08,少女を救ったのは……河童だった!!
龍助の唐突な質問に、リヴィエールはきょとん。
「……はい?」
「いや、だから。テメェは何で、そんなに妖怪が好きなのかなってよぉ」
龍助が同じ質問を繰り返したので、リヴィエールは聞き間違えではなかったと確信。
「えぇと……私の事なんて聞いても、面白くないと思いますよ……?」
「いや、興味があるし、気になるんだよ」
龍助とリヴィエールと初めて言葉を交わしたあの日。
普通に不良を恐がる程度の常識はあるくせに、「河童を馬鹿にした」と言う理由だけで、リヴィエールは事実上初対面の龍助相手にも一歩も引かずに迫って来た。
今だって。
通常はもう恐くて近寄れないレベルでエロ本を恐れているくせに、妖怪が関連すると平然と冷静に読み耽る事ができる。
一体、そこまで妖怪に盲目になれる理由とは何なのか。
そのきっかけに興味を持つ事は、そう不自然でも無いだろう。
「興味……ですか……その……はぁ……」
リヴィエールは困ったようにモジモジとしている。
「……? 誰かには喋りたくないような事だったりするのか?」
「あ、いえ、決してそんな、やましい事情は……ただ……その……変な話、だと、自覚はあるので」
「変な話、ねぇ……」
まぁ、リヴィエールの妖怪好き具合からして、常人には想像も及ばないきっかけがありそうだ。
だからこそ気になる所でもある。
「それでも訊いちゃあ、ダメか?」
無論、リヴィエールが話したくないと言うのなら、無理強いはしないが……。
「……ぅ……そんな真っ直ぐな目で見られては……その……仕方ありません……」
リヴィエールは少し恥ずかしそうに、コホン、と咳払い。
「それでは――私の話を……少しだけ」
「おう。ぜひ聞かせてくれ」
「そんなに改まって拝聴されると困ってしまうのですが……」
やり辛いなぁ、とリヴィエールが頬を掻く。
「その……私、昔……河童に、助けられた事があるんです。この川で」
「!」
「……信じられない、ですよね? でも、本当なんです」
リヴィエールが川を見つめる瞳は、とても穏やかで、親愛のようなものが込められていた。
「当時の私は、母が再婚したばかりの父とあまりうまくいっていなくて。家に居づらくて、でも、友達もいなくて。よく、独りでこの河原に来てはずっと石を積んで遊んでいました。晴れの日も、雨の日も……台風の日も」
「なにやってんだテメェ……」
「し、仕方ないじゃあないですか。当時は小学校低学年ですよ? 台風なんて『学校を休みにしてくれる大雨』くらいの認識しかありませんよ……」
台風で農作的に甚大な被害が出たり、時には死人が出る事もあるだなんて知らず、小学生の大半は台風の到来を喜ぶものだ。
「それでその……案の定、荒れた川の濁流に捕まってしまって」
「よく助かったな……」
「泳ぎも得意なので」
ああ、そう言えば見た目や印象に相反する外国人フィジカル(第一話参照)だった。
「それほど強い台風でもなかったので、私だけなら、まぁどうにか岸に戻れそうだったんですけど……そこで予想外の事態になりまして」
「予想外?」
「……私を心配して後をつけていた父が、私を助けようと川に飛び込んだんです」
「おお、お父さん!」
「でも父はカナヅチで。最終的には助ける側と助けられる側が逆転ですよ……もうほんと、マジかよって思いましたね……」
「おぉう……お父さん……」
まぁ、娘が荒れ狂う川に揉まれていたら、後も先も考えずに飛び込んでしまうのも無理は無いが……。
「いくら私が水泳を得意としていても、まだ小学校低学年の体躯。成人男性を抱えて荒れた川を渡るのは普通に無理でした。父を捨ててしまおうかとも思いましたが、流石に、ねぇ……?」
義理の親でうまく言っていないとは言え、母の愛する人だし。
