不可解な魔王
私はリタ、聖剣に選ばれし勇者。世界を脅かす魔王…… 名前はいまいち覚えてないけど、当世の魔王は一人しかいない、つまり名前とかは覚えてなくても、とにかく魔王さえ倒してしまえばこの世界には平和が訪れる、ってわけ。
そんなわけで単身魔王の城に突撃を仕掛け、聖剣パワーで壁をぶち破って魔王に接敵、正々堂々と戦って華々しい勝利を! ……そう思っていたんだけど。
「私を討つことに対して得られる利益、あるいは大義は何だ? 私はお前がどこに所属していて、何を目的にこんなことをしているのかが分かっていないんだが」
そんなこと、いきなり言われても困る。所属はともかく、どうしてそちらが討ち果たされることの意義を理解していないのか。命乞いにしてはあまりにも純粋すぎる疑問に頭が真っ白になったけど、そんなのは関係ない。持てる力の限りを尽くして挑んだ。それでも届くことはなかった。
それなのに、私はどうして生きているんだろう。
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「気が付いたか、勇者」
気が付けば、魔王がなんか馴れ馴れしく話しかけてくる。そもそも何でこいつには毒気が全く無いの? こっちは真面目に討ちに来てるのに。
「……どうして私を殺さないの。無謀にも挑んできた小娘を殺すくらい、わけもないことでしょう」
だってあんたは魔王なんだから。
「まぁ……そうだな。確かに殺すのは容易かろう。だが殺す動機が分からん。何故私がお前を殺さなければならんのだ?」
予想もしていなかった反応に絶句する。殺す動機が分からない、という意味がわからない。
「そ、それは……」
言葉が出て来ない。だってそうじゃない。理由なんて、あるはずがない。そう、こいつは魔王。諸悪の根源であって、討ち果たされるべき悪そのものだ。それなら敵対するものは当然殺すもので、それ以前に。
「私はあんたを、魔王を殺そうとした。本気で討ち果たそうとした。……確かに刃は届かなかった。届かなかったよ。でもッ! それが脅威になり得なかったとしても、だからといって捨て置くというの!? お前なんて取るに足りないものだって言いたいの!?」
悔しい。力が及ばないのは斬り結んでいて嫌でもわかった。本気すら出していないこいつに、私は手も足も出なかった。鼻歌交じりのような気軽さで、私の力を、研鑽を、努力を嘲笑い、そろそろ無駄なことは止めたらどうだ、と言ったのだ。
「概ね認識が間違っているな。そもそも私は、お前を脅威足り得ないなどとは考えていない。だからこそ命を捨てるのを止めさせたんだが」
……やはり意味がわからない。でも、こいつは「脅威になり得るから」生かしたと言った。ということはつまり……
「魔王、あんたは死にたがっているの?」
そうとしか思えない。だが、魔王は微妙な顔をした。
「ふむ。確かにそう解釈されてもおかしくないような物言いだったな。これは武人にとっては普遍的な価値観なのだが、自身にとって脅威となり得るような強者と戦い、その結果として命を落とすことは誉れであり、故に忌避することではない。だが、死にたがっているというのはちょっと違う」
ますます分からない。戦うことが好きだから魔王なんぞやっているということか?
「そんな下らない目的のために、世界に混沌と破壊をもたらしているの!?」
「武人の誉れを『下らない目的』の一言で片付ける、というのも些か心外ではあるが、そこはいいとしよう。まずそもそも私が混沌や破壊をもたらすというの自体がだな―――」
何かむにゃむにゃ言っているが、やっぱりこいつの思考回路が理解できない。脅威になり得るが、だからこそ生かす。それは戦う事そのものに意味があるからで、そのためだけに世界を攻撃しているというのなら、やはりこいつは討ち果たされるべきものでしかないだろう。
「―――というわけで、当たり前だが天災の発生は私が原因というわけではない。第一、人の世の乱れの責任を誰かに押し付けて、全部そいつが悪い、そいつさえ倒せば万事解決だ、というほど人の世は単純ではないだろう?」
「うるさい! 訳のわからないことをぐちぐちと……」
あまりちゃんと聞いていなかったが、言い訳なんて真面目に聞く意味も感じられない。半ば反射的にそう怒ってみせると、魔王はひどくがっかりしたように溜息をついた。
「これだけ単純に伝えてもまだ分からんか。そんなに難しい話をしているつもりはないんだが、伝わらないようだ。力及ばず、すまない」
「……またそうやって馬鹿にして……!」
殺意を込めて睨んでみたが、魔王は軽く流した。
「何にせよ、このままでは話が一向に進まん。お互いに冷静になるために、今日はもうお開きにしないか?」
「ふざけるんじゃないわよ!! あんたを殺さない限り、この世界には平和が訪れないの!!」
「別にそんなことはないと思うが」
「黙りなさいっ! 私には聖剣に選ばれた勇者としての使命があるの。そのために今までずっと頑張ってきた! それをここで放棄するなんてできるはずがないじゃない!」
そうだ。私はずっとそれが拠り所だった。今更捨てるなんて出来ない。
「別に使命を捨てろという話もしていないがな。必要なら再戦も吝かではない。そもそも今の至極面倒な立場を受け入れる、唯一の利点がそれなのだから、戦うことそのものは本望ですらある。ただ、今ではない」
「……どういうこと? 戦いたくないなら戦わないで済むようにすればいい。それが一番簡単でしょう」
結局、戦いたいのか、戦いたくないのか、どっちなんだ。少なくとも今は戦いたくないらしい、ということだけは分かるが。
