魔王の脅威というもの
「ありがとう、グレン。私がこれから何をするべきなのか……もし良かったら、でいいの。一緒に考えてほしい。私が知らないことを、今まで目を背けてきたことを、教えてほしい」
私はグレンゼルム。比較的採用されやすい愛称はグレン、ということでいいらしい。あまり人付き合いがないので、初めて知った。
そんなことはどうでも良いが、まずは私が聞いたことに答えてほしい、と思うのは過ぎた願いなのだろうか。これだけ答えを保留されているあたり、恐らくはそうなのだろう。実のところ、私の要求が通ったことは殆どない。要求らしい要求をすることも、これまでの生においてそれほど多くはなかったとはいえ、その殆どは、大体無視されていたような気がする。儚い願いすらも叶わないことに対し、世の無情を感じざるを得ない。哀しいことだ。
だが、悪いことばかりではない。当初あれだけ頑なに、一方的に私を憎んでいた勇者リタと、ついに一旦の和解を迎えることが出来た。正直、私たちの道は、どちらかが死ぬまで、どこまでも平行しているのだろう、と考えていた。全ては我が友ラフィングブレイスの、的確な導きのおかげだ。そういえば、あの女は時折「夢のお告げ」という名目で、突拍子もないことを行い、その殆どにおいて、偶然に予想外の成果を得ていた。今ならわかる。あれこそが、道半ばを征くものに与えられる、導きの祝福なのだろう。
少々物思いに耽っていると、勇者が不安そうな目でこちらを見上げていることに気付いた。そういえば、暫く反応が止まっていた。友は、反応が欲しいときはひたすら喧しかったので、半ば放っておいても特に問題はなかったが、友と勇者では、全く気性が異なる。ならば、付き合い方も同じではいけない。
「……やっぱり、駄目かな? ……あれだけ色々、散々迷惑かけたもんね……。当然許してくれないよね……。虫のいい話をして、ごめんなさい」
「いや、すまん。唐突な方向転換に追い付けていなかったので、色々と考えていた。聖剣の勇者の使命については、力になれるかは分からんが、どちらにせよ、情報共有をしておきたいのは変わらん。その過程で、世界がより上手く回るようになる方法が見つかれば、それに越したことはない」
正確には、期待とは微妙に異なる展開を軽く嘆いていたら、ついでに明後日の方向に思考が飛んでいっただけだが、大筋では特に間違ってはいない。何にせよ、これからが本題だ。
「さて、まずは聖剣に関して教えてほしい。これを聞かないと、致命的な対応の誤りに繋がる可能性が高いようなので、最も優先度が高いと判断した。聖剣に関しては、聞いて知っていることが少しだけある。聖剣は魔王と対をなすものであること。聖剣の加護と呼ばれる権能を持つこと。それくらいだ」
「うん。……聖剣は、正しいものに、正しい行いをするための特権を与えてくれる、魔王を倒したい人々の、切実な願いの結実。聖剣の加護は、悪に立ち向かうための力。立ち向かう相手が悪である限り、聖剣は莫大な力を与えてくれる。……聖剣は、正しい人を守るため、正しくない行いを例外なく許さない。それが敵対する相手でも、聖剣に選ばれた勇者でも、聖剣が正しくないと判断したものは、聖剣自身が殺してしまう」
悪、か。直感的には、無用に人々を虐げるもの、正当性無く他者から奪うもの、などが思いつくだろうか。だが、そもそも人の善悪など一様ではない。倫理観のぶっ飛んだ友が、身を以てそれを教えてくれた。
「聖剣は、如何にして行いの善悪を判断している?」
「……細かくはわかんないけど、その方向性は、ある程度制御できるの。一つは、勇者自身の願い。掲げた大義、聖剣に選ばれた勇者の願いが、聖剣にとっての善悪のベースになるんだって」
勇者にとって何が正しいか、など事前に予測はつかんな。想像までは出来ても、それが合っている確証はどこにもない。これに関しては、適宜止めてもらうしかないだろう。
