望まれた人と、いらない私
――聖剣に選ばれたものは、贖罪のために、聖剣の加護をもって、生まれてしまった魔王を倒し、歪みを正す事を強いられます。これまで、エンジが人々に強いられたように。
(……そんなの、私には関係ないじゃない。大昔のイデアルクラウスの人たちの贖罪に、大幻晶王国が巻き込まれるなんて、理不尽よ)
私はリタ。聖剣に選ばれた勇者。伝承にある聖剣の成り立ちが事実なら、聖剣の勇者は、イデアルクラウスの人たちの不始末を片付けるための存在、ということになる。確かに、誰かがそれをしないといけないのかもしれないけど、それを関係のない誰かに押し付ける、というのは駄目だと思う。
(正直、もう全部投げ捨てちゃいたい)
でも、そういうわけにはいかない。私は既に聖剣に願ってしまった。これ以上、不必要に人が傷付くことがないように、私は頑張り続けなくちゃいけない。誰が悪かったか、なんて関係ない。
(……分かってはいるけど。それでもやっぱり、辛いよ)
内心で溜息をついていると、グレンの呟きが聞こえてきた。
「既に果たすべき目的が無い今、助けられるかもしれない誰かに助力をすることに、何の異があろうか」
……心を読まれてた? それにしては、ちょっと変な言葉な気がする。私に向けた言葉ではなさそう。でも、その発言は、やっぱりどこまでも潔い。うじうじ文句を言ってる私なんかとは大違い。
そもそも、グレンは私とは立場が違う。グレンは、完全に巻き込まれただけの被害者だ。人を助ける責務が課せられているわけでもない。それなのに、どうしてグレンは私によくしてくれるんだろう。
(立場を代わってほしいわけじゃないけど、グレンのほうが、私なんかよりもずっと勇者っぽいよね)
どうして私だったんだろう。私なんて、何の役にも立たないのに。聖剣は、もっとちゃんと人を選ぶべきだと思う。何の得にもならないことを考えていると、ふと胸にざわめきが起こった。
――だったら、グレンゼルムにかわってもらう?
……それがいいんだろうね。なんかもう、どうでもいいや。捨鉢な気持ちになっていると、グレンから返事が返ってきた。
「すまんが、助力はなるべくするにしても、聖剣の勇者の責務自体を代わりに背負ってやろう、というつもりは私にはないぞ」
そうだよね。人のために頑張るのは、あくまでも私の仕事。そっちのほうが上手くいきそうって理由で、関係ない人に押し付ける、なんて駄目に決まってる。
――ざんねん。あなたなら、きっとうまくやれるのに。あなた、わたしの声がきこえるの?
「ああ、聞こえている。状況から察するに、お前が聖剣だな」
――そう。わたしは、リタの聖剣。ただしいひとの、理想のせかいをつくるもの。こうしておはなしするのは、はじめてね。よろしくね、魔王さん。
……ちょっと待って。これ、聖剣自身が喋ってるの?
「ねえ、グレン。何が聞こえてるの?」
「内容から考えれば、発言の通り聖剣の言葉、ないしは思考だろうな。そんな質問をするということは、勇者には聞こえていないのか?」
「いや、うん。聞こえてはいるけど……。え、聖剣って、喋るの?」
ずっと私自身の内心の問答だと思ってたよ。聖剣に選ばれた勇者になって、結構な時間が過ぎてるけど、今更知った。
「聖剣もまた法則の一部、式の一種であるならば、クロージャーと同じようなものだろう。意思あるものなら、話しても何ら不思議はないな」
「いや、不思議はない、ってことはないと思うけど……」
理屈は確かにそうなのかもしれないけど、この人、順応性が高すぎない? それとも、私がおかしいの?
「話せるなら、直接聞いてしまうか。聖剣、魔王が齎した歪み、世界の法則を修復するには、どうすれば良いか知っているか?」
――のぞみのとおりに、つくりかえるだけよ? わたしたちは、ずっとそうしてきた。
「ふむ。いまいちよく分からんが、大筋の内容はクロージャーの答えと大差ないか。回答、感謝する」
――ふふ。うふふ。ありがとう、なんてずいぶん久しぶり。こちらこそ、ありがとう。がんばってね、魔王さん。
なんか、当たり前に話までしている。全く理解が追い付かない。でも、困惑は取り敢えず棚に上げておこう。
「クロージャーの答え、ってどういうものだったの?」
「歪みの復元の方法については、アドリスのやり方が参考になるだろう、というものだ。特に支障がないなら、一緒に里帰りといこうかと思うが」
「……里帰り?」
つまり、グレンは研究都市ではなく、アドリス生まれということか。なんか意外。一緒に、というのが微妙に引っ掛かるけど、元々は私の用事なんだし、グレンが行くなら私も一緒に行くのが筋だと思う。
「もちろん、構わないけど」
「では、早速向かうとするか」
相変わらず、判断も行動も早いなぁ。この前向きさは、私も見習ったほうが良いんだろうな。
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叢雲城とアドリスの町は、それほど遠く離れてはいない。昼過ぎに出ても、夕方にもなる前に辿り着いた。
「それにしても、やっぱりアドリスの辺りだけは全く荒れてないのね」
大規模な攻撃を受けた、という叢雲城の周辺も含み、この辺りはどこも荒れ果てているのに、アドリスのあるところだけは、不自然に豊かな大地が広がっている。くっきりと境界を分けるように。ちょっと前に来たときも不思議に思ったけど、改めて不思議な光景だと思う。
