14,子龍はいずれ龍と成る。
――俺は昔、自分の名前が嫌いだった。
そんなある日、テレビのニュースで見たんだ。
親にふざけた名前を付けられた子供が、裁判所に届け出て名前を変えたって。
だから、俺もシスターにお願いした事がある。
「はぁ……? 何でまた」
「……だって、この名前、シスターたちが付けてくれたものじゃあないでしょ?」
「!」
俺の名前は、龍助だ。
龍は、ドラゴンの事だ。
教会の養育施設だけあって、聖書や聖人の逸話はよく聞かされてきた。
ドラゴンは、いつだって悪役。
人々を苦しめ、聖人に退治される存在。
子供の命名に悪いイメージを連想させる文字を使う訳が無い。
つまり、この名前は教会の関係者――シスターたちが考えたものじゃあない。
多分……俺を捨てた奴がつけた名前だ。
そんなの、要らない。
嫌いだ、そんな名前。
ちょうど、その日は俺の一二歳の誕生日だった。
プレゼントとして、シスターたちに新しい名前を付けて欲しいとお願いした。
「はぁ……賢くなるのは良い事だけど、中途半端はよろしくないわねぇ……」
呆れたように溜息を吐いて、シスターは顎に手をやって何かを考え始めた。
「ま、もうあんたも一二歳だし……本当は、施設を卒業する時に見せようと思っていたのだけれど。特別よ?」
そう言って、シスターが見せてくれたのは――
「……手紙?」
数枚の紙束で構成された、手紙だった。
これを書いた人は悲しみに震えていたのか、文字はがくがくで。
涙粒が落ちて渇いたような後が点々と残っていた。
「あんたの母親は、経済的な事情であんたをここに預けていったわ。……こうは言いたくないけれど、割とある話よ」
「……ッ……!」
シスターは突然――俺の産みの親について、話し始めた。
「あんた、産みの親の事を随分と嫌っているみたいね」
「それは……」
「別にそれを咎めるつもりは無いわよ。安心しなさい」
「……え……?」
「アタシは聖職者だけれど、聖人じゃあないから。あんたの気持ちも想像できるし、理解もするわ」
意外だった。
人を恨むのは悪い事だって、叱られると思ったから。
「あんたの産みの親を恨むな・悪く言うなとは言わない。って言うか、そんな事を言われたって無理でしょ? 少なくとも、アタシだったらまず無理ね。ふざけんなって思うわ。感情は理屈じゃあないもの」
「……聖職者が、子供の前でそれ言っていいの」
「嘘を吐くよりは、誠実で聖職者らしいでしょう?」
シスターは首から下げた十字架を摘まみ上げて、それにキスをしながら悪戯っぽく笑う。
「自分を捨てた親の事なんて、恨みたきゃ恨めば良いし、呪いたければ呪えば良いのよ。法的にセーフな範囲でなら報復しようったって止めない。アタシにそんな権利があるとは思わない」
でもね、と区切って、シスターの顔から笑顔が消えた。怒っているのとは違う、真剣な表情。子供だからって見くびらない、人間同士一対一、これから本気の言葉をぶつけよう……そんな真摯な目だった。
「あんたの親が抱えていた想いを、葛藤を、軽く見る事は許さないわ。全部を全部、ちゃんと知った上で、真っ当に恨みなさい。だから、その手紙を見せたの」
「……………………」
――俺の母が、教会に宛てた手紙。
それが今、俺の手の中にあるものの正体。
何枚も何枚も、たくさんの言葉が書かれていた。
出だしは悔しさと辛さを嘆く文言が並んでいて。
読んでいると胸が苦しくなる内容だった。それでも読み続けた。
俺は――知りたかったんだ。
どうして、顔も知らないこの人は俺を捨てたのか。
シスターの口ぶりからして、この手紙には、それが書いてある。
「……!」
一枚目の途中から、手紙の内容は変わって。
……並び始めたのは、謝罪の言葉ばかりだった。
苦しみで錯乱していたのか、何度も何度も、同じ言葉が繰り返されていた。
そして――手紙の中には、教会に俺の名前を伝え、その由来について言及する部分もあった。
「……『龍のように強く、たくさんの誰かを助けられる立派な存在になりますように』……」
龍は妖怪や怪物……悪者のイメージが強いが、それだけではないと。
龍には、人の祈りに応えて救いをもたらす神様の側面がある。
強く、気高く、心優しく、そして多くの人に慕われる霊獣なのだと、手紙には記されていた。
