怖い魔王と変な魔王
不思議な夢を見た。荒れ狂う黒い暴風の中、絶え間なく鳴り響く硬質な音が、小さな呻き声とともに止んだあと、そこにいたのは二人の男。
「ググッ……グギギ……何故だ……! 何故敵わん! こんな何の変哲もない、聖剣の加護すら持たない有象無象の凡百如きにィ……!」
心底悔しそうに呻きながら、膝をついている禍々しい見た目の男に対峙するのは、確かに何の変哲もない、どこにでもいそうな普通の剣士だった。
「聖剣の加護は知らんが、一介の武人に一目見て分かるような特徴など必要あるまい。敵わないのは単純に私の方が強かったからで、故に今回は私が勝った。それだけの話だ」
先程まで死闘を繰り広げていたとは思えない、冷静な声で剣士は事も無げに語る。
「黙れ黙れェッ!! 大義も悲願もない矮小な存在の分際で、この俺を愚弄するかッ!!」
男は激昂し、その身に纏った漆黒の甲冑からどす黒い魔力を解き放った。だが、最早構えることも出来ないほどに衰弱している。
「無念なり……無念なりッ! 我が揺るぎなき憎悪が、お前のくだらない享楽如きに劣るなど、断じて認めんッ! ならばこの身を燃やし尽くし、世界を永遠に呪ってくれよう!」
その瞬間、禍々しい見た目の男は虚空に溶けるように消え去り、代わりに禍々しい気配があたりに立ち込めた。初めは息をするのも苦しいような怨嗟を肌に感じていたが、それも次第に薄れていく。
「感情と目的の方向性が明確でさえあれば、それ以外より無条件に上等だというわけでもないとは思うが。まぁ、そんなことはどうでもいい。良い闘争だったぞ、魔王ガレンゾオル」
なんかズレた反論を添えた、心から満足したような呟きが、清々しく晴れ渡る空に消えていった。
----
私はリタ。魔王を討つ旅の果て、何故か魔王の城に泊まる提案を受け、酔狂にもそれを受け入れた、聖剣に選ばれた勇者。
久々に上等な寝床で寝られたせいか、凄く爽やかな目覚めだ。何だか気になる夢を見たように思うが……。
「うーん……何かよくわかんないけど、夢の中で見た剣士って、どう考えても魔王よね」
あの飄々とした態度は、昨日話した魔王のものだった。夢の場面だけを見ていれば、むしろ魔王を討ちに来た勇者だと説明される方が自然だと思う。だけど私にはそう思えなかった。魔王を討つのは聖剣の勇者、つまり「聖剣に選ばれた、聖剣の加護をもつ正しきもの」である。膨大な魔力をもって世界に仇なす魔王は、ただの人に勝てるようなものではないのだ。聖剣の加護に頼らずに魔王を凌駕している以上、やはりあいつは勇者ではなく、魔王なのだろう。
「状況から考えると、魔王が戦っていた相手も魔王だった。魔王ってそんな沢山いるものなの?」
考えれば考えるほど分からなくなる。そもそも本当に魔王なの? 魔王を名乗るだけの偽物とか、そういう可能性だってありえるんじゃない?
