第51話 しばしの別れ
「……森の木々が閑散としてきましたわ。私はそろそろ去らねばならないようです」
アトが寂しげにそう言った。
別れは、急に訪れるものらしい。
彼女のそんな表情を見て、少し胸が苦しくなる。
別に永遠の別れとかいうわけではないのだが、やはり今日まで概ね一月の期間、ずっと一緒に過ごしたのだ。
いなくなるのが寂しい。
それはキャスやコボルトたちも同様のようだ。
「にゃ……」
キャスにしては珍しく、甘えるようにすりすりとアトの肩に乗り、じゃれつくようにそう鳴いた。
「わふ……」
「わふわふ」
コボルトたちもそれぞれが悲しげな表情でアトの周りに集まってくっついている。
マタザとリベルも、
「わふ……(アト殿、寂しくなりますな……)」
「わふ……!(いずれまた、再会致しましょう、アト様)!」
そんなことを言っている。
「皆さん、ありがたいですわ。本当なら、一度は敵対し、重傷を負わせたことすらある私に……こんなに親しくなってくれることなんて、あるはずがないですのに」
「それについてはもう終わった話だろ。それに、重傷を負った者も出たが、結局、完治させてくれたんだし」
もちろん、それでも怪我をした本人が絶対に許せない、と主張するのなら話は別だろう。
けれど、そのアトに重傷を負わせられたコボルトはアトに相当懐いていて、その手を握って悲しそうな表情をしている。
これで許していない、と取ることは流石に出来ない。
「そう言ってくださるのは嬉しいですが……私は私のしたことを、忘れないように致します。そのためにも、きっと皆様のためになるよう、しっかりと教会に戻ってうまくやってきますわ」
「それこそ命懸けのことだ……本当なら戻らせるべきじゃないんだろうが……」
「それこそ、もう終わった話ですもの」
「そうかもな……とにかく、気をつけてくれ」
俺にはそれくらいしか言えなかった。
だがアトは笑顔で、
「その言葉だけで、頑張って来られます。ノア様も、どうかお体を大切に、そして次に会う時までにお強くなってくださいませ。きっと教会からも、どんな相手からも負けないようになるまでに」
「流石にそこまでなれるとは言えないけど、まぁ、《煉獄の森》で簡単に死なないと言えるくらいにまでは、頑張ってなっておくよ」
「それほどであれば十分でしょう……皆さんもどうぞ同じようになさってくださいね」
キャスやコボルトたちにもアトはそう言い、そしてこれ以上は別れがたくなると思ったのか、
「それでは、失礼いたします」
軽く一言そう言うと、さっと姿を消したのだった。
こちらには何か言う余裕を与えてくれなかった。
彼女も、それは寂しい、と思ったのかもしれなかった。
それにしても、その身のこなしは全く視認できないほどで、改めて彼女の実力を感じた。
一年後にはあれに追いつくくらいになっておかなければならない。
それを考えるとかなり厳しいな。
アトから、技能は全て借り受けて、自分の技能としているのは確かだ。
だから、これからはそれらを全て鍛えていけば、いずれはアトのように強くなれることは間違いない。
だが、どれほどの修練が必要かはなんとも言えないところだ。
何せ、アトは自分の人生のほとんどを戦火の中においてその力を手に入れたのだから。
俺もまた、そうするしか方法はないのだろう。
そのためには、どうしても《煉獄の森》での修行が必須となってくるだろうな。
やはりこの森の危険性は、他の場所とは大きく違うから。
「ま、頑張って行くしかないな……さて、アトの気配も全然わからなくなった。もうだいぶ離れたと見ていいだろう。俺たちも行くぞ。森からもう少ししたら抜けられるだろうからな」
俺がキャスとコボルトたちにそう言うと、彼らは頷いて歩き出したのだった。
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「……そんなはずなどない。これは何かの間違いだ」
オラクルム王国、オリピアージュ公爵家、その屋敷。
公爵の執務室。
オリピアージュ公爵セトは、手紙を見ながらそううめく様に呟いた。
彼の対面には彼の妻リーンと、次男ゼルドがいて、二人もまた、セトと同様の表情をしている。
衝撃と、悲しみの表情だ。
「貴方……それは、本当の話なの?」
「教会が言っているだけだ。あやつの場所は絶対にバレないはずだ。バレたところで、位置を探ることなど、できる筈がない……」
「でも、教会は……」
「あぁ、言っているとも。《背教者》は……ノアは、死んだと。《剣の聖女アト》がその追討を行い、発見、その命を確かに奪ったと。ついてはそのことについて公爵にご報告申し上げる、だと? ふざけおって……人の息子の命をなんだと……!」
「……それでも、ノアは……あの子は?」
「生きている、はずだ。あの子には言っていないが、あの子に渡した荷物の中に生命反応を手繰れる魔道具がある。ただの短剣と言ってあるはずだがな。ある程度近くでないと発動しないが、そのために《煉獄の森》近隣の街には、こちらの手のものを住まわせて、確認させている。それによれば……まだそれは途切れていない。いざというときも、命だけは守れるように術式を組ませていた。可能な限りの手は打って……」
ノアにとっては想像もしていなかったことだが、セトはそれだけのことをしていた。
危ない橋であるのは間違いない。
魔道具にしても裏のルートで足がつかないように、しかし極めて高い実力を持つ職人たちに頼んだ特別製の品であった。
アトですらその存在に気づかなかったのは、隠匿性能が優れていたのもあるが、ノアがかなりぞんざいに扱っていたこと、見た目のボロさ、そしてノアに対する害意のない道具であったことが大きい。
アトの感知能力は、そのほとんどが得てきた状況から、敵意や殺意などの害意を知るためのものばかりだった。
特段、害を及ぼすようなことのない道具については、改めて注目しない限りは気づけないこともあるということだ。
「お父様……兄様は、本当に生きていらっしゃるのですか?」
ノアの弟のゼルドが不安そうにそう話しかける。
彼はノアの二つ下の十二歳で、ノアとは思ったよりも似ていない。
母親譲りの美麗な顔立ちに、輝くような髪がさらりと伸びている。
ノアよりも洗練されていて、貴族然としていると言えばいいだろうか。
ノアはどちらかというと泥臭い、どこか獣じみた雰囲気をしている。
「生きているとも! しかし今回の教会からの報告は、確実に葬ったと考えているようだ。余程の自信があるのか……聖女が出たのだから理解できるが、だが、それではノアは……? わからん。一度、調べる必要がある……」
「お父様、でしたら、どうか僕を……」
「ゼルド、お前が今の時期に煉獄の森周辺などに行ったら確実に怪しまれるだろう。そういうわけにはいかぬ。リーンもだ」
妻と息子にそう言って釘を刺す。
ただ、かといってセト自身がいく訳にもいかない。
「こうなれば、やはり行かせるべき人間は決まっているか……」
セトがそう言ったあとにした提案に、リーンとゼルドは納得して頷いたのだった。
読んでいただきありがとうございます!
これで二章は終わりになります。
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