「無粋な事を言えば――あんたが知っての通り。うちの宗教観だとドラゴンなんて悪の象徴なんだけど……ま、西洋と東洋の感覚差って奴よね。一応、西洋では悪者のイメージがあるってのは知っていたみたいだし、その辺は承知の上でしょう」
きっと、色んな事をたくさん調べて、何日も何日も考え抜いた名前なんでしょうね……、とシスターは感心したように言った。
シスターの感覚からすれば、ドラゴンを子供の名前に使うなんて、本当に有り得ない感性はずだ。
だからこそ、あえて龍の文字を使った意義について思う所があるらしい。
シスターが知る悪しきドラゴン。
それも知った上で、この手紙の主は、それを度外視できるだけの価値を善性の龍に見出した。
普通に生きているだけでは聞かないような話まで、徹底的に調べあげたのかも知れない。
たくさん、龍が人を助ける逸話を収集して、裏付けて、この名前が良いと決めたのだろう。
「……さて、その手紙を読んだ感想は、どう?」
……正直、混乱した。
俺の産みの親についての話なんて、今まで聞いた事が無かった。
でも、知識がつくにつれて、自分の境遇を鑑みて。
きっと、情の無いろくでなしの冷徹人間なのだろうと、ゴミくずみたいなクソ野郎なのだろうと、決めつけていた。
だってそうだろ?
家族は、大切な存在なんだ。
俺は絶対に、施設のみんなを見捨てたりなんてしない。
そんな事ができる奴、人間じゃあない。
そう思っていた。
でも、この手紙は……人が書いたものだ。
人の心がある何者かが書いたものだ。
――我が子を捨てたくない。
――こんなの嫌だ、嘘だと言って欲しい。
――どうして、こんな酷い事がまかり通ってしまうのか。
――都合の良い奇跡のような救済があって欲しい。
――この子と、一緒に生きたい。
……目の前で腹を裂いて臓物をぶちまけられたような、そんな手紙。
感情剥き出しで赤裸々な言葉が、ぐしゃぐしゃの文字で書き殴られていた。
どんな事情があったとしても、家族を捨てるだなんて許される事ではない。
そしておそらく、この人を最も許し難いと思っている――この人の事を最も憎んでいるのは、この人自身なのではないか……そう思えるような手紙だった。
「龍助。絶対に忘れないで。あんたの産みの親は、間違い無く感情のある人間よ」
相手を虫か物、ゴミのように見下して恨む事は許さない。
ちゃんと、人間として人間を恨め。
将来、俺が何かの拍子に過剰な報復を企てないように、シスターはそう釘を刺したのだろう。
「……ひどいよ、シスター。これじゃあ、俺がバカみたいだ」
何も知らない子供のくせに、自分の親なんてクソだと決めつけて。
一人の人間を、ないがしろに扱っていた。
子供を――人を捨てる、ないがしろにするなんて最低のクズだと罵りながら……俺は、自分も似たような事をしていたのだ。
「バカと無知は違うわよ。『知らなかった』は、決して罪ではないわ。『知ろうとしない』事が罪なの」
そう言って、シスターは優しく、俺の頭を撫でてくれた。
「あんたはまだ、ただのガキんちょってだけ。これから、たくさんの事を知りなさい。教えてもらいなさい。せっかくママに産んでもらって、アタシらに育てられてんだから」
◆
「やぁー、龍助、久しぶりね! またデッカくなったんじゃあないの?」
「……久しぶりったって、三週間ぶりでしょうよ」
日曜の昼過ぎ。ある幼稚園の中庭にて。
大柄な龍助の頭をバシバシと叩く長身の修道女。
シスター・アーニェこと、アーニェ・アーフォット。
とある教会の修道女兼、併設されていた児童養育施設の職員。
黒い修道服を着こなした外国製のお姉さんである。
まだ「お姉さん」と呼べる歳なのかはシークレット。
「三週間? そんなもんだっけ?」
「間違い無ぇッスよ。シスター、入学式の朝に押し掛けてきたっしょ?」
龍助と同年代の施設出身者は六人。
全員別々の高校に進学し、入学式は同日開催。
アーニェは苦悩の末、「あー、もぉー! 毎年この時期は分身したいわァーッ!!」とか愚痴りながら、朝っぱらから龍助のアパートに押し掛けた。
厳正なくじ引きで誰の入学式に行くのか決めた。
あんたの所にゃあ行けないから、今の内にきた。
ふふふ、これであんたらに嫉妬の大罪を犯させずに済むって寸法よ。
さて――頑張んなさい! マジ気張りなさいよ、特に最初のHRでの自己紹介! 超大事!! 未来の彼女ひいては嫁はここで決まると思いなさい! 以上!!