「考えられる可能性は……」
ひとつめ、あの禍々しいやつが自称魔王、偽物だった可能性。私の国にも自称勇者は沢山いた。魔王の征伐ではなく、ただ国の中で好き勝手したいように力を振るう、ならず者たちだ。聖剣の加護を持たず、ただ力だけは強く、弱者から奪うだけの不届き者たち。魔王を倒し、勇者が不要にならない限り、あの手の輩は後を絶たないだろう。
「でも、あの禍々しい殺気は……憎悪は、疑いようもなく本物だった」
夢の中での邂逅ですら、恐怖が止まらなかった。今も思い返すだけで身震いしてしまう。もし現実にあの場に居合わせていたら、如何に聖剣の加護があろうと耐えられなかっただろう。立ち向かう心は対峙した瞬間に折れ、まともに戦うことも出来ずに殺されていたに違いない。
「あれが実は魔王じゃなかった、って線は流石にないと思う……」
となると、ふたつめ。魔王は魔王候補どうしで競い合い、勝ったほうが本物の魔王になる可能性。
「今の魔王は前の魔王と戦うことを望んでいた。ということは、次期魔王になりたかったから挑んだのかも」
魔王の文化については知らないけど、闘技場のチャンピオンみたいなものだと考えると辻褄は合う。負けた方は死に、勝った方だけが魔王として君臨するわけだ。
「あの禍々しい魔王に勝てるくらいだから、中に秘めてる魔力は相当でしょうね。今はおとなしいように見えるけど、だからといって放ってはおけない」
魔王は悪意そのものだ。その影響を受ければ、おとなしい動物もおぞましい魔物に変わる。元の性質など関係なく、その本質を侵食するのだ。
「後は、あの夢は所詮夢であって、別に魔王自身の経験とかじゃないのかも知れないわね」
そう、みっつめはアレが現実にあったこととは関係ない可能性。魔王の城で思わせぶりな夢を見せられたからといって、それが現実と関係があるとは限らない。
「そんな都合よく夢を見ることのほうがおかしいよね。魔王がそう仕向けたわけでもあるまいし」
……言ってみたけど、本当にないとは言い切れない気もする。目的はわかんないけど、それを言い始めたらまず今の状況がわかんないしね。
「私が何かを仕掛けたという話か? 私は部屋の提供以外は、特に何かをした記憶はないが」
「……へ? って、うわぁ!」
いつの間にか、部屋には魔王の姿があった。
「ちょっと! 確かにここはあんたの城なのかもしれないけど、人の部屋に入る前にはノックくらいしなさいよ!」
取り敢えず文句を言ってみると、魔王は気まずそうな顔をした。
「……そういえば、そんな習慣があったな。すまん。普通の客人など久方振りで、すっかり忘れていた」
「忘れてた、って……流石に常識でしょう。それとも魔王には文化的な生活習慣はないのかしら?」
特に何も考えず、反射的に挑発しておく。
「当然ないことはないんだが、このあたりにはそもそも人が住んでいないからな。知り合いが訪ねてくることも殆どなく、あったとしても顔だけ一方的に見せて、ちょっと話をして帰るので、泊まることなどなかったものでな。そんなことより、昨日は壁を破って門すら通ってこなかったお前に、常識や文化的な生活習慣について指摘されるとは思わなかった」
……痛いところを突かれた。そういえば、そんなこともあったね。
「そ、それは……ごめんなさい。悪かったと思ってる。だけど魔王が普通に喋れるなんて思わないじゃない」
「話が通じないから壁を破る、というのもおかしい気はするが、それはよかろう。あれくらいの仕打ちは当然だ、とまで考えていないなら、想像よりは大分ましだな」
「何よそれ。つまり私が人様の城をぶっ壊しておきながら、そんなところに壁を作ったあんたが悪いっていうような、傍若無人なならず者だと思ってたわけ?」
不服に思ってそう反論したが、魔王は目を丸くした。
「……違うのか? 行動を平坦に評価する限り、特に間違っていないような気がするが」
「……返す言葉もありません。すみませんでした……」
言われてみると、確かに何ら間違ってない。私が壁を破って侵入したことには、特に正当性はなかった。最後に魔王が死ぬか、私が死ぬかしか考えてなかったから、その場合はどちらに転んでも大差なかったけど、少なくとも今はまだ両方生きている。ならば壁に穴を空けたのは、考慮を要する実害と言える。
しょんぼりと項垂れていると、魔王は特に気にも掛けていないように言った。
「反省しているならそれで良い。今後はしないでほしい。実際、壁だけで済んで良かった。まるごと全部吹き飛ばされていたら、生活に困るからな」
「そんなことするわけないでしょ! どこまで傍若無人だって思ってるのよ!」
正確には、出来るわけないというのが正しい。如何に堅牢な壁だろうと、聖剣の加護があればぶち抜く程度はできる。だが、こんな大きな建造物を、まるごと吹き飛ばせるほどの力を引き出すことは、私には出来ない。もちろん、仮に出来たとしてもやらないけど。
「実際にされたことがある以上、警戒はしていてな。そういう意味では、むしろ大規模な破壊行為であれば防げた可能性もあったので、どちらが良かったかは分からんが……とはいえ、お前のような一個人に、あの規模の破壊行為は難しいだろう。詮無きことだな」
また侮られているらしい。ムカつく。でも、その前に何か気になることを言っていた。
「ねえ、今実際にされたことがあるって言った? 誰がやったの?」
偉大な魔法使いによる、大規模魔術での攻撃だろうか。それでも現実的には厳しい気がする。聖剣の加護を上回るような大規模魔術の使い手など、それこそ御伽噺の中にしか存在しない。
「気になるか。それを語るかどうかは、お前の所属による。勇者リタ、昨日も聞いたが、お前はどこに所属している?」
やっぱり馬鹿なのかな、こいつ。魔王に情報なんて渡すわけないじゃない。
「だから、私は勇者なの。魔王討伐のために旅をしてるの」
「どこの、を聞いているんだがな。まぁ察しは付かなくもないし、候補も多くはない。どちらにせよ、所属が不明な間は語ることはない。そして、お前の善良さからして、知れば士気が下がるのは間違いないだろう。故に言わん」
……よくわからない。唯一わかるのは、こいつが今でも私が全力で戦えることを望んでいるという事実だけだ。今のままじゃ弱過ぎて話にならないってこと?
