第42話 心を奪うもの
「運命って……」
そんなことなんてない、と言いたかった。
これはただの……なんて言うかな。
神かなんだかよく分からない者の、勝手な洗脳みたいなものじゃないか、と。
そしてそうだとすれば、俺はアトにかなりひどいことをしている。
確かに最初、アトは俺を殺しにやってきた刺客だった。
だがここまで、俺は、俺たちはアトにものすごく世話になっているのだ。
それを考えると、こうして仲良くすることになる以前のことは、もう帳消しでいい気がするのだ。
そしてそんな彼女に俺は……。
俺のそんな思考を読んだのか、アトはふっと苦笑するように笑った。
それはここまでの彼女からは見ない表情で……そこから、真剣な表情になり、俺の手を握って言った。
「……ノア様」
「な、なんだ……?」
「ノア様がご心配なさるようなことは、何もございません。たとえ……そうですね。私の思考や行動が何かに操られているのだとしても、今の私が幸せであるのならそれでいいのですから」
「……それは」
極論ではないか。
確かにその時の気分が良ければそれでいい。
そういう考え方も出来る。
その原因については深く考えず、ただ気持ちよければそれで。
だが……。
俺にはどうにも……。
だが、アトはさらに続けた。
「それでもご心配なのでしたら、そうですね。ノア様から今回の話を聞いて、私が少し思ったことをお話しいたしますわ。それで罪悪感も薄れるでしょう……少し残念な気もしますが」
「……?」
「私は今、ノア様に心酔しているわけなのですが……」
さらりと普通に言われるにしては随分な台詞だと思うが、今のアトの状態はまさにそれであるし、彼女の認識もそうなら突っ込むまい、ととりあえず聞く。
「あぁ」
「これと同じか、近い気持ちを私はついこの間まで、教会の聖王に対して持っておりました」
「あぁ、そうだったんだろうな。アトは教会の聖女なんだし」
「その通りです。それで、ノア様は私が聖女になった経緯については?」
「詳しくは知らないが、巷間に流れる噂程度なら聞いたことがあるぞ。傭兵団で傭兵として生きてきたが、ある日、受けた依頼の結果で褒賞を得ることになった際に、聖王に見えることになって、その瞬間に聖女となることが決まったのだと。だいぶ誇張されてるなって思ってたけどな」
確かそんな話を聞いているな。
実際には色々と細かな交渉とか手続きとかがあった上でアトは聖女になったのだろう。
こういう話は後付けで、権威性を高めるために平民たちの間に流されるだけの嘘で塗り固められた逸話だ。
だからこれもそうなのだろうと以前から思っていた。
ただ、聖女になることに何らかの利益があったか、どうしてもなりたい理由があったか、それは間違いない。
その程度の認識だった。
けれどアトは言う。
「その感覚は、分かります。ですがそのお話は概ね事実です」
「えっ?」
「より細かく言うのなら、聖王は私が依頼でした活躍の全てを、その場におらずともご存知で、その時に抱いていた私の思いや、これまでの人生を深く理解していただけたのです。その上で、私に聖女としての資格があるとおっしゃって……手ずから祝福をしてくださり、私は《聖女》の根源技能を授かるに至りました。その日から、私は《剣の聖女》となったのです」
「それは……」
まるで俺に出会った時のようだった。
側から聞くと奇跡そのもののようですらある。
しかし、俺からすると怪しげなことばかりだ。
そして、今のアトにとってもそれは同様らしかった。
彼女は続ける。
「怪しい、ですよね。あの日から、私の思考は……何か、靄がかかったようになりました。任務のために論理的に動くことは出来ました。そのために必要な領域は常に動いていた感覚があります。ただ、一人の人間として持つべき感情と言いますか……そういったものに関しては、希薄になっていたな、と。しかしノア様に出会って、その全てが解放された感覚があるのです。ノア様は、私が何かおかしな変心のゆえに、貴方様にお仕えしている、と思っておられるかもしれません。確かにそれは一部事実です。ですが……以前の私と、今の私、どちらが元々の……傭兵だった頃の私に近いかといえば、今なのです。ですから……私はこれでいいのだと思っています。たとえ、これが何かが無理やり紐付けた運命なのだとしても、私はそれに居心地良く乗っかっているわけではない。むしろ、こうして楽しくいられるのなら……感謝したいほどです。それを、運命だと呼ぶのなら、私もまた、その運命を、愛するでしょう」
「アト……お前、本当にそれでいいのか? 俺は、お前の心を……無理やりこの手にしてるかもしれないと言うのに」
それは人の尊厳の強奪だ。
いかな犯罪者に対してでも、きっと許されることではない。
悪人だとて、自分は自分のままで死ぬ自由くらいはあるだろう。
どのような死に方をするのかは選べないとしても。
魂だけは。
しかしその魂すらも俺はきっと奪うのだ。
けれどアトは首を横に降っていう。
「構いません、ノア様。私の身も心も、魂の一滴すら、全て貴方様のもの。何も気に病まれることはございません……ですが、少しでも私に思うところが残られるのであれば」
「あれば?」
「私に、信頼をいただけませんか。それだけで、私は十分です」
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