との事だった。
「しっかし、あんたも本当に大きくなったんだと実感するわー……まさか、幼稚園にヒーローショーを誘致したら、うちの出身者が演者として来るとか」
「俺もびっくりしたッスよ」
先日、怪堂から「児童養育施設に併設された幼稚園で軽いヒーローショーやるから手ェ貸してくれ」と打診され、来てみれば……。
まさか、自分の古巣だったとは。
龍助はますます奇縁を感じた。
「ふむ……それにしても」
「……?」
何を思ったか、アーニェは龍助に鼻を近づけてスンスン。
「え、何か匂います?」
しっかり洗濯してまスよ? と龍助が首をひねっていると。
「思春期の匂いが強まっているわ……これはあんた……ついにエロ本に手ぇ出したわね?」
「!?!!???」
アッハ~ンと言う効果音と共に、脳裏を過ぎる怪堂からのプレゼント・ブック。
「ち、違ぇし……エロ本じゃあねぇし……」
「ふぅん……差し詰め、巧妙に法の抜け穴をついた脱法ポルノ系コミックとか?」
匂いだけでどうしてそこまで推測できるのか。
本当、このシスターの勘は恐ろしい、と龍助は戦慄する。
「今度の休みに家宅捜索が必要ね☆」
全力で守護さなければ。
龍助は思わぬ所で保留していた課題と向き合う事になった。
「で、青春男子くん。どうなの? 彼女とかはできた?」
「そんな匂いがしたんスか?」
「全然。でも薄っすらと女の子の匂いはそこそこ。これは……あんたに恋愛レベルの好意を寄せている女子が最低でも身近に二人はいるわね。クラスメイトとみた。それに、少し距離はあるみたいだけどあと二・三人いそうな……」
「はは、そいつはモテモテで良いや。是非お会いしたいッスわ」
身に覚えがまったく無い。
シスターの勘もたまにゃあ外れるか、と龍助は茶化すように笑う。
「まったく、何を呑気に笑ってんの? ノンビリしてんじゃあないわよ。言ったでしょ? たくさんの事を知って、教えてもらいなさいって。恋を知って、愛を教わる、とーっても大事な勉強で……」
「……………………」
「こら、淑女の左手を見るな。アタシは十字架と結婚してんのよ」
「ほーん……さっきシスター・メージスが『リュウくん聞いて聞いて~。アーニェったらこの前、また合コンで世話焼き&仕切り屋して母親かよって男子組にドン引きされてたのよ~』って教えてくれましたけど」
「あんたもメージスも、偉大なる教祖様の追体験がしたいらしいわね……」
笑顔だが確かな怒りを露わにするシスター・アーニェ。
このままだと本当に小高い丘の上で磔にされて脇腹を槍で突かれそうだ。
「シスター、見た目も性格も良いのにモテないの、不思議ッスよねー」
「なに? 機嫌を取って許してもらおうっての?」
「うッス」
普通は誤魔化す所だろうに。龍助は素直に頷いた。
「御霊信仰って言うらしいんスよ。知ってます? 害を加えようとしてくる相手の機嫌を取って害を避ける、日本古来の宗教観らしいッス」
「あんたねー……一神教の修道女に他信仰の感覚を説いてんじゃあないわよ」
やれやれ、とアーニェは頭を抱えた。
「馴染んだつもりだけど、日本の宗教ボーダレス感ほんと恐いわ-……」
今日は親戚の法事で明日は教会の聖餐。
そんな日程を何の違和感も無しに組んでしまうのが日本人である。
「にしても、よくそんな事を知ってるわね」
「教えてもらったんスよ。最近、物知りなダチが増えまして」
ウワサをすればなんとやらか。
丁度、龍助の元にぱたぱたと走ってくる小さな影が。リヴィエールだ。
「龍助さん、ここにいましたか。怪堂先輩が、げねぷろ? とにかくリハーサル的なものを通したいから集合と」
「オッケー。んじゃあ……って、シスター?」
「ぴゃ……? ぁの……な、何か……!?」
一体、何のつもりか。
アーニェはリヴィエールに近寄り、全身をくまなくクンクンと嗅ぎ始めた。
