武人式修練法(前)
「なるほど。剣術の訓練の方法を教えてほしい、と。了承した。それにしても、今まで体系的に訓練をしていた訳でもないのに、それだけの練度を持っているとは恐れ入る」
私はグレンゼルム。一介の武人である。嵐のような、見所のある変わり者の勇者が来たので、しばらく滞在してもらいながら、私が「魔王」などという、大袈裟な脅威として見なされなくなるための方法の教授を願ったり、あわよくば彼女には私にとっての「真の脅威」として成長してもらい、武人として真っ向から挑む日を夢想したりしている。後者は現実的には難しい気もするが、諦めるほどではない。戦意はまだまだ十分残っているはずだ。
さておき、勇者からの要求は、実のところ全く以て予想外の内容だった。こんなに幼い少女が、まさか師の存在も何もなく、完全な独学で、そこらの武人を遥かに上回るような練度に至ったなどと、俄には信じ難い話である。さぞ過酷な道を歩んできたに違いない。
私も経験してきたので良くわかるが、武人を志したもののうち、一端の武人と呼ばれるまでに至るものは、ほんの一握りだ。殆どは志半ばで、特に名前を知られることもなく、何ら価値を持たない塵芥のように死んでいく。数々の死線を潜り抜け、何故死んでいないのかが自分でもわからないようなもののみが、他者からも一目置かれる武人とみなされるのだ。そして、一目置かれれば、今度は狙われる。勝ち続けられない限りは、強いものも弱いものも、等しく死ぬ。
私も実は既に死んでいるのかもしれない。だが、もし仮にそうだったとしても、現に今私はここにいる。ならば、生きていようと死んでいようとどうでもいい。
やや脱線した。ともあれ、勇者の経歴に対して素直に感心していたが、当の勇者の方を見てみると、何やらひどく苦い顔をしている。今回は特に余計なことは言っていないはずだが、また失言でもあっただろうか。
「……あんた、もしかして人の心が読める異能とかあったりするの? 偶然にしても嫌すぎるんだけど」
良くわからないが、また反応に不満があったようだ。今回は本当に心当たりがない。もし心を読める異能などというものが私にあれば、今までも諸々もっと気の利いた返答が出来ていたことだろう。そんなものがあるなら是非欲しい。
「生憎と、そういう異能は持ち合わせていないな。要求についてだが、実は私も体系だった剣術の訓練方法は知らん。やったことがないし、教わったこともない。結局のところ、武人にとっての研鑽というのは常に実戦だ。負ければ死ぬし、勝てば強くなる……こともある。数々の死線を潜り抜けた先にしか、強さはないのだ」
要するに、要求そのままだと私は何ら役に立たない。数少ない知り合いも、事情を聞いた範囲では、そういうお行儀の良い特訓の経験があるものはいないはずだ。しかし。
「しかし、一つ考えられる方法はある。大事なのは死線を潜り抜けることそのものというよりも、自分自身と同格……ないし、少し上回る相手と戦い、生き残ることだ。ということで、私が命を奪うことだけはないという前提のもとで、お前を少しだけ上回る力で、お前と戦うのだ」
頼れるものも何もない状況で、我ながら中々合理的な代案を出せたのではあるまいか。内心ワクワクしながら勇者の反応を待つ。
「……あんたはそれでいいの?」
よくわからない。良いか悪いかで言えばもちろん構わないとは思うが、一体どこに引っかかっているのだろうか。
「それでいい、とはどういう意味だ?」
「あんたは本気で戦うことにしか興味がないと思ってたけど。手を抜いて戦う、ということ自体忌避するのかなと思ってた。それに……」
必要を感じれば手を抜くし、別段殺す必要性もないような、明確に生き延びることを願っているものを、敢えて見逃さないほど、私は狭量でも陰険でもない。他者に理解されるかどうかは別にして、今までずっとそうしてきている。今回は私自身の打算もあるので、なおさらだ。
「それに、命を奪わないのが前提の試合で、あんたが望むような、真剣な勝負が出来るとは思えない。私一人のためだけに、そんな非効率なことを出来るの?」
なるほど。なんとなく言いたいことが分かってきた気がする。
「解釈に自信がないので、一つずつ解決しよう。まず、本気で戦うことにしか興味がない、というのは認識のとおりだ。これは武人の性なので、死ぬまで変わらん」
「……そこは合ってんのね。あんたの回りくどさを考えると、実はそうじゃないって可能性も考えてたんだけど」
「次に、手を抜いて戦うことを忌避するのかは、別に忌避はしない。必要なら、単にそうする。実際、初戦ではそうだっただろう?」
「……そうね。思い出したらムカついてきたわ」
「手を抜く必要がない状態まで仕上がってくれれば、万事解決だ。腐らず励んでほしい。そして、命を奪わないのが前提の試合では、真剣勝負が出来ない、というのはよくわからない。武人ならまだしも、お前は武人ではあるまい?」
武人なら、確かに命のやり取りが前提だ。だが、噂に聞くような剣術の特訓とは、まさに「命の危険が少ない、真剣な取り組み」だと考えている。やったことはないので、解釈は間違っているかもしれないが。
