ペストマスク? いいえメイドという名の変態です。
「アレス、明日はちゃんと鍛冶屋さんにフライパンの修理頼んできてね?」
珍しく息子がお使いを忘れてきた。
そしてなんか静かなの……今も居間にある安楽椅子でほけぇぇ……っと、物憂げに空を見上げて……ああん! もう! この角度さいっこう!! じゃなくて。
「あーれーすー?」
フライパンが無いとさすがにご飯を作るのが大変なのでお願いしたいんだよね。
ついでにその道の途中でアレスたんに襲い掛かって狩られる『私3150号』がスタンバイしてる。
私もお肉が食べたいの……牛ステーキが。
「聞いてる? 体調悪いの?」
「…………」
「アレス?」
「…………」
「えい」
つかつかと近寄ってアレスたんにちょっぷ。
ずびしっ!
「…………」
「え? アレスってば……お母さんですよー?」
無反応である。
この10年一度もなかった無反応である。
しかも意図して無視しているわけではない、何かを考えている感じなんだよね……。
チャンスか!?
チャンスなのか!?
「聞いてるよ……お願いだから両手をワキワキさせないで母さん」
「いたずらし放題かな~と」
もちろん朝からあれやこれや言えない事をするつもりである。
「まずはか……」
「か?」
「か、可愛く髪の毛をまとめてあげようかなって」
あぶねぇぇぇ!! 申し開きできないわよ!?
下半身からっていいそうになったぁ! あ、でも少し髪が長くなってきたから散髪してあげて回収しなきゃ……まだ足りないのよねアレスたん人形の中に詰めるには。人間って成長ゆっくりよね。
「さすがに長くなってきたし、村に行ったときについでに切ってこようか「それはダメ」」
それってアレスたんの髪が誰かの手に渡るって事じゃない!!
しかもきっとその価値に気づかないでそのまんま捨てるんだわ。ありえねぇ……出汁とったりいろいろできんだろうがよぉ!! と懇切丁寧に教育を……
「……母さん、真顔で涙流すくらい嫌がらなくても」
「重要なの」
「そ、そうなんだ……じゃあ行く前に切っていこうかな」
「母さんが切ります」
「ア、ハイ」
他のだれかにアレスたんの髪の毛を渡してなるものか。
それに今散髪したらとれたてアレスたんの香り堪能し放題! しかもアレスたん自身がお使いに行くのだから邪魔はいない。何をどうしようと表には出ないのよ……さいっこうだわ!!
「……なんかぐへぐへ笑い始めた。長いかな……長いよね? 今の内に行っちゃおう」
まずはお風呂を沸かして! 身を清めてから……いや、もういっそお風呂に入れて全身で息子風呂を……
「えーと、五分くらいで気絶だろうからベッドに寝かせておいて……枕にタオル何枚か敷いておいてと」
気が付いたらアレスたんは町に向かってました。
布団で泣きます。
◇◆――――◇◆――――◇◆――――◇◆
「なんか母さん……最近隠す気が無いんじゃないかな? まあいいけど、どうせ後三年で二十歳だしさ」
この頃母さんがだいぶおかしい……いや、正確じゃないな。
魔王軍の最重鎮が僕を育ててる時点で大体の人間が首をひねるか。本当ならこんなにのんびり町でお使いなんかしてる場合じゃなかったりするんだけどね。
まあ、そんなことよりもポニーテールが可愛い万屋の店員さんがなんとも言えない表情で僕に声をかけてくる方が問題だよ。ど真ん中に穴が開いたフライパンは直らないかぁ。
「アレスさん、さすがにここまで使い込んでますし鋳つぶして新しいのをお買い求めしません? 材料費お値引きしますよ」
「ん、やっぱりだめ?」
「なんで真ん中に風穴開いてるんです? これ塞げって無理なのわかってますよね? ミコトさん」
「母さん世間知らずだから……新しいの買うよ。良いのある?」
現代知識ゆえかどう考えても無理だろうって事に母さんは偶に気づかない。
魔法で何とかするストロングスタイルなので、今回フライパンが壊れたのはかまどの火力不足に業を煮やした母さんが魔法で火を強めたのが原因……ぶっちゃけ15歳になった時に町に出て僕が一番最初にやったのは商会への顔つなぎだよね。
こんなド田舎で王宮御用達レベルの素材部品や希少な魔法石なんか伝手も無ければさばけないもん。
「これなんてどう? ほんの少し魔法鉄を混ぜてあるから結構軽いよ?」
「へえ、ずいぶん綺麗な作りだけど……誰が作ったの?」
「二週間前に移り住んできた変わり者さんが持ってきたの……そろそろ来ると思うよ? いつもこの時間に納品に来るから」
カラン
控えめのドアベルと共に店員さんが「いらっしゃいませー」と迎えたのは……ここ最近の新たな問題点だった。
「新しい調理用ナイフを作りました。武器としても使用可能ですので是非そこの凡庸で地味めの黒髪の少年が買うべきだとブレアは提案します」
靴底はラバーをはって足音を消し、全身を隠すメイド服は魔王領で最高級品のヘルフレアモス……いわゆる蚕が出す糸で仕立てられている。ほんの少しくぐもった声はそんなメイドさんの雰囲気を真っ向からぶち壊す鳥の顔のようなマスク……ペストマスクを被っているからだ。
「ね? 変わり者でしょ?」
「うん、この間会った」
「久しぶりですね底辺の性欲溢れる童貞少年」
「多大な誤解を招く呼称をありがとうブレア女史……」
現在魔王四天王筆頭になっちゃってるハーフサキュバスさんで……母さんの奴隷だそうである。
「アレスさん……なにしたんですか?」
「彼女が偶然僕の水浴び中に出くわしただけだよ」
「!!!」
ぼんっ!! と頭から湯気を噴出させてブレアさんが動揺する。
多分あの仮面の下は真っ赤に染まってるだろうね……僕は無罪。僕は無罪。大事な事なので繰り返して言うけど僕は無罪。
「いくらです?」
「あ、あの……その……今度一緒に観劇でもしてくれれば銅貨1枚にしてあげてもいいんだからねっつ!?」
「……店員さん、相場はいくら?」
「合わせて……銀貨2枚くらい?」
「観劇だけじゃ買ってくれないというの!? 下着はつけないオプションまでつけないとダメ!?」
「ねえ、アレス……」
「そんな蔑んだ目で見ないでくれないかな店員さん」
「わかった、交渉は最終段階ね。良い宿を予約しておきます」
「……けだもの」
「この状況でそれを言える店員さんに感心するよ」
こうなるから僕は今朝から悩んでたんだよ!? この人、事あるごとに僕の何かを奪うつもり満載で母さんにも相談できないんだよ!? なんでって決まってるじゃん……血の海どころじゃなくなるからだよ!! 僕の対応一つでここら辺一体に極大魔法の嵐が来るんだよ!! 一昨日なんか出会い頭に全裸になって首輪までつけてワンワン!! って言うからドン引きして思わずフライパンの修理頼み忘れたんだよ僕!!
「そんな、最終手段……」
「もう手詰まりとか早いなこの人」
「妹と二人で!!」
たぁん! と迷惑料込みで銀貨三枚を置いてナイフとフライパンをひったくり僕は逃げた。
水平に目から流れる汗を残して絶叫する。
「もうこのお店来れないよぉぉ!?」
あのポニテの子、気に入ってたのに……