「シスター……同性でも訴えられたら負けまスよ?」
「セクハラじゃあないわよ。ちょっとテイスティングしてるだけだっての」
「な、何の味を見られているんですか……!?」
あとそれは一応セクハラなのでは? とリヴィエールは思う。
「ふむふむ、お嬢さん、お名前は?」
「り、リヴィエール・大河と申します……」
「そ。アタシはこいつの姉。アーニェ・アーフォットよ」
「育て親だろ?」
「シスターはれっきとした姉よ。それはともかく。ふんふん、リヴィエールちゃんね。愛称はリヴィ子ちゃんで良い?」
「ぇ、あ、はい……」
さすがは龍助の姉を名乗る者。あだ名のネーミングセンスが息をするように一緒だ。
「ちなみに、こいつがさっき言った物知りなダチだよ」
「ふぅん……クラスメイト?」
「おう」
「成程、決まりね」
何が? と首を傾げる龍助に構わず。
アーニェは悪戯っぽく微笑しながらリヴィエールに耳打ち。
「龍助はまだガキだから、鈍感で苦労すると思うけど。よろしく頑張ってね。青春女子☆」
「へ?」
自慢の弟だから、オススメよ。と、アーニェはリヴィエールの頭を撫でた。
「じゃ、アタシも期待してるわよ。ヒーローショー。頑張りなさい」
「うッス」
「は、はぁ……」
アーニェの背中を見送りながら、龍助とリヴィエールも怪堂たちが待つ控え教室へと歩き出す。
「なぁ、リヴィ子。最後、なんか耳打ちされてなかったか?」
「ええ、はい……よくわからないのですが……とりあえず応援されました」
「応援? ヒーローショーのか? わざわざリヴィ子だけに重ねて?」
「いえ、えぇと……『龍助はまだガキだから、鈍感で苦労すると思うけど。よろしく頑張ってね。青春女子』……と」
「はぁ……? 何の応援だそりゃあ……つぅか、ガキで鈍感て。俺もう高校生だし、シスター譲りでそこそこ勘は鋭いぜ?」
「ふむ……」
リヴィエールは顎に手をやって少し考えてみる。
「……龍助さん、ガキ、鈍感で苦労……青春女子……そう言えば、自慢の弟でオススメだとか……――あ」
リヴィエールはそれなりにサブカル知識がある。造詣が深いと言っても良い。
少女漫画、ラブコメ系列もそこそこ嗜むジャンルだ(特に人外もの)。
少し考えれば、アーニェが発したワードからその意図を推理するのは、さほど難しくはなかった。
……つまるところ、育て親公認。
こんなの、龍助だってすぐに意図を理解するに決まっている。
アーニェの言葉を龍助にまま伝えたのは失策だった。
リヴィエールは慌てて訂正を図る。
「りゅ、龍助さん、ぁの、違いますよ? いや違うと言うのもその語弊があるんですが……その……そのですね? 確かに龍助さんの寛容さや素直さそして男子らしい活発さは非常に前向きな感情を抱くポイントですよはい私も例外ではなくそう思う訳なんですがでもしかしですね私はまだそんな具体的にそう言った感情がある訳ではない……訳でも……なくて……あれ、なくない……? なくなくはなくなくて……あれ? えぇっと……その……そのですね……はぃ……?」
「ん? ……? ああ、おう。ありがとよ。嬉しいぜ」
龍助は「何で俺、急にめっちゃ早口で褒められてんの? 後半は意味がよくわかんねぇし……まぁ、良いや。褒められんのは良い事だぜ。へへへ」と言った感じのナチュラル微笑。
「…………本当に鈍感だ…………」
「何か言ったか?」
「いえ……」
「つぅかテメェ、顔赤いけど大丈夫か? また熱が出てんじゃあ……」
「ぴゃッ、軽率なヘッド・トゥ・ヘッドの体温測定はやめてくださいと以前にも!!」
「ああ、悪い悪い」
「………………」
「ん? 何でそんな『どうしようもない何か』を見るような目で俺を見るんだよ?」
このジト目の理由がわからない辺り、まぁ、そう言う事なのだろう。
リヴィエールはそう溜息を吐いたのだった。