れられているかはともかく、本当にただの事実なんだ」
それはそうだろう。一介の武人に天災の原因とも呼べるような圧倒的な力があれば、かの大爆撃もまた防ぎ得たかもしれない。だが、そんなものは最初からなかった。有り得ない事を惜しんでも意味がない。
「だが、他者にとって……とりわけ、大幻晶王国にとっての『魔王』は、現に実在する概念で、明確な脅威だ。僕も、それを知ったのは最近だ。イデアルクラウスの御伽噺に語られる内容は、少なくとも一部は現に存在した歴史なんだ。魔王は世界を憎む呪い。聖剣と対をなす、虐げられたものの怨嗟の結実だ」
……なるほど。ということはつまり。
「聖剣もまた、魔王に並ぶ特別なものだった、ということか。誇らしげに聖剣の勇者などと名乗るのは、単に有名な剣だからという訳ではないのだな。やっと合点がいった」
「……いや、それすら理解してなかったのかよ!? お前、しっかりアレの権能をその身で食らってただろうが! ……何にせよ、あんなクソ失礼で短慮な小娘が、矢鱈デカい顔をしてられるのは、聖剣の加護って権能があるからだ。魔王ってのは普通、対をなす聖剣の加護がなければ勝てない相手だ」
そういえば、魔王を自称する輩と戦ったことがあるな。私に勝てたということは、流石にアレは偽物だ、ということで間違いなかろう。確か、名前はガレンゾオルだった。ほんのりと私と名前が似ている。
「……まったくお前は、賢いようでいて、何処までも馬鹿だな。お前はお前の能力を低く見すぎだ。あるいは現実逃避か? とにかく、その魔王ガレンゾオルが本物の魔王だ。お前は類稀なる研鑽の果て、聖剣の加護ではなく、武人の矜持をもって魔王を打倒した。史上初の快挙だ。……だが」
「なるほど。つまり私が、聖剣の勇者がやるべきことを、傍から掠め取ってしまったことで拗れたわけだな。『聖剣の勇者が、魔王を倒す』ということに、明確に意味があったわけだ」
「そこは察しがいいんだよなあ。なぁ、お前の知性、もうちょっとバランスよくならない?」
知っていることと知らんことが偏っているせいだろう。これでも分かったタイミングで最速で言っているのだ。どう足掻いても、これ以上早くはならない。だから私は、知らないことは色々教えてほしい。知ってさえいれば、あるいはもっと上手く出来たかもしれないのだ。これ以上の後悔は、出来ることならしたくない。私はずっとそう思っている。
「ま、そうだな。お前が望むように上手くやりたいなら、そのために、知らんことを色々教えてくれる友達を作るこった。僕はもう無理だ。思い出の中でなら話せても、未来はない。僕としては色々癪だが、あの勇者なんかは、お前にとって最適の相手だろう。精々上手く利用してやれ」
「勇者か。そうだな。これからも色々教えてもらうつもりだ」
「知ってる。ここで、完全無欠のラフィたんからの素敵なアドバイスだ。まずは致命的に拗れている、お互いの認識を擦り合わせておけ。お前はそもそも魔王じゃない。あの小娘は愚かにも、そんな事実すら見えていない」
確かに、私が魔王であることを、積極的に否定した記憶がない。他称され始めて久しいとはいえ、勇者のいう「魔王」が私でないことが分かった以上、そのまま放っておくのは正しくない。
「そのために、あいつに魔王の実害を教えてもらえ。お前も魔王について知らなさすぎる。これは元々そうするつもりだったんだろ? どれだけ馬鹿にされたとしても、知らんものは知らんのだから、遠慮なく聞いておけ。そして」
私が無知なのは、純粋に私の恥だ。言われるまでもない。そして、なんだ?
「そして、その実害の殆どは、魔王を倒しても解決しなかった、という歴史的事実を教えてやれ。イデアルクラウスの御伽噺から、僕が研究した成果が城に残っているので、それを使え。恐らく大幻晶王国には、魔王を倒した後の話は存在しないんだろう。……魔王を倒した後の、聖剣の勇者の悲惨な末路は、お前には一切関係ない。お前はもう、十分過ぎるほどに責務を果たした。いらんことなど、それをやるべき奴に投げてしまえ」
……良くは分からないが、見てみなければ何とも言えんな。だが、何をすべきかは馬鹿な私でも良く分かった。やはり、我が友はとても賢い。私など及びもつかない、真に有益な存在だ。
「感謝する。流石は私の友、敬愛止まぬ完全無欠のラフィたんだな」
折角だ。いつか望まれた軽口でも叩いておこう。もう夢ですら逢うことは無いかも知れない。言いたいことは、言えるうちに言うべきだ。実際に失ったことで、嫌でも分かった。
「……くそう。ずるいぞ、顔を見せられないから、言っても殴られないと思いやがって。……なんてな。ありがと、グレン。僕にとって、大事なのは君だけだ。他のやつも、壊れた世界の行く末も、心底どうでもいい。特に、あのムカつく小娘は、好きなだけ苦しめばいいと思う」
今まで聞いたこともない、素直な好意に、面映ゆい気持ちになる。こちらも素直に返しておこう。
「勇者が苦しむのが望ましいかは知らんが、そうだな。私にとっても、お前は特別だ。武人の矜持の次に大事な、得難き友よ」
「そこは嘘でも『君が一番だよ』って言っときな。まったく、お前は本当に真面目だな。嘘が言えないところがお前の美点ではあるんだけどさ。……じゃあな、頑張れよ。『クロージャー。我が助手はお帰りだ。気持ちよく目覚めさせてやって』。お願いね」
そんな言葉が聞こえると、ゆっくりと視界が暗くなっていった。