俺のことを振った幼馴染が振られているところに居合わせてしまった
リハビリに書きました
滅多にない委員会活動なんかに呼び出されて時間を食って、さあ帰ろうとなったところで宿題を机にしまいっぱなしなことを思い出す。そんな小さな不幸を重ねた末の出来事だった。
「あなたのことが好きです。わたしと恋人になってください」
自分のクラスの教室の戸に手をかける寸前、そんな言葉が中から聞こえた。その声は俺のよく知った女の子のもので――幼い頃からずっと、俺が好きだった子の告白がこの瞬間に行われているのだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
じくじくと胸が痛む。今の自分の顔が人に見せられるようなものではないだろうことが、なんとなくわかる。
俺が欲しかった言葉を貰っている奴が、この先にいる。
その悲痛をそのまま声に出して叫びたい衝動に駆られる。あるいは、扉を音が鳴るほどの勢いで開いて相手に殴りかかってやろうかとすら考える。
ダサいな、と俺は自嘲する。そんなことしたって何の意味もない。嫌われるだけで、好意の先が俺に向くことはない。それに、こんな場面に出くわしていなくとも答えはとうに出ている。
だって俺は、先週に振られているのだから。幼馴染に好きだと伝えて、きっぱりと、俺に対して幼馴染以上の好意はないと返されたのだ。
正直、それも分かっていた結末だった。長く一緒にいたからこそよくわかった。彼女が俺を見る目は決して好きな人を見るときのそれではなく、他の友人たちとの態度と何ら変わらないことを。そして、好きな人を見る目というのはハッキリと違うということも。
けれども、それでも、諦められない。そんなもがき苦しむ気持ちに嫌気がさしたから、知らぬ間に何もかもが終わってしまう前に、春が終わる前に、俺と彼女の間でけりを付けようと思ったのだ。
他ならぬ彼女に、とどめを刺してもらいたくて。
『――ごめんね、コウちゃん。わたしは、別に好きな人がいるから、その気持ちに応えられません』
彼女の俺への真摯な言葉は、深く深く俺の心に刺さったけれど、まだ、痛む程度には生きているらしい。
思い返しながら、そっと引き戸の横に座り込む。間違いなく俺はここにいるべきではないけれど、それ以上動くことがどうにもできなかった。二人と鉢合わせたら絶対に気まずいし、何より彼女の積み重ねてきた思いの丈が詳らかにされて俺の耳に届く状況は、どう考えても俺の心の傷に悪い。
ああ、そうだ。衝撃の事態へのショックもあれど、恋心が死にきれていないからここにとどまっている。万が一があればいいなと、期待するから俺はここに――。
「ごめん。その気持ちには応えられない」
……は?
何。
何が起きている?
「嬉しいけど、きっとそれは、勘違いだと思うから。もう一度、よく考えてみてほしい」
それからもう一度、ごめんねという言葉のあと、足音が徐々に近づいてきた。二度目の衝撃にその場を急いで去ることもできず、俺は教室から出てきたやつと――友人と顔を合わせることになった。
「お前」
俺が彼に言葉を伝えきる前に、彼は走って去っていった。
……俺のことを振った幼馴染が振られた。その事実に感情が停滞している。
徐々に遠くなっていく彼の背中を見送りながら、ふと宿題のことを思い出した。至極どうでもよかったけれど、元はと言えばそのために来たのだから、取るために中に入ろうと思った。
そっと立ち上がって、俺は戸を開けた。
床に座り込み、ぼろぼろと泣いている幼馴染がそこにいた。
感情が、ざわめきだした。
「コウちゃん?」
俺の恋心へ、真っ直ぐ答えをくれた彼女の凛とした姿はそこになく、震える声でこう言った。
「あはは、振られちゃった」
「……見れば分かる」
「情けないね、わたし」
「……そんなことない」
「コウちゃんも、こんな気持ちになったのか。辛いね、これ」
「いや……」
それに俺は答えなかった。確かに辛かったけど、なんとなく違うと思ったから。
俺はそれ以上のことは何も告げることができず、黙って自分の机に向かって目当てのものをカバンへしまいこむ。その間もずっと彼女の嗚咽が響き、その度に俺の心中では言葉にできていない気持ちが渦を巻いていた。
好きな女の子が傷ついて泣いている。けれど俺に何ができる。俺が慰めて何になる。そんなことをしてまで彼女の気を引きたいのだろうか俺は。みっともない。みっともないが……わざわざここに足を踏み入れているのだ。そんなの今更だ。
どう声をかけるべきか、俺はどんなことを言いたいのか、何もわからないままだが、意を決して彼女に言葉を投げようと振り向く瞬間。
「勘違い……だったのかなあ……?」
涙に紛れて、そんな言葉が零れてきた。
「――そんなわけがあるか!!!!」
反射的にそう怒鳴っていた。泣いていた彼女が目を丸くして俺のことを見ていた。
そうだ、そうだ。――そうだ!
そんなわけがあるか。あってたまるか。
俺が彼女を――彼女の恋をどれだけ見てきたと思っている。
どんな思いでそれを見てきて、どんな思いで彼女に思いを告げたと思っている。
それを、それを――!!!
