10,泣くな……赤鬼!!
「龍助……『サキュバス』と言うのを知っているか」
とある休み時間の事。
次の理科の授業は特別教室校舎の科学実験室で行うと言う事で、間違っても遅刻しないよう、龍助が早目に移動を始めた道中。
隣を歩く同級生――赤髪とやたら大きな巨体が特徴的な【赤鬼】こと紅蓮がそんな事を言い出した。
「……さすがの俺も知っているぜ……」
フッ、と龍助は笑い、
「夢の中でエロい事をしてくれる、エッチで素敵なお姉さんだろ?」
「まさしく」
二人は謎のハイタッチを交わす。
「でも、一体どうしたんだよ。いきなり。そう言う話は放課後にコッソリするもんだぜ」
こんな所で女子にでも聞かれてしまったら、恥ずかしいじゃあないか。
「ああ、オレも放課後まで我慢しようと思った……だが無理だ。もう話さずにはいられない……」
「テメェに一体何が……ッ、ま、まさか……!」
「……そうだ。見てしまったんだ。昨晩……エロい夢を……!」
「!!」
戦慄の余り、龍助は思わず立ち止まり、ごくりと息を呑む。
「……ど、どれくらい……どれくらいエロい奴だ……?」
「……法規制も止む無し、だ」
つまり――
「例え深夜枠で修正たっぷりでも、地上波の電波には乗せられない……!」
「ッ……テメェ、高校生が見て良い夢じゃあねぇぞ……!?」
「わ、わかっている……オレだってわかっているさ……! だが見てしまった……見えてしまったものは仕方が無いだろう……!?」
「くッ……ああ、それもそうだぜ……咎めるような事を言って、悪かったな」
嫉妬の心もあったかも知れない。
それは好くない、落ち着け、と龍助は自分に言い聞かせる。
育て親の修道女に教えてもらった。人間の七罪。
誰かの利益を妬んでは、バチが当たってしまう!
「おそらく、怪堂先輩にいただいた、あの本……あれをベッドの下においたのが原因だろう……」
「ああ、確かに……真面目なテメェがそんな夢を見るだなんて、それしか考えられねぇな」
枕の下に本や写真を置くと、それに関する夢を見る事があると言う。
「……わかったぜ。つまりこう言う事だな? テメェは昨晩、サキュバスの存在を確信するほどにエロい夢を見た――と。そう言う事なんだな、紅蓮……!」
「そうなんだ……実はそう言う事なんだ……龍助……!」
「……詳しく話してもらうぜ……サキュバスを確信するほどの夢の話をよ!」
「ほう、サキュバスですか?」
ほぎゃあ、と龍助と紅蓮は揃って悲鳴を上げてずっこけた。
「り、りりりり、リヴィ子……!?」
「あ……何か、すみません。突然に声をかけたら少し驚かれるかとは思いましたが……まさかそこまでとは……」
「大河……一体、どこからどの辺りから聞いていた……!?」
廊下のド真ん中で倒れてしまった龍助と紅蓮。その二人を心配そうに見下ろす金髪眼鏡美少女――リヴィエール!
最悪だ、最悪のタイミングで話を聞かれた。と龍助&紅蓮は顔面蒼白。
猥談をクラスの女子に聞かれてしまうだなんて……ものすんごく恥ずかしい事だ!!
もしも「へぇー……やっぱり男子なんですねー(くすくす」と笑われたり、クラスに拡散されでもしたら……生きていけない!
「今、龍助さんがサキュバスをうんぬんと言っているのだけは聞こえました。それ以外は余り」
「「よし!!」」
ギリチョンでセーフだ!
龍助と紅蓮は立ち上がるよりも優先してハイタッチ。
「サキュバスの話題と言う事は……も、もしやその……猥談……ですか……?」
「ぶふぅ!? き、決めつけるのは良くないぞぉ、リヴィ子ぉ!!」
「そうだぞ、大河! オレたちは非常に健全な観点からサキュバスを考察していたに過ぎない!!」
「成程。そう言えば、紅蓮さんのあだ名にも関連する存在ですしね」
「「…………なに?」」
リヴィエールの唐突な発言に、立ち上がったばかりの龍助と紅蓮は揃って首を傾げる。
「オレのあだ名に、サキュバスが関係している……!?」
「はい。確か【赤鬼】と、呼ばれていらっしゃるんですよね?」
「ああ。紅蓮の通り名は赤鬼だぜ」
「うむ。間違い無いぞ。何度か呼ばれているしな」
紅蓮と言う名前と大きな体から、中学時代に付けられた通り名だ。高校に入ってから染めた赤髪は実は余り関係無い。
して……赤鬼に、サキュバスが関係していると?
全く以て、そんなイメージは欠片も無いのだが……。
むしろ、仰々しく禍々しい、厳つい怪物のイメージがある鬼と、素敵で淫らなお姉さん……対極、そう言っても良いのでは?
