魔王と賢者と聖剣のおはなし
(助手、この馬鹿な小娘の心情に、配慮する必要など全くない。表面上そうしたという体で、思考の伝播自体はしておく方が無難だろう。発言の有無の判別が難しい、というだけなら、別の対策をすればいいだけだ)
そうは言っても、特に心を読みたい動機がある訳でもない。もし必要を感じたら、適宜お前から伝えてくれれば十分だろう。
(……その細かい判断が、我には困難なのだがな。とはいえ、主の希望であるなら仕方あるまい。もし判断を誤っても、その時は自分自身を恨めよ)
私はグレンゼルム。資料室で見つけた、友の引き継ぎ手順に従い、友が頼りにしていた使役式の主となった。資料探しなどでは、大いに頼りにさせてもらうとしよう。
クロージャー・クラウスとは、そこそこ長い付き合いだ。こうして会話をすることは、今までは全く無かったが、友は、クロージャーをかなり頻繁に活用していた。「助手」と呼ばれているのは、友と私の関係性に由来するものだ。少なくとも対外的には、私はラフィングブレイスの実験助手として扱われていた。主従となった今でも、クロージャーにとって、私は助手のままなのだろう。特に異論はない。
そんなことをぼんやりと考えていると、クロージャーが勇者に向かって、非常にわざとらしく嘆息しているのが聞こえてきた。
「本当に生意気な小娘だな。お前のことが気に食わんとはいえ、我々が何を話しているかが分かるよう、敢えて気を遣ってやっている、というに……」
「うぐ……すみませんでした……。過分のご配慮、感謝いたします……」
勇者からは、何かしら思考を向けられていたようだ。聞こえていないので正確なところは分からんが、文脈から察するに「最初から発言なんぞせず、意思疎通は思考伝播に留めておけ」という旨の話だろう。気持ちは分からなくもないが、私は不器用なので、思考伝播をしながら、口先では別のことを話す、といった振る舞いは難しい。なので、特に理由がない限り、実際に口に出して会話をしてもらえる方が有り難い、といえる。何にせよ、勇者の心の声は、クロージャーには聞こえるが、私には聞こえていない、というのが確認できた。
さておき、まずは資料を読んでみるとしよう。
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昔々のお話です。この国には、今はもう誰もが忘れてしまったような大昔に、賢者たちによって世界に組み込まれた「法則」の恩恵がありました。誰もがその恩恵にあずかり、自分ではもう努力をすることもなくなってしまった私たちには、その法則を直すことは出来ません。時折生じてしまう歪みを正すために、しばしば異世界から賢者を召喚し、その修正をお願いしていました。
(法則とはつまり、式の事を指す言葉であろう。御伽噺に語られる時点では、既にその技術は失われていたようだ)
異世界の賢者たちはとても賢く、法則の本質を読み解き、これを自在に作り変えることが出来ました。彼らは自分に与えられた使役式とともに、世の平穏を守るために各地を奔走していました。とても働き者です。
しかし、異世界の賢者たちは、皆が善良な人だった、というわけではありません。その絶大な力をもって、私腹を肥やしたものもいます。悪い賢者は、善い賢者の手で倒されてきました。
……ある日、途轍もない力を持った、悪い賢者が現れました。彼は自らを「魔王」と名乗り、世界の法則を書き換え、人々が生きていくことが出来ない死の大地を作り、多くの魔物を生み出しました。魔王は、国中に響く、憎しみに満ちた声で「堕落しきった愚者ども、疾く滅ぶべし」と宣言し、暴虐の限りを尽くしました。
(原初の「魔王」は世界を憎み、式の力を自在に扱って、人々に仇なした賢者だったらしい。イデアルクラウスの現状を評価する限り、実のところ「堕落しきったものを一掃したい」という、魔王の気持ちは分からなくはない)
それに対抗したのが、異世界の賢者エンジです。彼は、優れた洞察力と知略をもって、魔王の化身である、世界を取り巻く大蛇ミドガルゾルムの正体を見破り、討ち果たしました。その蛇の尾から出てきた剣、魔王の力の源は、二度と悪用されることがないように、城の礎として利用されることになりました。
(大蛇ミドガルゾルムの「正体」とやらが何かはわからないが、史実だとすれば、城というのは叢雲城のことだろう。叢雲城に高度な式が組み込まれているらしいのは、それが理由なのか)
……それでも、魔王を倒したからといって、魔王が生み出した歪みが直るわけではありません。エンジは、魔王が壊した各地に出向き、歪みを正して回りました。そして、二度と魔王が生まれることがないように、人々に恨みや憎しみを持たないよう、説いて回りました。けれど、堕落しきった人々は、そんな話を聞き入れることはありません。彼の行いに感謝することもなく、歪みを正すのは賢者の当然の責務だ、と考えることを止めませんでした。
悲しみに暮れたエンジは、次に魔王が生まれてしまったときのために、魔王の振り撒く厄災に対抗するための法則を生み出しました。正しい行いを遂行するための力、悪しきものを世界に縫い止める「聖剣」です。聖剣に選ばれたものは、贖罪のために、聖剣の加護をもって、生まれてしまった魔王を倒し、歪みを正す事を強いられます。これまで、エンジが人々に強いられたように。