俺は邪魔なカバンを幼馴染に押し付けた。困惑している彼女に、ただ『待っていろ』とだけ告げて走り出した。
友人の帰り道は嫌というほど知っている。何度も何度も俺も歩いた。色んなことを話した帰り道だ。だから走り続けてほどなくして、友人の背中は再び見えた。
息も絶え絶えになりながら彼の肩を掴めば、驚いたように振り向いて、俺のこと見て更に驚きを深めていた。
何しに来たんだ、と問い質す言葉を無視して彼を引きずった。向かう先は帰り道を少し逸れたところにある小さな公園。
着いて早々、息を整えることもせずに俺は尋ねた。
「なんで振ったんだ」
「……僕じゃないと思ったから」
「なんでそう思った」
「だって彼女には君がいるだろ」
気づいたら友人の胸倉を掴んでいた。殴り飛ばすような真似はしなかったが、思い切りそうしたい気持ちだった。
「お前の気持ちはどうなんだ」
「僕の気持ちは関係ないだろ」
「お前の気持ちが関係ないわけあるかよ!!」
強いて言えば、怒りのままにこの場にいる俺が一番関係ないはずだった。だというのに、こいつの愚かな考え違いが、俺が関与する余白を生んだ。
それを全く望まなかったかと言えばウソになる。でも、そんな風にされて手に入れたいものでもないのだ。
そこからはもう、ただただ俺が感情を吐いて捨てるだけの時間だった。
「十年あいつのことを見てきた! 覚えてることも、覚えてないこともあるけれど、恋するあいつを見たのは初めてだった! ずっとあいつの隣にいたから、その視線の先にお前がいるのがよく分かった! 嫌ってほど分かった! 俺はあいつが好きだったから、好きだったからこそ、全部わかっちまった。それでも奇跡的に思い違いをしていてくれないかと、望みをかけて告白しても、好きな人がいるからって俺は振られたんだ!」
アホ面のまま息を吞む友人に、てめーだよと意味を込めて体を揺さぶる。
「だから俺はよくわかってんだ。想いを告げるって決めた側の葛藤と覚悟が。良くも悪くも何もかもが変わっちまう行為だ。何度も何度も死ぬほど考えて、考え直して、それでも好きって気持ちが湧いてきてて、それ以上を望んだから出てきた言葉なんだ!」
彼女から漏れ出た悲痛な言葉を思い出しながら、その顔に唾を浴びて叫んだ。
「勘違いなんて言葉で片付けていいもんじゃねえんだよ!!!」
思い切り叫んで、俺はようやく呼吸を思い出した。吐き出しすぎて、体が酸素を欲していた。息を荒げながら、けれども結局、俺はそこで止めなかった。
「お前の気持ちが、あいつにないなら仕方がねえよ……でもさ、お前が俺の気持ちに気付いてたように、俺だってお前のこと分かってんだよ」
あんな振り方した後に教室を出てきた時の友人の顔を思い出す。痛々しい顔だった。申し訳なさを上回る、悲しげな顔をしていた。
それに、そんな顔を見なくともわかっていた。幼馴染との時間ほどじゃないが、友人と隣り合っていた時間も決して短くはなかった。どういう目でお前があいつを見ていたかは、我がことのように分かった。
――だから俺たちは、帰り道で恋の話をしたことはなかった。たくさんのことを話したけれど、示し合わせたかのようにそれだけはしなかった。お互いに傷つくってわかっていたから。
そうやって黙っていたから、結局俺たちは要らない傷をあちこちに作っている。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
「……万一勘違いだったとしても、わざわざ手放してんじゃねえよ。俺だったら絶対断ったりしない。好きな人に好きだって言われたら付き合うだろ。勘違いかどうかなんて、そっからでも十分確かめられるだろ。勘違いだったとしても、ものにしてやるくらいの気持ちでいてくれよ」
要らねえ世話なんだよ――それを最後の言葉にして友人を突き放す。地べたに座り込む友人を尻目に、幼馴染にメッセージを送る。荷物を持って、この公園に来るように。
「……コウ。俺、俺は――」
「俺に言うな、それ以上」
何もかも、本来であれば俺は聞くべきではなかった。何かを言うべきでもなかった。ただ折り悪く居合わせてしまい、怒りに吞まれて動いてしまっただけなのだから。
俺が一番要らない世話を焼いているのかもしれないなと自嘲する。でもまあ、焼かないではいられなかったのだから仕方がない。
メッセージに返事が返ってきたのを見届けた後、今一度、友人と顔を合わせる。
「ちゃんと気持ちを受け止めて、ちゃんとお前の気持ちであいつに答えられるなら、それでこの話はおしまいだ。結果までこの場で見届けるつもりはない」
視線は俺を向いているが揺らいでいて、未だに戸惑っているのが分かる。けれども視線を合わせるうちに、彼の表情はしっかりとしたものに変わっていった。
なら、もう、いいか。
友人の手を無理やり取って立たせてから、俺は顔を背けた。流れで公園の外を見やれば、向こうに幼馴染が走ってくるのが見えた。
俺と幼馴染、二人が丁度公園の入り口に着いた。俺を見て、そしてその向こうにいる友人を見て、目を丸くした。
「もう少しだけ、勇気、振り絞れるか」
「え?」
「今ならきっと、あいつの気持ちが返ってくる。だから、もう少しだけ」
がんばれ、という言葉は口にできなかった。できなかったけれど、どうやら伝わったらしい。彼女は目を少し潤ませながら、ただ黙って頷いた。
俺は自分のカバンだけを受け取って、何も言わずにその場を去った。
真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ道を歩いた。
怒りを全部、まき散らして。キャパシティができて。
悲しみと痛みが押し寄せてきた。
前が何も見えなくて、どこへ向かっているかもわからない。
ただ離れたくて、離れるためにひたすら前へ歩いているだけ。
ああ、なんて馬鹿馬鹿しいのだろう。
――結局、俺の恋に止めを刺したのは、他ならぬ俺なのだから、これほど愚かなことはないだろう。
どことも知れない場所で、涙が止まってきて、落ちた夕陽の頭が未だ見えた。
春が終わる。夏が始まる。夏が終わるぐらいには、この痛みは癒えてくれるだろうか。
それに答えをくれる者は、俺を含めて、誰もいなかった。
書いてたらこうなりました。悲しくなりました