一応、命をかえりみずに助けようとしてくれる程度には自分に愛着を持ってくれている。
そんな人を見捨てられる訳も無い。
どうしたものか、と幼いリヴィエールは、暴れる父の首を絞めて大人しくさせながら懸命に考えた。
「どう足掻いたって手詰まり……そんな結論に至った、その時――翡翠色のドラゴンが、濁流を裂いて現れたんです」
「……河童、か」
「……窮地で見た幻覚だ、と言われてしまえば、反論はできかねます。でも、私は本当に見たんです。そして、聞いたんです――『嬢ちゃんら、溺れかけやんに。でーじウケる』って」
「河童のテンション」
しかも何かどっかの訛り入ってるし。
「河童はあっさりと私と気絶中の父を岸に引き上げてくれて、『嬢ちゃん、よく独りでここ来てるよなー。友達いないば? 感心しないさー。友達はでーじど? いなくて得無し、いて損は無し。つぅ訳で儂は友達の天狗ん家いくから。縁があったらまたやーさい。次は友達と一緒に来いなー』と、若干余計なお世話的発言を残して、濁流の川にすいすいと帰って行きました」
「……なんつぅか、通りすがりの親切なおじさん感が凄まじいな……」
「ですよね。見た目はすごくカッチョ良かったんですけど……」
おそらく、リヴィエールが描くリザードマン河童。
あれは、その日に見た河童をそのままに描いているのだろう。
「……もしかしてなんだが、この川にキュウリを流してたのって……」
「はい。あの日の御礼みたいなものです。さすがに毎日はお小遣い的に難しいので、あの日と同じ水曜日に」
まぁ、届くかどうかはわからないんですがね。とリヴィエールは自嘲気味に笑う。
――水曜日には外せない用事がある――ああ、それもそうだろう。
自分と、父の命を救ってくれた恩……恩、河童? ともかく大恩の相手に礼をする――それはとてもとても、大切な用事だ。
「そして命を救われた私は『あのモンスターは一体……』と調べ始めたんです。でも当時は河童なんて存在も知らなくて。どう調べれば良いかもわかりませんでした」
ネットは便利だが、活用するにもそれなりの知識がいる。
適切なワードを入力できなければ、どれだけ優秀なAIが搭載されていたって、適切な検索結果は提示できない。
「なのでまずは、『日本の川にいる翡翠のモンスター(ドラゴンタイプっぽいの)』に関して、ネットの質問サービスに投稿してみたんです。そしたらすぐに『河童じゃね?』と回答が着まして」
「それで、河童について更に詳しく調べるようになって……」
「はい。河童だけでなく、河童に関連して妖怪の知識も色々と。歴史や民族伝承を紐解いていく楽しさは元々知る所でしたので、すっかりどっぷり沼入りです」
沼入り、と言う不気味な表現を使った割に、語るリヴィエールの笑顔は前向きな印象を受けるものだった。
一生を費やしても良いと思える何かを見つけた、そんな人間の笑顔だ。
「テメェが河童について語る時はひと際に熱くなる理由も、納得がいったぜ」
そう言う過去があるのなら、河童に妙な肩入れをするのも頷ける。
「………………」
「……? 何だよ、その面」
ふと、リヴィエールが龍助を見上げる表情が、笑顔からぽかんとした間抜け面に。
「……いえ、その……何と言うか、一欠片どころか、微塵たりとも疑わないんですね、今の話」
「疑うって何をだよ?」
「全体的にです。だって、河童が実在して、しかも親切なおじさんみたいに助けてくれた……って話ですよ?」
「ああ、『変な話』って自己申告するだけはあるわな」
吃驚仰天の気分だ。
そんな事があるのかと、いくら驚いても驚き足りない。
だが、驚きの声と疑問の声は、似ていてもまったく違うだろう。
「あ、そうだ。俺はテメェほど博識じゃあねぇけど。ひとつ面白い話を知っているぜ」
「面白い話?」