(これまでにも何度か、魔王の厄災と思しき被害の記録が残っていた。その顛末が詳しく語られることはないが、舞台裏での聖剣の勇者の尽力、ないしは犠牲によって、人知れず平穏が取り戻されていたのだろう)
一部の良識ある人々は、エンジに説かれた通りに恨みや憎しみを捨て、あるいはより良い世界のために努力をすることを誓い、賢者たちへの感謝を忘れずに生きることにしました。罪深い私たちの、終わることのない贖罪のため、役目を終えた賢者たちの集落に集まり、祈りを捧げるものと、世界の法則がこれ以上歪みを持たないように、それを自分で直せる力を取り戻そうとしたものたち。私たちは、エンジに対する感謝の気持ちを永遠に忘れることがないように、彼の使役式の名前から、アドリスの民と名乗るようになりました。そして、いつの日か贖罪が終わり、彼の理想が真に成就することを願って、名の無かったこの国は、恒久理想式と名付けられました。
(研究都市の在り方を考えるに、ミドガルゾルムに生きる我々もまた「アドリスの民」だ、ということか。アドリスの町にも、ただの町には不相応なほど高度な結界式があると聞く。式の研究のために、出向いてみるのも良いかもしれない)
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幼い頃に何となく聞いた気はしていたが、細部は覚えていなかった。史実だと思って再度読む分には、なかなか興味深い。何にせよ、最早イデアルクラウスには未来はないらしい。研究都市がなくなってしまった以上、式の技術は既に復元が出来ない。異世界の賢者の召喚とやらも、聞いたことがない。仮に可能性が残っているとすればアドリスだろうが、伝承を詳細に聞けば分かる。あの町は、そういう「他者への責務の押し付け」を既に捨てているのだ。技術が残っていようといなかろうと、それを頼ることは出来ない。
別にそれはそれで構わない。生まれ育った国や町が滅びることに、寂寥を感じることはあっても、既に確定した滅びを、無理矢理にでも回避したい、とは全く思わない。あるいは、ラフィングブレイスが今も生きていれば、どうだっただろうか。その場合も、敢えて異世界の賢者とやらに頼ることは無かっただろう。ならば、生きていようといなかろうと、方向性こそ違えど、私のやることは何も変わらないのだ。
兎も角、当初の目的は「魔王を倒しても、問題がそれだけで解決するというわけではない」という事実を確認することで、それは正しいらしい。考えてみれば当たり前だが、式を用いて書き換えられた事象は、式を使ったものが死んだからといって、巻き戻る訳ではない。そうであってほしい、と願っても無意味だ。直したいなら、書き換え直す必要がある、というのが道理だろう。
だが、少なくとも私はその方法を知らない。語られている聖剣の存在意義が「異世界の賢者の責務を代行するための装置」だと解釈するなら、聖剣の加護にはそういう力も含まれるのだろうか。取り敢えず勇者にも伝えてみるか。
「イデアルクラウスの伝承に拠れば、やはり魔王を倒したからといって、その呪いの影響が勝手に祓われる、という訳ではないようだ。式で作り換えられたものは、同じように作り換え直す必要があるらしい。最初は異世界の賢者の役目だったようだが、今では聖剣の勇者の役目だそうだ」
「……そうなんだ。でも、どうやって?」
「詳細な手段は、書かれている訳ではないので知らん。見てみるか?」
勇者には、心当たりはないらしい。読んでいた資料を手渡しつつ、他のものにも目を通してみる。昔の魔王の被害はそれほど大きくはなく、現在に近付くにつれて被害は大きくなっていたが、ある時を境に、イデアルクラウスにおける魔王の記録は途絶えているらしい。根絶でもされたのだろうか。
ただ、現に魔王ガレンゾオルは存在した。そして、その魔王の被害を受けていたのは大幻晶王国だったらしい。状況から判断する限りでは、魔王の呪いの標的が、ある時から大幻晶王国にすり替わっていた、と考えるのが自然だろう。理由は知らんし、もしかしたら事象が類似しているだけで、根本的には違う存在である、という可能性も無くはないだろうが。
しかし、世界の法則の修復とやらに関しては、どう調べたものか。クロージャー、これに関する資料などは無いだろうか?
(無い。仮にそんなものが現存すれば、そもそも研究都市など存在意義が無かっただろう。式の修復や書き換えは、古代に失われている、式の技術の本質だ)
八方塞がりか。どうしたものか。
(首を突っ込むつもりか? 小娘の責務など、助手には関係あるまいに、随分と酔狂なことだ。……呪いが齎した歪みを復元する、という目的に限定するなら、式にそう願うのが現実的だろうな。これについては、アドリスの町のやり方が参考になるだろう)
……アドリスか。たまには里帰りも良いのかもしれんな。
クロージャーの言う通り、確かに勇者の責務は、私には関係はない。大幻晶王国から「魔王」と勘違いされ続けることの実害も、無視は出来なくもないし、勇者の手助けをしたからといって、状況が改善されるという保証もどこにもないだろう。それでも。
「既に果たすべき目的が無い今、助けられるかもしれない誰かに助力をすることに、何の異があろうか」
出来ることなら、これ以上の後悔はしたくないのだから。