世界を作り替える力
「喧しい! あの女がこんな話し方をするものか!」
びっくりした。グレンがこんなに大きな声で怒鳴るなんて。大抵のことなら何も気にせず流すと思ってた。敢えて失礼な表現をするなら、まだ感情残ってたんだね。
私はリタ。聖剣の勇者。いまいち話の流れについていけないから、ちょっと整理しよう。アドリス様は、グレンのお友達の願いを聞く、と言った。私のことじゃないみたいだし、グレンのお友達…… 既に死んだ、と言ってた人のことだと思う。何度か聞いた、ラフィングブレイスさん。今は、クロージャーと同じ使役式になった、らしい。その見た目は、想像よりも随分と可愛らしい。だぼだぼの白衣に、小さな丸眼鏡が特徴的だね。見た目は端正だけど、幼いといって間違いないと思う。
話し方と言ったけど、私には何も聞こえなかったから、きっと例の念話によるやり取りがあって、グレンはそれに対して怒ったんだね。……つまり、この子は偽物ってこと? でも、アドリス様は本物って言ってたよね。正確には心の残滓、だっけ。
「……なんだ、グゥはそんなことを気にしてたのか。お前がそれを望むなら、僕は以前のように話してやるよ。大丈夫、言わなくてもわかってる。話し方を真似たって、お前は納得なんてしないさ。だったら、僕はラフィングブレイスじゃなくていい。エルス・クラウスと名乗ろうじゃないか」
ラフィングブレイスさんのことは全然知らないけど、直感的には本物っぽいと感じる。なるほど、グレンのことをグゥって呼んでたのはこの人だったんだね。確かに、グレンがこれだけ取り乱すほど大事なお友達の呼び方だったんなら、他の人には真似させたくないのかもしれない。
「どうしたの、グレン? 大丈夫?」
何を言われたのか知らないけど、お友達が本物だったら、受け入れてあげないと可哀想だと思う。……偽物だったらあまりにも酷いけど、アドリス様はきっと、そんな酷いことはしないよ。
「……くそ。何でもない。エルス・クラウス。同行は許可する。だが、その戯けた内心を私に聞かせるな」
「はぁい、了解いたしました。出来れば仲良くしよう、我が主人」
飄々とした口調で、ラフィングブレイスさん……エルス・クラウスと名乗り直した彼女は返した。何となく、それは本心なんだと思う。ちゃんと仲直りできるといいな。……ちょっと心配に思っていると、一瞬だけ、身が竦むような憎悪が彼女から向けられるのを感じた。憎しみだけじゃなく、嫉妬の気持ちも混ざってる……?
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「ごめんね、エルス。こんなにも受け入れてもらえないとは思わなかった。……無理に役目を果たすことないし、もし望むなら、もう還ってもいいよ?」
「何を仰る、アドリス様。これは、僕自身が望んだことだ。主人に捨てられない限り、僕は死ぬまで着いていくさ」
「……わかった。頑張ってね。あなたが幸せになれることを祈ってる」
アドリス様は、その選択を後悔している節があるようだ。それでも、本人が言うのなら止められはしないと、後悔を振り払うように、ただ祈ってる。そこに悪意は全く感じられない。
「助手。我が主は戻ってきた。故に、助手にはもう従わん。どうしてもというなら、エルス・クラウスを経由して頼め」
「……構わない。……クロージャー。お前もそれを我が友だと言うのか」
「無論だ。助手とて理解出来ぬわけではあるまい」
クロージャーは、エルスのことを「我が主」と言っている。クロージャーにとっては、彼女は間違いなくラフィングブレイスさんなんだね。
「わぁ、クロだぁ。久し振りだね、クロ。今まで色々ありがとね。これからもよろしく」
「了解だ、我が主」
その様子は仲睦まじい、という表現がぴったりだ。それに反比例するように、グレンの顔はどんどん険しくなっていく。よくわかんないけど、わかる気もする。たとえるなら、大事だったものが誰かに壊されて、返された残骸が元々大事だったものだとは認められないのに、みんなは当たり前にそれを受け入れている、みたいな。自分だけが取り残された、そんな気持ち。
「グレン……」
「……今はただ、放っておいてほしい。暫く経てば、気持ちの整理も付くだろう」
