憂鬱を吹き飛ばす嵐
私はグレンゼルム。ただひたすら強者と死闘を繰り広げるために研鑽に勤しみ、名だたる英傑たちに勝ち続けてきた結果、他国からは「魔王」などと呼ばれるようになってしまった、一介の武人だ。どうしてこんなことになってしまったのか、結果だけを評価すればわからないこともないのだが、いまいち理解に苦しむ。
御伽噺に語られるような、悪の化身としての魔王のように、時折他国から征伐を目的として勇士が送られてくるのはいい。むしろ、他国の強者が待っていれば勝手に来てくれるという状況は願ったり叶ったりである。だが近年では礼節も何もなく、ただ殺害のみを目的としたような、手段を選ばない攻撃手段が多くなっており、辟易している。そもそも一介の武人如きが「天災の原因」だの、「アレさえ始末すれば万事うまく行く」だのと都合の良いスケープゴートとして扱われ、そんな馬鹿げた話が大多数の民に肯定的に支持されているという事実に寒気を覚える。
「……本当に、馬鹿げているな」
そんなことを思いながら、自嘲気味に呟く。その時だった。
―――――ドゴォオオオオンッ!! 突如として響いた轟音に、思考を中断される。
同時に、なにやら甲高い女の声が聞こえてきた。嫌な予感を覚えつつ、その声の方へと駆ける。
そうしてたどり着いた先にあったのは、無惨に穴の空いた壁と、およそ勇士とも言い難いような幼い少女の姿だった。
「覚悟しろ! 魔王!!」
「…………」
まぁ今回は破壊兵器による殺害が目的だったわけでもないようなので、それは良しとしよう。だが、別に正面から門を叩いて入ってくればいいところを、敢えて壁をぶち破って挨拶にくる、というのは些か非礼がすぎるのではないか。そう思ってしばし絶句した後、取り敢えず口を開くことにした。
「……おい、お前は何者だ?」
「ふっ、よくぞ聞いてくれた!」
そう言って胸を張る少女。年齢的にまだ成長途中なのか、胸部には慎ましやかな膨らみがあるものの、全体的には小柄で華奢な身体つきをしている。
「私は勇者! 聖剣に選ばれた正義の使者よ!」
腰に手を当ててふんぞり返っているその姿は、どう見ても年相応の少女にしか見えない。状況から勇者を名乗るのは分かりきっていたので、どちらかというと名前を名乗ってほしかったんだが、まぁ良い。
「なるほど、勇者。言いたいことは色々とあるが、それはさておき、まずはよく来たな。歓迎しよう」
心象はかなり悪いが、とはいえもう慣れてしまった。壁に穴が空いた程度で、周辺がまるごと更地になってないだけマシだと思うようにしよう。そう考えて笑顔を向けると、なぜか勇者と名乗った少女の顔が引き攣った。
「えっと……随分余裕ね? 私が来たっていうのに」
「そうだな。余裕かどうかは別としても、こういう襲撃には慣れている。正直こんなことに慣れたくもないのだが……」
修繕にかかる費用に嘆息しながら、ふと気になったことを聞いてみる。
「しかし、改めて言われてみると、こういうときに通常想定される反応というものを把握していないな。勇者よ。御伽噺で聞くような魔王の振る舞いでは、こういう状況で狼狽するようことはなかったように思うが、どう違和感を持ったのだ? 正直初対面では能力の高低すら推し量れんし、危険性も一旦わからんと思うのだが」
「えっ……? そう言われても……って、そういうことじゃない! 今まさに戦おうっていう相手に、何を呑気で気軽な態度を取ってんの、ってことよ!」
なるほど、観点がそもそも間違っていたのか。確かに、わざわざ戦いを仕掛けに来る相手というのは、大抵の場合は切羽詰まった様子で、こちらの命を狙っているものだ。それを加味すると、目の前にいる少女の反応は至極真っ当なもののように思える。
「なるほど、それはすまなかった。察しが悪くてすまん。とはいえ、用件の方は流石に察している。つまりお前も私を討ちに来たんだな?」
分かってはいるが、もしかしたら目的が違うかもしれない。特に期待もせず聞いてみる。すると、やはりと言うべきか、勇者と名乗る少女は顔を赤くして答えた。
「そ、そうよ! だから早く構えなさい! 私があんたを倒すんだから!!」
「そうか。では続いて、その目的についてだが」
分かってはいたが、やはり落胆せざるを得ない。ならばせめて戦いには意義があることを祈りたいところである。
「私を討つことに対して得られる利益、あるいは大義は何だ? 私はお前がどこに所属していて、何を目的にこんなことをしているのかが分かっていないんだが」
「えっ……?……あっ!? あー……えっと、その……」
この反応、もしかして本当に何も考えていなかったのか? 誰かに乗せられたにしても酷いし、こんなことで犠牲になった壁が不憫すぎる。
「う、うるさいわね!! いいからかかってきなさいよ! 話はそれからでしょうが!」
少女は顔を赤らめたまま、叫ぶようにして言う。ちょっと価値観にズレがあるらしい。
「そういうものか……? 目的を擦り合わせてから戦いに挑む方が合理的だと思うんだが、そこまで言うならば仕方ない」
気は進まないが、取り敢えずそうしないと許してくれなさそうなので、一応剣を抜いてみる。
「な、なによその態度は!? まさか、そんなやる気のない状態で戦うつもり!?」
そうだ。確かにやる気はない。何ならもうここ最近は無気力すぎて、このまま雑に負けて死ぬのも一興ではあるまいか、とすら思っている。とはいえ、武人としての矜持はそれを許すことはないが。
「御託はいい。どうであれ、剣を抜いたからには勝つか、あるいは死ぬかだ。お前としては、相手が油断して楽に勝てるほうが都合もよかろう」
「くっ……舐めるなぁああ!!」
少女は激昂して斬り掛かってくる。こんな挑発未満の売り言葉で熱くなるようではまずいと思うが、そういえば私にも昔はこんな時期があったような気もする。流石にここまで短慮ではなかったが。
「気迫は十分だな。我が名はグレンゼルム。武人として、これが良き闘争となることを祈る」
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しかし、勇者は存外に強かった。その年頃では考えられないほどの剣術の練度で、その体躯からは予想もできない膂力で、貪欲に食らいついてくる。こんなところで意味もなく終わるには、あまりにも惜しい才能だ。
「ぐっ……なんで当たらないの……ッ!」
既に体力の限界に近いのか、肩で息をしながら悔しげに呟いている。取り敢えず褒めてみよう。
「その幼さで良く練り上げたものだ。称賛に値する。もう辛そうだが、まだ続けるのか? そろそろ切り上げるか?」
「……全く息も切らさないで……その余裕たっぷりって態度、本ッ当にムカつく! 舐めるなぁッ!」
勇者は咆哮し、さらに速度が増した。気力は大したものだが、これ以上の負担は本当に死にかねないので、そろそろ止めておきたい。
「神に誓って舐めているとかそういうことはないんだが、伝わらんだろうな。そのままのペースだと死ぬぞ。一旦冷静になれ」
「……えっ?……きゃっ!?」
軽く剣を振り抜くと、勇者の少女は軽々と吹き飛んでいった。そのまま勇者は沈黙する。恐らく気を失ったのであろう。
「これで静かになったな。それにしても……」
勇者との戦いは久々に少し高揚したが、まだまだ研鑽は足りていないし、訳も分からず憎まれることに釣り合うとは思えない。
「魔王というのは大変な立場だな。誰かに譲れればいいんだが」
グレンゼルムは嘆息した。