「あんたがその武人とやらでしょうが。ずっとそう名乗ってるし。今までに聞いた話から総合的に判断すると、つまり武人ってのは、生きるか死ぬかの瀬戸際で、永遠に反復横跳びしてないと興奮できない変態なんでしょ」
何やらとんでもない誤解をされている。もしかしたら、武人の中にはそういう奇特な輩もいるのかもしれないが、少なくとも私はそうではないし、多数派では有り得ないだろう。多分。
「……流石に訂正させてほしい。武人の誉れは、そんな変態的な嗜好ではない。確かに、死ぬかもしれない状況を生き延びることに対しては、殊更高揚感を覚えるのは事実なんだが」
……だが、上手く説明できない。もしかしたら、勇者の解釈のほうが正しいかもしれない気がしてきた。何ということだ。流石にこのまま認めることは出来ないが、今は旗色が悪いので煙に巻いてしまおう。正しい答えは、それからゆっくり探せばいい。
「とにかく、私に死ぬ可能性が残ってさえいれば問題はない。故に、真剣勝負は出来る。真剣勝負が出来るなら、非効率ではない。もちろん、若干効率は下がるかもしれないが」
これなら文句はあるまい。完璧だ。勇者の顔色を伺うと、信じられないという顔をしている。
「……それって、つまり『私は殺さないが、お前は殺そうとすればいい』ってこと? 本気で言ってるの?」
「そうだが。さっきも言ったが、初戦はまさにそういう状態だった。私からすれば、今に始まったことではない。あの時よりも制限は強くなるので、私もより高揚出来るだろう」
あと、言っていて初めて気付いたが、この制限で取り組めば、武人の矜持に反しない形で勇者に負けることも出来る。なるべくなら、持てる力の全てを出し尽くして死ぬ、というのが理想的な死に方ではあるが、最悪自分よりも強いもの、同格のものが皆無になってしまった場合、この方法で妥協できるだろう。また一つ知見を得た。
勇者の最終目的を考えても、決して悪くない条件のはずだ。何らリスクを負うこともなく、あわよくば魔王を、私を殺せる。だが、勇者からは予想外の反応が返ってきた。
「……詳しくは言えないけど、それは……それだけはダメ。条件を明示された以上、その条件を公平にしてくれない限り、私は受け入れられない。受け入れちゃいけないの」
悔しそうとも、泣きそうとも取れる、悲痛な顔で勇者は言った。これまでの、感情に任せた「舐めるな」といった反応とは全く違う。それだけ切実な事情があるのだろう。恐らくは、武人の矜持と似たような、「実質何の役にも立たないが、それでも守り通さなくてはならない何か」があるのだ。事情は全くわからんが、やはり私と勇者はどこか似ている。難儀なものだ。
「そうか。細かい事情を詮索するつもりはないので、安心してほしい。公平でさえあれば良いのなら、両方に同じ制限をかければいいだけなので、どちらにせよ支障はない」
「……ありがとう。でも、どういうこと?」
「そうだな。相手を殺せないことを担保する方法など、一般的には知られていないだろう。諸々を省きつつ結論を言うと、蘇生式……死を巻き戻す呪いをかけた状態で、気兼ねなく戦う。最終的には死なない、という事実だけは確定しているわけだな」
そう。命を奪うことはないというだけで、そもそも殺さないとは一言も言っていない。蘇生式は死を巻き戻すが、死の苦痛が無かったことになるわけではない。一度試しに興味本位で使ってみたことがあるが、アレは中々の地獄だった。むしろ、苦痛の量だけを評価するなら、いっそ素直に死んだほうがましな可能性すらある。私としては、正直かかっていようがいまいが、どちらでも良い。形式上必要ならかけるだけだ。
「予め言っておくが、最終的には生きていることが担保される、というだけのものだ。苦痛がないわけではない。もちろん、今回は訓練が主目的である以上、こちらから不必要に殺すことはない。発動してしまうと相応の費用もかかる。……だが」
「……だが、何よ。勿体振らずにさっさと言いなさい」
ちゃんと理解できているかまではわからんが、臆している様子はないようだ。
「やるからには真剣に、限界まで取り組んでもらう。少しでも甘えた態度を見せれば、その度にしっかり一度死んでもらうぞ。所詮訓練だ、などとは思ってくれるな。ここで行うのはあくまでも、死なないことは確定している、というだけの実戦だ」
武人相手なら言うまでもないような内容だが、勇者は武人ではない。許容できないなら別の方法を考えたほうが良いだろう。その場合はいちいち教導してまで戦う理由もなくなるが。
「いいわ。望むところよ。意地でも一泡吹かせてやるから、覚悟しときなさい」
……どういうわけか、今までで一番やる気に満ち溢れた顔をしている。怯えとかそういう感情は微塵も感じられない。理解こそ出来ないものの、やはり私と勇者はどこか似ている。
「良い返事だ。では、早速修練場に向かうとするか」
グレンゼルムは、まるで遊びにでも出かけるかのような足取りで先導した。