第53話 馬車
……マジかー。
ユリゼン連邦の街を目指し、《煉獄の森》を抜けた俺たち一行である。
森が開けた瞬間の感動と言ったら一入で、忘れ難い思い出になった。
なったのだが、問題はそれではなく、目の前の状況だった。
どうすべきか非常に悩ましい、と思ってしまう。
思ってしまうが……。
「ここで見捨てることは……出来ないよなぁ……」
そう思った。
俺はキャスやコボルトたちに指示しつつ、走り出す。
「あの馬車を助ける! マタザとリベルは俺と一緒に周囲の奴らを、キャスは補助を頼む。他のみんなは確実に一人ずつ倒してくれ!」
そう、俺たちの前には、馬車が一台あった。
それだけなら、別に構わない。
ここは森の外。
街道であり、人通りもそれなりにありそうだ。
馬車くらい、普通に通るだろう。
問題はだ。
その馬車が襲われている様子であることだ。
しかも、人間から。
身につけているものを見るに、盗賊とは言い切れないが、無頼の者、と言った印象が強い。
対して応戦している方は二人だけだ。
元々はもっといただろうと思われるが、地面に倒れている兵士と思しき者たちの遺体がいくつか見える。
襲っている方はまだ十人ほどいて、このままでは多勢に無勢に見えた。
助けないわけにはいかないだろう。
正直、今の俺の身分を考えれば関わるべきではない。
どこで正体がバレるかわからないからだ。
でも、ここで見捨てては、俺にとって重要な何かが失われる気もしたのだ。
だから、仕方がない。
一応、様々な対策はしている。
だから大丈夫なはずだ……いざって時は、それこそ《煉獄の森》に逆戻りするしかないけどな。
そこまでは誰も追ってこれまい。
浅いところまでならともかく、俺たちの拠点はかなり深い位置にあるからな。
逃げられる城があるというのはかなり精神に余裕を与えてくれたのだった。
******
「……お嬢様、そろそろ限界と思われます。どうか、お逃げを。ここに《身隠しのローブ》がございますゆえ、ひっそりと去っていただければどうにかなるはず。私どもで奴らの気を引きますので……」
ユリゼン連邦の北部、アルタイル州。
その街道上に停車した馬車の中で、一人の執事然とした壮年の男性が、対面の位置に座る少女に恭しい様子でそう告げた。
これに少女の方は首を大きく振って、
「そんなこと……出来るはずがないじゃない! グレッグ! 貴方を見捨ててここに置いて行ったりなど……」
「しかしお嬢様、このままではいずれ、全員殺されることになりましょう。それならばお嬢様が助かることこそが肝要。貴方様はいずれパガウス様の跡を継がれる方。このようなところで命を散らさせるわけには……」
「議員の地位など、別に私でなくても構わないはずよ」
「ですが、同時に貴女様は侯爵位もお継ぎになる。それができるのは、一人娘の貴女様だけです、カタリナ様」
カタリナ、と呼ばれた少女はユリゼン連邦、アルタイル州の州議会における重鎮、トラン侯爵パガウスの一人娘であった。
アルタイル州において、貴族の地位は特段、男女のどちらが継ぐという決まりはなく、したがってカタリナにはそれを継ぐ資格がある。
また、パガウス侯爵は州議会において、州知事への就任も可能な位置に常におり、したがって州を代表する存在でもある。
連邦政府にも影響力があり、相当な権力者であると言える。
そんな彼の娘がこんなところで死ぬなど、あっていいはずがない。
それが、トラン侯爵家に仕える家宰であるグレッグ・バートンの考えであった。
しかし、カタリナには違っていた。
「それでも、私はここを離れたくは……」
ない、そう言いかけた瞬間、外が急に騒がしくなった。
「なにっ!?」
「いいえ、わかりませぬ! 何が……!?」
グレッグもそう言った。
先ほどまでも剣戟の音で煩かったが、それが何倍にもなったのだ。
その上、人のうめき声も増えている。
まさか、相手側の戦力が増えた?
その可能性が高かった。
カタリナ側のそれが増えることなどありえない。
つまり、もう一刻の猶予もないということに他ならない。
「お嬢様、失礼します!」
そう言ってグレッグがカタリナにローブを被せた。
すると彼女の姿が極めて認識しがたくなる。
それこそがこの魔道具の効果であり、いざという時のためにグレッグが持っていたのはこういう時に彼女一人だけでも逃すためだ。
「グレッグ……!」
「お嬢様、お静かに。人がやってまいります。お嬢様は、扉が開くと同時にそこからお逃げください。私が注意を引きます」
「……っ!」
もはや、状況が否やを許さなかった。
息を殺し、人の足音が近づいてくるのを待つ。
そして、ガチャリ、と扉が開いた瞬間、カタリナはそこから飛び出そうとした。
しかし、
「……にゃっ」
そんな鳴き声がした、と思った瞬間、カタリナは鼻っ柱を何か不可視の壁に衝突させる。
おそらくは、魔術による障壁の類だろう、とそれでわかった。
ローブをまとっていて、なお、存在を看破されたということに他ならないことも理解した。
顔を青くするカタリナ。
ここで終わりなのだ、と理解したからだ。
しかし、そんな彼女に対して、場違いなのんびりとした声が、
「……キャス? どうした……女の子?」
そんな風にかけられた。
顔をあげると、そこには同い年ぐらいの少年が立っていて、こちらを見下ろしていたのだった。
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