「お気遣いどうも。舐められてるようで凄くムカつくわ。ついでにそれだけの情報を与えられても、自分では事実に辿り着くことも出来ない愚かな小娘だって言いたいんでしょ」
自分で言ってて悲しくなってくる。私は頭が良くない。これはただの八つ当たりだ。
「気遣いが裏目に出ているのはよくわかるが、会話が下手ですまん、としか言えない。どうしても知りたいというなら教えてもいいが、元々これは私の打算だ。そのうえで求めるのなら、相応の代価を求めよう」
「……代価、って何よ。魔王の求める代価とか、どう考えても碌なものじゃないんだけど」
命を助ける代わりに裏切れ、とかは想像できるけど、魔王からの情報の代価は想像できない。何となく、暴利っぽくはある。
「そうだな。今回の場合だと、お前自身の士気が下がることがこちらの考えているリスクであり、その影響はお前の戦闘能力、ないしは戦意の低下として現れるだろう。それを補うには、やはりその分の戦闘能力の向上が望ましいな」
……頭が痛くなってきた。それって「代価」って言えるの?
「訳わかんないけど、つまり強くなったら教えてくれるってことでいいの?」
どれくらいの期間で、どれくらいの量を求めているのかも知らないけど、研鑽自体は言われるまでもなく続ける。やはり代価という感じには思えない。
「欲を言うなら、強くなってもらった上で、なお教えたくはない。こちらの純粋な希望としては、お前の所属が判明し、士気の低下に影響しないことが明確になるか、お前が私に勝ち、その上で聞きたがった場合以外は教えない。このままなら私が死ぬまで黙するだろうな」
気軽な提案をする割に、どうやら本気で教えたくないようだ。不可解な中で、それだけはわかる。何故こんなに頑ななんだろう。
「ぐぬぬ……仕方ない、私の所属が分かればいいのね? イデアルクラウス、アドリス出身の勇者よ」
もちろん嘘だ。そんなことはこいつにも分かるだろう。だって、イデアルクラウスはこの国だし、アドリスはここの近くにある町だ。イデアルクラウスについて知っていることがそれくらいしかないとはいえ、雑過ぎる嘘だとは自分でも思う。
「そうか。ならばそもそも私が語るまでもなく、詳細に知っているはずだ。語る必要がないなら、この話はこれで終わりだ」
あからさまな嘘をつかれたことに不快感を覚えている様子もなく、ただただ淡々と流されてしまった。流石に全く疑っていないことは無いと思うが、あの簡潔な言い方を聞く限り、本当に言葉通りなのだろう。
「……ふん、また馬鹿にして……分かったわ。じゃああんたに勝って聞き出してみせる。今じゃないけどね」
臆した訳じゃない。冷静に考えると、今戦ったところで絶対に勝てないのはわかる。それに、こいつ自身が私がもっと強くなることを求めているのだ。文句はないだろう。
「馬鹿にした記憶もないが、勝とうという心意気は有り難い。欲しい物、必要なものに関しては遠慮なく言ってくれ。可能な限り調達してみせよう」
……だから、まずその態度が私を馬鹿にしてると思うんだけどな。でもだんだん分かってきた。これは本当に馬鹿にしてるとかではなく、こいつの素の反応なんだろう。
「精々頼りにさせてもらうわ。よろしくね」
去っていく背中を睨み付け、リタはあっかんべーをした。