1-6
危ない!
けれどもクリスは悲しそうにするばかりで避けられるはずなのに動こうとしない。
⇒どうして!?
そう心の中で叫んだ時には身体が動いていた。クリスの前に立つと小石を手で受け止める。
ッ!?
手に感じる痛みがたしかにクリスに向けられた悪意を防げた事を告げていた。けれどもそれで安心している場合じゃない。他の人たちが続く前になんとかしないと。
私は二人を庇いながら村の人たちを睨む。
「もうやめて!」
私の言葉の叫びで続いて石を投げる人はいなかった。罵声も止まった。その瞬間だけは。
「邪魔をするな!」
彼らは私を睨むその目は怒りと憎しみに溢れたままで、制止する声が届いていないのは明らかだった。
このままじゃ…………でも、どうしたら?
衝動で動いた私に考えなどない。
彼らの間違いすら正せない無力さに悔しさが溢れ、顔を俯いた時だった。
突如として背筋が凍るほどの殺気が後ろから感じたのは。
驚き後ろを振り返るとイリスが村の人たちを睨んでいた。それも、その見た目からは不釣り合いなほどに殺気を漂わせ、剣の柄に手をつけながら。
え? あ!? 止めないと! で、でも……
最悪の状況。けれどもココでイリスを止めてもと村の人たちの方を見る。
「…………え?」
イリスのその姿を見ただけで動揺する村人たち。
「お、俺たちを斬るのか? 弱い者いじめするのか!」
「シルフィを傷つける者を容赦なく斬る。まずはそこのあなたをね」
「ひっ」
寄ってたかって平気で感情をぶつけ石まで投げつけた者が殺意を向けられただけで怯えていた。そして先ほどまで便乗していた他の人たちまで黙っていた。
あぁ、こんな…………、こんな姿見たくなかったな。
結局のところあの時に逃げた彼らは……私たちはとこまでも弱い存在だったのだ。
平和。今までそう信じてきた優しい世界が一瞬にして崩れ、壊れてしまった。そして、後に残った人々は黒と灰色の村の光景と似合うほどに醜くく映っているように見え、ただただ悲しかった。
「…………つまらない」
イリスが剣から手をはなし、殺気が消えても村の人たちはもう何も言わなかった。そして逃げるように片付けへと散っていく。
過ぎ去った状況に身体の力が抜け、堪えきれなくなった感情に涙が溢れていくのを感じながら不意に夢の言葉を思い出す。
『それはシルフィの望んだ結果とは違ったのかもしれない。後悔もあるかもしれない。でもな、それでも信じて誇るんだ。シルフィ自身を、そして生きる道を選んだ事を』
……ごめんなさい。何を信じたらいいのかわからない。こんな事になるならスクルト兄と一緒に死にたかった。
意識が徐々に遠のいて暗くなっていく視界は、私を誘うように堕ちていけばいくほど痛みがやわらぎ息をしていなくても苦しくないような気がした。
そして、どこからともなく囁くような声が聞こえる
『もう大丈夫……もう何も感じないから…………』
どこからか聞こえる安らぐような不思議な声、私はただ堕ちていく何かに身を任せ……
『力を抜いて……身を任せて…………』
輝いていたはずの空は濁り、霞んでいき…………
『……を信じて……を願って…………』
信じ…………願う…………? 私は。
甘い囁きと共にすべてが真っ暗になっていこうとしたときだった。
『逃げるな!』
その声と共に突然白く輝く何かが映った。
…………何だろう?
ぼやける視界からわかるのは誰かの手だった。その手を辿りその姿を見る。
その姿はイリスによく似た少女で、目が合い優しくほほ笑むと私に口づけをした。ように思えたのは。
「あ、あれ…………?」
気づけば目の前には私を見下ろしながら腕を組むイリスの姿があった。
「まったく……。あなたもバカよね」
その言葉は的確で、辛辣で、私に呆れていているようだった。
それなのに不思議と褒められているような心が温まる優しさを感じる。
「そう、かも?」
「そうなの! 誰かを守るならその力を持ってからになさい」
ため息をつくイリスは手をとると立ち上がらせてくれた。
そして、再び見渡した視界に広がる世界は変わらない残酷な現実。けれども今は少しだけ心の靄が晴れ、違う景色に見えたような気がした。
「で、どうして私たちなんかを庇ったの?」
顔を向けるとイリスは不機嫌そうに見ていた。
「えっと、そうするよう教わったから、かな?」
両親が、スクルト兄が、そして、かつて平和な頃のこの村の人たちが。
でも、その頃が今は遠く感じるのはどうしてなんだろう。
「そう。ならそう教えた人はきっと誰よりも勇敢で優しい人なんでしょうね」
その一言が素直に嬉しかった。
両親は、スクルト兄は、記憶に残る過去の村の人は間違いじゃないと言ってくれているような気がして。
「それでもやっぱりあなたはバカ。私たちを庇ってこの村でどう暮らしていくつもりなのよ」
「それは…………」
もっともだった。
助け合う村で、村の意思に反する独善的な者は出ていくしかない。ましてや両親も家もなくなった私が今のこの現状で助けを借りずに生きていけるほど世の中は甘くない。
答える事ができず、俯く私を見てイリスがため息をついた。
「呆れた。何も考えてなかったのね」
「うぅ……。はい」
返事にイリスは首を横にふって大げさにため息をつく。
「なら、私達についてきなさい」
「……? いいの?」
「ダメなら言わないわよ。で、どうなの?」
断る理由なんてなかった。
「お願いします」
「決まりね。よろしくシルフィ」
イリスはニコリとほほ笑む。
「じゃあシルフィが生まれ変わる新しい世界へ行きましょうか」
「新しい、世界?」
私が首を傾げると、イリスは笑顔で頷いた。
「ええ、そうよ。村を出ればシルフィは新たな世界を見る事になる。そこから何を考え、何を願い、どう行動するか。すべて自らの意思が必要になるし責任も伴う。けれど、だからこそ何にだってなれるわよ」
「何にだって?」
「そう。だってこれは世界を救う勇者のような特別な存在の物語でもなければ神に愛された主人公が特別な力で無双して理想郷を創る世界でもないのだから。さて、じゃあまずは馬を置いてきた場所に行きましょうか」
…………馬?
イリスはあっちよと森の方向を指差し歩きだす。
そして、そのとき小さな声で呟いた。
「ただ、もう二度と穏やかな生活に戻ることのできない……そんな世界かもしれないけど」
どうして同じような事を小声で呟いたのか。その言葉の意味を知るには、私はあまりに世界を知らなさすぎたのかもしれない。
こうして帰る故郷も失った私は黒い騎士と少女出会い、ずっと暮らしてきた村を出ることにした。