一体どう言う事なのか、龍助も紅蓮も皆目見当がつかない。
「そうですね……移動時間も考えるとそう長くはできないので、ここは手短に……鬼の話を、始めましょう」
◆
手短、ライト版と言う事なので。
どうやら、今回はスケッチブックは使用しないらしい。
「さて。まずは鬼の形態について……鬼と言えば、角と牙が生えた大男。虎皮のパンツを履いていたり、金棒を持っているイメージが一般的かと思います」
「うむ。鬼と言えば、そのイメージだが」
大体、鬼と言われて想像するのはそれだろう。
「ですが、鬼の外観に関する説はこれだけではないんです」
「へぇ、他にもあるのか」
「はい。一つ目の幽霊だったり、そもそも定型を持たない黒いもやだったり。たくさんの説があります」
そもそも、鬼の概念にも幅がある。
人間が負の感情から変化した物の怪であったり、悪霊の類であったり、地獄を束ねる閻魔大王の御使いであったり、山の神様であったり。
定義自体がたくさんあるのだから、姿形の説も多く在って当然。故に、日本では「とにかく脅威的なもの」「人の理解を超えるもの」を何かと鬼に当て嵌める。
「そんな鬼の姿形に関する説のひとつに、『変幻自在の淫魔』と言うものがあります」
「「!!」」
「扇情的な美男美女の姿に化けて、若い男性や女性を誘惑し、その魂を食べてしまう……と言うものです」
ああ、まさしく……それはまさしく、淫魔の所業!!
人ならば大方が抗えない、性の誘惑を利用したえげつないやり口ッ!!
「……つ、つまり……オレの通り名……赤鬼、ひいては鬼と言うのは……」
「はい。サキュバスと同じく『淫猥な行為を介して人に害を為す』――淫魔としての一面を持っていると言う事ですね」
「な、ななななな……」
リヴィエールの容赦ない肯定に、紅蓮は真っ青でぷるぷると震える。
「……あれ? 紅蓮さん?」
「お、おい、紅蓮? 大丈夫か?」
「違う……嘘だ……ぉ……オレは……そんな、はしたない男じゃあないッッッ!!」
「あ、ちょ、おい紅蓮! 待てよ! 廊下は走っちゃあダメなんだぜ!? おい、グレェェェェェン!!」
◆
「闇雲に駆け出したのかと思えば、きっちり科学実験室に向かっていたんですね」
「廊下を走ったのは感心しねぇが、紅蓮はその辺、真面目だからな」
「ほ、ほうっておけ……」
と言う訳で、科学実験室に辿り着いた不良二人と外国人一人。
科学実験室は耐久・耐火性に優れた黒く大きな机が一二卓並べられており、一卓ごとに四席設置されている。
特別教室での授業は基本的に自由席。特に打ち合わせもなく、自然な流れで三人は同じ卓を囲んだ。
「まぁ、元気を出せよ。テメェの通り名は別に淫魔方面の理由で付けられた訳じゃあねぇんだから」
「気楽に言ってくれるな……河童はそう言った逸話が無いだろうから、余裕があるんだ……」
「……?」
「「ん?」」
紅蓮の発言に、リヴィエールが不思議そうに首をひねったのを見て。
龍助と紅蓮――特に龍助の方は「……おや……?」と不穏な気配を察知した。
「大河……まさか……あるのか?」
「か、河童にも……いやらしい逸話が……?」
「はい。河童には好色家……要するにスケベとしての一面を語る逸話も多くあるので」
「なッ……」
「ほう、確かに……言われてみれば、『エロ河童』だなんて言葉も聞いた覚えがある」
「その言葉はとある漫才コンビが生み出した近代造語で、語呂の良さから世間に広まったものですね。河童の伝承から生まれた言葉ではありませんが……まぁ、河童との親和性は非常に高いものだと言えるでしょう」
ちなみにかの有名な西遊記の主要キャラクターであり、河童と同じルーツを持つ沙悟浄も好色家であるとする設定が存在する。
それはともかく。
サァーッ、と龍助の顔から血の気が引いた。
一方、紅蓮はにやりと笑う。
「うむ、そうか。そうかそうか。では大河。ぜひその話を聞かせてくれないか」
「ッッッ!! 紅蓮!! テメェ……!」
「死なばもろともの友情だろう……!」
「地獄にまで腐れ縁を持ち込む気かァァァ!!」
「あの世でもズッ友だなァァァ! フハハハハ!!」
「相変わらず、すごく仲が良いですね」
何やらお互いに襟を掴み合っているが、まぁ、仲良さげだ。
「つぅかリヴィ子ォォォ! テメェは河童に恩があるんじゃあねぇのかよ!? そんな話を広めて良いのか!?」
「清濁を併せ呑むのもファン心理です。と言うか、妖怪は基本的に御霊信仰――害益一体の存在なので、害の方を知ってもらうのも正しく布教であるかと」
「ごもっともかよ!」
物事に偏った見識を持ち込むべきではない。
知識は多面的であって、初めて価値を持つ。
その理屈は龍助にも理解できる。
僅かな希望が今、断たれた。
「では……そうですね。まずは幼女を川へ誘い込み、お尻にひとしきり悪戯した後、孕ませて帰す話から始めましょう」
「初手からド変態がキツ過ぎねぇかなぁーッ!?」