大精霊様と、友の残滓
「もしよかったら、一つお願い。私が私自身の責任から逃げることがないように、見張っていて。私と、私の責任を繋ぎ止めて」
勇者はいつも、よくわからないことを言う。自分自身の責任というものは、極論してしまえばいつでも放り出してしまっても良いものだ。それが誰かに求められたものであったとしても、本質的には何ら変わることはない。責任を果たさなかったことで罰を受けることが有り得ても、それもまた単に享受すべき結果でしかない。だが。
「ふむ。言いたいことはよくわからんが、了承した。お前がそう望むなら、私はお前が責任を果たすのを見届けるとしよう」
私はグレンゼルム。聖剣の勇者の責務とやらについての個人的興味と、それを果たした後の勇者との死闘を求めている。聞くところによると、その過程として「アドリス様」に会わなくてはならないらしい。アドリス様は、アドリスの町の中核にあたるところで微睡んでおり、用事があるときには起こしに行く必要があるようだ。
「バルナベリアから渡されたものによれば、聖剣の勇者は魔王を倒した後、アドリス様に呼ばれてアドリスに至り、世界を修復する方法を教わるということらしい」
「……そうなの? 呼び声を聞いたことはなかったと思うけど、やっぱり私が倒したわけじゃないからなのかな」
倒した本人にしか聞こえない可能性か。とはいえ、私も聞いた覚えはないな。
「アドリスの町の人間は、聖剣の勇者ではないからな。自分が体験した事でもないだろうし、伝承の内容が実態と異なるという可能性もあるのではなかろうか」
「そういうものなのかな……?」
どちらにせよ、やることは変わらん。するべきことが分かっているなら、その過程の是非や疑問は、一旦置いておいていいはずだ。
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「お待ちしておりました、聖剣の勇者様。ところで、グレンゼルムはどうしてここに?」
「ただの付き添いだ。話を聞く分には勝手にして良い、と聞いている。興味があるので聞いておこうと思ってな」
「そうですか……。いえ、止めはしますまい」
やはり、私が首を突っ込む事に対して、肯定的なものはいないようだ。反応を見る限り、アドリスの民は聖剣の勇者の責務とやらを、予め知っているのだろう。一応同じくアドリスの民である私が把握していない、というのがむしろ不自然なのかもしれない。
「アドリス様に会うには、祭壇に向かって願えば良い、ということで良かったか」
「そうですな。無論、用があるものが願うのが筋ですが」
「それはそうだろうな。では勇者、頼めるか?」
取り敢えず促してみる。勇者は頷き、祈る。
「アドリス様。魔王がもたらした世界の歪みを直す方法を教えて下さい」
祈りが終わると、近くの壁に光る陣が浮かび上がった。恐らくは転移陣の類であろう。
――待っていました。魔王を倒したものと、聖剣の勇者。お話をしましょう。貴方たちの望みを、安寧と幸福を求めるために。
脳裏にそんな声が響く。アドリス様の声か。やはり聞いたことはないな。魔王を倒したものが聖剣の勇者ではない、ということも見通しているらしい。勇者は「聞こえた?」とでも言いたそうな顔で、こちらを見上げている。頷き返しておこう。
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幻想的に仄かな光を放つ、神秘的な空間の中、一際大きな仄かに光る球体が浮かんでいる。大精霊様などという、大層な肩書きの割には、平凡な見た目と言えるかもしれない。
「大昔はともかく、わたしは既にただの端末ですからね。敢えて特定の形をとる必要などないのです。差し支えなければ、このままの姿でいさせてちょうだい、グレンゼルム」
「む。難癖を付けたつもりはなかった。しかし、やはり思考を読む機能はあるのだな」
「わたしも使役式ですからね。式と意思疎通をするのに、いちいち言葉を使う技能者なんて、普通はいないわ」
特に気分を害している様子もないようだ。だが、然程外向きの思考でもないのにしっかりと読まれているあたり、クロージャーの機能よりも上等な可能性が高いようだ。もちろん、敢えて反応していないだけ、という可能性もあるだろうが。
勇者は、相変わらず私の姿勢が理解できないという様子で、口を挟んできた。
「……当たり前のように話すのね? ちょっとは畏れ多いな、とかないの?」
正直なところ、全くないな。対峙するのがたとえ世界を作った神であったとしても、私が「畏れ多い」と感じることはない気がする。戦って勝つか負けるかで言えば負けるだろうが、その程度だ。敢えて口に出すようなことでもないので、黙っておこう。