「アドリスの大障壁の恩恵だな。仮にこの世の終わりが訪れようと、アドリスだけは最後まで守られるだろう。この世の終わりとアドリスの衰亡、どちらが先に訪れるかは分からんが」
「……ただの町なのよね? 何でそんな強く守られてるの?」
「理由までは知らん。興味があるなら聞いて回ってもいいだろうが、実のところ、誰も知らんのではなかろうか」
イデアルクラウスって、やっぱりなんか変な国。重要性だけを考えるなら、ただの町でしかないアドリスより、攻撃を受けたっていう研究都市のほうが、遥かに大事だと思うんだけど。
町に入ると、町の入口にいたおじさんに呼び止められた。
「……そこにいるのは、グレンゼルムか?」
「そうだ。随分と久々に帰ってきたが、私を憶えているのか?」
「ああ、ああ! 忘れるものか! 英雄様のお帰りだ! 皆、グレンゼルムが帰ってきたぞ!」
おじさんは嬉しそうにそう叫ぶと、町の奥へ走っていった。
「……随分と人気者なのね?」
「よく分からんが、どうやらそのようだな。何故だ?」
グレンは首を傾げている。私が知ってるグレンの功績は魔王の討伐くらいだけど、多分それが理由なんじゃないかな。なんで自覚してないんだろう。
あっという間に、大勢の人が集まってきた。
「放蕩者のグレンゼルムじゃないか! 武人だなんて、意味の分からないものを目指すって、町を飛び出していったと思ったら、そのまま魔王を討ち果たすなんて……。あんたはアドリスの誇りだよ!」
「外の生活は大変だったろう。もう何も心配しなくていい。ゆっくり休んでいきなさい」
凄く歓迎されているようだ。グレンが魔王を討伐したって事実は、アドリスの皆が知ってたんだね。
「それほど長く滞在するつもりはない。私たちが帰ってきたのは、魔王の呪いによる世界の歪みを、修復する方法を知るのが目的だ」
「魔王を討ち果たしただけじゃなく、世界の修復まで行うつもりかい!? あんたは本当に聖人じゃないか? そんなのは、聖剣の勇者に任せておけばいいんだよ?」
やっぱり聖剣の勇者はそういう扱いなんだ。わかってはいたけど、面と向かってそう言われると、ちょっと傷付く。
「そうらしいな。なので、その聖剣の勇者を連れてきた」
「……は?」
グレンがそう言った瞬間、空気が凍り付いたのを感じる。このままずっと空気でいたかったけど、話の流れとしては名乗り出ざるを得ないだろう。
「……はい、聖剣の勇者です。戻ってきました」
控え目に挨拶したその瞬間、凄まじい敵意が一斉に向けられるのを感じた。ほんの一瞬だけで、すぐに元の雰囲気に戻ったけど。
「……ああ、聖剣の勇者様。ご無事だったのですね」
「勇者に対しては随分と他人行儀だな。勇者もアドリス出身だと聞いたが」
……あんな雑な嘘、普通に信じてたの!? いくらなんでも素直過ぎるでしょう!?
それとも、全部承知の上でとぼけてんの? だとしたら、凄く意地悪だと思う。完全に私の自業自得なんだけど、ひどいよ。
「そんなはずはございません。この方は、大幻晶王国の勇者様ですよ。魔王を討つ旅の途中だ、と伺っております。こうしてグレンゼルムと戻って来られていますし、目的は残念ながら不達成のようですが」
「……なるほど。合点がいった」
反応を見る限り、本当に信じていたらしい。頭が痛くなりそう。
ここで言う魔王は、グレンのことだ。もちろん今はそんなつもりはないけど、アドリスの誇りとまで言われるグレンを討とうとしていた私は、アドリスの人達にとっては、最初からただの敵でしかなかったのではないだろうか。冷や汗が止まらない。
嫌な沈黙が続く中、一番声の大きかったおばさんが、ぽつりとこぼした。
「……ごめんよ、グレンゼルム。アタシはもう限界。これ以上は、その娘を冷静に見てられないから、アタシはもうお暇させてもらうよ」
「分かった。大幻晶王国の者に対しては、思うところもあるだろう。だが、勇者は私の客人だ。くれぐれも、手荒な真似はしないように頼む」
「わかってるよ。元々、アドリスじゃ出来ないってのはあんたも知ってるだろ? ……それでもまだ、念押ししておかなきゃいけないって思うんだね。安心しな。あんたの望みは、アタシがしっかり請け負ってやるよ」
そう言い残して、おばさんは去っていった。それに合わせて、皆散り散りに帰っていく。
「ところで、私の家は残っているのだろうか?」
「馬鹿なことを聞くでない。たとえ一時離れようと、アドリスはいつでもお前さんの帰りを待っていたよ。……おかえり、グレンゼルム」
「なるほど。短い滞在になるとは思うが、ゆっくり休ませてもらおう」
そうして、私とグレンだけがその場に残った。さっきまでの騒がしさとの落差もあって、沈黙が凄く気まずい。
「……その、ごめんなさい」
「気にするな。ちゃんと知ってさえいれば、幾らかはましな対応が出来たかもしれんので、その点に関しては残念だが……。むしろ、不快な思いをさせてしまってすまないと思う」
騙されて不快、とかも特にないんだね。なんでこの人はこんなに寛容なのかな。理解できないよ。いっそ責められるほうが、気が楽だったかもしれない。
「ありがとう。あのおばさんも言ってたけど、グレンはやっぱり聖人だと思うよ」
「別にそんなことはないと思うが……」
グレンは、凄く自己評価が低いみたい。他の誰にも真似できないことを、軽くこなせるのに。凄いなぁ。
近くにいても、どこまでも遠い彼を見上げて、勇者リタは肩を落とした。