「そのとおりだ。そして、その言葉の通りにすることが一番難しい。お前の言い分からもわかる通り、話せば分かるなどと言いながら、相手の話を聞かない連中、最初から主張すら聞かない連中が多いからな。兎に角、これ以上の話は明日だ。いいな?」
「……えぇ」
結局そのまま有耶無耶にされてしまった。
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「それはそうと、帰るところはあるのか? 住んでいる私が言うのもアレだが、このあたりには何もないだろう?」
「そうね、何もない。活気もないし、資源もない。あなたが全部焼き払ったからでしょう?」
そう言うと、何故か魔王はひどく心外そうな顔をした。
「先入観というものは本当に恐ろしいな。何が悲しくて故郷を意味もなく焼き払わなければならんのだ。私は後先も利益も何も考えられない馬鹿だと思われているのか?」
「違うっていうの!?」
事実、魔王はそういうものだった。後先も利益もなく、ただひたすらに世界を憎み、滅ぼすためだけに、あらゆるものを焼き払ったのだ。そんなやつが、自分の故郷だけを例外にするとは思えない。
「……まぁ当たり前だが、お前が考えているような事実があったわけではない。だが、お前の所属が分からん以上、具体的にどこの誰がやったとかは言わん。無駄に同情や後悔などされて、お前の戦意を削ぐことは本意ではないからな」
相変わらず訳がわからない。私がどうしてこいつに同情すると思うのか。
「話が逸れたな。お互い冷静になって明日話そうとは言ったものの、お前が明日どこから来る予定なのか、そもそも明日来るのかどうかを知っておきたくてな」
「そのへんで野営でもする予定だったけど、場所を知ったところで、聖剣の加護の前で闇討ちなんて考えないことね」
こいつの話しぶりからは闇討ちなんて有り得ない気はしたけど、取り敢えず予防線は張っておく。実際、聖剣は「道義に反する行為」に対して滅法強い。警告をしたにもかかわらず闇討ちを試みて、勝手に死んでくれるぶんには都合はいいけど。
「あてはあるようで何よりだ。そのうえで提案なんだが、それなら一日泊まっていかないか?」
「……なんですって?」
こいつは何を言っているのだろう。
「勇士をもてなし、互いに万全の状態で戦えるようにする準備だけは、昔から怠らないようにしている。美味い飯も、ゆっくり休めるところもある。何なら一日と言わず、しばらく滞在してもらって構わんぞ」
何よそれ。どう考えても罠じゃない。
「……何をする気よ! どうせ何か目的があるんでしょう!?」
「そうだな。目的は他にもある。隠す理由もないので言ってしまうが、今日お前が来訪したときに壁をぶち抜かれているだろう? 次にまた外から来られると、今度は別の壁が破られそうで、それが嫌でな……」
こいつ本当に馬鹿なんだろうか。それとも私を舐め過ぎていて警戒心が足りないだけか。
「逆に私が寝首をかくとかは考えないわけ? 所詮小娘と侮っているんでしょう?」
思いついたので言ってはみたが、聖剣の加護は道義に反する行為を例外なく許さない。如何に相手が悪辣極まる魔王であれ、正々堂々と立ち向かわない限り、聖剣に殺されるのは私の方だ。
「不意打ちか。相手が武人ならまず有り得んので、特に考えていなかったな。とはいえお前は武人ではないし、武人としての振る舞いを強要するつもりもない。故に、したいならしてもいい。完遂できるかは分からんが」
「……よくわかんないけど、完遂できるかってのはどういうこと?」
もしかして、出来ないこともお見通しなのだろうか。そう聞いたとき、悪寒が背筋を走った。
「簡単なことだ。不意を打ち、相手を殺し切る前に自分が死ななければ、不意打ちは完遂できる。流石に意味はわかるだろう?」
「ッ……!」
随分と楽しそうに、それでいてどこまでも冷ややかに魔王は笑った。つまりこいつは不意を打たれようと、攻撃が致命傷になる前に……いや、恐らくは「攻撃が成立するよりも前に」相手を殺せるし、実際にそう殺したことがあるのだろう。そういう化け物なのだ。
「まぁ話していれば分かるが、お前はそういうつまらない勝利、あるいは敗北による幕引きなど最初から求めていないだろう? ある意味では残念だが、その純粋な戦意は心地良い。故に、見所のある武人として遇する。それだけの話だ」
そう話す魔王からは、既に剣呑な気配は消えていた。元通り穏やかに、親しみすら感じているように語りかけてくる。
「……あんたと話してると疲れる。訳わかんない」
率直な感想を述べると、魔王も何やら失礼なことを言った。
「相互理解は難しいな。私もお前の来訪からここまで、戦闘していた間以外は徒労感で一杯だ。正直勘弁願いたい」
やっぱムカつく。聞かなかったことにしよう。
「そういえば結局聞きそびれていたが、名は何というのだ? 私は一応形式的に名乗ってはいたが、恐らく状況的に耳に入っていないだろうし、改めて名乗っておこう。私はグレンゼルムだ」
「魔王の名前なんて興味ない。私はリタ。いずれあんたを殺す、聖剣に選ばれた勇者よ」
そう言って胸を張る。根拠なく虚勢を張ってもいいじゃない。勝てるかはわかんないけど、勝てるまで頑張るしかないんだから。
私の名乗りを聞いて、魔王は破顔した。明確な殺意を向けられているというのに、それこそが望みだと言わんばかりに。
「そうか。確かに私の名前など、どうでもいいものにとっては至極どうでもいいな。勇者リタ、お前が私にとっての真の脅威として立ちはだかってくれることを、心から待ち望んでいる」
リタは何だかやっぱり馬鹿にされているような気がした。