「あら。確かに、加護もなしに魔王を倒した、本物の大英雄様が相手ですものね。もう少し丁寧に話す方がよかったかしら?」
「いや、アドリス様の方じゃなくてですね……?」
「ふふ。冗談よ。気軽に話をするのなんて久しぶりだから、ついはしゃいじゃった。わたしは、アドリス・クラウス。グレンゼルムも勇者も、良ければ気軽に話してね」
想像していたよりも、随分とあどけない。
「了承した。ところで、聖剣の勇者が魔王を倒した後、アドリス様……お前に呼ばれるということで聞いているが、そもそも何のためだ?」
「……ふふ。あなたはそこを疑問に思えるのね。魔王を倒して世界に平穏をもたらしたい、という以外に何か理由があると思う?」
疑問に思うも何も、魔王を倒すことと、世界を直すことに相関を感じられない。魔王を倒せば勝手に世界が直るのなら兎も角、そういうわけでもないのなら、魔王の討伐と、世界の修復の作業は、分担されている方が自然だろう。
「世界を直す方法を教えるため……じゃないんですか?」
「聖剣の勇者のほとんどの願いは、そうね。人々の幸せを取り戻すために、世界を作り直せる力がないと困る。だけど、それはわたしの動機じゃないわ。わたしは、魔王を倒し、責務を果たしたものを、労いたいだけ。頑張った子を、幸せにしてあげたい。万人の幸せを願って、世界を作り直す力を行使するのは、別にわたしの望みでも、責務でもないの」
成程。ということはつまり。
「お前は魔王を倒した勇者の願いを叶えたい、勇者は願いを叶える術を知りたい、という互いに微妙に異なる目的で引かれ合っていただけ、ということか」
「ご明察。あなたを呼べなかったのは、わたしとあなたには有効な繋がりがなかったからよ」
全知全能の存在、というわけでもないようだ。観測する力だけならば尋常ならざるものであっても、干渉する力についてはそれほどでもないのかもしれない。しかし、願いか。良き闘争を、以外で思い当たることなど特にないが。
「あなたも難儀な人ね。無私無欲とは違う。価値観が、他の人とは共有できないなんて。何もないなら、あなたのお友達の願いを叶えてあげる」
「私ですか?」
「ふふ。あなたも、あとでね。……ほら、おいで」
アドリスが招いたのは、小さく光る使役式。……お前は、まさか。そんな。その姿は。
(あぁ、グレン! グレンだ! 大好きなグレン、会いたかった!)
ラフィングブレイス。今は亡き、我が友。その姿は生前よりも随分幼くは見えるが、間違いなくあの女だ。天真爛漫といった声色と仕草に眩暈がする。……有り得ない。これは一体何の冗談だ。
「アドリス・クラウス。悪い冗談はやめろ。あの女は既に死んだ。紛い物など連れてくるな」
「本物よ。間違いなくね。かの大爆撃で死んだ、研究都市の技能者ラフィングブレイス。……正確には、その心の残滓。あなたを慕って離れられない彼女に、使役式の役目を与えたもの」
信じない。信じられるものか。いや、それが正しくとも。死してなお、安息すら与えられないというのか。そんな馬鹿な話があるか。
(グレン、違うよ! わたしが望んだの! ずっとあなたについていたのに、頼まれたときにちょっとしたお手伝いしか出来なくて、無力で悲しかった。これからはもっと頑張れる。ずっとあなたの役に立てるの!)
「喧しい! あの女がこんな話し方をするものか!」
叫ばずにはいられなかった。死んだのは仕方あるまい。だが、思い出まで冒涜されるのは我慢ならない。紛い物は、酷く傷ついた表情をしてから、後悔を呑み込むように、呆れた、といった顔で笑った。あの女を精巧に真似た、その仕草にも虫酸が走る。
「……なんだ、グゥはそんなことを気にしてたのか。お前がそれを望むなら、僕は以前のように話してやるよ。大丈夫、言わなくてもわかってる。話し方を真似たって、お前は納得なんてしないさ。だったら、僕はラフィングブレイスじゃなくていい。エルス・クラウスと名乗ろうじゃないか」
(納得なんてしなくていい。信じなくていいから、それでもわたしをそばにいさせて。大好きなグレン)
紛い物の、悲痛な思いが伝わってくる。気に入らない。何に苛立っているのかも正確には分からんが、思い返すまでもなく、今が生涯で最悪の気分だ。なんだ、こいつは。
「どうしたの、グレン? 大丈夫?」
勇者が心配そうに話しかけてくる。考えがまとまらない。冷静になれ。
「……くそ。何でもない。エルス・クラウス。同行は許可する。だが、その戯けた内心を私に聞かせるな」
「はぁい、了解いたしました。出来れば仲良くしよう、我が主人」
……取り返しが付かなくなる前に、もっと素直であれたなら。