「おう。ムササビってすげぇ可愛い空飛ぶリスみたいな小動物がいんだろ? あれって昔は、妖怪扱いされていたらしいぜ?」
「それは……【野衾】の事ですか?」
「やっぱ、知ってっか」
施設にいた頃、テレビで見た。
確か、中年アイドルグループが無人島を開拓する番組で、だったか。
「当然、知っています。野衾の由来には『実際のムササビやモモンガを妖怪視していた説』と『ムササビやモモンガに似た妖怪がいて、ムササビとモモンガがそれに同一視され異称されるようになった説』のふたつがあります」
「細かい所は後で聞かせてくれ」
龍助が言いたいのは、
「とにかく。前者の説が正しかったとしたらよぉ。『妖怪だとされていた生物が実在した例』って事だろ?」
「それはまぁ、確かに。そう言っても良いですね」
「なら、河童が本当にいて、命を助けてくれたって、良いんじゃあねぇか?」
「!」
龍助は、ファンタジーと現実の区別はできている。
だが、ファンタジーが本当にファンタジーで終わるものなのか、と言う点について確信は無い。決めつけはしない。
何せ、自分はまだまだ高校生だ。ハッキリ言って、未熟だろう。
問題無く奨学金を受け取れる程度の学はあっても、この世の全てを知っている訳ではない。
この世のどこにも河童が実在しないと言う証拠を、龍助は知らない。
であれば「河童がいるだなんて有り得ない」と、どうして断言ができるだろうか。
河童が実在する前提で話を聞いたって、何の不都合もありはしない。
「いつか、俺も会ってみてぇな。その河童。面白い話を聞かせてくれそうだ」
「……………………………………」
「ん? どうした、リヴィ子。なんか顔が赤くねぇか?」
「ぴっ、違いますよ! 『ちょっと中々肯定されがたい過去の思い出をドストレートに全肯定されて満面の笑みを向けられた』程度で落ちるほど私はチョロくありません!! これはただの夕焼け小焼けです!」
「何の話だ……?」
前半部分は丸ごと意味不明。
そしてここは橋の下。確かに多少の斜陽が差し込んではいるが、二人が立っている場所は影になっている。
夕焼け小焼けで人が赤らんで見える事は無い。
「本当に大丈夫か? 風邪でも引いて頭が回ってねぇんじゃあ……」
「ぴゃあ!? 熱を測ろうとしてナチュラルに額を合わせようとするのやめてください!」
「え、あ、おう。ごめん。つい」
龍助は施設の後輩――血の繋がらない弟妹がわんさかいる。
なので。親しみを覚える間柄であり尚且つ体の小さなリヴィエールに対して、息をするようにお兄ちゃんムーブが出てしまった。
だがまぁ、本人はお兄ちゃんムーブのつもりでも。
傍から見れば別の関係にしか見えない訳で。
「友達どころか彼氏を連れてきて、しかも堂々とイチャコラとかさぁ。嬢ちゃんも案外やるやんに」
「ァァァ!? ちょ、そんなんじゃ……って、あれ?」
「ん? どうした? リヴィ子」
「いえ、その……今……」
確かに、龍助以外の声――妙な訛りの、いつか聞いたおじさん声が聞こえた気がしたのだが……。
「……気のせい、ですかね?」
「何か挙動不審すぎるぜ? 本当に熱は無ぇのか?」
「誰のせいだと?」
「……え? 俺のせいなの?」
「……知りません。もう帰ります」
「おう。そうすっか」
「…………………………」
「ん? テメェん家、こっちだろ。ほれ。行こうぜ」
一緒に帰ろうぜ、と促す龍助。
龍助は昨夜、リヴィエールを家まで送った。
なので場所は把握済み。多少遠回りにはなるが、まぁ、構いはしない程度だ。
道すがら、さっきは保留した野衾とやらの話も聞けるし。
だから当然のように、言う。「仲良く一緒に帰ろうぜ」と。
「どこまでもナチュラルに……」
「?」
「…………よ、妖怪の話しか、しませんからね」
「おう、期待しているぜ」
こうして、龍助とリヴィエールはのんびりと帰路に就いたのだった。