「もう一つは、相対する相手自身に、守るべき条件を明示させること。相手が言い出したことは、相手にとって正しいこと。だから、聖剣は口先だけの約束だろうと、それを守らなかった場合は、相手が正しくないって判断する。これは、私が条件を受け入れた時点で……その正当性を認めた時点で確定するの」
「なるほど。道理で模擬戦の前に、私が自身に課そうとした制約については、お前から積極的に聞き出そうとしていたわけだ」
「う……バレてる。ごめんなさい……」
項垂れてしまった。しかし、謝る理由がいまいちわからん。和解した今はともかく、当時の勇者の目的は、私の征伐のはずだ。そこに不当性を感じられない。
「気にするな。戦いを有利に進めようとするのは、戦うものなら誰しも当たり前の振る舞いだ。それが出来るにも拘らず、敢えてしない、というのは無用なこだわりでしかない。場合によっては、相手に対して失礼となる」
そう考えると、私が初戦において、勇者をやる気なくあしらったのは、割と失礼だったかもしれない。一応、武人の矜持に反しない程度には真面目だったし、アレは最終目的が殺害ではないので、許してほしいところだ。
「……割り切りがよすぎない? 卑怯だな、とか思わないの?」
「私の感覚では、全く無いな。権能であれ何であれ、それは相手が使える力だ。何らかの意図があって、自主的に制限するなら兎も角、単に可能で有効な方法を採ることに、何の異議があろうか」
「……うう。やっぱ規格外だよ、この人。ついてけない」
まぁ、むしろ気軽に追随されてしまっても困る。私のこれまでの生の殆どは、武人としての研鑽に費やしたのだ。如何に権能の力が尋常ならざるものであれど、こんな年端も行かない少女に、簡単に追随や凌駕などされてしまっては、然しもの私とて、虚しい気持ちになっていただろう。仮にそうなったとしても、私がやること自体は特に何も変わらんが。
「聖剣についてはそんなものだろうか。また何かあれば適宜教えてほしい。続いて、魔王の実害に関してだ。これは、本当に事前知識が無いに等しい。ざっくりと悪いもの、として御伽噺に語られていることくらいしか知らん」
そもそも、実在する概念だと思っていなかった。一介の武人には身に余る、随分と大層な呼称だなと考えていたら、本当に存在するものと人違いをされていたなど、思いもよるまい。……いや、確かに対個人としては過剰過ぎる攻撃を受けてはいたが。良い思い出ではないので、あまり思い出したくはないな。
「魔王の実害ね。魔王自身が暴虐を振り撒いて、人々を虐げるのもそうなんだけど、影響が大きいのは、そういう直接的な被害じゃない。魔王の呪いは、その地に生きる生物を魔物に変えたり、清らかな水を腐らせたり、豊かな土地を不毛の荒れ地に変えたりするの」
……なるほど。それは確かに、ただの武人には不可能だ。生物を使役したり、地形を少々変えたりする程度なら兎も角、世界そのものを置き換えるなど、最早神の所業に近いだろう。
「後は、魔王自体の影響というより、それによって生まれた世の乱れかな。資源が少なくなって、そこに生きる人たちの間で奪い合いになったり、魔王を倒すための武力を確保するって名目で、力の強いやつが勇者を自称して、大義のために、本来守るべき人たちから、物を奪ったり。魔王がいなくならないと、弱い人は満足に生きていけない」
「ふむ……」
弱いものが満足に生きていられるのは、世界が穏やかで、余裕のある時に限る。穏やかな時期が長く続くと、存外忘れがちだが、資源の奪い合いは、有史以前より、生命の本質として刻まれた事柄に過ぎない。だが、そんなことを一々言う必要もあるまい。忘れていられるなら……そこに不満がないのなら、それは幸せの形の一つなのだ。
「魔王の脅威とは、一個人の暴虐を指す訳ではないのだな。むしろ、魔王が残していく呪いのほうが、真に恐るべき脅威であるということか」