声をかけてみたけど、やんわりと拒絶された。言われた通りにするのは絶対に正しくないのに、かといって、どうすればいいのかが全くわからない。唯一寄り添えたはずの相手が、本人には決して認められないものだったなら。全てが上手くいく方法なんて、正解なんてどこにもないんだろう。
「それじゃあ、改めて。聖剣の勇者。あなたの望みを教えてほしいな」
「私は……」
魔王に傷付けられた世界を、元に戻したかった。その思いから始まった旅だった。だけど、今はもう、それだけじゃ全く足りない。
「……私は、傷付かなくてよかったはずの人が、これ以上傷付かなくてもいい世界を作りたい。そのための力が欲しい」
「世界を元に戻すんじゃなくて、新しく作り替えたいの? それは……」
そうなのかな。……でも、そうなのかも。元に戻りさえすれば、私の願いが叶うわけじゃないと思う。イデアルクラウスと大幻晶王国の確執も、その果てに生まれた悲しみも、元を正さない限り生まれ続けてしまうのなら。既に起きたことの取り返しがつかなくても、よりよい未来は作れるのなら。私はそれを願わなくちゃ。
「……それは、なんて素敵な夢でしょう。あなたは仮初めの平穏も、歪んだ幸福も壊して、世界に新しい法則を敷くのね」
「えと、そんな大層な話かはわかりませんけど……」
「いいの。あなたは本当にリタなのね。名付けられただけの名前じゃなくて、あなたが本当に心からそれを願うなら。無謀な挑戦だとしても、わたしはそれを応援します。……聖剣に選ばれるほどの善良さを持つあなたになら、禁忌の力を託してもいい」
禁忌の力。異世界の賢者の異能。封印されたのなら、消滅はしていないのか。
「聖剣の権能と、異世界の異能…… そして、世界法則の化身たる魔王の式の力。それらを掛け合わせられれば、世界の新生もまた叶うかもしれない。少なくとも、それを成したものは今もこの世界に生きているのですから」
……魔王の力? でも、魔王は既に倒されたはずじゃないの?
アドリス様は、首を振って答えた。
「いいえ、魔王はまだ残っています。大幻晶王国に生まれた原初の魔王、幸福を望む女神。かの国の礎として捧げられた魔王が」
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「後先になってしまうし、そうするつもりがないなら関係はないんだけど、今までの聖剣の勇者がどうやって世界を維持してきたのか、知りたい?」
その言い振りは、つまり元々想定されていたやり方に関する話かな。興味はある。
「そう。じゃあ、教えてあげる。あなたたちが魔王の呪いと言っているものは、魔王による世界法則自体の書き換えなんだ。書き換えられた法則は、元とは違う結果を生み出すけど、それは別に間違いではないの」
間違いではない、というのはつまり、事の正誤というものは、そこに生きる人の都合にはよらない、という意味だろう。
アドリス様は満足そうに頷いてから続けた。
「元の結果を取り戻したいなら、書き換えられた法則の記憶を辿って、法則自体に巻き戻ってもらうのが必要なんだ。だけど、これがすごく大変なの。感謝の気持ちを捧げて、怒りをなだめて、元の状態に戻ってもらう。そのために使えるのは、聖剣の勇者の命だけ。……アドリスの民たちも、必死に贖罪を頑張ってるんだけど、元の意志の力が乏しいから、気休め程度にしかならないのよね」
感謝の気持ち。今まで式に関する話を聞くとき、結構な頻度でこれに言及があった。道徳的な話だけじゃなくて、明確に意味のある概念なのかもしれない。それ以外に方法がなかったから、聖剣の勇者は自己犠牲によって世界を維持してきたのか。
「そこはおとぎ話の通りだった、ってことですか? 異世界の賢者、エンジが当時強いられた通りに」
「半分はそうね。強いられてたよ、いつも通りね。でも、エンジ自身はそんな回りくどい方法をとる必要はなかった。エンジには、世界法則を書き換える力があったんだから」
アドリス様…… アドリス・クラウス。異世界の賢者の使役式。おとぎ話に語られていた当事者が、今まさに目の前にいる。
「だから、リタにもそれが出来るようになれば、必要以上の無理はしなくていい。あなたも、自分自身を犠牲にしてまで世界を救いたい訳ではないんでしょう? 他に方法がないならそうするしかないとしても、まだ可能性が残っているなら、そうじゃない。あなたがそれを望むなら、わたしはそれを手伝ってあげる」
それが今まで何故出来なかったのか、知るものはここにはいない。