「そうなの。世界の変質なんかは、根源である魔王さえ倒せば、それで解決出来るのかな、と思ってたんだけど……。既に魔王は倒されたのよね? もしも、倒し方に正しい手順とか、条件とかがあったんだったら、どうしよう。やり直す、なんて出来ないだろうし……」
勇者は途方に暮れた顔をしている。確かに、出来たはずのことが出来なかったのなら、それは後悔するしかない。だが。
「それなんだが、聞くところによると、魔王の実害については、その殆どが、魔王を倒すだけでは解決しなかった、と聞いている。それが正しければ、魔王の倒し方に不備があった、ということは無いはずだ。取り返しのつかない過ちはまだ起きていない……と思う。安心しろ」
「……ねえ、グレン。それは、突っ込みを待ってるってことでいいの?」
よく分からないが、何か少し怒っている気配を感じる。
「……グレン。あなた、魔王の実害については何も知らないって言ってたじゃない。なんで、知らないことの対応を、それ自体は間違ってなかった、とだけは断言できるのよ。……信じてはくれないのかもしれないけど、私、本当にあなたが悪いとは思ってない。だから、正当化なんて、別にいらない。……無根拠に、てきとうなこと言わないで」
そういえば、そうだな。友の発言故に、半ば無条件に信用してしまっていた。ラフィングブレイスは、私などよりも遥かに賢い。恐らく、今のイデアルクラウス全土で最も賢かっただろう。アレが一切ぼかすことなく断言していた以上、疑いようもなく真だと思い込んでいたが、蓋を開けてみれば全くの無根拠だった、という可能性も無くはない。
「そうだな。これに関してはまだ伝聞で、自分で判断すらしていない。友は、関連資料を城に残している、と言っていた。恐らくは、叢雲城の資料室にあるのだろう」
「……ちょっと失礼なこと聞いていい? グレン、友達とかいたんだ? 知り合いについては何回か口に出してたけど、友達とは言ってなかったから、気になっちゃった。……いや全然、他意はないんだけど」
どう考えても他意があるな。どうせ、お前のようなものに友が出来るわけない、という意味合いのものだろう。あるいは、最初から隠すことなく、それが真意だ、という意味か。
実際、私もそう思う。極自然な考えだ。知り合いはただの知り合いだし、友と呼べるのは、今は亡きラフィングブレイスだけだ。友の候補としては、今のところ勇者が最有力だが、果たして。
「ああ、昔はいた。既に死んだが」
「……ごめんなさい。無神経だった」
「何故謝る? 別に、お前が殺したというわけでもあるまい」
友は大幻晶王国の大爆撃で死んだ。勇者は何ら関係ない。確かに勇者なら友にも勝てるかも知れんが、あの女は非常に狡猾だった。単純な力比べは兎も角、実戦でアレに勝つのは困難だろう。アレには、生半な小細工は通用しない。敵に回したくない相手の筆頭と言える。
「そういう問題じゃないんだけど……。とにかく、お友達の残してる資料に当てがあるのね?」
「そうだ。差し支えなければ、早速行ってみるか? 資料の量も分からんし、目当てのものがすんなり見つかるかは分からんので、見つかったら改めて呼ぶ、ということでも構わんが」
「んー……。どちらかというと、もし見せてくれるなら、目的のやつだけじゃなくて、他の資料も見せてほしいかも。待ってても、特に他にすることもないし」
確かに、目的とは関係ないことでも、知っていれば何かの役には立つかもしれない。見たいなら断る理由もない。仮に、残された資料が関係者外秘だったとしても、既に研究都市自体が存在しない。故に、機密が漏出しようが、遺失しようが、それを気にするものはどこにもいない。
「では、共に向かうとするか」
残された資料は、果たして希望か、それとも絶望か。事実がどういうものであれ、事実自体の有無にすら依らず、それが一意に決まることはない。